第二十九話
「……ふう、さて……」
ほとんど新婚さんのようなやりとりでユーノを送り出し、ディアーチェは軽く掃除を終えた後で皆の洗濯物を畳みはじめた。結構な量があるのだが、ディアーチェはそれを手際よく折りたたんでいく。普段着るものから下着まで揃っているので、流石にこればかりはユーノがいない間でないと出来ない。
誰に見せるんだといいたくなるくらいにド派手なプレシアの下着に赤面し、リインフォースの寸法にため息を漏らす。そうして、皆の洗濯物を畳んだところでディアーチェの手がピタリと止まる。
「残りはこれか……」
途端にディアーチェの声は苦虫をかみつぶしたようになる。女性物を畳み終えれば、残るは男性物。
つまりはユーノの洗濯物だった。
普段着ているものであるならここまで緊張しないが、下着まで混じっているとなると話は違う。そんなわけでディアーチェは妙に緊張した面持ちのまま、細心の注意を払ってユーノの衣類を畳みはじめるのだった。
(それにしても……)
こうしてユーノの衣服を洗い、部屋の掃除をして食事の支度をする。おまけにパンツまで畳んでいるとなると。
(これではまるで夫婦のようではないか)
自分の妄想ながら、頬が熱くなっていくのを感じる。今鏡を見たら、ディアーチェの顔は真っ赤になっている事だろう。
このまま夕暮れ時になって、食事の支度をしているところにユーノが疲れた様子で帰ってくる。
(ただいま〜)
(お帰りユーノ。食事にするか? それとも、風呂を先にするか? それとも……)
(よし、先にお風呂でディアーチェを晩御飯だ)
(なんと贅沢なっ!)
そこまで考えて、ディアーチェは顔をプルプルと振った。
(いかん、雑念を払わんと。今はユーノの下着を畳む事に集中して……)
その時、ディアーチェは不意に視線を感じた。その方向に恐る恐る顔を向けると、素敵な笑顔のリニスの姿があった。
「リッ! リッ! リッ!」
「はい、リニスですよ」
慌てふためくディアーチェの姿というのはかなりのレアだが、それを見ても全く動じないリニスというのも流石の領域だ。もっとも、男物のパンツを握りしめて恍惚としたような表情を浮かべている人には、出来る事ならあまり関わりあいになりたくない。
「なっ! なっ! なっ!」
「なにしにって……無限書庫での検索も終わりましたし。これから出掛けますのでご挨拶を」
「わっ! わっ! わっ!」
「わかってます。お邪魔はいたしませんから」
ナノハさんにシグナムさん。待っていてくださいね。というリニスの微笑みは背筋にゾクリと来るものがあるが、意外とあっさり退散してくれたので安堵の息を吐くディアーチェであった。
「えー? リニス……さんっ?」
目の前に現れたリニスの姿に、なのはは少なからず動揺した。フェイトのところに現れるならともかく、どうして自分の前に現れるのか全く理解できなかったからだ。
「……はい。……私はリニスですが……。あなたは?」
「あの、私高町なのはって言います! フェイトちゃんの友達なんです!」
「友達……?」
なにをぬけぬけと、とリニスは思う。友達とかなんとか甘い言葉で、フェイトを悪の道に誘い込んだ。そうでなければ、あの優しくて儚げで真っ直ぐないい子がいきなり斬りかかってくるはずがない。
「はい。フェイトちゃんとは友達として、仲良くさせてもらってます!」
しかし、こうしてみると、なのはは人畜無害そうな笑顔を浮かべてのほほんとしている。こうなってくると、リニスの懸念が真実なのか疑わしくなる。
どう考えても、こんな可愛くて聡明そうな子が、フェイトを悪の道に誘い込むようには思えなかった。
「あのナノハさんは、今おいくつなんですか?」
「あ、フェイトちゃんと同い年です」
「そうですか」
こうしてあたりさわりのない会話をしているが、にこやかな笑顔のリニスにはまったく隙がない。この人出来る。なぜかなのははそう思った。
「それで、フェイトとはどこでお知り合いに? どんなふうにお友達になられたのでしょうか?」
「それはDVDを見てください。後、劇場版もありますから」
普通に話すと、多分三日くらいかかるんじゃないかと思うくらいの時間がかかりそうだ。
「なんですか? それは……」
「あの、その、え〜と……」
「なぜ、言葉を濁されるんでしょう? はっきり答えられない事情でも?」
「いえ、そういうわけではなくてですね……」
「申し訳ありませんが……。確かめさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ〜っ!」
「大丈夫、痛くはしません。ちょっとしたゲームだと思っていただければっ!」
「えええ〜っ?」
「ええと……。とりあえずいきますっ! リニスさんっ!」
「へ?」
なのはの突きだしたレイジングハートの前に集まるすさまじいまでの魔力に、思わずリニスは素っ頓狂な声をあげてしまう。事前にユーノからなのはは収束系の魔法が得意だと聞いていたが、まさかここまでとんでもない魔力だとは思ってもみなかった。
「全力全開! スターライトブレイカー!」
