第三話 キサゴナ遺跡
キサゴナ遺跡はウォルロ村と山向こうのセントシュタイン城へ行き来する街道から、少し南に外れた場所にある古い遺跡である。かつては山向こうと行き来するための重要な場所であったが、その内部は崩れやすく、内部に巣食う魔物の脅威もあり、山を切り開いて新しい道を作ってからは次第に使われなくなっていった。
土砂崩れの現場で訊いた話では、あきこという女性がここを通ってウォルロ村へ行こうとしていたらしい。世話になったリッカを安心させようと、ゆういちはただ一人、この危険な遺跡に挑もうとしていた。
「ここか……」
遺跡にたどり着いたのは、もう日も暮れようという時間だった。
しかし、遺跡の内部に通じる道は、固く閉ざされている。これ以上魔物の犠牲者を出さないため、封印されているのだ。一体どうすればいいのか祐一が途方にくれた時、その背後に不気味な影が浮かび上がった。
「おまえは……」
ゆういちが声をかけると、商人風の装束を身にまとったその男は無言で歩きはじめた。その後を追っていくと、男は脇の回廊にある戦士増のところに佇んでいる。
「この……像の……背中に……」
ぼそぼそとかすれる声で男はなにかを語る。男が消えた後ゆういちが戦士像の背中を調べると、ボタンを発見した。ボタンを押すとどこかでなにかが動く音がする。それは遺跡の封印が解かれた印だった。
遺跡の内部はあちこちが崩れており、危険な魔物が多く巣食っていた。
「あらあら。こんなところで人に会うなんて……」
そんな中でゆういちは、一人の女性と出会う。それは長い髪を三つ編みにした、妙齢の美女だった。
「……ねえ、そこのあなた。ちょっとそこの瓦礫をどけてくださらないかしら?」
どうやらこの女性は、あの大地震で崩れてきた瓦礫に足を挟まれてしまったらしい。怪我は大した事はないようだが、身動きが取れなくなってしまったのだ。
「また、あいつが来る前にここを脱出しないと……」
ゆういちが女性の足を挟んでいる瓦礫を持ち上げようとしたその時だった。突如として地響きのような音が近づいていくる。
「来たわ、奴よっ!」
この女性のいう奴が何者なのか祐一は知らない。しかし、脅威である事だけは確かだった。
「奴から逃げようとして、落ちてきた瓦礫に足を挟まれたのよ。頭上にも気をつけてっ!」
そいつはこの遺跡の主、ブルドーガだ。見上げるような巨体が、ゆういち達を圧倒する。雄叫びをあげて突進してくるブルドーガを、ゆういちは器用にかわし、落としてくる瓦礫も盾を使って回避する。
攻撃のパターンさえ見切ってしまえば、後は楽勝パターンだった。
「せいっ!」
とどめにゆういちの会心の一撃をくらい、ブルドーガは倒れた。
「あなたって見かけによらず強いのね。おかげで助かりました」
そう言って女性は深々と頭を下げる。どうやらこの戦いのどさくさで、うまく足も抜けたようだ。いつまでもこんなところにいて魔物に襲われてもつまらないから、とっと遺跡から出る二人であった。
「そう言えば自己紹介が遅れましたね。私はあきこ、セントシュタインの城下町で酒場を営んでいます」
遺跡から出たあたりで秋子はそう自己紹介した。
「俺はゆういち。見ての通り、しがない旅芸人さ」
ゆういちがウォルロ村から来た事を告げると、あきこは途端に驚いた表情を見せた。
「そうだわ、私ウォルロ村に行かなくてはいけないんでした。それではゆういちさん、私はここで……」
言うが早いか、あきこは一足先にウォルロ村に向かうのだった。
行方不明だったあきこが無事だったという知らせは、瞬く間に村全体に広がった。村に戻ったゆういちはあきこがリッカの宿屋に向かったと聞き、早速行ってみる事にした。
「流石リベルトさんの宿屋ですね。細部に至るまで、お客さんをもてなそうって心遣いが感じられます」
「お父さんのお知り合いの方? あっ! もしかして、あなたがあきこさんですか?」
行方不明だと聞いていたが、こうして無事な姿を見せてくれたのでリッカも一安心だ。なにしろリッカはあきこの無事を、ずっと守護天使に祈り続けていたのである。
「心配かけてしまったようですね。それにしても、あの頃あんなに幼かったあなたが、私の名前を覚えていてくれたなんて」
