第四話 ゆくとし、くるとし

 

「うにゅぅぅぅぅ……」

「大丈夫か? 名雪」

 突如として発症した名雪のアレルギーは、原因とされたねこを遠ざける事によって快方に向かいつつあった。涙にくしゃみと咳はおさまりつつあり、熱も下がりはじめている。今夜一晩寝ればもう大丈夫だろうというのが医者の見立てだ。

 とはいえ、この年の瀬も押し詰まってきた時期にベッドで過ごしてしまったのは、名雪にとっては失態だった。なにしろ今年はおせちを作るお手伝いをするんだと張り切っていたのがおじゃんになってしまったし、その間のジュエルシード集めもお休みになってしまっている。

 これまでにも何回かジュエルシードの発動を感知しているのだが、それはすぐに収まってしまう。おそらくはあの日に出会った女の子が集めているのだとは思うが、どうして彼女がジュエルシードを集めているのかがわからなかった。

「ま、この様子なら明日の初詣には行けそうだな」

 額に置かれた祐一の手がひんやりと冷たく、その感触が妙に心地よい。いつもはいじわるばかりしている祐一がこんなに優しくしてくれるんだったら、病気になるのもいいかな、と名雪は思ってしまう。

「じゃあ、名雪。もうしばらく寝とけよ?」

「うん、ありがとうね祐一」

 部屋を出るときの祐一の顔が、少し赤くなっていたのは気のせいではなかった。

 一人になると、途端に名雪は先日の一件を思い出す。

 名雪が魔法使いになったのは、ほんの些細なきっかけだった。単に困っている人を助けたい。そういう想いが、彼女にこの道を選ばせた。初めは単なるジュエルシードの回収作業で、その際にジュエルシードの影響で変質した魔物との戦いになりもしたが、これまではとんとん拍子で回収に成功していた。

 ところが、ここにきてジュエルシードの回収を目論む別の魔法使いが登場した。彼女の目的がどこにあるのかはわからないが、その強大な戦闘力には名雪も圧倒された。

 綺麗な瞳の女の子。

 このまま名雪がジュエルシードを集めていくなら、彼女は必ずその前に立ちふさがってくるだろう。その時名雪はどうしたらいいのだろうか。

 出来る事なら、闘わずに話し合いで解決したい。でも、話し合いで解決出来ないのなら、実力行使以外の選択肢はなくなる。

 もしそうなったとき、名雪は闘う事が出来るのだろうか。

 怖いのも痛いのも、誰かを痛くするのも嫌。誰かを傷つけたりするのも嫌。一体どうしたらいいのか、いくら考えても答えの出ない問い。

 いつしか名雪の意識は、闇に飲み込まれていった。

 

「名雪の具合はどうでしたか? 祐一さん」

「熱も下がったみたいですし、今夜一晩寝れば大丈夫なんじゃないですか?」

 せっかくの大晦日に、熱を出して寝込んでしまうとは不憫な奴。と、思わなくもないが、年越しそばを食べる時間になったら起こしてやればいいか、と祐一は思った。水瀬家ではそばもつゆも自家製なので、夕飯を食べた後辺りから秋子がそばを打っている。手伝おうかとも思ったが、あっさりと断られてしまったので、祐一はやる事がない。

 退屈だった。

 特に年末年始はテレビもなんだかよくわからない特番ばかりなので、祐一的に見るものが少ないのも拍車をかけていた。

「まだ準備に時間がかかりますから、その間に祐一さんはお風呂に入ってくださいな」

「そうしますか」

 一度二階に上がって着替えを用意し、お風呂に向かうついでに名雪の部屋を確認する。扉をそっと開けてみると、安らかな寝息が聞こえてくるのでちょっと安心だ。

 それにしても、と祐一は先程の事を思い出す。あの大きなねこのところに現れ、ジュエルシードを奪っていった女の子。

 夕日に映える綺麗なウェーブヘアと名雪と同じコスチュームは、祐一の心に深く刻み込まれた。なにしろ、丈の短いスカートの裾からちらちらと覗くアンダーに、祐一の目はくぎ付けになっていたからだ。

 名雪がブルーであの女の子がレッド。変身後のアンダーは、魔力の色となにか関係があるのだろうか。これを研究して論文にして発表したら、それ系の人達に受けるんじゃないかと思ってしまう。

