第二十五話 空の英雄グレイナル
「もうっ! なんだってこんな火山の山頂なんかに住んでるのよっ!」
「かおり、落ち着いて」
溶岩や蒸気の吹き出る洞窟を抜け、途中で魔物との戦闘を繰り返しながら山頂を目指している中で、キレるかおりをなだめるなゆき。性格的には正反対と言える二人ではあるが、なかなかいいコンビだ。
「あ、見てよかおりさん。もうすぐ山頂だよ」
そのすぐ脇では、あゆが疲れた様子も見せずに元気よく山頂を指差す。そんなあゆとなゆきの醸し出すのほほんという雰囲気に、僅かに頭痛のようなものを感じるかおりではあったが、あえてそれは口に出さずに黙って山頂を目指して歩きだした。
「誰じゃ?」
山頂につくと、ゆういち達は突然どこからか声をかけられた。辺りに人影はないが、正面にある洞窟の奥から鋭い眼光が浴びせられている。やがて思い足音を響かせて、白く細長い胴体に長く首と尾を持ち、異様に細長い手足を持ったドラゴンだった。
「あんたがグレイナルか?」
「左様、わしがグレイナル。空の英雄グレイナルじゃ。お主は里の者ではないようじゃが?」
「俺はゆういち。訳あってあんたに会いにきたんだ」
「見知らぬ旅人が、わしに一体なんの用じゃ?」
ゆういちはここまでのいきさつを手短に説明した。だが、グレイナルの表情は次第に険しくなっていく。
「……待て、お主の体からただよう臭いは……。忘れもせん、魔帝国ガナンの兵どもにまとわりつく、あの不快な臭い……」
グレイナルの鋭い眼光が、ゆういち達の体を射抜く。
「貴様達……さてはガナンの手先だな! 性懲りもなくわしの命を狙ってきおったか?」
「いや、ちょっと待ってくれ。俺達の話も……」
「問答無用じゃ。いにしえの龍族のチカラ、思い知らせてくれるわっ!」
「しかたない、みんないくぞっ!」
グレイナルとの戦いがはじまった。
「……おのれ、帝国の犬め。翼が傷ついていなければこのような結果には……」
あっさりとゆういち達に敗れたグレイナルは、苦しい負け惜しみを口にする。
「えーい、殺すなら殺せ! このまま生き恥さらすくらいなら、死んだほうがましじゃっ!」
そうかと思うと、今度は駄々っ子のように体をくねらせはじめた。
「待ちなされグレイナルどの! お待ちなされーっ!」
するとそこへ、一人の老女が駆け込んできた。
「気になって追いかけて来てみれば、どうしてこのような事になっておるのじゃ?」
みじめに打ち倒されたグレイナルを見て、老女は血相を変える。
「お客人! あなたは黒い竜を追うため、グレイナルさまに助けを求めに来たのではなかったのですか?」
「俺にもよくわからん。話をしようとしたら、いきなり臭いがどうとか言って襲いかかって来たんだ」
「黒い竜じゃと? もしかして、バルボロスの事か?」
そこでグレイナルはキョトンとしたような表情で、ゆういち達をまじまじと見る。
「さっきからなんの事を言っているんだか知らないが、俺達は帝国とやらには関係ない。闇竜バルボロスを倒す方法が知りたいだけだ」
「なにを言っておるのだ? バルボロスなら、わしが300年前に倒したはずではないか」
「確かにそのはずなんだが。俺達は黒い竜に襲われた事があるんでな、だからその対策を講じるためにこうして来たんだ」
「そうです。この方は再び黒い竜が現れたというのです。それでグレイナル様に助力を求めに……」
ゆういちと老女。確かにこの二人がうそを言っているようには思えない。しばしの間グレイナルは黙考した。
「……フム。わしに今一度バルボロスと戦えというのじゃな?」
「あ、いや。そこまでは……。バルボロスと戦うのに、なにか助言でもいただければいいかと……」
確かグレイナルは、翼が傷ついているんじゃなかったかとゆういちは思う。
「空も飛べぬモウロクしたわしでは、バルボロスとは戦えんか? ……どちらにしてもお断りじゃ」
そう言ってグレイナルは鼻を鳴らす。
「帝国の手先と同じ臭いまとった者など信用できぬ。バルボロスの復活などデタラメじゃ!」
「……そうですか、では仕方ありませんなぁ」
すっかりへそを曲げてしまった様子のグレイナルに、老女は呆れたように溜息をついた。
「お聞きになられた通りじゃ。グレイナルさまがこうおっしゃる以上、わしにはどうする事も出来ん。お客人には申し訳ないが、今すぐこの場から立ち去ってもらえんかのう?」
