第三十一話 エルギオス

 

 暗黒皇帝ガナサダイが倒された事により、ガナン帝国城はその忌まわしき呪縛より解き放たれる事が出来た。しかし、天使達が捕らわれているという地下の牢獄は、いまだに深い闇が立ち込めているという。

 この閉ざされし牢獄は、かつて帝国が様々な実験を行っていた。

 世界征服の野望を抱いた帝国であったが、以下に帝国が精兵を揃えたとしても、兵力の絶対数では他の諸地域と比較しても微弱なものだった。そこで皇帝が命令したのが、兵士に他の事なる魔物の能力を付加させる事による戦闘力の増大だった。

 この地下牢では、まさにそうした非人道的な実験が行われていたのである。

 300年前、時の皇帝ガナサダイは捕らえた天使のチカラを使い、様々な実験を行った。ある時は兵士を強化するために、またある時はその力を闇竜バルボロスに注ぎ込んだりもした。

 その意味でここは、地獄だと言えた。

「うぐぅ……」

 そうした地下牢の雰囲気を察しているのか、あゆはゆういちのそばにぴったりとくっついたまま離れようともしない。また、ここに現れる魔物に死霊系が多いせいか、かおりも必要以上に周囲を警戒していた。

「それにしても……」

 ガナサダイのいた玉座の間もそうだったが、この地下牢の中心近くを貫いているかのような深い穴は一体なんなのだろうか。本来なら直線で行けるはずの道筋であると思うのだが、この大穴のせいで迂回を余儀なくされてしまっている。

 

 なんとか捕らわれの天使達を救出したゆういち達であったが、この最奥には古くから捕らわれている天使がいると聞き、さらに奥へ進んだ。

「え〜と……この人も捕まっている天使なのかな……」

 頭上の光輪は失われてしまっているが、背中に生えた翼はまぎれもなく天使のものだ。しかし、彼の場合は他の天使と違って封印も厳重であるし、両手両足を拘束する鎖が痛々しい。

「……罪。存在そのものが罪なのだ……」

 とりあえず救出しようと近づいたゆういち達は、そんな呟きを耳にした。その内容は、かつて女神セレシアより聞いた父なる神グランゼニスの言葉のようだ。

「なんの事だ?」

「う〜ん、詳しい事情を聞くためにも、まずは助けてあげないと」

 なゆきの言葉に嫌な予感のするゆういちであったが、今はそんな事を言っている場合ではない。ゆういちが両手両足を拘束する太い鎖に手を伸ばした時だった。

「ここを訪れる者がいるとは……。ガナ……サダイが倒されたのか?」

「ああ」

 ゆういちが鎖を外した途端に、その人物の表情が狂気に彩られる。よく見ると、本来は純白の羽毛が揃っているはずの天使の翼が、半ばからコウモリのような羽根に変じている。一体彼になにがあったというのだろうか。