 そんな事を考えながら浴室に向かうと、僅かに違和感がある。

「……なんで、明かりがついてるんだ?」

 名雪は二階で寝ている。秋子はキッチンで年越しそばの支度をしている。後、この家にいるのは祐一だけ。

「まあ、いいか……」

 どうせ誰かの消し忘れだろう。そう思った祐一はいそいそと服を脱いでいく。もし仮に誰かが風呂に入っていたとしても、自分はまだ十歳だからぎりぎり混浴が出来る歳だ。そう自分に言い聞かせて、祐一は勢いよく扉を開けた。

「……え?」

「あう?」

 そこには、明るいキツネ色をした長い髪で、ムチムチプルンのボディラインのお姉さんがいた。しかし、祐一は彼女に見覚えがない。まさか泥棒か、と思ったその時だった。

「あうううううううぅぅぅううううぅぅぅ〜っ!」

 波のある特徴的なすさまじい叫び声とともに、桶、洗面器、軽石と、お風呂場にあるものが次から次へと祐一に投げつけられる。

「うお、まて……」

 そして、最後にどこから出したのか大きな金だらいが投げつけられて、一瞬祐一の視界が遮られたその隙に謎のお姉さんは浴室から飛び出していった。

(誰だったんだ? 今のは……)

 この家には家主である秋子とその娘である名雪しか住んでいないはずだし、あんな綺麗なお姉さんがいるなら真っ先に気がつくはずだ。それなのに、あのお姉さんを祐一は見た事がない。一体どういう事なのか、祐一が考えはじめた丁度その時。

「祐一さん」

「はい?」

 脱衣所に秋子が顔を出してきたので、この惨状を祐一がどう説明しようかと思ったが、秋子はそれをさえぎるような笑顔を浮かべた。

「ダメですよ? マコトを洗うときはしっかり押さえておかないと」

 よく見ると、秋子の腕の中にはずぶ濡れのマコトがいた。

「後片付けはしておきますから、祐一さんも早くお風呂に入ってくださいね」

「……はい」

 マコトは往生際が悪そうに祐一の腕の中でジタバタしていたが、浴室に入ると観念したのか、そっぽを向いたまま動かなくなってしまった。

(おい、マコト)

(……なによぅ)

 とりあえず祐一は、念話でコミュニケーションを試みてみる。

(なに、そんなに怒ってるんだ?)

(祐一が、あんな非常識とは思わなかったわよぅっ!)

(非常識って……ひとつ屋根の下で暮らしてる家族なんだから、あれぐらいあってもいいだろ?)

 実際、名雪や秋子とは一緒にお風呂に入る事がある。祐一としては、最近ちょっと恥ずかしい気もするのだが。

(とにかく、マコトがお風呂に入ってるときは入ってこないでっ!)

(そうか、さっきのお姉さんはマコトだったのか……)

(あ……あう……)

 墓穴掘った、と落ち込むマコトと、人間にもなれるのか、と思っている祐一は、実に対照的であった。

(まあ、いいか。折角こうして一緒に入ってるんだから、俺がお前を洗ってやろう)

(あう〜、いいわよ別に。気を遣わなくて)

(遠慮するなって)

(あう〜、なんだかその手つきがいやっ!)

(いくぞっ!)

(あう〜っ!)

 そして、祐一の手によって体の隅々まで洗われてしまうマコトであった。

 

 一夜明けた新年の日はいつもと変わらぬ穏やかな一日となりそうで、いつものように水瀬家一同は天野神社にて新年のお参りを終えた。

「さあ、おみくじですよ」

 賽銭箱にお金を入れて、自分の生年月日を心に念じながらおみくじを引く。

「大吉だよ〜」

「末吉……?」

 満面の笑顔の名雪と、微妙な表情の祐一は実に対照的であった。

 新年の恒例行事が終わると、今度は屋台めぐりが主流となる。森に囲まれた天野神社の狭い参道の両脇に、色とりどりの露店が所狭しと立ち並ぶ。タイ焼き、タコ焼きといった定番メニューに、お好み焼きに焼き牛串。焼きトウモロコシに焼きそば、甘栗、広島焼き。そうかと思えば綿あめ、唐揚げ、じゃがバター。輪投げ、射的に風船釣りに金魚すくい。

