第五十一話
「すまんな〜、ユーノ君。私、重いやろ……」
「いや、そうでもないよ。確かに、羽みたいに軽いというわけにもいかないけどね」
「うう……」
ユーノははやてを背負い、一歩一歩屋上への階段を上っていた。
事の起こりはお昼休みの時間に、どこでお弁当を食べるかという話からだった。教室内では仲のいい生徒達がグループとなってお弁当を広げる輪を作っており、ユーノ達も最初は教室でお弁当を食べようとしていた。
「……まずいわね」
「アリサちゃん。食べる前にその台詞はどうかと思うの」
なのはのささやかな突っ込みには関わっていられないと言わんばかりに、アリサは眉の間にしわを寄せたまま静かに腕を組んだ。
ユーノと一緒にお弁当を食べたい。それはここにいるみんなの共通する想いだろう。しかし、それをするにも人数が問題だった。
四〜五人程度の人数であるなら、机を寄せ合って食べるという選択肢もあったが、流石に十人という数が揃うとそうもいかなくなってくる。
こういう時はいくつかのグループに分かれるのが定石であるが、みんなしてユーノのほうに集まるのは明白だ。そうなると分けるわけにもいかない。これだけの人数が一緒に食べるとなると、それなりに広いスペースが必要になる。そうなると、今度は中庭や屋上といった場所に移動しなくてはいけなくなる。
そうなると今度は、車椅子というはやてがネックとなってくる。いくらなんでも、はやてを仲間外れにしてまでそうしたいとは思わない。
そこでユーノがはやてを背負い、みんなで屋上に行こうという話になったのだった。
(いやまあ、役得やな……)
表面上はしおらしい少女を演じつつ、お腹の中は結構真っ黒なたぬきさんである。ユーノの背中を独占しているという優越感に、ついついはやての口元から邪悪な笑みがこぼれてきそうだ。
(やっぱり、ユーノ君も男の子やね……)
シグナムに抱っこされている時や、シャマルの介護を受けている時とは違う。もちろん、ザフィーラ(獣形態)の背中とも違う。間近に迫るハニーブロンドの髪の匂いを胸一杯に吸い込んでみると、なぜだか頭がくらくらしてくるようだ。
お父さんの背中というのはこういうものだろうか。ふと、はやてはそんな事も考えてしまう。思ったよりも広い肩幅と意外な力強さにははやてもびっくりだが、こうして女の子を背負っているというのに淡々とした様子のユーノには少々不満がある。
(なんやの、ユーノ君は……。これでは私、まるで荷物みたいやないか……)
そう思ったはやては腕に力をこめ、自分の胸をユーノの背中に押し付けてみた。
「あ、うん。しっかりつかまっててね」
そう言ってユーノははやてを背負いなおすと、再び屋上へ歩を進めた。
(あかん……。やっぱりダメやったか……)
シグナムやアインスぐらいのサイズがあるならまだユーノの反応も違ったのかもしれないが、ヴィータといい勝負な今のはやてでは全く気がついてもらえなかったようだ。
だが、はやてはあきらめない。いずれははやても大人の女性に成長する。そうなった時にはシグナムやアインスクラスのサイズは無理でも、せめてシャマルくらいにはなりたい。
今に見とれよ。と、はやては決意を燃やすが、彼女は知らない。はやての成長が、一五歳で止まってしまう事に。
「いっぱいだね……」
「スタートダッシュが遅れたのが致命的だったわね……」
一足先に屋上に出たアリサとすずかが空いているベンチを探すが、どれも満席で当分の間は空きそうにない。空くまで待っていたら、下手をするとお昼を食べ損ねてしまうかもしれない。
「……なにをしておる?」
「ディアーチェちゃん」
論より証拠、とすずかは体をずらし、屋上の様子をディアーチェに見せる。
「……フム、なるほどな……」
そう言って、ディアーチェは口元に邪悪な笑みを浮かべる。とはいえ、その笑みは怖さを感じさせるものではなく、妙に頼もしく感じるものであるが。
「こんな事もあろうかと用意しておいて正解だったわ。ユーリ」
「は〜い」
合うサイズの制服が無いのか、それとも彼女自身の趣味なのかは不明だが、少し大きめの制服に身をつつんで袖口からちょこんと指先だけを出したユーリが屋上に出ると、少し広いスペースに持っていた紙袋から出したレジャーシートを広げる。
「ふははははっ! たとえベンチが空いておらずとも、こうすれば皆で食べる事ができるわっ!」
ディアーチェはご満悦の様子だが、あれだと逆に目立ってしまうのではないか。そんなそこはかとない不安がアリサとすずかの中をよぎった。