「クックッ……ククッ……。そうか、私一人を残してガナサダイは逝ったか……。野望を果たせぬまま彷徨う奴の魂に力を与え、手駒としてやったというのに……」

「な……なに言ってるのよ……」

 その言葉が本当であるなら、今封印を解いたこの者こそが、真の黒幕という事になる。かおりが動揺するのも無理はない。

「つくづく勝手な男だ。……いや、そもそも人間とは、皆自分勝手なもの。存在する事自体が罪……それが人間だ……」

 ゆういちが最初に拘束していた鎖を解いた直後、そいつにつけられた鎖が次々に外れていく。

「人間を守ろうとするセレシア。滅ぼそうとしながら放置したグランゼニスも同罪……。犯した罪は裁かれねば……誰もやらぬというなら、この私が手を下そう」

 すべての鎖から解き放たれ、今まで以上のチカラがその全身から放たれる。

「我が名はエルギオス! かつて、大いなる天使と呼ばれし者」

「エルギオス……だって?」

「うぐぅ、確かその名前って……」

「ゆういちの師匠のイザヤールさんの師匠だった天使の名前だよね?」

「そう言えば、幽霊のラテーナさんも、エルギオスと関係していたわ……」

 途端にざわめきはじめるあゆ達を尻目に、エルギオスは厳しい口調でゆういちに問いかけた。

「問おう、翼無き天使よ。お前は人間に守る価値があると思っているのか?」

「もちろんだ」

 ゆういちは即答する。この冒険をはじめてから、ゆういちは実に多くの人間達と出会ってきた。それはウォルロ村の守護天使であり続けていたなら、知る事の出来ない世界だ。

 お互いに助け合い、力を合わせて生きていく素晴らしさ。ゆういちは人間達からそれを学んだのだ。

 しかし、その答えにエルギオスのチカラはますます激しさを増す。

「ならば、お前も我が敵……。人も神も全て皆滅びるがいいっ!」

 堕天使となったエルギオスが襲いかかってきた。

「なにっ?」

 しかし、ゆういち達の体は全く動こうとしない。それはかつて、師匠であるイザヤールと相対した時と同じだった。

「ま……まさか……」

「上位の天使には逆らえぬ、天使の理か……。ならば戦う価値もない」

 ゆっくりと近づいてくるエルギオスを前に、ゆういち達はどうする事も出来ずにいた。

「同族のよしみだ。せめて一撃で楽にしてやろう」

 エルギオスの手刀が一閃し、ゆういち達は牢屋の壁に叩きつけられた。

「ぐぅ……」

 天使の理のせいか、ゆういち達にはもう立ちあがる気力すらない。無様に地べたに這いつくばるゆういち達に向かい、エルギオスはぽつりと呟いた。

「300年に長きにわたり捕らわれていた私の憎しみが、どれほどのものかお前には想像できまい。しかし、その憎悪の念こそが、私に力を与えたのだ。今や私の存在は、神をも超えた」

 その傲慢な思想は、まさに堕天使のそれだ。

「かつて私が放った閃光は、お前も見ただろう? 神は死んだのだ! 今こそこの私が神になり変わり、至高の玉座につこう」

 そして、エルギオスは自ら開けた天井の穴を通り、帝国城の外に出る。

「闇竜バルボロスよ。我が元に来たれっ!」

 エルギオスのチカラを受けて復活したバルボロスは、今は完全にエルギオスの下僕となっていた。

「人間どもを滅ぼす前に、まず神の国を我が居城としてくれるっ!」

 

「ゆ……ゆういち、大丈夫……?」

「大丈夫……。とは言わないまでも、なんとか生きてるぞ……」

「うぐぅ……思いっきり負けちゃったよ……」

「……でも、意外だったわよね……」

 エルギオスが去った後の地下牢で、なゆき、ゆういち、あゆ、かおりが次々に立ち上がる。みんな相当なダメージをくらっていたが、少なくとも死んではいないようだ。その意味で天使の持つ肉体の頑丈さには驚きを通り越して呆れてしまう。

「エルギオスが、影で帝国を操っていたなんて……」

「そうだな……」

 それを知らずに、イザヤールは皇帝に戦いを挑んだのだろう。こうしてすべてがはっきりすると、イザヤールはとんだ道化だったわけだ。

「でも、エルギオスさんって、どうしてあんな姿になっちゃったんだろうね」

 頭にはツノ、背中には羽毛と皮膜が合わさったような翼。天使にしても悪魔にしても、かなり中途半端な姿だ。

「うぐぅ……誰か来るよ……」

 今誰かに襲われたとしたら、おそらくゆういち達はひとたまりもないであろう。しかし、そこに現れたのは、幽霊娘のラテーナだった。

「エルギオス! エルギオスはどこ?」

 地下牢に足を踏み入れ、ラテーナは必死にエルギオスの姿を探す。だが、拘束から解き放たれたエルギオスは、神の国を目指して飛び去った後だ。

「今度こそ……今度こそ会えると思ったのに……」

 ラテーナはエルギオスに会いたい一心で、今までずっと地上をさまよっていたのだ。

「すまない……一足違いだ。奴はもう……」

「やっぱりっ! 彼はここにいたのね?」

 そして、ラテーナは天井にぽっかりと空いた穴の先を見る。

「……そう。また手が届かなかった……」

 

 300年前のあの日、ラテーナがエルギオスと会ったばかりの事。大怪我をしてナザム村に辿り着いたエルギオスは、教会の片隅に置かれた自分の守護天使像を呆然と見つめる毎日を送っていた。