「そういう事じゃ。はようどこかへ行ってしまえっ!」
どうやら完全に嫌われてしまったらしい。こうなるとなにを言っても無駄な気がしたので、とりあえずゆういち達はこの場から去る事にした。
「うぐぅ、グレイナルさんもドラゴンだったんだね……」
山頂からの道を下ろうとした時、あゆがそんな事を口にした。
「あたしもてっきり人間だとばかり思ってたわよ」
これに関してはあゆと同意見なのか、かおりも肩をすくめる。
「でも、グレイナルさんは300年前に黒いドラゴンさんと戦ったって言ってるんだし、ドラゴンさんだったら今も生きててもおかしくないよね」
のほほんとしたなゆきの口調に、なぜか深く納得するものを感じてしまうゆういちであった。
「うぐぅ……」
山を下りる途中で、あゆは自分の体をクンクンとかいでみる。
「どうした? あゆ」
「だって、ほら……グレイナルさんが……」
「そう言えば、変な臭いがするって言ってたわね……」
あゆにつられてかおりも自分の体をクンクンとかいでみた。
「そ……そんなに変な臭いはしないよね?」
「ああ、いつものなゆきの匂いだ」
背後からなゆきを抱きしめ、その体の匂いをクンクンとかいでみるゆういちであった。
「な……なんだこれは……」
そんな事をしながらドミールの里に戻ってきたゆういち達が見たものは、悲鳴と怒号のあふれる惨状だった。
「うう……」
「おいっ! 大丈夫か? なにがあった?」
「下界からの客人に話しかけたら、いきなり切りつけてきやがった……」
「あいつらがまとっている雰囲気……まともな人間のものじゃない、あんたも気をつけろ……」
見ると、赤い鎧を着た兵士風の男達が里の人間に危害を加えている。
「あの赤い鎧……。あれはまるで昔話で聞いた魔帝国ガナンの……まさかそんなはずはないわ……」
すぐそばにいた女性が呆然とした様子で呟いている。なんだかよくわからないが、とにかく早くあの連中を止めなくてはいけない。
「ほう、我らに話しかけてくるとは、なかなか肝が座っているな」
「はっ! ネズミはネズミらしく、ガタガタ震えていればいいんだよっ!」
「我らは偉大なる魔帝国ガナンの兵士だ。このドミールは、かつて我が帝国に逆らった者達の巣窟。地上に残しておく価値のない場所だ。空の英雄グレイナルともども、この地にいるものは一人残らず葬り去ってくれようっ!」
「いくぞっ! みんな」
ゆういちが攻撃を加えると敵兵の面頬が外れ、相手の素顔があらわとなる。それは、この世のものではないガイコツの姿だった。
「ゆ……ゆういちくんっ!」
「ああ、わかってる」
この手の死霊系が苦手なあゆとかおりが、露骨に嫌な顔をする。こうなると頼りになるのは、聖なる力をその身に宿したなゆきぐらいだ。
とはいえ、相手の実力はゆういち達よりも劣るらしく、意外とあっさり倒す事が出来た。
「よ、よくもやってくれたな……。この……事、将軍に報告せねば……」
「ホッホッホ……もう知っていますよ」
その時、どこからともなく不気味な声が響いた。
「おお、ゲルニック将軍! どうかお助けを……」
「ゲルニック……?」
どこかで聞いた覚えはあるのだが、どうにも思い出せないゆういち。しかし、あゆ達は驚きで目を見開いている。
「うぐぅ……ゲルニックって確か……」
「あの時黒いドラゴンに乗っていた人だわ……」
あゆとかおりは臨戦態勢を解かないままだが、相手の実力もわからないうえに全身から放たれているプレッシャーによって身動きが取れないようだ。
「……やれやれ、偉大なる帝国の兵士ともあろう者が、人間ごときに後れを取るとは……」
助けをこう帝国兵を前に、ゲルニックは冷ややかな視線を浴びせる。
「まったく嘆かわしい限り。あなたにはどうやらお仕置きが必要なようですね」
ゲルニックの掲げる杖に、膨大な魔力が集中していく。
「そ、そんな……助けてくれぇっ!」
杖の先から生み出された黒い光の球の直撃を受けた帝国兵は、悲鳴をあげる間もなく消滅した。
「おや……? どこかで見たと思ったら、あなたはイザヤールさんの……」
やっとゆういちに気がついたという感じで、ゲルニックは話しかけてくる。
「なんと、生きていらっしゃったんですか。帝国の敵はグレイナルだけではないというわけですね。……まあ、いいでしょう」
もはやゆういちごときには興味もないという感じで、ゲルニックは言葉を続けた。
