第三話 再会と引っ越し

 

 勢いよく扉が閉まる音と板張りの廊下を走るような足音が響き、その直後に祐一は冷たい空気の中で目を覚ました。

「う〜……」

 昨日は到着直後に戦闘を強いられたせいか、身体はまだまだ睡眠を欲しているようだ。そこで祐一はその考えを実行に移すべく、ぼんやりとしながら布団にくるまった。

 しかし、壁の外の喧噪はおさまるどころか、さらにひどくなっていく。

「あっ、わたしまだパジャマだよっ……」

 慌てているのか、そうではないのか判断に苦しむ女の子の声が壁越しに響く。

「うー……本当に時間ないのに……」

 切羽詰まっているはずなのに、そう感じさせないのは彼女の口調がなせる業なのだろうか。その直後に部屋の扉が閉まる音が響き、部屋の中にさっきまでの静寂が戻ってくる。

 そこで祐一は、まだまだたっぷりある眠気を総動員して布団をすっぽりとかぶり、身体を丸めてその中に収まる。少しずつ目覚めようとする意識を強引に眠気の中に押し込めようとするが、まったく別の感覚が祐一に襲いかかった。

「……寒い」

 思わず口に出してしまうくらい、尋常じゃなく寒い。とにかく祐一はさらに体を丸めて体温を逃さないようにするが、部屋に満たされた空気は冷たくて、眠気と体温を同時に奪っていく。

 不気味なくらいに静まり返った部屋。祐一は布団から顔を出して、滲む視界をこすりながら部屋を見渡した。

「……どこだっけ?」

 とても自分の部屋とは思えないほど、綺麗に片づけられた部屋。と、いうよりも机の上にも本棚にも、部屋の中にもなにも荷物がない。

「ああ……そうか」

 そこでやっと祐一は思い出した。

 冷たい床に足を下ろし、そろりそろりと歩きながら祐一はカーテンを勢いよくあけた。四角い窓の向こうには、穏やかな朝の光と銀色の世界が広がっている。

「……寒いわけだよな」

 一面の雪景色に、祐一の吐いた息もすぐに白いもやとなって消えていく。

「俺は、帰ってきたんだから……」

 7年前まで住んでいた街。7年ぶりに再会したいとこの少女。祐一の記憶の片隅でくすぶっている思い出と、現実の少女の姿。それに違和感があるほど、祐一の記憶は鮮明ではない。

 それでも、同い年のいとこの姿に、多少の戸惑いを覚えたのは事実だった。

「とりあえずは、引越しの荷物の片付けかな……」

 祐一は持ってきていたカバンの中から、今日着る服を取りだした。引越しの荷物を送ったのは昨日だから、今日の午前中には届くだろう。手早く着替えて部屋から出ると、ほとんど同時に隣の部屋の扉も開いた。

「おかあさーん。わたしの制服ないよ……」

 どうしよう、と名雪は呟いていたが、祐一に気がつくとにっこりと微笑みかけてきた。

「あ……おはよう、祐一」

 まるで今までもそうだった言うように、名雪は朝のあいさつをする。あまりにも普通のリアクションだったせいか、思わず祐一は言葉に詰まってしまう。

「ダメだよ、祐一。朝はちゃんとおはようございます、だよ」

「ああ……おはよう」

「うん。おはようございます」

 こうして話していると、7年ぶりに再会したいとこの少女は、間違いなく7年前の少女そのままだった。たとえ、祐一の記憶の中の姿とは違っていても。

 しかし、よくよく考えてみると、これが再会した名雪とかわした初めての会話らしい会話ではないだろうか。昨日はついて早々に謎の敵の襲撃にあい、気絶した名雪を水瀬家に運び込んだ。

 破損したデバイスはエターナル経由で本局に送り、修復と再調整が行われる事となり、その手続きにも結構時間がかかってしまった。おまけに秋子さんにも詳しい事情説明をしていない。そう考えると、今日は引っ越しの荷物を片づけるだけじゃなく、結構やる事がいっぱいありそうな予感がしてきた。

