第五十三話
(これからどうしよう……)
勢いで飛び出してきてしまった事を、アリシアは今更ながらに後悔していた。
本局と地球はかなりの距離があり、直通の転送機でも結構な時間がかかってしまう。それを知らないアリシアは到着の時間設定を少々間違えてしまい、朝の早い時間に本局を飛び出してきたのに、地球についたのは午後の昼下がりでそろそろ放課後の時間帯となっていた。
フェイトに会うなら丁度いい時間なのが不幸中の幸いと言えるものの、ここは右も左もわからない管理外世界であるのがアリシアの悩みだ。
鬱蒼と生い茂る木々を抜け、小さな通用門からなんとか外に出てはみたが、まったく知らない街並みにすっかり途方に暮れていたのだった。
一応、闇の欠片として再生された際にある程度の知識を持っており、その後に色々と説明を受ける事である程度の事情は把握してはいる。しかし、今の彼女の外見は五歳児相当でしかないため、こんな姿のまま表を出歩けば彼女の目立つ容姿と相まって人目を引いてしまう事は想像に難くない。
下手に迷子に間違われてしまうと少々説明に苦労してしまうし、現地警察のお世話になって親を呼び出すにしてもどうすればいいのか皆目見当がつかない。
さて、どうやってフェイトの元に行くか、アリシアが思案した時だった。
「にゃ〜」
アリシアの足元でリニス二世が鳴く。部屋から飛び出したアリシアを、真っ先に追いかけたのは二世だったりする。そんなわけで二世も一緒に、ここへ転送されてきてしまったのだ。
よく見ると二世の足元には、普段使っているリードがある。どうやら二世は、これを使って猫の散歩を装えばいいと言っているようだ。
用意周到というかなんというか、二世のこういうところにアリシアは呆れと感心が半々という感じで息を吐いた。実のところこの二世という猫は、元が野良とは思えないほど上品な猫だ。おまけに恐ろしく頭がよく、水を飲む時は自分で蛇口を開くし、トイレも普通に便所で済ませるくらいで、人間の言葉を理解しているんじゃないかと感じさせる一面もある。
「にゃ?」
「あ、はいはい。行きます行きます」
行かないの。と言わんばかりの二世に対し、アリシアは首輪にリードをつけて歩きだす。
猫に言われるままに行動するのは人間としてどうかとアリシアは思うが、ここは二世の出身世界でもあるので、ここでは二世の方が先輩であるという悲しい現実があった。
二世に導かれるままてくてくと歩いていくと、あたりの風景は人通りもまばらな住宅街から大勢の人がいきかう商店街に変わっていた。
「うわぁ、人がいっぱい」
当たり前といえば当たり前なのだが、よくよく考えてみるとアリシアはこうした風景の中に身を置いた記憶が無く、そういう意味では見るもの聞くもの感じるもののすべてが新鮮だった。物心ついたころからプレシアの仕事の都合で研究施設の一室に居たり、少し離れた寮の一室に居たりしたせいか、余計にそう感じるのかもしれない。
本来であるならば、これはオリジナルのアリシア自身が感じるはずの風景であった。しかし、今はその記憶をもとに再生された闇の欠片のアリシアが感じている。もしかしたら、フェイトも同じような事を感じているのかもしれないと思うと、不思議とアリシアの口元に笑顔が浮かぶ。
二世と一緒に商店街の雑踏を少し離れたところを歩いていると、やがて正面に同じ制服を着た女の子の集団ががやがやとにぎやかに歩いてきた。
「まったくもう……」
放課後のアリサは少々ご機嫌斜めであった。
普段は塾や習い事で忙しい彼女であるが、友達と過ごす時間を大切という両親の計らいのよって、週に何日かはオフの日がある。この日は完全オフの日で、今日はみんなで遊ぼうという話になっていたのであるが、妙に不機嫌な様子を周囲にばらまいているアリサなのだった。
「アリサちゃん機嫌悪いね」
「やっぱり、ユーノ君がいないせいかな」
「違うからっ!」
のほほんとした様子で正鵠を射る幼馴染二人に向かい、アリサは叫ぶ。
「ユーノの事なんて、あたしはちっともこれっぽっちも欠片も気にしてなんかいないんだからねっ!」
