♯05 限界離脱領域
AIRからの脱退を表明したタリビアの復帰に対し、タリビアを訪問したAIRの代表者は、物資の援助とエネルギー増量の確約を行なった。この一連の騒動は、やはりAIRとタリビアの間においてなんらかの密約が交わされており、Kanonはそれに上手く利用されただけだったのだろうか。
しかし、紛争根絶という大義を掲げたKanonはその責務を全うし、タリビアを攻撃しただけである。たとえ世界中の悪意が自分達に向けられようとも、その意志を貫いただけだ。
この一件により、Kanonを利用しようという勢力はなくなるだろう。
荒廃したアザディスタン王国を救うため、諸国漫遊の旅に出る直前に、テレビを見ていた佐祐理はふとそんな事を思った。
「佐祐理様、そろそろお時間です」
呼びに来た侍女の、吉報をお待ちしています、という言葉に軽く首肯して、佐祐理は腰を上げた。国連によって化石燃料が枯渇したという宣言が出され、資源としてはまったく価値がなくなってしまった現在、国を救うためには太陽光発電システムによるエネルギー供給を受ける以外に方法はない。
そして、それを行なえるのは、この国の王女である佐祐理ただ一人だけなのだから。
ONEが所有する軌道エレベーター。その基部にあるリニアトレインの発着ロビーでは、一組の男女が宇宙へ上がるところだった。
「悪いね、恭介。忙しいのに、わざわざ見送りに来てもらって」
「なに言ってるんだ、理樹。鈴の事は頼んだからな」
人見知りの激しい妹のために、わざわざ個室の料金まで払ってくれた恭介には、言葉では言い表せないほど感謝をしている理樹。
「いいか、理樹。旅行気分で羽目をはずすんじゃないぞ」
「わかってるよ、恭介」
そうしてにこやかに談笑する三人の向こうでは、リニアトレインに乗り込む渡辺茂雄中佐と、折原浩平少尉の姿があった。これから二人は宇宙で浩平専用に開発されたモビルスーツの実戦テストを行うのだった。
『本日は、天柱交通公社E‐六〇三便に御乗車いただき、まことにありがとうございます。本リニアトレインは、低軌道ステーション『真柱』直行便です。到着時刻は一八時三二分。グリニッジ標準時翌日、三時三二分になります』
リニアトレイン内にアナウンスが流れる中、初期加速中の車内では乗客はベルト着用が義務付けられている。これは一般的な旅客機とさほど変わらない。
『初期加速が終了しました。ただいまから当トレインは緩やかな減速状態を開始し、擬似的な無重力状態になります。シートベルトをお外しの際には、充分ご注意ください』
出発の時には地球の重力を振り切るために加速するが、ある一定の高度以上になると今度は逆に遠心力による加速がはじまってしまう。衛星軌道上で無重量状態になるのは、重力による落下と加速による遠心力がつりあうためで、極端な言い方をすれば水平方向に落下のエネルギーが加わるために重量が相殺されてしまうのだ。
車内に響くアナウンスでシートベルトをはずした理樹は、シートの脇にある端末を操作して太陽光発電システムの概要を呼び出した。
『太陽光発電装置建設計画。それは、地球の化石燃料が枯渇し、人類が新たなエネルギー資源を確保するため、半世紀前に発足しました』
「うわっ! 理樹大変だっ! 体が宙に浮くぞっ!」
初めての無重量状態に、鈴は驚きの声を上げる。それはいいのだが、理樹の目の前で一回転し、しかも穿いているのがミニスカートでは目のやり場に困ってしまう。
『発電装置は全長約五万キロメートルにも及ぶ軌道エレベーターと、太陽光エネルギーを蓄電させた衛星がマイクロウェーブ送信によって結ばれる事によって電力を供給、そのエネルギーは軌道エレベーターを通って地上の各地域に配電されます。現在ONEに参加する三五の国にエネルギーチューブによる直接配電が行なわれています』
しばらくすると無重量状態に慣れたのか、鈴は宙に浮かべたお菓子を食べてみたり、表面張力によって球状になったジュースを楽しんだりと御満悦の様子だ。
「よし、理樹。探検に行くぞ」
そう言って鈴は理樹を連れ出すのだった。
しばらくするとリニアトレインは低軌道ステーション『真柱』に到着する。ここは軌道エレベーターの高度一万キロメートルに設置されたステーションだ。
「ようやく着いたな、理樹」
元気いっぱいの鈴の様子とは対照的に、理樹は疲れた様子だ。なにしろ鈴は子猫のようになんにでも興味を示すので、まったく目が離せなかったのだ。