「はい、はやて」
「おーきにな、ユーノ君」
ユーノがはやてを自分の右隣に下ろしたのを見て、素早くなのはがユーノの左隣に座る。その左隣にはフェイトが座り、シュテル、レヴィ、ユーリ、ディアーチェ、アリサ、すずかの順で車座となる。
そして、みんながそれぞれにお弁当を取りだすと、楽しい昼食の時間となる。
「お昼でも王様のカレーが食べられるなんて、すっごい贅沢だよね」
「黙って食え」
流石にカレーそのままは無理なので、レヴィのメインディッシュは王様特製のカレーコロッケになっている。ちなみに、シュテルは海老フライがメインで、ユーリはミニハンバーグがメインである。
「……なんだかちょっと恥ずかしいわね」
「……そうだね」
いつもは強気なアリサも少し恥ずかしいのか頬を赤らめているし、すずかも少し困ったような笑顔をうかべている。あまりの恥ずかしさにフェイトは顔を真っ赤にしたままうつむいて、ちまちまとお弁当をつついている。
粒ぞろいの美少女が一堂に会しているのだから、目立つなというほうが無理だ。おまけにユーノも、なぜか男装の麗人として見られているらしい。
「あれ? あれれ? あれれれれれ?」
そんなとき、すずかが妙な声を出す。
「どうしたのよ?」
「ディアーチェちゃんのお弁当とユーノ君のお弁当なんだけど……。中身が一緒だよ」
言われてみると、確かに中身が一緒だ。ディアーチェがシュテル達に作ったお弁当はメインのおかずを変える事で個性を出しているが、ユーノとディアーチェは全く同じ内容である。おまけによく見るとお弁当箱も多少の大きさの違いはあるものの、基本的に同じデザインでディアーチェが紫でユーノが緑の色違いだ。これは一体どういうことなのか、アリサが問いただそうとした時だった。
「だってユーノのお弁当も王様が作ってるんだし」
無邪気なレヴィの一言で、その場の空気が凍りつく。
「一緒に暮らしているんですから、それくらいはするのが当然でしょう」
「……一緒に……?」
ちゃっかり自分も手伝っているシュテルの一言に素早く反応したなのはが、まるで地の底から響いてくるような声を出す。突如として巻き起こった得体のしれないプレッシャーに、屋上でお弁当を食べていた生徒達の何人かが足早に立ち去っていく。
「王様達は本局でユーノと一緒だからね。だから、そういうこともあるんじゃないかな」
本局という大きなくくりで一緒だと思っているフェイトが、なのはにそう説明する。それに納得している様子はないものの、なのはから妙な雰囲気が消えたので一安心だ。
「あ〜、ほんならな、ユーノ君。もしよかったらやけど、私がお弁当作ってもええか?」
「なにを言い出すか、子鴉っ!」
「ええやん、王様。一人分のお弁当作るんは、意外ともったいないものなんよ」
「でも、それだとはやてが大変なんじゃない?」
「なにゆうてんの。ユーノ君が食べるお弁当なんやから、大変なことなんてあらへんよ。そやろ? 王様」
「ぐぬぬ……」
普段は口ではなんだかんだと言いながらも、ディアーチェは甲斐甲斐しくみんなのお世話をしている。みんなのお弁当を作っている時も、なんとなくだが楽しそうだ。
「なあ、ええやろ? ユーノ君」
「そうだね。じゃあ、はやてにお願いしようかな」
「了解や。期待しててな、ユーノ君」
「楽しみにしてるよ」
この時のやりとりがとても嬉しかったのだろう。後日はやてが用意したお弁当はユーノが食べるのだからと、重箱が三段積まれた豪華なものだった。おまけに妙に凝ったキャラ弁にしていたため、どこから手をつけて良いか全く皆目見当もつかなかったのである。流石にこれはやり過ぎたようで、食べるのも作るのも大変だからという理由で、それ以後のお弁当製作をユーノに断られてしまうはやてであった。
この日の五時間目は体育で、男子は教室で、女子は更衣室で着替えとなる。
一昔前は女子も男子に交じって教室で着替えをしていた。スカートの下に直接ブルマを穿き、上は体操着を頭からかぶってその下で器用に衣服を脱ぐという芸当を披露していたものだが、ここ最近は主に防犯上の問題から女子は更衣室を使うようになった。
クラスの女子が集まり、きゃいきゃいとにぎやかに何事かを話しながら着替えをしている。そんな姿を車椅子の上から眺めながら、はやては至福の一時を過ごしていた。