その態度がユーノの事をアリサが気にしている事をなによりも雄弁に物語っているのだが、余計な事を言ってアリサがさらに不機嫌になってしまうのも困るので、何も言わずにただ苦笑するだけのすずかとなのはであった。
「それにしても、ユーノ君達はどこに行ってしもたんやろな」
「なにやら随分と慌てていた様子であったな」
ディアーチェに車椅子を押してもらいながら、はやては小首を傾げる。
終礼が終わった途端に、示し合わせていたかのようにユーノとレヴィは慌ただしく教室を出ていった。それは声をかける間もないくらいに見事な行動であったとディアーチェは感心したものだ。
「なにか緊急事態でもあったのでしょうか?」
それなら、自分達にも相談してほしいとシュテルは思うが、ユーノの性格からするとそれも無理かなと思う。責任感が強いと言えば聞こえはいいが、実のところユーノは自分一人でなんでも抱え込んでしまうタイプの人間だ。事の発端となったジュエルシードの一件を見ても、そういう傾向が強い事がよくわかる。
「とはいえ、今日は翠屋で特製のシュークリームを食べる事になっていると知ったら、さぞかしレヴィの奴は悔しがるであろうな」
「ですね〜」
邪悪な笑みを浮かべるディアーチェを見つつ、ユーリも対照的な苦笑を浮かべる。翠屋の特製シュークリームは紫天組もみんな大好きな一品だ。おまけにあの特製シュークリームは、一度食べれば大抵の料理は再現可能なディアーチェの腕を持ってしても再現不可能とされた代物だ。
ふわふわでカリカリのシュー皮の食感もさることながら、あふれんばかりに中を満たすクリームのコクと甘さはもはや達人の領域だ。
確かにディアーチェの腕を持ってすれば、その深き味わいには及ばないまでも似たような味わいのシュークリームを作る事はできる。しかし、長年の経験からなる名人だけが持つコツとカンとテクニックを再現するのは、一朝一夕にできるほど甘くはないのだ。
とはいえ、口ではなんだかんだ言いながらも、優しい王様の事だから後でちゃんとレヴィにお土産を買っていってあげるんだろうなと、はやては思う。家族思いのディアーチェは、レヴィ達の笑顔がなによりも好きなのだ。
ちなみに、その想いはシュテルやユーリも一緒だったため、レヴィへのお土産の特製シュークリームが三つになってしまったのは、まったくの余談である。
(はぁ……)
そんなこんなでにぎやかに歩く友人達を眺めつつ、フェイトは一人物憂げなため息をついていた。
ユーノがレヴィと一緒に帰ってしまった。その事実が、フェイトの心に重くのしかかっていたのである。髪の色や瞳の色、性格という点では異なるが、レヴィはフェイトをベースに生み出されたマテリアルだ。外見的な容姿は非常によく似ているというのに、一体どうしてこんなにも違ってしまうのかが不思議だった。
(やっぱりレヴィくらい積極的なほうがユーノにアピール出来るのかな……)
もの静かで控えめといえば聞こえはいいが、悪く言えばフェイトは何事にも消極的なのである。それは幼児期を過ごした彼女の生活環境がそうさせているのかもしれなかった。
とはいえ、そうしたフェイトの控えめな態度はクラスの男子にも好評であり、女子の間でも浮かない要因となっていた。
そんな事を考えつつなのは達について商店街を歩いていると、フェイトは雑踏の中に見知った人物の姿を見つけた。
「アリ……シア……?」
それは闇の書が見せた夢の世界で、フェイトを『妹』と呼んだ少女の姿そのままだった。フェイトと目が合うと、その少女はくるりと踵を返して走り出して雑踏の中に消えてしまった。
「どうしたの? フェイトちゃん。今、アリシアって聞こえたけど……」
「あ、ごめんねなのは。ちょっと急用で」
「フェイトちゃん?」
なのはが止める間もなく、アリシアを追って駆けだしたフェイトは雑踏に消えてしまう。
「あ、ちょっとフェイトちゃん!」
なのはもその後を追いかけようとしたのだが、突然その手がグイと引っ張られる。振り向くと、アリサがとてもいい笑顔でなのはの手を掴んでいた。
「誰なの? アリシアって」
「フェイトちゃんが追いかけていった子がアリシアちゃん?」
その隣では、すずかが可愛らしく小首を傾げている。これは事情を説明するまで離してくれそうに無いとなのはは悟るのだった。
