第二話
「はい、いいですか。ユーノさん」
翌朝から早速リニスの特訓がはじまった。朝食までの二時間と業務終了後の一時間程度が、ユーノの使える練習時間だ。
「今更ユーノさんに魔法の基礎やら応用やらを教えるのは釈迦に説法なので、この際ですから一切まとめてすっ飛ばします」
「随分大雑把ですね……」
「時間がありませんから」
キリエの言うゲーム開始までもうあまり間もない事から、とにかく実戦で使える技を中心に叩きこんでいくしかない。
「はじめに聞きますが、ユーノさんは攻撃魔法を使えないんでしたね?」
「結界魔導師ですからね。だから必要がなかったというか……習得できなかったと言いますか……」
最後の方はごにょごにょと消え入りそうな声だったのでよく聞こえなかったが、リニスは特に気にした様子もなく話を続ける。
「ですが、単独で広域結界を展開できる魔力。緻密で脱出しにくいバインドの構成。そう簡単には突破できないシールドを構築するなど、ユーノさんには数多くの美点があります」
「ありますけど、それがどうしたんですか? そんなの出来たって戦いの役には立たないんじゃ……」
「ええ、普通の戦いでしたら」
しかし、リニスは不敵な微笑みを崩さない。
「幸いにして、今度の戦いは実戦とは異なるゲームです。実戦ならかなりの無理が必要となりますが、ライフポイント制のゲームであればいくらでも通用する手段があります」
どういう仕組みかはわからないが、今度の戦いはDSAAルールによく似たポイント制で行われる。肉体的なダメージはもちろん、魔力も全てポイントによって管理されるため、公平で公正な勝負ができるようになるのだ。
肉体的なダメージを受けるとライフポイントが減少し、それがゼロになったら負けと判断される。魔力ポイントを使いきってしまうとしばらくの間魔法が使えなくなってしまうため、純粋な力をぶつけあうよりかはポイント管理などの駆け引きが重要視される。
そして、肉体的なダメージはクラッシュエミュレートによって疑似再現されるため、怪我をする心配も怪我をさせてしまう心配も無用だった。
DSAA本来のルールであれば、意識喪失時のバリアジャケット管理としてクラス三以上の能力を持ったデバイスの携行が義務付けられているが、今回のゲームで意識喪失はエミュレートされないため、特にデバイスを携行する必要はない。つまり、デバイスを持たないユーノでも十分に戦えるのだ。
「つまり、別に強力な攻撃魔法が使えなくても、ただ殴る蹴るの暴行を加えるだけでもライフは減少していきます」
「随分物騒な話ですね……」
「それと、ユーノさんには他の誰にも負けない優れた能力があるじゃないですか」
「そんな能力ありましたっけ?」
「魔導を超高速で並列運用できる能力ですよ。タイプとしては学者型なので、戦闘魔導師には不向きですね。もし仮に戦闘魔導師になるとしても、中後衛か支援専門の後衛になるしかありませんが」
「大した事無いじゃないですか」
「ヴォルケンリッターを相手に高速空中戦をしながらトランスポーターを起動させて、そのうえで相手の攻撃をシールド片手で受け止めるのが大した事無いと?」
「随分詳しいですね……」
「A‘sはDVDも好評発売中ですし、二〇一一年一〇月現在東京MX系でも放送中ですよ?」
「また、メタな発言を……」
今にして思えば、あの頃が僕の全盛期だったんじゃないだろうか。そんな嫌な思いが、彼の中をよぎる。日がな一日を薄暗い書庫の中でひたすら整理と検索業務に没頭し、責任ある立場とそれに応じた給与が支給されるようになった現在の生活も悪くはないのだが、やはり自分の力でどこまで出来るのかを試してみたいという思いが彼にもある。そのうえで戦闘に向かないとわかるのなら、あきらめもつくというものだ。
それはともかくとして、先程のリニスの発言はユーノにしてみれば出来て当たり前の事だ。しかし、同時に複数の魔導を行使できるというのは、彼にとっては数少ないメリットなのではないだろうか。
「魔導師にも様々なタイプがあります。多彩な攻撃魔法を駆使して派手な勝利を得るファイターもあれば、防御魔法を主体とするので地味ではあるものの、確実な勝利を得る事が出来るディフェンダーもあります」
「僕がその、ディフェンダータイプだと……?」
「ユーノさんでしたら……そうですね、防御魔法を展開しながら移動するという、通常の魔導師なら不可能な事も出来るんじゃないでしょうか? それを確かめるためにも……」
そこでリニスは四本の棒を取り出し、鳥居の様に組み立てた。
「今から特訓です。さあ、どこからでもかかってきなさいっ!」
「よしっ! やるぞっ!」
意外とノリやすいユーノであった。
「ふぅむ。一時はどうなる事かと思ったが、どうにかなりそうではないか」
