第三十一話

 

「ここは……あなたは……?」

「プレシア・テスタロッサ。僕の事を覚えているか?」

 リニスと別れ、フェイトを引き取ろうとしている管理局関係者を探していたプレシアの前に、一人の少年が姿を現した。

(確か、クロノ執務官だったわよね。あのリンディとか言う提督の息子)

 出来れば親の方に会ってその人となりを確認しておきたかったが、この際息子の方でもいいかと思う。フェイトの兄としてふさわしい人物かどうか、見極めておく必要があるからだ。

 そのためにも、アリシアの妄執に取りつかれている芝居をした方がいい。

「覚えているわ……。私の庭園に踏み込んできた執務官。ここはどこ? 私とあなたはなぜこんなところに……?」

 実際、なんでこんなところにいるのか、プレシアにもさっぱりだった。海鳴市から少し離れた海の上だとは思うのだが、プレシアは少しだけ迷子になっていたようだった。

「説明すると長くなる。ひとつ言えるのは、今あなたは夢を見ているような状態だ。僕はあなたの夢を、終わらせないといけない」

「また邪魔をするのね……。私が法を犯したから?」

 せっかくこうして一時的とはいえ復活し、ようやくフェイトと仲良くなれそうなのに、今ここで邪魔をされるわけにはいかない。それに法を犯したとはいえ、被疑者死亡のまま裁判は行われ、フェイトの無罪で結審しているはずだ。

「庭園に踏み込んだ件についてはその通りだが……今は少し違う」

「どういう事?」

「あなたはもう充分に悲しみ、苦しんだ。これ以上、痛みを長引かせるのは忍びない……。今はもう、静かに眠ってほしいと思う。この世界にも、あなたが失った宝物は、もうないんだ……」

「私が悲しむのも苦しむのも、どうでもいい事よ……。私の願いは一つだけ……」

 クロノが言っているのがアリシアの事なら、悲しいが今更どうする事も出来ない過去の出来事だ。それよりもプレシアが心配なのが、今を生きるフェイトの事だった。

 ただでさえ自分が母親らしい事をなにひとつとして出来ず、ずっと孤独のまま寂しい思いをさせてきた。今更その罪が償えるとは思っていないが、少なくともこれ以上の悲しみや苦しみを与えるような事があってはならないとプレシアは考えていた。

 フェイトが幸せである事。それが今のプレシアのただ一つの願いだった。

「アリシアともう一度会いたい……。あの子にあげられなかった幸せをあげたい……。それだけよ。その邪魔をするのなら……誰であっても容赦しないっ!」

 なので、相手の本音を引き出すには、こういう芝居も必要だとプレシアは考えていた。

「邪魔よ……消えなさい」

「うわああああああっ!」

 どこか出現したのかもわからないバインドと、召喚された巨大な雷が容赦なくクロノを襲う。圧倒的なまでの巨大な魔力がクロノの体をかけめぐり、容易く戦闘力を奪った。

(攻撃するどころか、手も足も出ない……? この人はここまで強いのか?)

「あなたは庭園で……。あのとき私に、なにか言っていたわね。誰にでも、悲しい事はあるとか……」

「……言ったかもしれないな」

 息も絶え絶え、というような状態でクロノは口を開いた。いくら非殺傷設定の魔法とはいえ、雷が体中をかけめぐった衝撃でしばらくまともに動けそうにない。言うなればクロノの生は、プレシアに握られているのも同然だった。

「あなたも、誰かを亡くした経験が?」

「三歳のときに、事故で父を亡くした。仕事中の事故だった」

 任務に忠実だったが故に。艦長として責任を取らなくてはいけなかったが故に。クライドは幼い息子を残して殉職した。

「忙しい人だったが……いつも優しかった」

 クロノが覚えているのは、いつも優しく頭を撫でてくれる大きな手だった。もう顔もろくに思いだせないが、それでも父の大きな背中は印象に残っている。

(……やっぱりね)

