第三十二話 女神の果実

 

「そんな事があったんだ……」

「それじゃ、エルギオスさんだって、人間を憎んじゃうよね」

 今、ここで明かされた真実に、思わず涙ぐんでしまうあゆと、それを優しくなだめるなゆき。そして、無言でそっぽを向いているかおり。少し離れた場所にいるので表情まではうかがえないが、きっと彼女も涙ぐんでいるのだろう。

 おそらくあの後帝国兵は、ナザム村を壊滅寸前にまで追い込んだのだろう。だからこそゆういちがあの村に落ちてきた当初は、あんなにも閉鎖的だったのだ。

「多分だが、エルギオスがああなったのは、信じていたあんたに裏切られたって思っているからじゃないのか?」

「私はもう一度彼に会って、あの時のことを謝らなくてはならないの……」

 そのためにラテーナは、今日までこの地上をさまよってきたのだ。

「あの人が去っていったのなら、私はそれを追うだけ……」

 再びラテーナは去っていく。相手は空の彼方に消えていったというのに、これから一体どうするつもりなのだろうか。

「おお、ゆういち。無事だったか」

「アギロ」

 するとそこへ、アギロが姿を現した。

「なんか、得体のしれない野郎がバルボロスを呼んで、一緒に飛んでっちまっただろ? なのにお前さんからはちっとも連絡がないんで、心配しちまったぜ」

「そうか、すまない」

 ここでゆういちは、今までのいきさつを手短に話した。

「……てな訳で、ここから飛び出していった野郎がバルボロスと結託し、神の国を目指して飛び出して行っちまったんだ」

「そうか、大変だったな。まあ、詳しい話は天使界に戻る途中でゆっくり聞くぜ。捕まっていた天使達はもう方舟に乗ってもらっているからな、今すぐ戻るぞ!」

 

 ガナン帝国城を後にしたゆういち達は、救いだした天使達を天使界へと送り届けた。そして、ゆういちからの報告を受けた長老オムイは、あまりの出来事に言葉を失い、手にしていた杖を力なく落とした。

「……なんという事じゃ……。天使界を襲った邪悪な光、魔帝国ガナンの復活。それがすべて……あの天使エルギオスの仕業じゃったのか……」

「オムイ様……」

「人間界で消息を絶ってから数百年、よもや魔帝国ガナンに捕らわれたままエルギオスが生きておったとはな……」

 運命というのは、まことに皮肉なものだ。

「そのうえ、哀れエルギオスは邪悪に心を蝕まれ、堕天使となってしまったのか……」

 かつては至高の天使と呼ばれたものが、今や世界に仇なす堕天使となる。一歩間違っていれば、おそらくゆういちもそうして全てを憎み、全てを滅ぼそうとしていたかもしれない。それほどまでに、ゆういちとエルギオスの境遇は似ていた。

「……ゆういちよ。堕天使エルギオスは自らが新しき神になるため、神の国へ向かったのだな?」

「はい、オムイ様」

「本来ならお前にエルギオスを追いかけ、奴を止めてほしいのじゃが……」

 ゆういちも天使である以上、天使の理には逆らえない。現にそのせいで、ゆういち達はエルギオスに後れを取ってしまったのだ。

「もはやエルギオスを超える天使はおらぬ。このわしでさえな……」

 オムイにできるのは、神に祈る事ぐらいだ。なにしろ、天使界にいる天使では、最高位に位置するエルギオスに抗う術がない。ゆういちとしても地上にいる人間達を守るため、エルギオスをなんとかしたいと思ってはいるが、有効な対策もない現状では犬死にするだけだ。

 結局のところ、エルギオスの持つ天使のチカラを利用しようとした結果、帝国はその暴走する魔力によって滅んでしまう。そして、エルギオス自身は誰からも忘れ去られたまま地下の牢獄にとらわれ続け、その間ずっとつのらせていた憎悪によって堕天使となってしまったのだ。

 そうしたエルギオスの境遇には同情してしまうが、だからと言ってこの世界そのものが存亡の危機を迎えた今、討伐しなくてはならない相手である事も確かであった。

 有効な対策がなにひとつとしてたてられないまま、報告を終えたゆういちはオムイの前から去る。その時、どこからともなく不思議な声が聞こえてきた。

 

守護天使ゆういちよ

あなたに伝えたい事があります

どうかこちらに

世界樹のもとへきてください

 

「セレシア様?」

 今更なんの用だろうと思いはするが、とりあえずゆういちはその呼びかけに応じて世界樹のもとへ行く事にした。

 

「うぐぅ、遅いよゆういちくん」

 世界樹のもとに辿り着くと、そこにはすでに仲間達が待っていた。どうやらみんな女神セレシアに呼ばれたらしい。

 