リニスの構えた組み木を相手にカンコンカンコン組み手を行うユーノを見つつ、ディアーチェは軽く腕組みをして口元に静かな微笑みを浮かべる。
「その微笑みは邪悪ですよ、王様」
ディアーチェの隣で呆れつつ、シュテルもユーノが特訓している様子をじっと見つめている。その手にはタオルとよく冷えたスポーツドリンクが握られているので、ユーノが休憩に入ったらすかさず渡すつもりなのであろう。
「王様〜っ! シュテル〜っ! どこーっ?」
「……まったく、あの子は」
「我らの存在はまだ秘密なのだがな……」
突如として響いたレヴィの大きな声に、ディアーチェとシュテルは顔を見合わせて苦笑してしまう。
ユーノの部屋がある本局から海鳴市の公園に場所を移して秘密特訓をしている事を、なるべくならなのはやフェイト達に知られない方がいい。その方が登場時のインパクトも大きくなるし、なにより展開として面白いというのがキリエの談だ。
そういう他人の思惑に乗るのはディアーチェとしても癪であるが、あの子鴉めの驚いた顔が見られるかと思うと、とりあえずこの場はキリエに合わせておくかと考えてしまうのだった。
「あ〜っ! こんなところにいたっ!」
そうこうしているうちに、がさがさと茂みをかきわけてレヴィがひょっこりと顔を出す。
「何事だ、騒々しい」
「リインフォースが帰って来たよ」
レヴィに続いてリインフォースががさがさと茂みをかきわけて姿を現す。
「おお、リインフォースか。待っておったぞ。して、首尾はどうであったか?」
「その聞き方は三流の悪役っぽいですよ、王様」
呆れた感じのシュテルの冷ややかな視線もなんのその。ディアーチェは話の先を促した。
「どうにも、理解できない……」
久方ぶりに主と再会した割には、浮かない様子でリインフォースは呟く。
「あの日確かに私は主に別れを告げ、雪の空に消えていったはずだ。何の因果かこうして復活を遂げて主との再会を果たしたのだが、その割には主の対応がおかしいのだ」
「なにがあった? 申してみよ」
「まるで私がもう何ヶ月も主と共に暮らし、家族として過ごしていたかのような対応なのだ。おまけにここ最近の私は本局での用事があり、あまり八神家の方には帰っていないらしい」
「どういう事ですか?」
異常な事態にシュテルも眉をひそめる。実際は彼女達の存在そのものが異常事態なのだが、それに比べたら現在の事象そのものが異常過ぎるのだ。
「それは私にもよくわからない。これが主だけならまだわかるのだが、騎士達も口を揃えているのではな……」
はやて一人であれば勘違いと言う事もあるし、何者かによって記憶の改竄を受けたとも考えられる。しかし、それが騎士達をはじめとした知人一同に及んでいるとなると、一体どこまで影響を及ぼしているのか見当もつかない。
「一体、この世界になにが起きているのか……。こうなると、キリエ達の話していたゲーム時間軸という言葉が、どうにも気になって仕方がない……」
ゲーム時間軸とは、リインフォースがあの冬の日に消滅しなかった場合において存在するという、選択肢によって無限に起こりうる可能性を持つIFの世界の事だ。言いかえると、リインフォースとマテリアル三人娘の存在はその時間軸に由来する。
ミッドチルダで並行世界という言葉は、次元の海に浮かんだ時間軸を同じくする無数の次元世界を指す。つまり、一つの世界内に無数に存在する選択肢によって無限に起こりうる、俗にパラレルワールドと呼ばれる可能性の世界の事ではない。しかし、この場合のゲーム時間軸とは、一つの世界内に可能性として存在するパラレルワールドなのだった。
言うなれば、この二つの世界には、リインフォースが存在するかしないかというだけの差しかない。些細な差だが、そこには重要な意味が秘められていた。
「うぅ〜む、さっぱりわからんな……」
そう言ってディアーチェは、腕組みをしたまま考え込んでしまう。
三人寄らば文殊の知恵とはいうが、どうやらこの場合は寄せる三人に問題があるようだった。少なくとも、ディアーチェ、シュテル、リインフォースの持つ知識やこれまでの経験からでは、現在起きている事象そのものがまったく理解できなかったのである。
「難しく考える必要はないわ。非常に似通った隣接する二つの世界がなんらかの要因で融合し、世界の修正力によってそこに暮らす人達にピンポイントで記憶の改竄が行われた。ただそれだけの事よ」
突然現れたプレシアがそう解説してくれるが、結局のところディアーチェ達の理解を超えているので、相変わらずさっぱりわからない。
「……相変わらずさっぱりな状態が続いていますが……。それはつまり、リインフォースを知る者は彼女があの冬の日に消えてしまったのはなく、これまでも普通に存在してきた、という記憶に置き換わっている。そういう事ですか? プレシア」