「もうっ! 怪我がまだ治りきっていないのに、勝手に抜け出したしてっ!」

 そんなエルギオスを心配し、ラテーナはつきっきりで看病していた。

「エルギオス……この前の戦いであなたの傷は悪化しているのよ。もっと自分を大事にしてっ!」

「……ナザムはいい村だな。ここで暮らすようになって、改めてそう思うようになった」

 エルギオスはラテーナに向き直る。

「ラテーナ。私はこれからも、この村を守り続ける事を誓おう」

「えっ……?」

 それはラテーナにとっても嬉しい言葉だった。なぜなら、その言葉通りに受け取るのなら、エルギオスがどこにもいかないで、ずっとこの村にいてくれるという事だからだ。

「これはその約束の証だ。受け取ってくれ」

 エルギオスはラテーナに首飾りを渡した。

「エルギオス、これは……?」

「この星空の首飾りは、天使が近づくとその力に反応して輝きだすという特別なものだ。願わくは、この首飾りが常に輝きと共にあらん事を……」

「それって……エルギオス。あなたがこれからもずっとそばにいてくれるって言う事?」

 エルギオスは静かに頷いた。

 しかし、その幸せな日々は長くは続かない。エルギオスのチカラを知ったガナン帝国が、今度は大量の兵をナザム村に差し向けたのだ。

「こ、ここのおられましたか、天使様っ!」

 この村の村長。ラテーナの父親が二人のいる教会に駆け込んできた。

「お、お父さん、どうしたの?」

 ただならぬ父の様子に、ラテーナは驚いて訊き返した。

「じ、実は、大変な事が……」

「帝国が私を狙っているだと? 懲りない奴らだ……再び蹴散らしてくれるっ!」

 村長から事の次第を聞いたエルギオスは、今にも飛び出していきそうな勢いだった。

「お、お待ち下され。帝国の奴らは、この間とは比べ物にならぬ大軍ですぞ。いくら守護天使様でも、傷を負った体で奴らと戦っては無事では済みますまい」

「では、どうするというのだ? 戦わねば村は守れぬぞ」

「天使様は裏山にある泉の洞穴に隠れていて下され。帝国兵どもには、天使様はすでに天使の国に帰れられたのだと言い聞かせてましょう」

「しかし、それでは……」

 最悪の場合、激昂した帝国兵達に村が襲われてしまう危険性もある。

「……私からもお願い、エルギオス。あなたがこれ以上傷つくのを見たくないの」

「……わかった」

 村の事を想えば、そんな悠長な事は言っていられない。エルギオスにしてみれば、帝国兵など天使のチカラを使って蹴散らしてしまえばいい事だ。しかし、村長達はエルギオスがそんな事をすれば、帝国はさらにもっと多くの兵を派遣してくるだけだと考えていた。

