キスキスキスキスキスキスキス
「あ、ヴィヴィオちゃん久しぶり〜っ!」
「こんにちは〜っ!」
顔見知りの司書に元気よく挨拶し、無限書庫に姿を現したのは高町ヴィヴィオ。前々から読みたかった本が入ったというので早速やってきた彼女の瞳に、よく見知った後ろ姿が映る。
(あ、ユーノさんだ)
小さな胸に、ふつふつと湧き上がってくるのは悪戯心。そこでヴィヴィオはちょっぴり驚かすつもりで、ユーノの背中に軽く体当たりした。
「ユーノさんっ!」
「わっ!」
「んっ!」
ヴィヴィオは軽くのつもりだったが、仮にもストライクアーツを経験しているその一押しは、日がな一日を無限書庫で過ごすもやし男にとって大きくバランスを崩すのに十分だった。
(あれ?)
すぐにでも振り向いて何事か文句を言うかと思ったが、ユーノはバランスを崩した姿勢のまま全く動こうとしない。不審に思ったヴィヴィオが覗きこんでみると、ユーノの正面によく知った女性の姿がある。
それは腰よりも下に長く伸びた金色の髪を先の部分だけリボンで縛り、出るところは出て引っ込むところはしっかり引っ込んだ見事なスタイルを執務官の黒い制服で包んだ、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンその人であった。
「あ、フェイトママがユーノさんとキスしてる」
事の真相は、ヴィヴィオの一撃でバランスを崩したユーノが、丁度正面にいたフェイトを抱きしめる格好となり、その勢いで唇を奪ってしまったのだった。突然の出来事にしばらく固まってしまった二人だったが、ヴィヴィオの何気ない一言で止まっていた時間が動き出す。
「ひぃやぁぁぁぁぁぁっ!」
「フェ……フェイトーっ!」
誤解だー、と宥めようにも当のフェイトはユーノを突き飛ばすと、その双眸にも負けないくらいに真っ赤に染まった顔のまま、金色の閃光の異名の通りにドップラー効果の悲鳴を残して無限書庫から走り去ってしまう。
「って、ヴィヴィオーっ!」
「ごめんなさーいっ!」
そして、もう一方のヴィヴィオも、脱兎のごとく無限書庫から逃げ出していく。二兎を追うもの一兎を得ずの格言の通り、片手をむなしく空に突き出したまま、ただ一人無限書庫に取り残されるユーノであった。
「……そっか、そないな事があったんか……」
「うん……」
所変わって本局内部の飲食スペースにある飲み屋の店内に、はやてとフェイトの姿があった。FもVも終了してつかの間の平和を得たこの一時、本局での用事を済ませて後は帰って休むだけとなったはやては、真っ赤な顔をしたまま凄い勢いで走ってくるフェイトと出くわした。
これはなにかあったのかとはやてはフェイトを捕らえて宥めて落ち着かせ、こうして飲み屋での事情聴取となったのである。先程無限書庫で起きた出来事をフェイトは話して聞かせるが、話が進むごとにはやての顔から笑顔が消えていく。
「ええなあ……フェイトちゃんは……」
「はやて?」
んっくんっくと喉を鳴らしてグラスに入った青りんごサワーを一気に飲み下し、すっかり出来上がった瞳ではやてはフェイトを睨みつける。店に入って最初のレモンサワーをちびちびと飲みつつまだグラスに半分残っているフェイトと、すでに何杯もお代わりをしているはやてとでは酔うペースが全く違っていた。
「飲みすぎだよ、はやて……」
「ええんや、ほっといてんか? こちとら25にもなってAもBもCも経験しとらんいうのに……」
恐ろしく壮絶なカミングアウトであった。しかし、これははやてに限らずなのはも同じで、海鳴にいたころの親友達からもそういう話も聞かないし、ここ最近は話題にも上らない。そんな中で、ユーノとキスしちゃった、などという今時中学生でもしないような相談をされても、適切なアドバイスができるどころか逆にムカつく。最初はにこやかに話を聞いていたはやての酒量が増えていくのも、無理のない事であった。
「ああ……そうや……」
急にはやては、トロンとしたような瞳をフェイトに向ける。
「フェイトちゃんは、ユーノくんとキスしたわけやな……。つまり、今のフェイトちゃんとキスすればユーノくんと間接キッスが出来る、というわけや……」
「ちょ……はやて?」
「ん〜ふふふ……ユーノく〜ん」
テーブルの反対側から手を伸ばし、がっしりとフェイトの肩を掴むとはやては大きく身を乗り出し、唇を突きだしたまま徐々に迫ってくる。