「まあ、あれよ。これは少々込み入った話になるのでな」
「後は翠屋でシュークリームを楽しみつつ、詳しいお話をしましょう」
(結局、王様達はシュークリームが食べたいだけなんやね……)
すでにこの世のものではないアリシアが現れたとなると結構な一大事のはずなのだが、ディアーチェとシュテルはまるで動じた様子が無い。その態度に釈然としないものを感じるものの、ここはとにかく詳しい事情を聞いておくしかない。かなり面白そうな話が聞けそうやな、と腹黒い笑みを浮かべるはやてを横目で眺めつつ、ユーノとレヴィの事情を察したユーリはただ苦笑するしかなかった。
アリシアは走った。とにかく走りに走りまくってその場から逃げ出した。
フェイトに会うのはアリシアがここに来た最大の目的ではあるが、いざフェイトを目の当たりにしてしまうと急に怖くなってしまったのだ。
コンパクトな体を利用して人込みの中を右に左に走り抜ける。そうして走り回っているうちにアリシアは海の見える公園に辿りついていた。
「はあ……」
アリシアはブランコに腰かけると、力なくため息をつく。
「にゃ」
足元で心配そうにアリシアを見つめていた二世がその膝に飛び乗ってくる。そして、まるで慰めるかのように頬を擦りつけてくるのだった。
「……本当はね、私もわかってたんだ」
二世を相手に、アリシアはぽつぽつと話しかけた。
「フェイトにとって私は……もう過去の存在なんだって事ぐらい……」
アリシアが存在していれば、フェイトは存在しなかった。フェイトが存在しているのは、アリシアが存在しなくなったから。そういう意味では、姉妹という関係でありながら、二人は決して交わる事が無い。
それはアリシアも重々承知の上であったが、静かにフェイトの幸せを見守っていこうとするプレシアやリニスと比べても彼女の精神は幼すぎた。
しかし、こうしてフェイトの今を目の当たりにすると、二人の気持ちがなんとなく理解できるのだった。
フェイトは今、ようやく本当の自分をはじめようとしている。そんなフェイトの前に過去の幻影が現れたりしたら、その決意が無駄になってしまうかもしれない。
会いたいけど、会ってはいけない。今後の歴史とフェイトの未来のためには、そうするより他に方法が無いのだ。
「楽しそうだったな、フェイト……」
普通に学校に通い、普通に友達と他愛のない話をして、普通に過ぎ去っていく一日。もしもアリシアが生きていたなら、普通に手に入るはずの本当に何事もない日常の風景がそこにあった。
確かに今のアリシアであれば、闇の欠片であるとはいえ普通に生活して普通に学校に通う事も出来る。だけど、どんなにアリシアが望んでも、フェイトのいるあの風景の中に入る事は出来ないのだ。
「これからどうしようか……」
「にゃ」
プレシアとケンカした勢いで飛び出してきたところまでは良かったが、その後の事までは考えていなかった。闇の欠片といっても構成された肉体を維持するためには食事や睡眠が欠かせないので、さっきからお腹が空いて仕方が無い。
帰ろうにも帰り方がわからないし、あたりはどんどん暗くなってくるしで、アリシアはすっかり途方に暮れていた。
「ユーノ! あそこだっ!」
そんなアリシアの不安を吹き飛ばすかのように、聞き覚えのある明るい元気な声が耳に届く。その声が聞こえた方に顔を向けると、公園の入口の方から一組の男女がパタパタと走ってきた。
「ユーノ! レヴィ!」
ようやく知り合いに会えた喜びに、アリシアは真っ直ぐユーノの胸に飛び込んでいく。
「まったく、心配したんだからね」
その小さな体をしっかりと抱きとめ、ユーノは優しく話しかける。ちなみにその隣では二世がレヴィの胸に飛び込んでいた。
「うん、ごめんね」
ユーノの温もりを確かめるように顔を埋め、アリシアは小さく謝罪の言葉を述べる。
「謝るのは僕にじゃないでしょ?」
「う……」
考えてみると、アリシアは一方的にプレシアにひどい事を言って飛び出してしまった。それを踏まえれば、アリシアがまず謝らなければいけないのはプレシアに対してである。
「僕が送ってあげるから、ちゃんとプレシアに謝るんだよ」
「うん、そうする……」
そうしてアリシアと二世は、ユーノの展開した転送魔法の光の中に消えていった。