そして、リベルトの事を聞くあきこであったが、リッカの口からもうすでにこの世の人ではない事を知らされた。あきこ達の間でリベルトは、ある意味伝説的な人物だった。その死を知ったあきこの表情はしばらく驚愕に彩られていたが、やがてなにかを思いついたように柔和な表情に変わった。
「リベルトさんがお亡くなりになったという事は、この宿屋はあなた一人でやっているのですね?」
「ええ、そうですけど。なにか?」
「小さいけど、いい宿ですね。お客さんへのもてなしの心が隅々までいきとどいています」
「ありがとうございます。ここは父が私に残してくれた、自慢の宿ですから」
「流石は伝説の宿王の娘ですね」
宿王ってなんだと突っ込みたいゆういちであったが、ここは黙って成り行きを見つめる事にする。
「あの……なんですか? さっきから伝説、伝説って……」
代わってリッカが突っ込んでくれたようだ。
「ねえ、リッカちゃん。あなた、セントシュタインで宿屋をやってみる気ない?」
そんな周囲の状況など意にも介さず、あきこはずばりと言い放った。
「へ……?」
リッカはキョトンとした表情であきこを見つめている。
「えええええええ〜〜〜〜〜〜」
次第に状況がのみこめてくるにつれて、大きな声を出すリッカ。この唐突な申し出に、驚かない方がどうかしていた。
「……じゃ、父さんはセントシュタインにいたころ、伝説の宿王って言われていたんですか?」
「そうですよ。それはもう凄かったんですから」
もうチョイましなネーミングはなかったかと思うゆういちであったが、せっかく父親の伝説を聞いている最中なのだから、とりあえず黙って成り行きを見つめる事にする。
「若くして宿屋を立ち上げ、なみいるライバルを押しのけて、たちまちのうちに宿屋を大きくしていったんです」
信じられないような話ではあるが、これは事実だ。その証拠にリベルトの事を語るあきこの頬は、うっすらとだが赤く染まっている。しかし、リッカにしてみれば、小さな宿屋でも二人でやれるの楽しいという父親であった。
どうにもそのギャップが、リッカには信じられないのだ。
「そこは私にもわかりません、どうしてあの伝説の宿王が、こんな田舎にひっこんでしまったのか……」
それはともかくとして、宿王のいなくなったセントシュタインの宿屋は大ピンチになっている。そこであきこは伝説の宿王にたてなおしを依頼しようと思ってきたのだが、当の本人はこの世のものではなくなっていた。
「それで、リッカちゃんにセントシュタインに来てほしいのよ」
「その話は無理があります。私はこの宿屋をやっていくだけで精一杯なんですよ?」
「それは大丈夫です。あなたは伝説の宿王の才能を、確実に受け継いでいます。私は人の才能を見抜く力があるので、それはわかります」
その真剣なあきこのまなざしに、リッカはどうやって断るべきかを思い悩んだ。セントシュタインには行きたくない。リッカとしてはこの村で、父の残した宿屋をやっていくつもりだ。
「……いけない、もうこんな時間。私、夕食の準備があるので、これで失礼しますね」
「意外と頑固ですね。これは長期戦も覚悟しないといけませんね」
そう言うあきこの表情は、どこか楽しげな雰囲気があった。
「さて、どうしたもんかな……」
ゆういちとしては、色々と世話になったリッカになにか恩返しが出来ないかと考えていた。そこへきてこのあきこの申し出は、リッカにとってチャンスなのではないかと思う。
リッカだってまだ若いのだから、自分の可能性にチャレンジしてもいいのではないだろうか。
しかし、その一方で父親が残してくれた宿屋を守っていきたいという、リッカの気持ちもわからないでもない。そうした難しい問題に頭を悩ませながらゆういちが家路をたどると、扉の前に人影が立っている。
「おい」
「うひゃうっ!」
ゆういちが声をかけると、その人物はびっくりしたように飛びあがった。
「びっくりしたなぁ……おどかさないでくださいよ、もう……って、あなた私の姿が見えるんですか? 私とっくに死んでるんですよ」
よく見ると、その人物は全体的な輪郭がややぼやけて見える。ゆういちにも見覚えがあるが、これはもうこの世のものではない魂の姿だ。