全てを飲み込んでしまうかのようなピンク色の奔流が、容赦なくリニスを襲う。
「まさかこれほどとは……。でも、まだまだ収束が甘いようですね」
なのはのスターライトブレイカーを防御するため、フェイトは縦方向に複数のシールドを重ねて対処した。しかし、その方法であると正面方向に対しては十分な防御効果を発揮するが、拡散する魔力そのものに飲み込まれてしまうとどうする事も出来ない。しかもそれでは真正面からその威力を受け止めてしまうので、いずれ支え切れなくなってしまう。
この攻撃に対するリニスの防御方法は変わっていた。それはただ、迫りくるピンクの奔流に対して両手にシールドを展開したのみだった。
「ええええ〜っ?」
今度はなのはが驚愕に目を見開く番だった。なんとリニスは両手に展開したシールドでなのはの魔力を受け流し、直接受けとめるのではなく、力点をずらしていなしてしまう事でかわしてしまったのだ。
一見するとなのはのスターライトブレイカーはものすごい技だが、まだまだ未熟で魔力が拡散しがちだった。。
収束魔法の只中にありながらリニスは、収束の甘い魔力密度の低い部分を見極めて軽くいなして切り抜ける。流れに逆らわず、その勢いを利用して移動する。それはまるで、向かい風に対して切り上がっていく帆船のようでもあった。
「さあ、いきますよナノハさん!」
スターライトブレイカーをあっさりと切り抜け、手にしたデバイスをくるくるとまわしてリニスは魔力を高める。
「確かめさせてもらいますよ。プラズマセイバー!」
まるでフェイトのザンバーの様な光剣の先から、勢いよく魔力がほとばしる。
「レイジングハート!」
『Protection!』
閃光の刃から放たれる魔力を、なんとか受け止めるなのはではあったが、先程大技を使ってしまったために十分な魔力が蓄積出来ていなかった。
「スパークエンドォーェッ!」
「あああ〜!」
さらに細く一点に絞り込まれた魔力が、なのはのプロテクションを一気に貫いた。
「はい、これにて決着です」
「ふむ。これはなかなかお見事です。わりと危ない所でした」
こうしてお互いに力と技をぶつけ合ってみて、はじめてわかる事がある。少なくともなのはは、使っている魔法と同じく真っ直ぐないい子だと。
こんないい子が、フェイトを悪の道に誘うはずがない。
(リニスさんってば強いというか、巧い。まさか、あんな方法で切り抜けるなんて……)
それに加えて猫足のステップによる独特の体捌きは、まるで踊っているかのように綺麗だった。
「失礼しました。あなたは嘘を言うような子ではないと確信できました」
「そう思っていただけると……」
このリニスの賛辞には、ついついなのはも照れてしまう。
「申し訳ないです。あの、いくつか聞かせていただいてよろしいですか?」
「あ、はい」
「フェイトは……元気ですか? アルフも一緒ですか?」
「はいっ! フェイトちゃんは元気です。アルフも一緒です。今は私と一緒に学校に通っていて、私以外の友達も出来て、毎日楽しそうです」
「そうですか……」
ナノハがそういうのなら、きっとフェイトは幸せに暮らしているのだろう。それを聞いてほっとするリニスであった。
「あ、もちろんバルディッシュも一緒です。相変わらず無口ですけど、フェイトちゃんをずっと支えてます」
「バルディッシュの事はフェイトに?」
「はい。リニスさんが作ってくれた、自分の大切な愛機だって。バルディッシュは、本当に何度もフェイトちゃんの事助けてるんですよ」
「そうですか……」
優しく微笑むリニスに、思わずなのはも微笑みを返す」
「良かったです……。なんだか肩の荷が一気に降りたような、そんな気持ちです」
人里離れたアルトセイムで、ずっと一人きりだったフェイトに友達が出来たらいい。そうリニスは常々思っていた。なのはの様な子がフェイトの友達になってくれてよかった。心の底からリニスはそう思う。
「あ……あら……?」
見るべきものは見た。そう思ったリニスは闇の欠片の消滅に偽装して転移するよう術式をはしらせた。
「リニスさんっ!」
なのはの見ている前で、リニスの体がゆっくりと消えていく。
(さあ、次はシグナムさんですね)
「ん?」
突然シグナムの前にリニスが現れた。
「こちらは時空管理局です。あなたは?」
「あ、リニスと申します。テスタロッサ家の使い魔をしております」
(この方が、テスタロッサの家庭教師か……。こんな形で遭遇したくはなかったが……)
その名について、シグナムはフェイトから聞いている。ミッド式の魔導師でありながら、ベルカの騎士並みの格闘能力を持つフェイトの独特な魔導は、全てリニスから教わったものだと。
「先程、ナノハさんとお会いして色々お話を伺ったのですが……。あ、タカマチナノハさん、ご存知ですか?」
「ええ……職場の同僚です」
「ああ、なのはさん。あんな小さいのに局のお仕事をされてるんですね……。強い魔導師さんですから、納得ですが」
「……闘われたのですか?」
「はい。ちょっとじゃれただけですけど」