よくきてくれました

我が精鋭たちよ

 

 黄金色に輝く世界樹に宿る女神セレシアは、そう話を切り出した。

 

悲しみが空を覆っています

堕天使エルギオスの悲しみと怒りが

世界を染めそうとしている

この上堕天使エルギオスに罪を重ねさせてはいけません

あの者の心は汚れきっていない

 

 おそらくは、皮膜の羽根に代わりつつあるエルギオスの背に残る、純白の羽毛を持つ翼の事を指しているのだろう。いわばあの翼は、エルギオスに残された良心なのかもしれない。

 

ゆういち

そして仲間達よ

あなた方がこれまで助けてきた人間達を覚えていますか?

彼らは皆あなた方に出会い

悲しき運命から逃れる事が出来た

たくさんの人間達

 

 ダーマ神殿の神官、ツォの浜辺の主様、石の町の守護者、サンマロウのマウリヤ、グビアナのアノン、カルバドのシャルマナ、そして、エリシオンの幽霊。いずれも人間や人ならざる者、あるいはすでにこの世のものではないものの想いを具現化したものだ。

 ゆういちは仲間達と協力して、それらをすべて解放してきたのだ。

 

彼らはあなた達に

心から感謝をささげています

清き心を持つ人間達が

 

 セントシュタインのリッカをはじめとし、今までゆういち達が関わってきたすべての人間達の想いが、今一つに合わさって大きなチカラとなる。

 

あなた方が助けた人間達が

今度はあなた方の

ゆういち達のチカラとなる

 

 そして、世界樹は一つの果実を生み出した。

 

その果実は

あなた達の助けた人間達の心が結実して

たった今生まれたものです

 

 ゆういち達は女神の果実を手に入れた。

 前回は結実するまでに何百年もの時を必要としたのに、今度はやけに早く結実した。つまりはそれだけ多くの人間達の純粋な願いの心が、この一つの果実に込められているという事だ。

 すっぽりと手の中に収まった女神の果実を見て、ゆういちはそんな事を想った。

 

その果実を食べれば

おそらくあなた達は人間になってしまうでしょう

けれど人間ならば

天使の理に縛られる事なく

堕天使エルギオスと戦えるでしょう

 

 堕天使エルギオスを倒すには、天使のチカラと人間のチカラの双方が必要という事だ。天使では最上位の天使であるエルギオスには逆らえないし、人間の能力では天使には敵わない。だからこそ、天使の能力を持った人間が必要なのだ。

 

つらい選択を強いている事はわかっています

ですがもうこの方法しか

 

 女神としても苦渋の決断だろう。人間になってしまえば、ゆういち達はもう故郷である天使界には戻れない。とはいえ、光輪も翼も失ってしまったゆういち達は、もう普通の人間となんら変わるところはないのであるが。

 

ゆういち

神の国へ行き

エルギオスを止めて

 

 そこで女神のチカラが尽きたのか、世界樹からは黄金色の光が消えて元通りに佇んでいる。

「さて、どうする? みんな」

 確かにエルギオスと戦うには、セレシアの言うとおり人間になるのが手っ取り早いのだろう。しかし、それをするという事は、天使である事を失うという事だ。

 そうする事でどうなるのか、それは誰にもわからない。だからこそ仲間達は、ゆういちがどうするのかを見守っていた。

「わるいな、みんな。巻き込んじまったみたいで……。だが、俺はエルギオスを止めるため、あえて人間になろうと思うんだ」

「ううん、そんな事ないよ」

 ゆういちの決断を、なゆきは優しい微笑みで見守る。

「そうだよ、ゆういちくん。ボク達の心は一つだよ」

 元気良くあゆは頷き。

「あう〜、しょうがないわね〜」

 まことはいつもように、なにも考えていない様子だが、これでも結構真剣に悩んでいる様子だった。

「人間になるのも、悪いものじゃないですからね」

 しおりはしおりで、これからのドラマチックな展開に胸をときめかせているようだ。

「……ゆういちが決めたなら」

 まいもゆういちの選択を尊重するようだ。

「まあ、乗り掛かった船よね」

 かおりも同意し。

「最後までお付き合いしますよ」

 まことの背後から両肩に手を置き、みしおもうなずいてくれた。

「それに、ゆういちさんのいない天使界にいても仕方ありませんからね」

 最後にさゆりが、笑顔でそう締めくくる。

「みんな……」

 こうして笑顔でゆういちの事を支えてくれる。そんな仲間達がいれば、天使だろうと人間だろうと関係ないような気になってきた。

 そして、ゆういちと仲間達は女神の果実をかじった。

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