「あれは……?」
アリシアの姿を追いかけて商店街を後にしたフェイトは、海の見える公園の入り口で光の中に消えていくアリシアの姿を見た。そのすぐそばにはユーノとレヴィの姿がある。もしかすると二人は、現れたアリシアの闇の欠片の夢を終わらせているところなのかもしれない。
「ユーノ! レヴィ!」
聞き覚えのある声に慌てて振り向くと、フェイトが制服の短いスカートを盛大にひるがえして駆け寄ってくるところだった。
「あ、オリジナル。おいーっす!」
事の重大さが分かっているのかどうかわからないレヴィの明るい声が響く。
「ねえっ! 二人とも。今ここにアリシアが……」
「ああ、うん……」
ここはなんとか上手くごまかさないといけない。ユーノの頭が自分でも信じられないくらいの速度で考えをまとめていく。
「闇の欠片が現れたって連絡を受けて、レヴィと一緒に探してたんだ。まさかアリシアとは僕も思ってなかったけど……」
自分で言っておきながら、かなり苦しい言い訳だなとユーノは思う。
「そうか……。会いたかったな……」
しかし、フェイトは信じているようだ。このフェイトの純真さを見ていると、だましている事にユーノの良心がとがめてくる。とはいえ、本当の事を言うわけにいかないのが辛いところだ。
そもそも、どうやって説明すればいいんだ。と、ユーノも逆切れしたくなるくらいにややこしい状況なのだ。今回は早い段階でなんとかできたが、次も上手くいくとは限らない。
そういう意味では、いつフェイトにばれてしまうかは時間の問題ともいえた。
いずれはそうなるにしても、その時にフェイトがどういう気持ちになるか。それを考えると、流石のユーノといえども頭を抱えてゴロゴロと転がりまわりたくなってしまうのだった。
それはともかくとして、今はフェイトのほうが問題だ。アリシアに会えずに落ち込んでいる様子のフェイトをなんとか元気づけないといけない。さて、どうするかとユーノが悩んだ時だ。
「もう、そんな顔するなよオリジナル!」
明るく元気なレヴィの声が響いた。どこからそんな自身がわいて出てくるのは不思議でしょうがないが、その妙に自信たっぷりな様子はなんだかものすごく頼りになるようだ。
「オリジナルだって言ってたじゃないか。オリジナルのお姉ちゃんは空の向こうに居るって」
「う……うん」
レヴィがなにを言いたいのか全く見当がつかず、フェイトは目を白黒とさせる。ここはもう、なにか考えているようでいて、実際はなにも考えていないレヴィのノリと勢いに任せるしかないと、ユーノは腹をくくった。
「今日はたまたまこっちに来ちゃったけど、いつだってオリジナルのお姉ちゃんは空の向こうからオリジナルの事を見守っているんだぞ」
レヴィは間違った事を言っていない筈なのに、ユーノはどこか間違っているように感じる。確かにアリシアがいるのは空の遥か彼方にある時空管理局の本局なのだから、あながち間違っているというわけでもないのだが。
「そうだよ、フェイト」
とにかく、ここはこの勢いのままで上手い事フェイトを説得しないといけない。そこでユーノは優しくフェイトに肩に手を置いた。
「ユ……ユーノ?」
「そんな顔しちゃいけないよ、フェイト」
ほとんど壁ドンに近い距離で見つめられ、自然とフェイトの頬に赤みがさす。
「フェイトがそんな顔してると、みんな心配するからね。だから、フェイトにはいつも笑顔でいて欲しいな」
「ふ……ふえぇぇぇ……」
ユーノに至近距離で見つめられたせいか、フェイトはもうアリシアの事がどうでもよくなっていた。この胸のドキドキを、早くなんとかしないとどうにかなってしまいそうだった。
「今日はもう遅いし、そろそろ帰ろうよ。送っていくからさ」
「うん」
優しくフェイトをエスコートするようにして歩きだしたユーノの後ろ姿を、流石だな、と思いつつレヴィもついていく。
そして、赤い夕日に照らされた三人の影が仲良く並んで伸びていく。赤い光に照らされたフェイトの横顔を見つつ、いつか本当の事を話してあげないといけないな、と思うユーノであった。
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