「どうせあなたもグレイナルも、ドミールももうすぐこの地上から消え失せるのですから」
そうしてゲルニックと名乗る魔物は去り、ドミールの里には再び平穏を取り戻した。傷ついた里の民はゆういちの持つ薬草やなゆきの回復魔法によって、少なとも死者は出なかったのが救いだった。
この騒ぎの後、ゆういちにグレイナルからの伝言があった。それはゆういちが龍の火酒を持ち、一人でグレイナルのところまでくれば話を聞いてやってもいいとの事だった。
龍の火酒はグレイナルの大好物であるのだが、1000年の時を生きる間に空を飛ぶ能力を失い、もはや酒を飲む事だけが楽しみになっているらしい。その意味では、呑んだくれの頑固親父というところか。
もっとも、だからこそ300年たった今もなお、里の者達に愛される存在なのだろう。
「ええい、遅い! 遅いぞっ! 待ちくたびれたではないか」
火酒を持ったゆういちがグレイナルのところにつくなり、いきなりそう言われた。
「……まあ、よいわ。そう言えばまだ名前を聞いておらなんだな。名乗るがよいぞ」
「ああ、俺はゆういち。見ての通りの旅人だ」
「ふむ、ゆういちというのか。貴様らしい間抜けな名前だの」
そう言ってグレイナルは豪快に笑う。
「それはさておき……先だっては貴様の事を信用できぬと言ったが、どうやら間違いだったようじゃな」
どうやら麓の里で起きた出来事は、もうグレイナルの耳に入っているらしい。帝国の手先が帝国軍相手に戦うはずがない。どうやら龍族の耳は、人間レベルのものとはモノが違うようだ。
「……わしの知る帝国の兵士達はあのような魔物ではなかったが、奴らの放つあの気配は忘れもせん。あれこそはまぎれもなく300年前にわしが戦ったのと同じものじゃ」
「すまないが、グレイナルどの。その話をもう少し詳しく教えてくれないか?」
「……そんな事よりも酒じゃ、酒。龍の火酒を持ってきたのじゃろ? 早くそいつをよこすのじゃ」
ゆういちはしぶしぶながらも、グレイナルに龍の火酒を渡した。
「これじゃこれじゃ♪ ワシは酒には目がなくてのう。早速いただくとしようっ!」
喜色満面、という表現がしっくりくるくらいの表情で、グレイナルは龍の火酒を飲みはじめる。
「ぷはぁ〜っ! う〜、五臓六腑にしみわたっていくわい」
「あのな、グレイナルどの……」
「え〜い、待っておれ。そうすれば後でいいものをやるからの」
グレイナルは、すっかり龍の火酒に夢中だった。その様子に呆れたような溜息をつきつつ、ゆういちはしばらく待っていた。
「ふ〜、ゆういちよ。迷惑をかけた詫びじゃ、おぬしにはこれをくれてやろう」
「なんだ、これは?」
「ガナンの紋章じゃよ。それは300年前の戦いで帝国の将軍を倒し、手に入れたものじゃ。奴らにとっては貴重な品らしい」
そうは言うが、ゆういちにはこれにどういう価値があるのかさっぱりわからない。
「……まあ、わしにとってはガラクタも同然じゃが、売れば少しは金になるんじゃないか?」
こんなわけのわからないものが売れるのかどうかは疑問ではあるが、とりあえずくれるものは素直にもらっておくゆういちであった。
「う〜ヒック! ……っとぉ、うん? この気配はどこかで……?」
その時、彼方の空から黒い魔力の光弾が飛来し、ドミールの里を襲う。この突然の出来事に里の人達は、悲鳴を上げて逃げ惑うしか出来なかった。
「なんだ? なにが起きた?」
「うぬぅ、間違いない。この気配はあ奴、闇竜バルボロスじゃっ!」
バルボロスが里を攻撃しているのは、グレイナルをおびき出すための手段なのだろう。
「う〜、よかろう。幸いここにはゆういちもおる。なんとかなるじゃろう……」
「どういう意味だ?」
「貴様に龍戦士の装具というありがたーい宝物をくれてやる。それを着て、我が背中にまたがるのじゃ」
「グレイナルどのの背中に?」
「龍の戦士がいれば、今のわしでも再び空を飛べるはず……」
だが、その行く手を阻むように、一体の魔物が舞い降りる。
「グフフフ……そうはさせんぞ。龍戦士の装具と、それを纏う者を始末しろとゲルニック将軍からの命令でな。覚悟してもらおうっ!」
ウイングデビルが襲いかかってきた。
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