第二十九話 世界樹
「あれっ? ここって天使界……?」
驚いたようなサンディの声に気がつくと、ゆういち達はなぜか天使界にある世界樹の下にいた。見上げる世界樹は、まるで女神の果実のような黄金の光に包まれている。
「世界樹を取り巻くあの光は一体……?」
長い年月を生きてきたオムイにも、世界樹がこうなっているのは見た事がない。とはいえ、女神の果実が実ったのもはじめてなのだから、オムイにとってもなにもかもがはじめてづくしなのだが。
おかえりなさい、天使達よ
不思議な声が聞こえてくるのは、一際眩い光を放った世界樹からだった。その光の中心に、美しい女性の姿が現れる。
わたくしは、あなた達が世界樹と呼んでいた者
創造神グランゼニスの娘、女神セレシア
「なんと……なんと!」
世界樹の正体が女神だとわかり、オムイは興奮しっぱなしだった。
あなた達天使が長い間人間界を守り、星のオーラをささげてくれたおかげで
わたくしはこうして目覚める事ができました、ありがとう
そして、ゆういち
一度は失われた女神の果実を取り戻してくれた事
心から感謝しています
「いやぁ、それほどでも……」
セレシアに微笑みかけられたせいか、ゆういちは少々頬が緩んでしまう。まったくの余談であるが、これを見たサンディによって後にこの事をなゆき達に知られてしまう事になり、すっかり不機嫌となってしまった彼女達をなだめるゆういちの苦労は、後々までの語り草となっっている。
「女神セレシア様とお呼びすれはよろしいのでしょうか? あなた様はなにゆえ世界樹に?」
それはその場にいた誰もが聞きたい事だっただろう。女神がなんと答えるか、一同が注目していた。
人間界を守るためです
女神セレシアは、ただそう答えるのみだった。
父なる神グランゼニスは
かつて人間は失敗作だといって、人間達を滅ぼそうとしました
「……人間達は、このせかいにふさわしくない」
すべてを創造した神、グランゼニスは人間達を見てそう呟いた。神たるもの正しい事を行わなければならず、悪い事には断固たる態度を取る必要がある。その神からすれば、人間達の悪行は見るに堪えないものばかりだった。
「人間は失敗だ。私は人間を滅ぼす事にした」
本来人間は、創りたもうたこの世界を守るための存在だ。しかし、人間達はその本分忘れ、自分達が地上の支配者であるかのようにふるまっている。神が人間達を失敗作であると判断するには十分だった。
地上を滅ぼすためにグランゼニスが放った光を止めたのが、その娘である女神セレシアだった。
「お待ちください!」
「セレシアよ、なぜ止めるのだ。人間には、かばってやる価値などないではないか……」
「いいえ、お父様。わたくしは人間を信じます。どうかご容赦を……」
「ええーい、邪魔をするな」
グランゼニスはセレシアの願いに聞く耳を持たない。だが、セレシアは、たとえ刺し違えても父を止める覚悟だった。
「なんのつもりだ、セレシア!」
セレシアの体がまばゆい光に包まれている。その光の中でセレシアの背中から幹が伸び、足元はしっかりと根を張った。セレシアは世界樹へと姿を変えたのだった。
「お父様がどうしても人間を滅ぼすというのなら、わたくしは世界樹となりましょう。世界樹となったこの身を元の姿に戻すのは、人間の清き心だけ……」
もし、人間達がグランゼニスの言う通りに邪悪な存在であるのなら、世界樹を育てる事は出来ない。セレシアはその身をもって、人間が邪悪ではない事を証明しようとした。これはいわば、セレシアにとっても賭けに近い事だ。
「なんと……」
あくまでも人間達を信じるというセレシアの想いに、グランゼニスは驚いた。
「なんと愚かな事を……」
グランゼニスは人間達を信じていない。つまり、これは永遠に娘を失ってしまったのと同義だった。
「おおっ! なんという事をしてしまったのだお前は……」
世界樹となってしまったセレシアは、もうなにも答えない。ただ、大きく幹を広げた木がそこにあるだけだ。
「……いいだろう、セレシアよ。お前のその愚かさに免じて、人間を滅ぼすのはしばし待とう。そして世界樹となったお前の手足となるものを創造し、その者達に人間を見守り、清き心の証となるものを集める役目を与えよう……」
こうしてグランゼニスは天使を創造し、人間の清き心から生まれる星のオーラを集める役割を与えたのだ。
「我が娘、セレシアよ……。お前が女神として目覚める日は来るのだろうか……」
セレシアの話は、ゆういち達に少なからずの動揺を与えた。それは古き神々の対立と、自分達の存在についての話だったからだ。
清き心の証とは
あなた方が星のオーラと呼ぶものです
父なる神グランゼニスに
人間は邪悪ではないと信じてもらうため
わたくしは自ら世界樹となりました
人間の清き心から生まれた星のオーラを世界樹にささげれば
いつの日か女神の果実が実る
女神の果実が神の国に届けられし日
わたくしは女神として目覚めるのです