 ひょいひょいと人波をよけつつ、露店を冷やかしていた祐一ではあるが、それとは対照的に悪戦苦闘しているのが名雪だった。

「待ってよ〜」

「遅いぞ、名雪」

 この日名雪は新年という事もあって、あまり着慣れていない晴れ着に身を包んでいた。足元も草履であるので、とにかく歩きづらい。おまけにマコトを抱えているせいか、押し寄せる人波に今にも飲み込まれてしまいそうだ。

「しょうがないな、ほれ」

 名雪の小さな手をつかみ、祐一は自分のそばに抱きよせるようにして人波から救いだす。

「ありがとう、祐一」

「お……おう」

 下から見上げてくるような名雪の笑顔は、祐一的にツボだった。特に名雪が晴れ着でちょっぴりお化粧をしているせいか、その笑顔を直視できない。

(なにデレデレしてるのよ……)

 名雪の胸元に抱かれたマコトが、ジト目で祐一を見ているようだ。昨夜マコトと裸の付き合いをしたせいか、すっかり嫌われてしまったみたいである。

「ふふ、祐一さんも随分とたくましくなりましたね」

 そんな二人の様子を、秋子は微笑ましく見守っている。祐一としてはいつもと変わらない行動を取っているはずなのに、なぜだか妙に恥ずかしいような気持ちになってしまうのはどうしてだろうか。

 そんなとき、祐一達の脳裏をすさまじい衝撃が駆け抜ける。これはいつものジュエルシードが発動した事を知らせるサインだ。

「……どうかしましたか?」

「あ、いえ……なんでも……」

 突然真剣な表情のまま固まってしまった祐一達を見て、秋子が心配そうに声をかけてくる。

(ど……どうしよう、祐一)

 念話で名雪が話しかけてくるが、祐一もどうしていいのかがわからない。少なくとも秋子の前で魔法の話なんて出来るはずもないし、これだけ大勢の人が集まっている中でジュエルシードが暴走したら大変騒ぎになる。マコトが結界を張るにしても、人出の多いところでは無理だ。

「あう〜っ!」

「マコト?」

 大きく鳴いて、マコトは森の奥へと駆け出していく。

「ちょっと待って、マコトっ!」

 その意図を察してか、それともただの天然なのか定かではないが、名雪がそのあとを追って森の奥へ消える。

「すいません秋子さん。俺もちょっと行ってきます」

「はい、気をつけてくださいね」

 なんともほのぼのとした秋子に見送られ、祐一も名雪達のあとを追った。

 

「一体、なんであの子はジュエルシードを集めてるのかな……?」

「あう〜、知らないわよ。そんな事……」

「この近くのようだな……。よし、名雪変身だっ!」

「あ、うん。ブルーディスティニー、お願いね」

『よっしゃあっ! 任せときっ!』

 まばゆい光に包まれて、名雪はいつもの変身シーンを終える。今日のパンツはホワイトか、と祐一が鼻の下を伸ばすころには、いつもの防護服に身を包み、青い槍を携えた名雪の姿があった。