 突然大切な人を失ってしまう悲しみ。それをクロノも知っていた。それがわかっただけでも、プレシアにとっては収穫だった。

「私はいくわ……。たとえ夢でも、あの子のために力を尽くす。私には、それしかないの……」

 親の方に会えなかったのは心残りだが、その代わりに立派に育った息子に会う事が出来た。子は親の鏡というように、親を知りたければ、まず子供をよく見るべきだ。女手一つで、よくもここまで育てたものだ。それだけでリンディという人物の人となりがわかる。

 この人達なら、安心してフェイトを託せる。そう思ったプレシアは、闇の欠片の消滅に偽装してクロノの前から転移した。

「本当に……それしかなかったのか……」

 こうしてどこか思惑がすれ違ったまま、クロノはただ呆然とプレシアが消えた空を見つめていた。

 

「フェイト……?」

「母さん……」

 次の管理局関係者を探して転移した先には、なんとフェイトがいた。なるべくなら顔を合わせないようにしたと思っていたが、どうにもフェイトの様子がおかしい。

「本人じゃないわ……。どうやら夢の残骸みたいね」

「母さん……。私ね? 母さんに笑ってほしかったの」

 その証拠に、このフェイトは感情を伴わない無機質な声で、ただ淡々としゃべるのみだ。

「小さい頃は、愛されてないなんて思いもしなかった……。ただ仕事が忙しいだけだって……」

 それだけにこうして心情を吐露されるのは、精神的にきついものがある。

「少し大きくなってからは、愛されていないなんて信じたくなかった……。私がまだちゃんとしてないから、振り向いてもらえないだけだって」

 あの頃の事を思うと、プレシアにも反省するべき点がある。その頃のプレシアにとってフェイトは、アリシアそっくりの姿をした偽物にすぎなかったのだから。

「リニスがいなくなってから……愛されていないのかもしれないって思ってた。アリシアの記憶がなかったら、私はきっと壊れてた……」

 そう言えばあの頃のフェイトは、必死にアリシアでいようとしたようだった。今にして思えば、もっときちんとフェイトと向き合うべきだったのかもしれないが、あの頃のプレシアは迫りくる命のタイムリミットの前に、随分と余裕を無くしてしまっていた。

「大嫌いって言われても……。いらない子だって言われても……。それでも私は、母さんの事を嫌いになれなかった。生み出してくれた人だから……。冷たくしてても、それでも私を生み出して、育ててくれた人だから……」

「あなたは間違って生まれた失敗作で……。あなたを育てたのはリニスよ」

 たとえお腹を痛めて生み出した子ではなくても、生み出した命である事は変わりない。フェイトを愛せなかったが故に、このような歪みを生みだしてしまったのかもしれない。

「消えなさい……。夢の残骸に興味はないの」

 プレシアの生み出した雷が、容赦なくフェイトを撃つ。

「母……さん……」

 消えゆくフェイトの体を、プレシアは優しく抱きしめた。

「もういいのよ。悪い夢はもう終わりだから……」

「夢……?」

「そうよ。目を覚ませば、あなたには素敵な友達と、優しい家族が待っているから」

「家族……?」

「ええ、そうよ。だから、安心してお眠りなさい」

「うん……。母さん……」

 そして、プレシアは優しくフェイトに微笑みかけた。それに安心したのか、最後にフェイトの闇の欠片は微笑み、金色の光になって消えていった。

「『母さん』ね……」

 それは、愛する事が出来なかった我が子に対するせめてもの罪滅ぼし。

(そう言えば、フェイトはずっと『母さん』って呼んでくれていたわね……)

 アリシアは『ママ』と呼んでいたが、フェイトくらいに大きくなったら『母さん』と呼んでくれたのだろうか。今になってはどうでもいい事であるが。

 