スカートの下は直接ブルマを穿いているので確認はできないが、その代わりに上のほうは色とりどりの下着に包まれた肢体を惜しげもなく披露している。小学四年生と言えばまだまだ子供であるが、体は着実に大人の階段をのぼりはじめており、早い子ではもうすでに胸部の膨らみが顕著になっていた。
(前々から思っとったけど、やっぱりフェイトちゃんは流石やな。レヴィも負けておらんけど……ちゃんと下着でケアせんとあかんよ)
どちらかといえばレヴィは男の子っぽいので、おそらくはそっち方面には無頓着なのだろう。とはいえ、このあたりはディアーチェやシュテルがしっかりするだろうから、健全な育成に問題はないはずだ。
(ユーリは……あかんわ。まだまだぺったんこや)
おそらくはヴィータといい勝負だろう。ヴィータはもう成長する事はないが、ユーリはまだまだこれからのはずなので将来性に期待だ。
(王様は……私とそう変わらんようやな)
そうであってほしい。そう願うはやてであった。これでディアーチェだけが順調に成長していき、はやてだけが取り残されるような事があったら目も当てられない。
「……なにを邪悪な笑みを浮かべておるか」
上半身が下着のままのディアーチェが、軽く腕組みをして呆れたようにはやてを見ていた。
「大体うぬも体育を見学するのであろう? 早く着替えぬか」
「うう〜……しゃあないな……」
そう言って渋々ながら着替えはじめたはやての露わになった上半身を見たとき、勝ち誇ったような笑みを浮かべるディアーチェであった。
同じころ、教室で男子生徒達もワイワイと着替えていた。
「おい、あれ見ろよ」
「お、すげー」
体操着に着替えるため、上半身裸になったユーノの姿に、クラス中の男子生徒の視線が集中した。小学生らしからぬ鍛え抜かれた肉体に、誰もが驚嘆の視線を送っていたのだった。
「すげーな、ユーノ。なにかスポーツとかやってんのか?」
「いや、特には……。故郷のほうじゃフィールドワークが主だったから、そのせいかな?」
女の子っぽい容姿の割には意外と引き締まった体をしているので、これには男子生徒達も驚きだった。よくある勉強のできるもやしっ子であるならまだなんとかなるが、こうも鍛え抜かれた肉体を見せられるとどう対処していいかわからなくなってしまう。
おまけにクラスの女子の中でも選りすぐりの綺麗どころがユーノを気にかけているため、彼に下手な扱いをすればそれだけでクラス中の女子から総スカンを食ってしまうだろう。
仮にユーノをいじめようものなら即座に悪者になってしまうのは明白であるし、仲間に入れようにも彼の容姿は目立ちすぎる。知性を宿す瞳に甘いマスク、よく通る声とくれば、一緒にいるだけで妙な胸の高鳴りすら感じてしまうくらいだ。
そんなわけで、一見すると完璧超人のようなユーノにクラスの男子達は気後れしてしまい、少々浮いてしまうような感じになってしまうのだった。
「はい。今日の体育はドッジボールをします。怪我をしないよう、しっかり準備運動と柔軟体操をしましょう」
「はーいっ!」
「なのは、一緒に組もう」
「うん、フェイトちゃん」
「すずかはあたしと組も」
「うん、アリサちゃん」
「ユーリは我とだ」
「はい、ディアーチェ」
「レヴィは私とですよ」
「りょうか〜いっ!」
クラスでも仲のいい子が二人一組となり、それぞれに柔軟体操を開始する。そんな中でユーノは少々浮いてしまっていた。とりあえず、余っていた男子と一緒に柔軟体操をする事になる。
「ユーノって、結構体柔らかいんだな……」
「え? そうかな……」
「それに……髪もさらさらだ……」
「え……?」
「いや、なんでもない。なんでもないから気にしないでくれ……」
その男子生徒の荒い息遣いや緊張したような声が少々気にはなるが、背筋になにやら嫌な汗が流れはじめたので、それ以上は追及するまいとユーノは心に決めた。
「それでは、二つのチームに分かれてくださいね」
準備運動と柔軟体操が終わったところで、担任教師はチーム分けのくじ引きをする。先端に赤い印がついているのがAチームで、ついていないのがBチームだ。
「ふふふ、いい感じに分かれたわね」
「そのようだな」
AチームリーダーのアリサとBチームリーダーのディアーチェが不敵な笑みを浮かべあう。ちなみに、Aチームのメンバーはアリサ、すずか、シュテル、ユーリで、Bチームのメンバーはディアーチェ、フェイト、レヴィ、なのは、ユーノである。
「みんな〜がんばってな〜」
ただ一人、体育見学組のはやてだけが能天気な様子だ。