「そう言えば、あんたの姿は見た事があるぞ。確かキサゴナ遺跡にいたな」
「そうですよ。その時も私に気がついていたみたいだし。まったく、不思議な人だなぁ……」
「ところで、あんたは誰なんだ?」
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はリッカの父親のリベルトといいます」
「そうか、あんたが伝説の宿王か」
「な……なぜその名を?」
「さっきあきこって人から聞いた」
「あきこから……そうですか……」
リベルトは流行病でぽっくり死んでから、この二年間地上をさまよっているのだそうだ。
「ところで、あなたは?」
「俺はゆういち。見ての通りの旅芸人さ」
「ゆういち……? むむ、もしやあなたは守護天使様の?」
「そこ、ちょっとまったぁ〜っ!」
その時、突然大きな声が響き渡った。彼方から飛来したピンク色の光が祐一にあたり、背中に昆虫のような羽を生やした少女の姿を取る。
「いったぁーい……」
ガングロ金髪の妖精が、頭をさすっている。
「ちょっと、ボケっとしてないでよけなさいよっ!」
「いや、悪い悪い。あんまり素早い動きだったんで、対応が遅れた」
「あーもうっ! そっちの方はいいや。それよりもそこのおっさん、あんたの発言は聞き捨てならないんだケド」
「は? 私?」
妖精の怒りの矛先が突然自分に向いたせいか、リベルトは唖然としたような顔で訊き返した。
「一体なんでしょう?」
「今、こいつの事天使とか言ったよネ? アタシもそう思ったケド、いまいち確信が持てないのよネ……」
天使であるならば、頭上に光輪が輝き、背中に翼があるはずだ。見たところゆういちにはそうしたものがなく、普通の人間であるように見える。
「光輪も翼もない。これってへんくネ?」
「言われてみれば確かに。でも、変というならあなたのほうが……。一体、どちらさまで?」
「フフン……それを聞いちゃいマス? そうね、聞かれちゃったら答えないわけにいかないわね」
「別に無理して答える必要もないぞ。俺を変呼ばわりするような奴なんて、知ったこっちゃない」
「うるさいっ! 聞いておどろけっ! アタシは謎の乙女サンディ、あの天の方舟の運転士よっ!」
「は……はあ」
ゆういちの冷やかしにもめげず、そう自己紹介したサンディであったが、そもそも天の方舟がなんなのかわからなければリアクションのとりようもない。おそらくは峠道に落下していた謎の物体に関係するものだと思われるのだが。
「さて、アタシに名乗らせたんだから、あんたも自分の正体教えてほしいんですケド? どう見てもただの人間なのに、幽霊や天の方舟が見えちゃうあんたは一体何者なの?」
「ああ、こうなったら全部を話すしかないな。俺は元々天使なのさ。世界樹に女神の果実がなり、天の方舟が飛来した時に起きた災厄で地上に落ちてしまったんだ」
「ふ〜ん、なるほど。あんたはあのときの大地震で天使界から落ちてきたんだ」
「それで気がついたら光輪も翼も失っていたというわけさ。説明するのも面倒なんで、リッカには記憶を失った旅芸人という事にしてある」
「信じられないわね……」
サンディがそう思うのも無理はない。いまのゆういちは翼も光輪も失ったのに、魂を見る力は残っているという中途半端な状態なのだから。
「そうねぇ……もしあんたがどーしても自分が天使だって認めてほしいなら、迷える魂を昇天させてみなさいっての!」
それができてこその天使だとサンディはいう。ちょうどそこに迷える魂のリベルトがいるのだから、丁度いい。
「え? 私ですか? そりゃたしかに私だってこのままでいいとは思ってはいませんが」
魂が地上をさまようのは、この世に未練があるからだ。リベルトが未だに地上をさまよっているのは、心残りがあるからだ。
「そう言うわけで、このおっさんのしょぼい未練とやらを解決して魂を昇天させるのよ。それが出来たらあんたを天使って認めてあげるわ」
言うだけ言って、サンディは姿を消す。これからは陰ながらゆういちを見守り、観察日記をつけるのだそうだ。
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