 それはともかくとして、昨日リンカーコアから魔力を奪われたばかりだというのに、もうこうして走りまわっている名雪の姿には驚かされる。祐一の見た感じでは、もうほとんど魔力が回復しているようだった。

「どうしたの……?」

「いや……」

 祐一は無意識のうちに名雪を見つめていたようだ。

「あっ……そう言えば、時間と制服がないんだよ」

「それを俺に言われても困る」

「祐一、わたしの制服知らない?」

「俺が知ってるわけないだろう?」

 再会した時は顔も声も知らない少女だったが、こうして何気ないやりとりを繰り返してしているうちに、祐一はこの少女が昔一緒に遊んだいとこの少女なのだという事を実感した。

「よくはわからんが、昨日も着てたんだったら、秋子さんが洗濯してるんじゃないのか?」

「あ……」

 なにか思いついた事があるのか、名雪はすごい勢いで階段を下りていく。やがて手にえんじ色の制服を持って戻ってきた。

「う〜。ちょっと湿ってる」

「着ていれば乾くだろ?」

「そうだけど……」

 名雪は少し思案していたようだが、決心したのか自分の部屋に入っていく。

「やっぱり冷たいよ〜肌に張り付く……」

 部屋の中からは、情けない声があがる。

「それにしても学校って……まだ冬休みなんじゃないのか?」

「そうだけど、わたしは部活があるから。わたし、部長さんだし」

「部長さん……?」

「うん、陸上部」

 どうにものんびりとしたイメージのある名雪には、似合わない部活だと祐一は思う。冬休み中も部活があるとは、なんともご苦労さんな事だ。

「おまたせ〜」

 扉を開けながら、制服姿の名雪が出てくる。その格好は、変身後のバリアジャケットそのままだった。

「確か時間がないような事を言っていたが、急がなくていいのか?」

「うん。全然よくないよ」

 言葉とは裏腹に、名雪の口調はのんびりとしたものだ。たんたんと階段を下りていく名雪について、祐一も階段を下りてく。

「今からでも間に合うのか?」

「100メートルを7秒で走れば間に合うよ」

 それは間に合わないというのではないだろうか。どうやらかなりやばい状況のようだ。

「そう言えば、名雪。部活はいつごろ終わるんだ?」

「今日は冬休み最後の部活の日だから、お昼過ぎくらいには帰ってこられると思うよ」

「じゃあ、帰ってきてからでいいから、部屋の荷物の片付けを手伝ってくれないか?」

「うん、いいよ」

「悪いな。その代わり、空になった段ボールは名雪にやるから」

「いらないよ」

「秘密基地とか作れるぞ」

「作らないよ」

「今ならガムテープも付いてくる」

「間に合ってるよ」

「とにかく、頼んだぞ」

「うん、わかったよ」

 ドアを開けると、その先には足跡さえついていないまっさらな雪が広がっている。吹き込んでくる風の冷たさが、部屋の中とは段違いだった。

「いってきまーす」

「気をつけろよ〜」

 名雪の後ろ姿を見送ると、リビングの扉が開いて秋子さんが顔をのぞかせていた。

「あら、おはようございます、祐一さん」

「おはようございます」

「祐一さん、いつの間に起きていたんですか?」

「今起きたところです」

「朝ご飯食べますよね?」

「いただきます」

 こういうマイペースなところは、流石に名雪の母親だよな、と思いつつ、祐一は秋子についてキッチンに向かった。

 

 秋子が用意してくれた少し遅めの朝ごはんを食べ終わると、昨日の事情説明をする事となった。名雪の怪我は軽い打ち身程度で大した事はなかったのだが、魔導師の魔力の源であるリンカーコアから魔力が奪われ、異常なほど小さくなってしまっていた。

 闇の書はその特徴として、魔力や魔法を知るためにリンカーコアを喰う。それは蒐集対象の魔導師だけではなく、マスターとして認定された魔導師にも及ぶのだ。それが、呪われた闇の書と呼ばれる所以である。