「待ちなさい! プレシア・テスタロッサ。あなたを確保します!」

 フェイトが消えた余韻に浸る間もなく、凛とした声が響く。

「邪魔よ……どきなさい」

 緑色の防護服に、短い金色の髪。プレシアに面識はないが、確保と言っているので彼女も時空管理局の関係者なのだろう。そう、彼女こそ時時空管理局の医療スタッフ、シャマル先生その人だった。

「あなたは今、夢を見ているような状態なの……。そんな状態で暴れ回っても、なんにもならないんだから……」

「なんにもならないかどうかは、私が決めるわ。あなたに口を挟まれる事じゃない」

「いいえ、口も挟めば手も出します。シャマル先生、こう見えても新米ですがお医者さん。悪いところのある患者さんは、嫌でも治すのがお仕事です!」

 実力行使も辞さないシャマルの態度に、話し合いでなんとかするのは無理だろうとプレシアは思った。

 とはいえ、クロノの人となりはわかったので、彼らなら安心してフェイトを託す事が出来る。闇の欠片のフェイトに会い、その悲しみを癒す事が出来た。プレシアにとっては、一応の収穫は得ていた。

(そう言えば、アミタ達はどうなったのかしら……?)

 そこでプレシアは、このまま芝居を続けながらそれとなくシャマルに訊いてみる事にした。

「さあっ! おとなしくしてくださいっ!」

「サンダーレイジ!」

「きゃああああっ!」

 プレシアの生み出した雷が、容赦なくシャマルを撃つ。

(うそ……! いくらなんでも強すぎる……。どういう事?)

 今のはメラゾーマではない、メラだ。という某大魔王に相対しているかのような気持ちのシャマル先生だった。

 実のところ今のプレシアは、暫定的にとはいえ病気もない健康な体を手に入れている。つまり、限定SSランクにも認定された大魔導師としての能力を存分に発揮する事が出来るのだ。

(……そう言えば、この魔力ってどこから供給されているのかしら?)

 プレシアには、外部から供給される魔力を運用するスキルがある。そのおかげでほとんど自分の魔力を消費する事無く強力な魔法を連発出来るのだが、そもそもの魔力の供給源が不明だった。

 ちなみに、防御力は肉体相応なので紙同然であるため、なるべく相手を近づけさせないようにしないといけない。

「余計な時間を取られたわ……。もういくわよ」

「待ちなさい……! 話はまだ……」

 猛烈な雷のエネルギーを受けたせいか、シャマルの体は言う事を聞いてくれない。

「そうだ……思いだしたわ」

 ようやく本題に入れそうだと、プレシアは内心で安堵の息を漏らす。

「あなた達の近くに、時間移動能力者がいるでしょう?」

「どこでそれを……?」

「いるのね?」

 どうやら、アミタとキリエは管理局に保護されているらしい。とりあえずの居場所がわかっただけでも安心だ。

(しまったー! 先走りで自白しちゃった)

「そう、ならいいわ……」

 そう言ってプレシアが闇の欠片に偽装して、シャマルの前から転移しようとした時だった。

「シャマル。すまん、遅くなった」

「ザフィーラ……」

 頼りになる援軍の到着に、シャマルは内心安堵する。後は自分が回復するまでの時間稼ぎさえしてくれれば、二人かがりでプレシアを確保できるはずだ。

「プレシア・テスタロッサだな。自分の状況は把握しているか?」

「だとしたら?」

「夢を終わらせてやらねばならん……。お前が見ているのは、まぎれもなく悪夢の類だ」

「悪夢ね……」

 確かに、いくら自分が悪いとはいえ、娘に問答無用で斬りかかられるのは悪夢だろう。しかし、フェイトの笑顔を守るためにも、プレシアはここで立ち止まるわけにもいかない。

「ところで、一つだけ聞きたいのだけど……」

「なんだ?」

「ベルカの守護獣の毛並みは凄いモフモフだというけど……。本当なのかしら?」

 