「お……女の子同士でキスなんて、おかしくない?」
「なに言うてんのや! 女の子同士ならノーカンや。これでユーノくんの唇はわたしのもんやっ!」
もう少し近づけば、お互いの唇が触れ合うというその刹那。
「主はやて、失礼っ!」
「ふおっ!」
鋭い打撃音と共に、はやての動きが止まった。
「大丈夫か? テスタロッサ」
「はい。でも、どうしてシグナムがここに?」
「我らヴォルケンリッター、この身は常に主と共にあり」
烈火の将シグナムはそう誓いの言葉を口にするが、それにしては主の扱いが良くないような気もする。多分これは突っ込んじゃいけないんだろうな、と思いつつフェイトが奥のボックス席を見ると、八神家一同が揃って食事の真っ最中だった。
すでに出来上がっている感じで笑い上戸になっているシャマルと、人間形態で酒杯を傾けつつちびちびとつまみを食べているザフィーラ。その容姿から飲酒が出来ないので、ソフトドリンクとおつまみに舌鼓を打っているヴィータ、リイン、アギトの三人。ちなみに、当のシグナムもわりと出来上がっているのか、フェイトを見つめる顔が赤い。
「主が迷惑をかけてすまない、テスタロッサ」
「そんな事無いよ。私もはやてに愚痴を聞いてもらっちゃったし」
「それにしても……だ……」
なんとなくだが、シグナムの視線に危険な色を感じるフェイト。
「今のテスタロッサとキスすると、スクライアともキスした事になるのか……」
「え〜と、シグナム? ちょっと落ち着いて……」
ブルータス、お前もか。瞳を閉じて唇を突きだし、徐々に顔を寄せてくるその姿は主にそっくりだ。などとのんきな事を考えているような余裕はない。一部ではガチレズ疑惑のあるフェイトだが、実のところ彼女自身はノーマルなのである。なのはと美しい友情を育んでいるその姿を見ていると、とてもそうは思えないのであるが。
「おい、シグナム。てめぇいい加減にしろよ。フェイトが困ってんだろ?」
フェイトに救いの手を差し伸べたのは仕事帰りに直接来たのか、教導隊の白い制服に身を包んだヴィータだった。先程から子供扱いされて苛立っているのか、やたらと語気が荒い。
「なんだ、ヴィータ。うらやましいのか?」
「べ……別にうらやましくなんかねぇよ」
「無理するな」
「無理なんかしてねぇっ! お前なんか、お腹刺されて意識不明になってりゃよかったんだよっ!」
「なんだと、貴様……。レヴァンティンの錆びになりたいか?」
「お前こそ、グラーフアイゼンの頑固な汚れになりたいか?」
突如としてはじまった烈火の将と紅の鉄騎の戦いに、執務官としてどう介入しようかフェイトが頭を悩ませた時だった。不意に肩をつつかれ、振り向いた先にはなにかあきらめた表情のザフィーラがいた。
「後の事は任せておけ」
そう言ってザフィーラは漢らしくフェイトのテーブルから伝票を取ると、静かに退出を促す。まったく、よく出来た狼だ。哀愁の二文字がよく似合うようになったザフィーラの広くたくましい背中に守られつつ、こっそり飲み屋から退散するフェイトであった。
「……今日は散々だったな」
無限書庫を定時で上がったユーノは、ミッド地上のクラナガンの時刻に合わせて夕暮れの照明に変わった本局の街を歩いていた。
午前中にほとんどの業務を終わらせていたので問題はないが、ヴィヴィオが来てフェイトとキスしてから、ユーノの集中力は下がりっぱなしだった。
なにしろ、マルチタスクで検索作業を行っていると、思考のどこかにフェイトの唇の柔らかさが出てくるのだ。
雑念を払って作業を再開すると、今度は想像以上に細い肩と豊かなバストが出てくる。ついにはうっすらと香るファウンデーションや甘い息遣いなど、マルチタスクの全てがフェイトで埋め尽くされてしまったのだった。
流石にこれでは仕事にならないと早めに切り上げてきたのだが、普段のワーカーホリックがたたってか早く帰ってもする事がない。結局、なにをするでもなくぶらぶらと歩いていると、正面から見知った女性が歩いてくるのが見えた。
「フェイト?」
「あ、ユーノ」
さっきの今でフェイトに会うのは少々気まずいが、ここで会えたのは運命に違いない。そうユーノは確信した。
「今、ちょっと時間あるかな?」
「え? うん、あるけど……」