「ははっ、相変わらずだな少年、鈴君」
「あ、来ヶ谷さん」
「低軌道ステーション『真柱』へようこそ。私が今回君達の研修担当になった」
低軌道リングは内部に磁性流体を流してあり、その遠心力によってステーション全体を軌道高度に留めている。このステーションの存在が、軌道エレベーターを支えているといっても過言ではないくらいに重要な設備である。
宇宙服に着替えてステーションの外に出た理樹は、来ヶ谷からそう説明を受けた。
「すごいぞ、理樹。見てみろ」
鈴が立っているのはステーションの端のほうだ。そこからは眼下に青い地球を見る事が出来た。とはいえ、いくら高度が一万キロメートルあっても重力は存在しており、気をつけないと地球に向かってまっさかさまに落ちてしまう。
「うわっ!」
「鈴」
「二人とも気をつけたまえ、高度一万メートルとはいえ、微小な重力はある。足を踏み外したら、地球に向かってまっさかさまだぞ」
バランスを崩してステーションから落ちていく鈴をなんとか捕まえる理樹であったが、重力が微小であるせいかまったく踏ん張りがきかず、二人そろって落ちていってしまう。
「やれやれだな」
なんとか命綱を掴んで二人の落下を食い止めた来ヶ谷は、安堵の息を漏らすのだった。
「こちらです、中佐」
「この機体か……」
「はい。超兵一号、折原浩平少尉の反応速度に対応させた機体。MSJ‐〇六USP『ティエレンタオツー』です」
「こいつが俺の機体ってわけか」
新しいおもちゃを与えられた子供のように、浩平は瞳を輝かせた。
「対ガンダムの切り札か……」
こういうしぐさを見る限りでは、超兵といっても普通の少年と変わらない。しかもこの少年は自ら志願して超兵になったわけではなく、この計画のために生み出されたデザインベイビーだという。
超兵一号は体内に埋め込まれたナノマシンによって身体機能を保全し、宇宙環境下での長時間活動を可能にしている。各神経系統にも感覚増幅処置が施される事で、常人以上の反応速度を有しているのだ。
この説明を行なった技官に吐き気をもよおすような感覚に襲われる茂雄であったが、劣悪なる宇宙空間に適応させるには、超兵一号の存在は必要不可欠なのだ。
そのころ、地上のガンダムマイスター達に次のミッションが指示された。
「香里からミッションプランが届いたよ。モビルスーツの性能評価試験の監視。場合によっては破壊もありうるって」
携帯端末に表示された内容を、特に感情を込めるわけでもなく名雪は淡々と読み上げた。このミッションプランはKanonのメインコンピューター『ヴェーダ』の判断と、Kanonで戦術予報士を務める美坂香里の予報に基づいて作成されるもので、よほどの事がない限り変更される事はない。
「気をつけてね、あゆちゃん。タリビアの一件以来、わたし達は世界の嫌われ者なんだからね」
「うぐぅ、わかってるよ」
朝食の席でミッションプランを受け取った三人は、その内容に気が重くなる一方だった。しかも今回のプランはあゆ一人で行なうものであるために、名雪の心配も当然の事といえた。
その二日後、低軌道ステーションに向けてあゆが出発していた。予定通りにガンダムをコロニー建設用の資材に隠しての移動だ。
低軌道ステーションの外周部には周回による遠心力で重力を生み出すブロックがあり、そこはステーションで勤務する人達の憩いの場所となっていた。
「やはり重力はいいな、理樹」
「そうだね」
そんな日常の中を歩く理樹と鈴。
「そろそろ時間よ、茜」
「わかっています」
そして、Kanonに協力する茜と詩子がすれ違うというのは、自然な光景だろう。
『少尉、機体の運動性能を見る。指定されたコースを最大加速で回ってみろ』
『了解、中佐』
その外側にある宙域では超兵一号の性能評価試験が行なわれていた。宇宙用に調整された二機のティエレンが、訓練飛行を開始する。
軌道エレベーターは非常に脆弱な構造物であり、その防衛を可能とする兵器というのには様々な要求が付け加えられている。それは既存の兵器には無い、地上から低軌道、果ては高軌道ステーションに至るまで単一の機種で戦闘を行なうという、広範な汎用性能の獲得であった。それによって生み出された新世代の戦闘兵器が、人型をしたモビルスーツなのである。
大気圏内であれば飛行物体の運動制御は空気抵抗を利用できるが、真空の宇宙空間ではそれらを用いた運動制御が出来ない。運動制御のためには作用反作用の法則を利用したスラスターの噴射が欠かせないが、機体に搭載できるプロペラントには限りがあるため、その活動時間にはどうしても制限が加わってしまう。