 この事からもあの謎の襲撃者達は、一連の事件の関係者である事が確実となった。

「……そうですか、闇の書が」

「なんで再び稼働を開始したのか、管理局の方でもわからないそうですけどね」

「でも、あの事件はもう8年前に終結したんじゃないんですか?」

「そのはずなんですよね」

 こればかりは祐一も首をひねるばかりだ。事件の詳細については、ここへ来る前に無限書庫の司書長ユーノ・スクライアに依頼してレポートをまとめてもらった。それを見る限りでは8年前の海鳴市において、ほぼ完全に闇の書が駆逐されている事がわかる。

 ところが、相手は無限再生能力を持つ闇の書である。ガン細胞と同じように駆逐しきれなかった部分が存在し、8年の歳月を経て再生したのではないかという意見が大勢を占めた。

 管理局側としてもこの事態の対応に迫られたが、もともと慢性的な人手不足に悩んでいるうえに、管理外世界では本格的な調査をするための局員を送り込む事も出来ない。そのため、管理局としてはこうした問題に関しては、外部協力者である嘱託魔導師に委託せざるを得ない。

 当面この事件に対応して派遣される次元航行艦がエターナルであったが、現在のところ報告と破損したデバイスの調整のために本局のほうへ帰還している。本局と地球は距離が遠すぎて、途中にいくつかの中継ポイントを設けなければ転送も出来ない。敵は前回と同じく個人転送でいける範囲に出没しているので、本局では対応が難しい状況にあるのだ。

「それで、やはり敵は……?」

「ベルカ式の魔導師でしたね。まあ、古代ベルカを継ぐものか、近代ベルカの使い手かまではわかりませんでしたけど」

 長い黒髪の剣士、長い柄のハンマーを持った少女。それに、名雪からリンカーコアの魔力を奪った奴。わかっているだけでも3人だ。いずれも遠距離攻撃などの放出系魔法を度外視して、近距離の対人戦闘を主眼に置いた身体強化系の魔法を駆使していた。武器型のアームドデバイスにカートリッジシステムを搭載しているところからも、まず間違いないだろう。

「それで、祐一さんはこれからどうするつもりなんですか?」

「とりあえずは、調査ですね。後は本局で調整してもらってる、名雪達のデバイスを受け取ってから協力を要請して……」

 意外と前途は多難であった。

「でしたら、祐一さん。調査の間は学校に通ってはいかがですか?」

「学校ですか?」

 まともに学校に通うのは、かなり久しぶりであるように感じる祐一。なにしろ、10歳くらいから管理局で訓練を続けていたせいか、基礎的な教育は受けてはいたものの、学校に通った事はないからだ。

「姉さんからも頼まれているんですよ。それに、転校の手続きはもうすんでますから」

「母さん……」

「そんなわけで、祐一さんには明日から名雪と同じ学校に通ってもらいます」

「秋子さん……?」

「明日から、祐一さんも大変ですね」

 持ち前のマイペースさをいかんなく発揮して秋子が話を打ち切ったところでチャイムが鳴り、宅配業者が次から次へと祐一の荷物が入った段ボール箱を玄関に積み上げていく。あっという間に玄関は、段ボール箱でいっぱいになってしまった。

 

 名雪が帰宅してから少し遅めの昼食を一緒にとって、祐一は部屋の片づけをはじめる事にした。これで殺風景な部屋とはおさらばだ、と祐一は喜んでいたが、反対に名雪は不安そうに眉をひそめていた。