父なる神グランゼニスは世界樹に使えるものとして
あなた方天使と天使界を創りました
人間達を見守り
星のオーラを集め
世界樹へと捧げる事
そうして実った女神の果実のチカラでわたくしをよみがえらせるために
あなた方天使は生まれたのです
「我ら天使にそのような役目があったとは……」
要は、体のいい使い走りみたいなものだ。その事実を知ってなお、オムイはセレシアに訊く。
「な……ならばグランゼニス様はいずこにおられるのですか?」
自分達にそのような役目を与えた張本人はどこにいるのか。地上で起きている混乱を鎮めるには、どうしても神のチカラが必要だからだ。
「よもや、神の宮殿を破壊したあの邪悪な光によって……神は、すでに……?」
父である創造神グランゼニスが滅びたのなら
わたくしもこの世界もとうに消えさっているはず
わたくしにはわかります
神の国にはいませんが
父なる神は確かにおられます
天使達よ
あなた方に伝えたい事があります
神の国を襲った邪悪な光
その源たる邪悪なものは
この世界を滅ぼそうとしています
時に忘れられたガナンの地
よみがえりしガナン帝国城に邪悪な気配を感じます
守護天使ゆういちよ
魔帝国ガナンに向かい
どうか邪悪な力から人間達を守ってください
「しょうがないな……」
女神に頼まれてしまったのでは、流石のゆういちも嫌だとはいえない。それに、ゆういちはまだ人間界に大切なものを置き去りにしたままだ。
仲間のなゆき達、世話になったリッカやルイーダさん達。失いたくないものがゆういちにはたくさんあった。
あなたに道を開きましょう
セレシアの祈りが、時に忘れられたガナンの地に希望の光をともす。
わたくしのチカラを宿せし青い木が
あなたをガナン帝国城へと導くでしょう
邪悪な力が消えさりしとき
世界は……救……われ
ど……うかゆういち……
人間界……を
それは、女神の果実がもたらした、わずか一瞬の奇跡なのではないだろうか。セレシアの声は次第に小さくなり、やがて消えてしまった。
後には、元通りの青々とした葉をつけた世界樹が、静かに佇んでいるだけだった。
「セレシア様、おいたわしや……。我が身をかけて人間界を守るとは、なんと優しきお心じゃろう。何千年もの間、世界樹にお仕えしてきて本当に良かった」
見るとオムイの目は、僅かに涙ぐんでいた。
「じゃが……魔帝国ガナンのせいで、この世界は滅ぼされんとしている。お前だけが頼りじゃ、ゆういち。ガナン帝国城へ行き、災いの現況を倒すのじゃ!」
このままでは、創造神である父なる神グランゼニスの思惑通り、人間達は滅びの道を歩む事になるだろう。しかし、女神セレシアの尊き魂に報いるためには、なんとしても世界を滅びから救わなくてはならない。
今となっては、それは女神の手下たる天使の成すべき事だった。
「うっわー! マジすごい事になってんね。ちょ! 足ふるえてきたーっ!」
サンディはサンディで、あまりにもとてつもない話に、どうすればいいのかわからない様子だ。元々彼女は天の方舟の乗員見習いとしてあって、人間界の事にも天使界の事にも関係がない。それが気がつくといつの間にか世界の運命の只中に、どっぷりと足を突っ込んでしまっている。
「とにかく! ゆういちは女神様に随分期待されているみたいだし? 頑張っちゃってよネー」
もっとも、彼女は戦闘にかかわってこないためか、かなり楽観的ではあったが。
「どうやら、ゆういち。人間界や天使界を救えるのは、お前しかいないみたいだな」
カデスの牢獄で会った時はそうは思わなかったアギロではあるが、短い間でも行動を共にした結果、そう思うに至った。
「世界の命運がかかってるんだ。一著頑張ってくれよな!」
出発の準備があるため、アギロは一足先に天の方舟に戻っていく。後はゆういちの準備が整うのを待つだけだ。
ガナン帝国城へ向かう前に、ゆういちは一度セントシュタインに戻る事にした。まずは仲間と再会しなくてはいけないし、なにより装備を整えなくてはいけない。
「ゆういち!」
「ゆういちくん!」
「ゆういちさん!」
「……ゆういち」
「ゆういちー、どこ行ってたのよぅ!」
「まったく、心配ばかりさせて」
「でも、ご無事でよかったです」
「あはは〜、さゆりは信じてましたけどね〜」
「みんな……」
久方ぶりの再会にも関わらず、変わらぬ笑顔で迎えてくれるなゆき達に、ゆういちは嬉しさのあまり涙が出そうだった。
「久しぶりに会えたのに済まないな。実は……」
「あ、それならもう知ってるよ」
ゆういちの言葉を、なゆきは笑顔で遮る。聞くと女神セレシアの言葉は、なゆき達にも聞こえてきたそうだ。そうなると、細かい事情は説明不要だ。
「いこう! ゆういち。世界を救うために」
「ああっ!」
そして、ゆういち達は災いの元凶の待つガナン帝国城を目指すのだった。
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