「ああ……素敵だわ、モフモフ……」

 少女のような笑顔を浮かべ、プレシアはザフィーラの毛並みを堪能していた。

「ほら、私の使い魔ってヤマネコでしょ? だからこんなに抱きしめモフモフするなんて出来なくて……。少しだけフェイトがうらやましかったのよね」

「それで、テスタロッサちゃんに辛く当っていた、なんて事はありませんよね?」

「……。モフモフ……」

「答えて下さい」

「それより、少し訊きたいのだけど。そちらには時間能力者がいるのよね?」

「な?」

 どうしてそれを、とザフィーラは思うが、視界の隅でシャマルが可愛らしく舌を出しているのを見て、全ての事情を納得した。おそらくは、シャマルがついうっかり口を滑らせるかなにかしたのだろう。

「いや……知らんな。仮に知っていたとしても、教えると思うか?」

 今、プレシアにフローリアン姉妹の所に行かれるわけにはいかない。アリシアの妄執に取りつかれた彼女の事だ。きっと過去に戻ってアリシアを助けようとかするに違いない。

 しかし、今のプレシアはそんな時間移動をしたところで、アリシアが死ぬ過去は変えられないと理解している。過去の改変を行ったところで、その時点で別の未来への分岐が発生し、自分が所属している時間軸の流れにはなんの影響も及ぼさない。

 結局のところ、自分のいる未来に大きな変更が発生しない以上、過去に戻ってなにかをするというのはリスクが多すぎる。ある意味では、今から未来しか改変の余地はないのだ。

「それでは、そろそろ……」

「そうね。それじゃあその前に、あなたも少しモフモフしてみない?」

「へ……?」

 意外なプレシアの提案に、シャマルの目が点になる。

「モフモフしたくないのかしら?」

「それは……その……」

 確かに、シャマルもザフィーラにモフモフするのは好きだ。でも、それは今でなくてもいい。

 今はとにかく、プレシアを確保して本部に帰還するのが一番のはずだ。

 しかし、目の前でプレシアがモフモフしているのを見ていると、なぜか不思議と心が動く。

「ああっ! 素敵だわモフモフ」

 気がつくとシャマルは、ザフィーラの毛並みに顔をうずめてモフモフしていた。

「モフモフモフ……はっ?」

 ふと顔をあげると、プレシアの姿がどこにもない。

「え? あれ? プレシア・テスタロッサは?」

「……お前が俺をモフモフしている間に、消えてしまったぞ」

「ええーっ?」

 それにしても、とザフィーラは思う。

(……俺に会う闇の欠片は、どうしてみんなでモフモフしたがるんだ……?)

 まさか、それが心残りだったとか。これはいくら考えても、答えの出ない問いのようであった。

 

「プレシア」

「リニス」

「どう? フェイトの方は?」

「はい。いい友人に囲まれて、とても充実した日々を送っているようですよ。プレシアの方は?」

「そうね、こっちも収穫があったわ。あの人達なら、安心してフェイトを任せられるわ」

「そうですか。それはなによりです」

「それに、アミタ達の行方も分かったわよ。どうやら無事に、管理局に保護されているみたい」

「大丈夫なんでしょうか?」

「優しいいい人達みたいだから大丈夫でしょ。きっと悪いようにはしないはずよ」

 そう言ってプレシアは、リニスの頭を優しく撫でる。意外なマスターの態度に困惑しつつも、ついついそれに身を委ねてしまうリニスであった。

「じゃ、帰りましょうか。リニス」

「はい、プレシア」

 こうして、仲良く家路についた二人の影で。

「あなたはいつだって、余計な事ばかり……。主人の言う事も聞けないヤマネコ……。私の前から、消えなさいっ!」

「あなたの幸せを……。私はいつだって願ってました! あなたは私のマスターだからっ!」

 血みどろの死闘を繰り広げる、闇の欠片のプレシアとリニスがいたそうな。

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