第十一話 天使界

 

 長い一夜が明けた後、ベクセリアの町は昨日まで覆っていた暗い雰囲気がすっかり晴れ、いつもの活気を取り戻しつつあるようだ。愛する者を失った悲しみは、いずれ時が解決してくれるのだろう。

 それはともかくとして、病魔の脅威去った事による街の人達の感謝の結晶である星のオーラが出現したため、サンディの提案もあってゆういち達は一度落下した天の方舟に戻ってみる事にした。

「……ゆういち」

 ゆういちが天の方舟に入ろうとしたその時だった。暗い表情をした少女が通りかかったのである。

「はえ〜どうやらこの子は幽霊さんの様ですね」

「多分、この子は自分が幽霊だという事に気がついてなくて、誰からも相手にされなかったんじゃないでしょうか?」

「……しゃーない、話しかけてみるか」

 口ではそういいつつも、相手が可愛い女の子なのでウキウキする気持ちを隠せずにいるゆういちであった。

「……いない」

 少女はぽつりと呟くように口を開いた。

「……あの人はここにもいない」

 それだけ言うと、少女はどこかへ姿を消した。おそらくゆういちのいる近くでなら、ある程度まで実体化できるのであろう。

「まあ、いいわ。とにかく天の方舟に乗り込んじゃいましょ」

 言うが早いか、サンディはすごい勢いで天の方舟に乗り込んでいく。

「ほーれ、さっさとする、する! あんた達が乗って来てくれなきゃ始まらないんだから!」

 ゆういち達が足を踏み入れると、天の方舟は軽い震動と共に動きだした。

「おおっ。方舟ちゃんのこの反応! ……ゆういちが天使だって、よーやく認めてくれたってカンジ?」

 これならいける。サンディはそう確信した。

「さてと……アタシがこれを操作したら、いよいよ天界に帰れるハズなんだけど……」

 サンディはざっと操作パネルに目を走らせる。

「それじゃ、いっくよー! スイッチオン!」

 すると、天の方舟は静かに舞い上がった。

「ええーっと……確かここをこんな感じでいじってたっけ……?」

 かなり不安な操縦方法だ。しかし、今はサンディだけが頼りなので、それは黙っておくゆういちであった。

「おおっ? やるじゃん、アタシ!」

 天の方舟がゆっくりと動き出すと、サンディは思わずガッツポーズをとる。

「……っと、あ、いや。こ、このくらい運転士なら当たり前だっつーの!」

 ゆういちの視線に気がついたのか、サンディは少々バツが悪そうな表情をしたが、気を取り直して高らかに宣言した。

「それじゃ、天使界目指して出発しんこーっ!」

 サンディがスイッチを押すと、天の方舟は一路天空の彼方を目指して飛び立った。

 

「神よ……聖なる世界樹よ……。どうか我々をお守り下され」

 天使界を襲った大災厄。人間界では大地震として認知されている一件の後、天使界は見るも無残な姿で荒れ果てていた。長老オムイをはじめとした天使達は、変わり果てた世界樹に祈りをささげている。

「このままでは天使界は……」

 その時、まばゆい光が辺りを照らす。そこの現れた天の方舟の姿に、オムイの表情が喜びに彩られる。

「神よ……祈りを聞き届けてくれたのですね!」

 舞い降りた天の方舟に、オムイ達は駆け寄っていく。

「天の方舟が、我々を救いに来てくださったのだ!」

「長老オムイさま、中から誰かが出てまいります!」

 そこに降り立ったゆういちの姿に、オムイは驚愕で目を見開いた。

「ゆういち? お前はゆういちなのか? どうして天の方舟から……? しかも、その姿はどうしたのだ? 頭の光輪も、背中の翼もなくなっているぞ!」

「お久しぶりです、オムイさま。話せば長くなるのですが……」

 かくかくしかじか、と事情を説明するゆういち。

「なに? あの異変の後、人間界に落ちて翼と光輪を失ったが、天の方舟がお前を送り届けてくれた……じゃと?」

 にわかには信じがたい話だが、あの異変の際にゆういちと同じく人間界に落ちてしまった天使も多くいた。ゆういちはそうした天使達の協力もあり、再び天使界に降り立つ事が出来たのだ。

「ともかく、ゆういちよ。よくぞ無事天使界へ帰った。地上でなにが起きているか、私達に教えておくれ」

 

 祐一が人間界から天使界に戻ったという知らせは、瞬く間に天使界中に伝わった。その時にゆういちは頭の光輪と背中の翼を失ってしまい、天使としての能力を失ってしまった事。そして、天使界だけではなく、人間界にも影響が出ているという事が伝えられた。

「……そうか。あの時の邪悪な光は天使界ばかりではなく、人間界までもおそっていたのか……」

 その報告を受けたオムイは、重苦しく息を吐いた。

「ゆういちも覚えておろう。女神の果実が実ったあの日、地上より放たれた邪悪な光が天使界を貫いた。天の方舟はバラバラになり、女神の果実がすべて人間界に落ちてしまったようなのじゃ。お前をはじめとした天使達と共にな……」

 あの後地上に落ちてしまった天使や邪悪な光の原因を探すため、何人もの天使が地上へ降りた。だが、今のところゆういちとその仲間以外には、誰一人として戻ってこないのだ。

「皆の事が気がかりであるが、ともかくお前達だけでも戻ってこれて良かった」

 オムイは世界樹に感謝を捧げるようゆういちに言う。そうすれば、世界樹が失われた光輪と翼をよみがえらせてくれるかもしれないそうだ。天使達にしてみれば、今のゆういちの姿はあまりにも痛ましいものであるらしい。