 そして、名雪達が現場に駆け付けた時には、すでにジュエルシードを封印した例の少女の姿があった。

「あう〜っ! あんたジュエルシードをどうするつもりなのよぅっ! それは子供のおもちゃじゃないんだからねっ!」

「……答える義務があるのかしら?」

 感情的になって騒ぐマコトとは対照的に、少女の返事はいたって冷静であった。

「そんなこと言ってる場合か、マコト。早く結界魔法をっ!」

「わかってるわよぅ」

 マコトは地面に念写を使って魔法陣を描くと、そこを中心にしてあたりに不思議空間が広がっていく。これで激しくバトルをしても、周囲に影響を及ぼす事はない。

「今よぅっ! 名雪」

「あ、うん……」

 てってって、と歩いて集団から抜け出した名雪が、ジュエルシードを手にした少女と相対する。

「はじめまして、水瀬名雪です」

 名雪が少女に向かってぺこりと一礼した途端、あたりに立ち込めていた緊迫した空気が、一気に音を立てて崩れさっていった。

「……美坂香里よ」

 そのほんわかとした空気に唖然としつつ、香里も自己紹介を終えた。

「さっそくで悪いけど、そのジュエルシードをこっちに渡してもらえないかな? なんだかよくわかんないけど、それはとても危険なものなんだって」

「悪いけど、それは出来ないわ。あたしはロストロギアのかけらである、ジュエルシードを集めないといけないのよ」

「なんとか、話し合いで解決できないかな?」

「残念だけど、あなたもジュエルシードを集めるのが目的なら、あたし達は敵同士って事になるわ」

「そう言う事を簡単に決めないために、話し合いをする必要があるんじゃないの?」

「話し合うだけじゃ……言葉だけじゃなにも解決しないわ……。なにも変わらないのよっ!」

 香里は赤いガントレット型のインテリジェンスデバイス、シュトゥルムテュランを構え、名雪を睨みつける。その決意を乗せたまなざしの強さに、一瞬だが名雪は圧倒された。

「マグネッサードライヴ」

『御意』

 その僅かな一瞬の隙をつき、一気に間合いを詰めてきた香里は名雪の背後に疾風のごとく姿を現す。

「エクスブレイカー」

『御意』

 左の赤いガントレットから飛び出た白銀の刃を、名雪は寸前のところで交わす。

『こりゃまずいわ、光翼展開』

 名雪の背中に大きな光の翼が広がり、香里の連撃を宙に舞い上がってかわす。

「だからってこんな事……」

「いい機会だから、お互いにジュエルシードを一つ賭けて闘いましょ。そのほうが、張り合いがあるってもんだわっ!」

 名雪を追って、香里も宙へ舞い上がる。その飛行速度は速く、一瞬で名雪を抜き去るとその目の前に姿を現す。

「インパルスマグナム」

『御意』

 右の赤いガントレットのまわりに描かれた魔法陣から、赤い光が伸びる。

『射撃形態、移行完了やで』

「フリーズバスター」

 ブルーディスティニーから伸びた青い光が、赤い光と激しくぶつかり合う。二人の力は拮抗しているのか、赤い光と青い光のエネルギーは中間点でくすぶったまま全く動く気配を見せない。

「ブルーディスティニー、お願いっ!」

『よっしゃあっ! 任せときっ!』

 ブルーディスティニーから更なる青い光の奔流があふれ出し、香里の放った赤い光のエネルギーを打ち砕くと、ついに光の渦は香里自身をも飲み込んだ。

 

「あう〜、名雪ってばすごい……」

 物陰に隠れてその様子を見守っていたマコトが、名雪の闘いぶりに唖然としていた。これまでに名雪が見せた魔法の数々を見ればそれほど驚くに値しないのかもしれないが、ろくに訓練を受けたわけでもない民間人の少女が空中で砲撃戦をしている事実には圧倒される。

 しかも、あれだけの魔力を放射している事から、名雪の持つ魔力は推定でAAAランクはありそうだ。

「……だが、甘いな」

「あう? どういう事よ?」

 祐一の冷静な口調に、マコトは首をかしげつつ訊き返した。

「確かにあいつの魔力はものすごいのかもしれんが、名雪の場合は駆け引きって言葉を知らないからな……」

「あう?」

「まあ、見てればわかるか……」

 

「……エクスブレイカー」

『御意』

 青いフリーズバスターの奔流にのみ込まれたその一瞬の隙に、上空高く舞い上がっていた香里が名雪めがけて急降下してきた。右のガントレットから伸びたエクスブレイカーの刃がきらりと光る。

「わっわっ」

 咄嗟の事なので、防御も回避も出来ない。おまけに大魔力を使った後なので、防御魔法の展開すら危うい。

 やられる、と名雪が目を閉じた瞬間。その刃は名雪の首筋に触れる寸前で止まっていた。

「主思いのいいデバイスね」

 気がつくと、ブルーディスティニーの青い宝玉部分よりジュエルシードが出されていた。この勝負は、名雪の完全なる敗北で終わった。

「出来る事なら、もうあたしの前に現れないで」

 ジュエルシードを手にした香里は、そのままくるりと背を向けた。

「今度も、寸前で止められるとは限らないから」

 そして、森の奥へ姿を消す香里の背中を、名雪はただ黙って見送る事しかできなかった。

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