「たくさん……だね……」

「たくさん送ったからな」

 玄関に近い廊下には、二桁近い数の段ボール箱が並んでいた。

「……いっぱいあるなぁ」

「祐一が送ったんだよ」

 とても不満そうに応じる名雪であった。

「とりあえず、運んでしまうか。喜べ名雪、約束通り空になった段ボール箱はお前にやるからな」

「いらないよ〜」

 祐一は手近な段ボールを一つ持って階段に向かったとき、後ろの方で弱々しく名雪が呼び止める声がした。

「どうした?」

「……持ち上がらない」

 名雪は床に座り込むようにして、段ボールを持ち上げようと努力しているようだが、全く動く気配を見せない。

「気合いだ」

「無責任だよ〜」

「変身だ」

「今は無理だよ〜」

 確かに、変身しようにもデバイスは本局で調整中だし、まだ回復中のリンカーコアでは満足に魔法も使えないはずだ。

「うー」

 名雪は上目づかい視線で、じーっと祐一を見つめる。

「他の箱はどうだ?」

「全部試した」

 手に届く範囲の箱は全部試してみたし、高いほうの箱には手が届かない。まさに八方ふさがりであった。名雪は貴重な戦力ではあったが、やはり女の子に力仕事をさせるというところに無理があったのだろう。

「じゃあ、しかたない。2階に運ぶのは俺がやるから、名雪は箱から出して荷物を整理してくれ」

「ごめんね、祐一」

 名雪はそう呟きつつ、しょんぼりと俯く。

「でも、もうちょっと頑張ってみるね」

「大丈夫か?」

「多分……」

 そう言ってから、名雪はゆっくりと段ボールに力を込める。

「……あ」

「どうした?」

「底が抜けちゃって……」

 ばらばらとあたりには段ボールの中身が散乱した。しかもその中身が、よくある保健体育の参考書なのだから始末に悪い。

「あ、これなら持てるよ」

 その場にあった何枚かのCDを持って、名雪は足早に2階に向かう。後片付けのために残った祐一は、なんとも言えない情けない気持ちで散らばった中身をかき集めるのだった。

 

「こ、これで全部……」

 どさりとフローリングの床に段ボールを置き、祐一は一息つく。これで廊下にあった荷物はすべて部屋に運んだはずだ。

「お疲れ様でした」

 部屋では髪をポニーに結んだ名雪が、段ボールを開けて荷物を片づけている最中だった。

「……明日、筋肉痛だな」

「大丈夫だよ」

 そう言いながら名雪は祐一のそばに身を寄せる。名雪の手に生まれたヒーリングの光が、疲れた祐一の体を優しく癒してくれた。

「後は箱から荷物を出して、片づけるだけなんだが……その前にちょっと休憩かな」

「うん」

 壁にもたれるようにして床の上に座り込んでいる祐一と、その隣で同じように座り込んで治癒魔法をかけている名雪。不意にお互いの視線があった。

「なんだか、不思議だよね」

「なにが?」

「祐一が、今わたしの目の前にいる事が、だよ」

「そうか?」

「そうだよ」

「……まあ、今回の事は急に決まったからな」

「それもあるけど、でもちょっと違うよ」

 笑っているのか、泣いているのか、そんな複雑な表情を浮かべながら、名雪は話を続ける。

「だって、一度も連絡がなかったから。祐一がこの街に来なくなってから……」

 確かに祐一は、7年前から一度も名雪と連絡を取る事がなかった。管理外世界とミッドチルダでは住む世界が違うという事情もあるが、こうして祐一の荷物が届いている以上、連絡を取ろうと思えばできたはずだった。

 しかし、祐一がそれをしなかったのは、特に理由がなかったからというのが最大の理由だろう。手紙を書くにしても、電話をするにしても、それなりの理由が必要だったのだ。

 そして、気がつくと7年という歳月が過ぎ去っていた。ただ、それだけの事。

「わたしは、ちゃんとお手紙書いたよ?」

「そう言えば、名雪から手紙が来たような気がしたな」

「よかった……届いてたんだ」

 名雪は息を吐くように呟いて、表情をほころばせた。

「なんにも返事がなかったから、届かなかったのかなって思ってたよ」

「いや、ちゃんと全部読んでたぞ」

「嬉しいよ」

 理由がなかったから、祐一は一度も連絡を取らなかった。しかし、もらった手紙に返事を書くというのは、理由にならないのだろうか。

「じゃあ、そろそろ続きをやるか」

 名雪のおかげですっかり疲れのとれた腕を振りながら、祐一は勢いよく立ちあがる。

「うん、今度はちゃんと役に立つからね」

 そんな名雪の笑顔と言葉が、なんとも頼もしく思える祐一であった。

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