 

「こいつはひどいな……」

 世界樹のところへ行くついでに、ゆういちは天使界中を見て回った。外は常に黒い雲が取り巻いているせいか、あたりはうす暗く、邪悪な光に貫かれた影響で、天使界は崩壊の危機にさらされているようだ。

 地上に落ちた天使達の捜索のため、何人もの天使が地上に派遣されているそうなのだが、魔物達の力が増大しているせいか、いまだに誰も帰ってきていないのだそうだ。

 天使達の中には、エルギオスの時のようだと言い出す者もいる。

「エルギオスか……」

 今まで何度か耳にした事がある名前だ。

「偉大なる天使エルギオスよ。ゆういちとイザヤールがどうか無事に帰りますよう……」

 聞きなれたラフェットの声に、ゆういちは思わず耳を澄ます。どうやら声はこの扉の奥から聞こえてくるようだ。

「え……? ゆういち?」

 ラフェットの瞳から、とめどなく涙があふれる。

「よかった! 無事だったのね。ねえ、イザヤールは? 一緒に帰って来たんじゃないの?」

「すみません。師匠とは関係なしに、俺一人で戻ってきたんです」

「……そっか」

 ラフェットは、落胆の色を隠せないようだった。

「てっきり、イザヤールも一緒だと思ったんだけどなぁ……」

 なんでもイザヤールは、ゆういちを探しに地上へ降りたきり、帰ってこないのだそうだ。だからラフェットはこの石碑の前で、ずっと祈りをささげていたのである。

 これはエルギオスの石碑。石の表面には『偉大なる天使エルギオス、その気高き魂と人間を愛する美しい心、我ら忘るる事無し。そして誓おう、神の国に帰れるその日まで、この世界を見守っていく事を』と刻まれている。

「エルギオスというのは、かつて何百年も昔イザヤールの師だった天使。ある村の守護天使だったエルギオスは人間達を守るため地上へ降り、そして、ある時消息不明になってしまった。なにが起こったのかもはや知る由もなく、私達はこうして祈るしかないの……」

「そうでしたか……」

「イザヤールは心配だったのよ。祐一までエルギオスみたいに帰らないんじゃないかって。多分、今も人間界のどこかであなたを探してるんじゃないかな」

 だとすれば、行き違いになってしまったという事だ。もしかすると、人間界に落ちたという天使もゆういちと同じく中途半端な状態にあるのかもしれない。光輪と翼のない天使は普通の人間と見分けがつかないので、捜索はかなり難しい状態にあるのかもしれない。

 また、地上の魔物も活性化しているので、戦う手段を持たない天使達の中には、命を落としてしまった者もいるだろう。

 イザヤールが無事に天使界へ戻ってくるように、祈り続けるラフェットだった。

 

 そして、ゆういちは世界樹に祈る。やがて、ゆういちは眠りに落ちていった。

 

人間達は、この世界にふさわしくない

己の事しか考えず嘘をつき、平気で他者を貶める……

そんな人間の、なんと多い事か

私は……人間を滅ぼす事にした

 

 謎の怪光線が地上に迫る寸前、もう一つの光がそれを押しとどめた。

 

「お待ちください」

なぜ、止めるのだ?

「わたくしは人間達を信じます……。人間達を滅ぼしてはいけません。どうか……」

ええい、黙れ!

……もう決めた事だ。人間は……滅ぼさねばならぬ

「わたくしは、人間達を信じます……この身に代えても、人間と人間界を守りましょう……」

 

「なんだ? 今のは……」

 どうやらゆういちは夢を見ていたようだ。

「……はは、やっぱりな……」

 ゆういちは自分の頭と背中を探ってみるが、光輪も翼もない。世界樹に祈りをささげたが、なにも戻らなかった。確かにそんな都合のいい話なんてないよな、とゆういちが考えていると、どこからともなく不思議な声が聞こえてくる。

 

守護天使ゆういちよ、よくぞ戻ってきました

 

「誰だ?」

 あたりを見回してみるが、ゆういち以外には誰もいない。しかしその声は、優しくゆういちに語りかけてくる。

 

翼と光輪を失ってもなお、ここに戻ってこられるとは

これもまた、運命なのかもしれません

守護天使ゆういちよ、あなたに道を開きましょう

わたくしの力を宿せし青い木が、あなたを新たな旅へと誘うでしょう……

そして、もうひとつ

これまであなたが旅した地へと戻る呪文を授けましょう……

 

 ゆういちはルーラの呪文を覚えた。そのときゆういちは、ふと世界樹を見上げた。

 

守護天使ゆういちよ

再び地上へ戻りなさい

天の方舟で人間界へ行き

散らばった女神の果実を集めるのです

そして、人間達を……世界を救ってください……

 

 そして、声は消えなくなった。

「……まさかな」

 ゆういちは静かに佇む世界樹を見上げたまま、そうぽつりと呟いた。

 結局、祈りをささげても祐一は元の姿のままだった。しかし、ここで見た夢の話をオムイにすると、大変に驚いた様子だった。

 そして、ゆういちは人間界に散らばった女神の果実の探索を命じられた。

 ゆういちは再び天の方舟で、人間界を目指すのだった。

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