「じゃあ、ちょっと散歩しようか」
次元の海に浮かぶ時空管理局の本局は、それ自体が巨大な閉鎖空間となるので空気の浄化を目的として緑地帯を多く配置してある。転送ポートまでフェイトを送るついでに、ユーノはまばらに街灯のついた公園へ案内した。
「さっきは、その……ちょっとびっくりしたよ?」
最初に重い口を開いたのはフェイトだった。
「まさか、ユーノと私がキスしちゃうなんて」
気心の知れた友人同士。それが、ユーノとフェイトの関係を現す最も適切な言葉だろう。ジュエルシードを巡る一連の抗争の最中に二人は出会い、最初は敵同士という関係だった。その後は一緒に裁判を闘ったり、防御系やバインドなど魔法の講義をしたり、執務官試験の勉強を手伝ったり、無限書庫に資料請求に来たりと、ユーノにとってフェイトはある意味ではなのはよりも近い距離の異性だった。
しかし、二人の距離は友人同士という関係から縮まる事はなかった。それはユーノがなのはに好意を抱いているというのが明白な事実であったし、フェイトもそれを応援する立場にあったからだった。
そんな関係を十何年も続け、何の進展もないまま現在に至る。そういう意味では、フェイトとのキスがなにかを決定的に変えてしまうきっかけになってしまいかねない。なぜだかユーノはそんな気がした。
「あ……あのさ、フェイト」
ユーノはなにか気の利いた事でも言おうかと思ったが、普段あれだけ本に親しんでいるのになにも思いつかなかった。それはフェイトと二人きりという状況がユーノから思考能力を奪っていたからでもあったが、それ以上にユーノはフェイトの美貌に圧倒されていた。あたりが無機質な人工照明ばかりだというのに、一際美しく輝いているようだったからだ。昔からよく知っている相手だというのに、フェイトってこんなに綺麗だったっけ、などという事しか思いつかない。
「それでね、私考えたんだ……」
まるで魔法にでもかかったかのように、ユーノは半ば呆然としてフェイトの話を聞いていた。そして、軽く背伸びをしたフェイトが、自然な動作で顔を寄せる。
(え?)
気がついた時には、ユーノの唇はフェイトの唇によってふさがれていた。
「あの……フェイト?」
「これでよし。おあいこで帳消しね」
「どういう理屈で?」
「ユーノからキスされて+1、それを私が返したから−1。+1と−1は合わせると0になるから、これで全部おしまい。恨みっこなし」
確かに計算はあっている。あっているのだが、ユーノは根本的に何かが間違っているような気がした。しかし、これでおあいこ、と微笑むフェイトの笑顔を見ていると、なぜだかたまらない愛おしさがこみあげてくる。そこでユーノは、素早くフェイトの唇を奪った。
「もう……ユーノったら。そんな事されたら、またお返しをしないといけないじゃない」
「そうしたら、またフェイトとキスが出来るじゃないか」
その後もキスとお返しのキスを永久機関のように繰り返し、すっかりバカップルとなった二人の姿があった。
「ただ〜いま」
「おかえり〜、フェイトちゃん遅かったね」
フェイトが帰宅すると、いつものようになのはが出迎えてくれる。しかし、今日はいつもと違って三倍増しくらいの笑顔だった。
「どうしたの、なのは。なにかいい事でもあった?」
「うん」
ニコニコどころか、三個四個と増えていきそうな満面の笑顔を浮かべ、なのははフェイトに身を寄せるとスッと背伸びをしてその唇を奪う。
「なななっ! なのっ! なの? なのなのっ!」
「なのなの?」
「なのっ! じゃなくてっ! どうしたの? いきなり……」
「だって、フェイトちゃんはユーノくんとキスしたんでしょ?」
どうしてそれを、とフェイトは訊こうと思ったが、視界の隅で素早く顔を引っ込めるヴィヴィオの姿に全ての事情を察する。
「フェイトちゃんとユーノくんと同時にキス出来るなんてお得だよね」
「でも……女の子同士でキスなんて」
「大丈夫だよ。御神の剣は二刀流だから」
語尾にハートマークでもついていそうな感じでなのはは微笑むが、何の解決にもなっていなかった。
その後フェイトは朝出かけるときに、ユーノくんに届けてきてね、となのはにキスされるのが日課となったそうだ。
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