しかし、モビルスーツは自身の手足を移動させる事によって生じる質量の移動によって機体の運動制御を可能としており、プロペラントの消費量を少なく出来るメリットがあった。その広範な汎用性能は地上戦の様相をも変化させ、現在では戦場の主役となっている。
ONEが開発したティエレンは地上戦を主体として開発されているが、オプショナルパーツの装着や装備の換装によって、簡易的な飛行能力や宇宙空間における機動能力が追加されているのだ。
『いくぜぇっ!』
叫ぶなり浩平はスロットルを全開にし、急加速していく。
『最大加速に到達』
そのまま浩平は機体の姿勢を変え、進路を変更する。
『最大加速時で、ルート誤差が〇・二五しかないとはな……これが超兵の力か』
その動きをモニターしながら、茂雄は呟く。確かにこれなら超人機関の連中が狂喜乱舞するのもうなずけるというものだ。
『しかし、奴はまだ子供だ……』
ある意味大人達の欲望の犠牲者であるというのに、本人はそれに気がついていない。いや、気がつきもしていない。茂雄には浩平が恐ろしく不安定であるように感じられた。
『なんだ? この感じは……』
「うぐぅ?」
同じ頃、低軌道ステーションに到着したあゆにも異変が起こっていた。
「あ……頭が……」
『指定コースから離れていくぞ、少尉』
突然暴走を開始した浩平に声をかけるが、まったく要領をえない。そうこうしているうちにも迷走した機体は、低軌道ステーションの重力ブロックに向けて進んでいる。
『俺の頭に入ってくるんじゃねぇっ!』
「う……うぐぅ……」
ステーション内で、たまらずあゆはひざをついてしまう。激しい頭痛が彼女を襲っていた。
『てめぇっ! 殺すぞっ!』
『やめろぉっ! 少尉っ!』
茂雄の静止も聞かず、浩平は重力ブロックに向けて銃を乱射した。その砲弾は軌道エレベーターの各部分に命中し、重力ブロックの一部が脱落してしまったのだ。
「うぐぅ、今のは誰だったんだろう……」
鈍く痛む頭をさすりながら外を見ると、なにかが漂流している。それが重力ブロックの一部である事に気が付くのに、それほど時間はかからなかった。
その時あゆの脳裏に、宇宙船の事故で両親を失ってしまったときの出来事が浮かび上がる。
「だめだよ、これじゃ」
あゆはすぐさま行動を開始した。
『なんという事だ……』
事態の重さに茂雄は低く呻いた。一方浩平はというと、暴走状態から一転して気を失ってしまっているようだ。
『管制室、こちら茂雄。重力ブロックの被害状況を知らせろ』
『中佐。災害時の緊急状況発信によると、流された第七重力区画には二三二名の要救助者がいるようです』
『救助隊は?』
『救助隊は、七分後に発進予定。護衛のための小隊にもスクランブルをかけました。ですが、爆発の衝撃と流出した空気によって第七重力区画の速度が急激に落ちています。後、一四分で地球の重力圏へ引き込まれます』
『なんだと? すぐに救助行動に入る。少尉の機体回収班を出させろ』
『しかし、あれだけの質量のものを』
『人命がかかっている』
茂雄は即座にティエレンを脱落した重力ブロックに向けて発進させた。
「救助隊が発進したみたいですね」
同じころ、茜もこの事態を察知していた。
「でも、時間的にはとても間に合いませんね」
携帯端末からの情報から逆算しても、重力ブロックが地球の重力圏に到達するまでに救助するのは不可能に近い。
「大変よ、茜」
するとそこに、詩子が駆けつけてきた。
「あゆちゃんがガンダムで発進したわ」
なんとか重力ブロックに追いついた茂雄であるが、状況は最悪だ。
『限界離脱領域まで七分弱か……。重力区画を軌道高度にまで押し上げるためには、あのデカ物を加速させるしかない……』
そうなると、残された選択肢はたったの一つ。茂雄はティエレンを第七重力区画の中央部分に取り付かせると、最大加速でスラスターを噴射した。だが、第七重力区画の質量が大きすぎ、ティエレンのスラスター程度では焼け石に水だ。このままでは五分弱で地球の重力圏につかまってしまう。
ガンダムと違い、ティエレンには単独で大気圏を突破できるような能力は無い。このまま成す術も無く、二〇〇人以上の人命を見捨てるしかないのか。そう茂雄が思ったその時、ティエレンのセンサーが急速に接近する機体を捉えた。
『この速度で近づいてくる? まさか……ガンダムか?』