「はい、それでは試合開始〜」
担任教師のホイッスルと同時に放たれたすずかの剛速球が、唸りをあげてユーノに迫る。
「へ?」
まさか開始と同時に狙われると思っていなかったのか、迫りくるボールにユーノはただ間の抜けた声をあげていた。やがてボールが吸い込まれるようにユーノの顔面にヒットする。すずかが大きく目を見開いて口元に手を当てるのと、ユーノがもんどりうって倒れるのはほぼ同時だった。
「ユーノ!」
「ユーノくんっ!」
大空高く舞い上がったボールが乾いた音を立てて地面に落ちてくるのと同時に、クラス中の女子がユーノに駆け寄る。なによこの人数は。と、アリサは思わなくもないが、スタートが遅れたせいかアリサが駆け寄った時にはすぐ近くにいたなのはが介抱していた。
「ごめんなさい。ユーノくん、大丈夫?」
人垣をかき分けて駆け寄ったすずかが、ユーノの前でペタンと膝をつく。そして、額を真っ赤に腫らしたユーノの姿を見て、瞳に大粒の涙を浮かべた。
「大丈夫だよ……。僕は大丈夫だから、すずかも泣かないで……」
そう言ってユーノは、弱々しく伸ばした手ですずかの頭を撫でる。とはいえ、すずかの剛速球の直撃を受けたユーノは脳震盪を起こしてしまい、そのままリタイヤとなってしまった。
「それにしても、意外やったな……」
「なにが?」
「ほら、ユーノくんてスポーツ万能そうに見えるやん」
少し離れたところでみんながドッジボールをしている様子を見学しているはやてが、リタイヤしたユーノにちゃっかり膝枕をしてあげていた。役得役得と心の中で思いつつ、優しくユーノの頭を撫でながらちょっとした疑問を口にした。
「体鍛えてるし、運動神経だって悪ないようやし」
「それは買いかぶり過ぎだよ。確かに体を動かすのは嫌いじゃないけど、道具を使うスポーツとかは苦手なんだ」
「そうなんか〜」
膝の上に感じるユーノの頭の確かな重さに飛び上がりたいほどの喜びを感じていると、不意にはやての脳裏にある疑問が浮かんでくる。
「……まさかとは思うけど、それでユーノ君はデバイス使わへんなんてことあらへんよな?」
「いや、元々僕はデバイスとの相性が悪いみたいだからね」
実のところユーノの総魔力量はそれほど多くはなく、デバイスに回す分も惜しいくらいでしかない。どちらかといえばユーノは魔法使用時の魔力のロスを徹底的に抑え、出力やタイミングの精度を極限まで高めたうえで、瞬間的に圧縮した魔力で魔法を構築する技巧派スタイルなのだ。
この時にデバイスを保有しているとそちらにも魔力を供給する必要があるので、余計に魔力を消費してしまう事になる。それなら、最初から持たないほうが効率的ですらある。
結局のところ、保有する魔力量が多すぎても少なすぎても、デバイスの運用は難しいのだ。
「そういえば、はやてのほうのデバイスは順調?」
「う〜ん、マリーさんや技術部のスタッフは頑張ってくれとるんやけど……こないだもまた壊してもーて……」
魔力量が多いと高速運用も並列処理も出来なくなる。そのため、はやては魔法行使とデバイスの制御を同時に行う事が出来ず、どちらか一方に偏ってしまう結果、デバイスに過大な負担がかかって破損させてしまうのである。それが今のはやての目下最大の悩みごとであった。そうした複数の処理を行う上でも融合型デバイスが必要となるのだが、いかんせん古代ベルカの技術なので現在のミッドでは失われてしまった技術も多いのだ。
ユーノも無限書庫でその当時のデータを発掘してはいるものの、よほど深い位置にあるのか未だに手掛かりすらつかめていないのが現状だ。
幸いにして管制融合騎であるリインフォースがアインスとして復活を果たしているので、彼女を中心にした発掘チームが組まれているが、ユーノをはじめとしたマテリアル組が学校に通う事になったので、進捗具合はおもわしくなかったりするのだ。
どちらにしても、はやて自身がまだ魔法について勉強している最中なので、その進捗具合に応じて発掘出来ればとユーノは考えている。
やがて授業時間も終わり、試合はAチームにすずかが残り、Bチームにはフェイトとレヴィが残ったのでBチームの勝ちとなった。
まったくの余談だが、この時の一件によりユーノは見た目ほど完璧超人ではない事がわかり、そうした親しみやすさからクラスから浮く事がなくなったという。
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