それでなんで無事なんだ。心の底からシグナムはそう思う。つまり、リニスはこうして柔和な微笑みを浮かべているが、実は相当な使い手だという事だ。そう思うと、なぜだかシグナムはリニスと手合わせしたくなってくる。
バトルマニアの悲しいサガだった。
このリニスが欠片であれば、なんらかの強い想いによって再生されているはずだ。フェイトやアルフに会う事によってその想いが満たされてしまうと、その体が維持できなくなって消えてしまうだろう。
そうなる前に、シグナムはなんとしても一戦交えておきたい。
「あの、それで……。ええと……?」
「失礼、申しおくれました。シグナムです」
「シグナムさん。もしかしてあなたも、フェイトとお知り合いなんでしょうか?」
「少し前に、剣を交わしあいました。……その時は敵同士でしたが。今では互いの剣技を高めあうため、時折訓練や試合を」
「ああ、今のフェイトの先生で!」
にこやかに会話をしているが、どうにもリニスは調子が狂う。最初はなのはがフェイトを悪の道に引きずり込んだ張本人かと思っていたが、実際に人となりを見るとそうでもない。それなら悪いのはシグナムなのかと思ってみたが、どう見ても勤勉実直だけが取り柄の様である。
「いえ、教えたりはしていませんよ。あの子の剣技の理想形は、あの子の中にもうあります。後はそれを、どうやって自分のものにしていくかだけですから」
その静かな物言いは、まさしく古代ベルカの騎士だった。
「はじめて闘ったときから、確かな真の通った太刀筋でした……。あなたが教えたものだったのですね」
「ありがとうございます。私も未熟な使い魔の身でありながら、あの子のためと思って教えていました」
「あなたの教えを守って、立派にやっていますよ。テスタロッサは」
「ふふ……シグナムさんは、フェイトを『テスタロッサ』と呼ばれているんですね」
「ええ、まあ……。まわりはみんな『フェイト』と呼んでいるのですが……。私はなぜか初対面の時からこう呼んでしまって」
そのまま定着してしまったのである。
「ふふ……良い方達に恵まれて、フェイトはきっと幸せなんですね」
「訓練や勉強で真面目なとき以外は、いつも笑っていますよ……。幸せそうです」
「それではシグナムさん。少し胸を貸していただいてもいいですか?」
ここまで話してきて、シグナムの人となりは多少なりとも理解できた。後は全力でぶつかりあって、確かめてみるのが一番だ。
「は……」
確かにシグナムはリニスが相当な実力の持ち主と見ていた。なによりフェイトの師匠でもあるし、闘ってみたいとは思っていたが、まさかそれがこんな形で訪れるとは思ってもみなかった。
「知りたいんです。今のフェイトが、どんな方と一緒にいるのか?」
「うわぁぁぁっ!」
「私も意外と、やるものでしょう?」
例えるならシグナムは、剛の剣の使い手と言える。それに対してリニスは、柔の剣の使い手と言えた。相手の攻撃を受け止めるのではなく、柔らかく受け流していなす。この一進一退の攻防は、僅かながらの差でリニスに軍配が上がった。
「ああ、すごい。シグナムさんすごいです」
シグナムの力強い真っ直ぐな剣に、リニスは手放しの賛辞を送る。
「私を傷つけないように、紙一重で止めてくださってるんですね? 素晴らしいです」
「そ、それは……まあ」
確かに手加減したのはシグナムだが、負けは負けだった。どうやら独特の猫足のステップによる、まるで舞うような動きに翻弄されてしまったようだ。そのせいか、シグナムの口調は少々歯切れが悪い。
「いかかでしょう。ご理解いただけたでしょうか?」
「はい。本物の騎士の闘いをしっかりと。ありがとうございました、シグナムさん」
「いえ……」
下手に攻撃すると消滅しかねないため、あまり苛烈な打ちこみをしなかったのが裏目に出たようだ。もはや再戦の機会もないだろうし、そこが少し悔やまれるところだった。
(流石はテスタロッサの師か……)
こうなるとシグナムも、リニスの実力を認めざるを得ない。
もしも、リニスがまだ生きていたとしたら、フェイトはきっともっと凄い魔導師になっていたに違いない。なんとなくシグナムは、フェイトの将来が楽しみになってきた。
(こんな強い騎士とフェイトは打ちあっている。私がいなくても、立派に育っていってくれている)
そう考えると少しさびしい気もするが、それ以上に満たされるなにかをリニスは感じた。それが親心というものだろうか。
いや、リニスは親ではないので、この場合は『家庭教師心』なのかもしれないが。
(これでも見るべきものは見ましたね。この様子なら、フェイトも心配ないでしょうし)
そう思ったリニスは、闇の欠片の消滅に見せかけた転移魔法を展開する。やがて、光に包まれたリニスの姿がゆっくりと消えていった。
「……行ってしまわれたか。消滅とは様子が違っていたようだが……」
かすかな違和感に、シグナムは眉をひそめる。もしかすると、これは体よく逃げられてしまったのだろうか。
不思議とそう思うシグナムであった。
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