「単純に言うと、そういう事ね」
人、それをご都合主義と言う。シュテルの疑問にプレシアは簡潔に応えた。
「ただ、問題はここから先よ。今は二つの世界が融合した状態だけど、この先はどうなるかわからないわ。この融合は二つの世界に歪みを生じさせるものである以上、いずれ崩壊する危険性を秘めたものとなるわ」
「なんだかよくわからんが、それは大変な事なのではないか?」
世界の歪みとか難しい単語ばかりなので、実のところディアーチェの理解の範疇を超えていた。それでも尊大な態度を取り続けていられるのは流石と言える。
「要するに、私達はキリエの仕掛けた策に乗るしかない。という事か……」
「わたし達の軽率な行動が、世界を崩壊させるトリガーにもなりかねない状況よ。今は黙って、運命の歯車役に徹するしかないわ」
未だ釈然としないリインフォースの呟きに、プレシアの嘆息が重なる。そんな中で、シュテルは小さく拳を握りしめていた。
「許せませんね……まるで無理やり、時を動かされているみたいで……」
それがわかっていても、迂闊に手出しが出来ないのが現状だ。今の段階でアミティエがキリエを止められずにいるのは、そうした要因からだった。
「ところで、プレシアはどうしてここに?」
「ああ、それは……」
その時、がさがさと茂みをかき分けてリリィが姿を現した。
「ああ、皆さんここにいたんですね。朝食の支度が出来たので呼びに来ました」
「そういう事よ」
タイミング良くリニスの訓練も終わったようなので、シュテルは用意していたタオルとスポーツドリンクを差し出してユーノを労おうとしたのだが、どこにいってしまったのか影も形も見えない。
「はい、ユーノ」
「ああ、ありがとうレヴィ」
よく見ると、訓練を終えたユーノにレヴィが満面の笑顔で差し出していた。ディアーチェ達が顔を合わせてなにやら難しい話をしている事に退屈したので、レヴィはずっとユーノが訓練している様子を眺めていたのだ。
「ふぅ〜……生き返ったよ。これはレヴィが?」
「ううん。シュテルが用意してたんだけど、なんだか難しい話をしてたから持ってきちゃった」
「そうか、ありがとうシュテル」
「あ、いえ……その……」
そのさわやかな笑顔に、思わず頬を染めてしまうシュテルであった。
その頃、本局内部のユーノの部屋では、トーマとヴィヴィオが全員分の朝食を用意していた。ちなみにアインハルトは低血圧なのか、ぽ〜、とした表情のままクリスとティオに手伝ってもらってお皿を並べている。
「よし、こんなもんだろう」
トーストとハムエッグを主体とした朝食は、全てトーマの手によるものだ。一人で旅をしていた事があるせいか、その手際は見事の一言に尽きた。
「ヴィヴィオもごめんね。手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ〜、いいんですよ」
とはいえ、この人数分を一人で準備するのは流石に辛い。屈託のないヴィヴィオの笑顔には、終始助けられっぱなしのトーマであった。
「それにしてもいいのかい? ヴィヴィオ」
「はい。なにがですか?」
「ユーノさんに、はじめまして、って挨拶しちゃって」
「ああ……」
司書資格を持つヴィヴィオにとって、ユーノは将来の上司と言うべき存在だ。確かにこの時代でユーノに会うのは初めてなのでその挨拶でもいいのだが、妙に他人行儀な気がしてしまうのだ。
とはいえ、今のユーノは九歳なので今のヴィヴィオよりも年下である。また、この世界にはまだヴィヴィオもトーマも存在していないので、そう挨拶せざるをえないのだった。
「それはそうなんですけど、出来ればユーノさんにはあまり未来の事を話さない方がいいと思うんです」
「どういう事だい?」
「三期シリーズにはゲスト出演もしてたんですけど、四期シリーズ以降になってからのユーノさんの扱いは……」
「ああ……」
そこでトーマはヴィヴィオの態度の意味を知った。自分達が主役を務める最新のシリーズでは、二〇一一年現在でユーノはおろか無限書庫の名前すら出てこない。それはまるではじめから存在していないかのような徹底ぶりだからだ。
流石にそんな未来をユーノに伝えるわけにはいかない。その意味で、トーマとヴィヴィオの見解は一致したのだった。
「絶対に、ユーノさんに知られないようにしないとな」
「そうですね、わたしもアインハルトさんとしっかりお話して、それだけは徹底してもらいますから」
アインハルトもしっかりしているようで、意外とうっかりさんだから気をつけないといけない。まだ、ぽ〜、としたままのアインハルトの姿を眺めつつ、ヴィヴィオはそう心に誓うのだった。
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