 エルギオスもそんな村長達の気持ちがわかったのか、断腸の思いで頷くしかなかったのだ。

「ラテーナ。お前は天使様に付き添って、隠れておるのじゃ。それと、タンスの奥の秘伝の薬。万が一のため、あれを持って行きなさい」

「お父さん……?」

「では、わしは帝国軍を村の外で引きとめておくから、後の事は頼んだぞ」

「急ぎましょう、エルギオス。あまり時間がないわ」

 しかし、その時星空の首飾りが大きく輝いた。この首飾りは、天使が近くにいると輝きだす特性がある。エルギオスとともにいる限り、その輝きが帝国軍に察知されかねない。

「この首飾り……つけてたら帝国軍に見つかっちゃうかも……。隠しておかないと……」

 そこでラテーナは、星空の首飾りを守護天使像の下にある、小さなくぼみに隠しておく事にした。

「ラテーナ?」

「これでいいわ、エルギオス。さあ、行きましょう」

 そして、二人はこっそり村を抜けだし、裏山の泉に身を隠す。

「ここならそう簡単に見つかりっこないわ。エルギオス……?」

 ラテーナは安堵した表情を浮かべるが、エルギオスの表情は硬い。なぜなら、本来村を守護するべき天使が、村の危機に身を隠すというのはなにかが間違っているからだ。

「ラテーナ、やはり私は村に戻ろうと思う。守るべき村から逃げ出し、敵に背を向けるなど守護天使として許される事ではない」

「そう……そうよね。あなたならきっとそういうと思ってたわ」

 このとき、ラテーナは、やはりこの人は天使なのだという事を理解した。

「でも、このまま行かせるわけにはいかないわ。せめて……これを飲んでいって」

「これは?」

「村に伝わる秘伝の飲み薬よ。傷によく効くの、お父さんが使ってくれって……」

「人間の薬が私の体にどれほど効くのかわからぬが……ありがたく使わせてもらおう」

 だが、それを飲んだ途端、エルギオスの意識は急速に闇に引き込まれていく。そう、これは傷薬ではなく、眠り薬だったのだ。ここでエルギオスが迂闊だったのは、傷薬であるなら普通は傷に塗るものであり、飲んで効く薬などあるはずがないのだ。

「……ごめんなさい、エルギオス。でも、こうしなければあなたは村のために戦い、きっと深く傷つく事になる。そんなの、私には耐えられない。たとえあなたを裏切る事になっても……」

 それはラテーナのエルギオスに傷ついてほしくないという、強い想いがさせた事だった。少なくともこれで、エルギオスが村のために戦う事はない。

「おおっ! 本当に翼の男が倒れておるわ」

 突然そこにかかった声に、ラテーナは驚いて振り向いた。この場所は、村長と自分しか知らないはずなのに。

「な……なぜ帝国兵がここにっ?」

 そこに現れたのは、帝国兵の一団だった。

「て、帝国なんかに、エルギオスは渡さないわっ!」

「なんだぁ? この女は?」

 エルギオスの前に、かばうように立ちふさがるラテーナを、帝国へは冷ややかな目で見る。

「む、娘にひどい事はしないで下されっ! 村人には手を出さないという約束だったはずですぞ!」

 そこに現れた村長の姿に、ラテーナは全てを理解した。つまりは、自分も騙されていたのだ。村長は村を守るため、帝国にエルギオスを渡すつもりだったのだ。

「ひどい、だましたのね?」

「これも村を守るためなのじゃ。わかってくれ、ラテーナ……」

「村のために守護天使様を帝国に売ろうって言うの? そんな事許されないわっ!」

 ラテーナはなんとか必死にエルギオスを起こそうとするが、薬によって深い眠りについているせいかぴくりとも動かない。このときラテーナは、自らの迂闊さを呪った。

「ううっ……ラテーナ……」

 それでもエルギオスはラテーナのために立ち上がろうとするが、それだけ口にするのが精一杯だった。

「貴様っ!」

「お、お待ち下され。この娘は……翼の男をまんまとおびき出し、眠らせた協力者なのです。どうかその手柄に免じて、無礼はお許しください」

「まさか……きみが……」

 信じていた。気がついてから今まで献身的なまでに、ずっと看病をしてくれていたラテーナに裏切られた。その事実がエルギオスの意識を、さらなる深き闇の底に落としていく。

「……そうじゃない! そうじゃないの、エルギオス!」

 しかし、もうエルギオスはなんの反応を示さなかった。もう、ラテーナの言葉は、エルギオスには届かないのだ。

「……まあいい。翼の男さえ手に入りさえすれば、後はどうでもいい事だ。お前達、その男を鎖でつないで運びだしておけっ!」

「ハッ!」

 ラテーナの泣き叫ぶ声など聞く耳持たず、帝国兵達はエルギオスを鎖で縛ると洞穴の外に連れて行った。

「さて、残るは……」

 帝国兵は村長とラテーナに向き直る。

「この二人を始末するだけだ」

「なっ……! 約束が違う」

「言っただろう? 翼の男が手に入りさえすれば、後はどうでもよいと」

 帝国兵は武器を構え、二人によって来る。

「くっ……ラテーナ。お前だけでも逃げろっ! ぐむぅっ!」

 だが、帝国兵の冷たい刃は、容赦なく村長の命を奪い去る。

「待ってて、エルギオス。たとえここで死んでも、私はきっとあなたを見つけ出す。あなたがどこにいても、たとえ何年、何十年かかっても必ず……」

 そして、帝国兵の凶刃は、容赦なくラテーナを貫いた。

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