あゆのキュリオスは、第七重力区画に向けて急接近していた。
『月宮あゆ、なにをしているんですか? あなたに与えられたミッションは……』
茜の通信を、あゆは途中で切ってしまう。
『茜さんにはわからないよ。宇宙で漂流する人の気持ちなんてね』
限界離脱領域まで後二〇秒。
『いくよっ! キュリオス』
あゆはキュリオスの上半身だけを変形させ、下半身だけ飛行形態のハーフトランスモードで、茂雄のティエレンと同じ第七重力区画の中央部分に取り付く。
『なんだと?』
ガンダムの意外な行動に茂雄が驚きの声を上げる中、あゆが叫ぶ。
『いっけぇっ!』
キュリオスのGNドライヴを全開にすると、徐々にだが第七重力区画が加速を開始する。
『持ちこたえただと? まさかKanonが人命救助をするなんて』
『……後は、香里さん次第だね』
茜からの緊急暗号通信を受けたプトレマイオスは、騒然となった。
「人命救助だなんて。あゆちゃんったら、一体なにを考えてるのよ」
「どうするんだ? 美坂」
「決まってるでしょ」
即座にガンダムマイスターに指示を飛ばす香里。
『ガンダムの推進力をもってしても、現状維持が限界か……。しかし、エネルギーが尽きれば、地球の重力圏に捕まる……』
『中の人、聞こえる? 早くみんな、中央のブロックに集まって』
ガンダムから聞こえた声に、茂雄は思わず目を見張る。なぜならそれはまだ若い、乙女の声だったからだ。
『繰り返すよ。死にたくなかったら、みんな真ん中のブロックに集まるんだよ』
その声に中にいた人達は一斉に中央ブロックへの移動を開始した。
『時間が無いよ、急いで』
中央のブロックには、宇宙服に身を包んだ人達が集結している。
『聞こえるか? ガンダムパイロット。このブロックは間もなく限界離脱領域に入る。ここまでだ、離れろ』
『そんなの出来ないよ。Kanonに、失敗は許されない。それに、ガンダムマイスターは一人じゃないんだから』
そのとき、一条の光芒が三つあるブロックの右側の連結部分を撃ち抜いた。すると右側のブロックが脱落していく。
『なに?』
『流石だね、名雪さん』
地上では超長距離射撃用の超大型GNスナイパーライフルを構えた名雪のデュナメスが、地球の重力に捕らえられる寸前の第七重力区画に狙いを合わせていた。
『GNリュウシ、コウノウドアッシュクチュウ。ちゃーじカンリョウマデ、二〇、一九、一八……』
けろぴーのカウントダウンがコックピット内部に響く中、名雪は再度第七重力区画へと狙いを合わせる。
『発射方向に雲がかかっちゃってる。切り裂いて、祐一』
『了解』
名雪の叫びに応え、エクシアはGNソードを一閃。雲が晴れて青空が広がった時、エネルギーチャージが完了した。
『狙い撃つよ〜』
発射の瞬間にデュナメスごと地面にめり込むような高出力のビームが、ブロックの連結部分を正確に撃ち抜く。
『ナイスサポートだよ、香里さん。上がれぇっ!』
あゆの叫びに応えるように、キュリオスはGNドライヴをフル稼働させ、残った中央のブロックを押し上げる。
『地上からの狙撃で二つの区画をパージして質量を軽くし、安定軌道まで加速させるとは……』
そして、やっと救助部隊が追いついてきた。それを見たあゆはキュリオスを飛行形態へと変形させ、現場宙域を離脱してくのだった。
『中佐、ガンダムが……』
『救助作業が最優先だ』
茂雄にも恩を感じる気持ちはある、こうして、第七重力ブロックの要救助者は、全員無事に救助された。
「ミッション完了だな、美坂」
北川の明るい声がプトレマイオスのブリッジに響くが、それとは対照的に香里の表情は暗い。香里がブリッジを出たところで、美汐と鉢合わせた。
「ヴェーダが推奨したミッションを放棄し、人命救助を優先させるなんて。しかも、デュナメスの高高度砲撃能力まで世界に晒してしまいました」
「プランの大幅な修正が必要ね」
静かに刺すような視線の美汐とは対照的に、香里はおどけて見せる。
「ミッションを変更し、名雪さんに指示を出したのはあなたですよ? 香里さん」
「あたしは、あゆちゃんを助けたわけじゃないわ。ガンダムを守りたかっただけよ」
「適性に欠ける者を、ガンダムに乗せるべきではありませんね」
そう言って背を向ける美汐に向かい、香里は呟く。
「……そういうあなたは、どうなのよ?」
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