第五話 転校生

 

「あさ〜、あさだよ〜」

「うぉっ!」

 突然耳元で響いた声に、祐一は布団ごと跳ね起きた。

「朝ご飯食べて、学校行くよ〜」

「名雪?」

 祐一は慌てて部屋をきょろきょろ見回すが、誰の姿もない。

「あさ〜、あさだよ〜」

 よく耳を澄ませてみると、枕元からなんともやる気のない間延びした声が聞こえてくる。なんとなくだが、目覚ましに使うというよりも余計に眠くなってしまうような感じの声だ。

「朝ご飯食べて、学校行くよ〜」

「……こいつか」

 昨夜名雪から借りた目覚まし時計から、名雪の声が聞こえてくる。祐一は無言で時計の頭についたスイッチをオフにした。

 静かになった目覚まし時計をじっくり観察してみると、裏に録音と書かれたスイッチがあった。どうやら自分の声や好きな音楽を録音して、それを目覚ましに使えるタイプのようだ。

 とはいえ、慣れないベッドにしては上々の目覚めである。まわりが凍えるくらい寒い環境である事を除けば、の話ではあるが。

 祐一は手早く身支度を整えた。新しい制服に新しい鞄。そして、これからは新しい学校での生活が待っている。

「名雪はもう起きてるかな?」

 明日から大変ですね、と微笑む秋子の笑顔が妙に気にかかる。とりあえず廊下に出てみるものの名雪の部屋の扉は閉ざされたままで、その中の様子までは伺う事が出来ない。

 そのとき、突然目覚まし時計のベルの音が鳴り響いた。

「なんだ?」

 よく聞いていると一つだけではなく、多種多様な音が混じっているようでなにがなんだかわからない。

「名雪の部屋からか? あいつ一体何個目覚まし時計を使ってるんだ?」

 そのうち目を覚ますだろうと思っていた祐一であるが、予想に反して全く鳴りやむ様子がない。そればかりかこの大音量にかき消され、自分の声すらもよく聞き取れなくなっている。

 流石にこの状態で放っておくわけにもいかないとは思うが、いくらいとこ同士であるとはいっても、女の子の部屋に無断で入るわけにもいかない。しばらく様子を見てみるかと、祐一が思ったその時だった。

 突如として玄関のチャイムが鳴った。

「あら、いらっしゃい香里ちゃん」

「おはようございます、秋子さん。朝からすいません」

 階下から聞き覚えのある声が響き、たんたんとリズミカルな音を立てて一人の少女が二階に上がってきた。

「あら、おはよう相沢くん」

 まるで普段からこうであったかのような笑顔で、香里が挨拶してきた。

「あ? ああ、おはよう香里」

 考えてみると、これが香里とかわした初めての会話らしい会話ではなないだろうか。香里と一緒に謎の敵と戦ったのは、まだおとといの話だ。

「名雪はまだ寝てるのよね?」

「多分そのはずだ」

 実はすでに起きていて、目覚ましのスイッチを入れっぱなしにしているだけというオチがなければ、の話ではある。

「名雪〜はいるわよ」

 同性の気安さからか、香里は軽くノックをして名雪の部屋に入っていく。そこで祐一は僅かに空いた部屋の隙間から中を覗いてみた。作りは祐一の部屋と大して変わらないが、部屋の調度や壁紙は実に女の子らしかった。

 枕元に置かれた机の上には、騒音の発生源と思しき複数の目覚まし時計が置いてある。そして、ベッドの上では何事もなかったかのように、名雪が安らかな寝息を立てていた。

「……どうしてこの状況で寝てられるかね」

「そんなところでぼうっと突っ立ってないで手伝ってよ」

 確かに、これだけの数の目覚まし時計を止めるのは至難の業だろう。悪いと思いつつ祐一は名雪の部屋に足を踏み入れ、目覚まし時計のスイッチをひとつひとつ切っていく。

「これだけの目覚ましがあって起きられないっていうのもなんだかなぁ……」

「目覚まし? 違うわよ」

 そう言って香里は、目覚まし時計の裏蓋を開けて中身を取り出す。

「魔力カートリッジじゃないか」

「秋子さんが作ったのよ。名雪が寝ている間に放出する余剰魔力を利用して、カートリッジに魔力をチャージするんだって」

 つまり、これは目覚まし時計ではなく、カートリッジにチャージする魔力が一杯になった事を知らせるメーターとベルだったという事だ。

「名雪の魔力って凍結の変換資質があるでしょ? だからその魔力を利用したカートリッジには、デバイスの冷却も行ってくれる副次効果もあったのよ。そんなわけで本局の方じゃ、結構重宝してるらしいわよ」

 カートリッジにチャージする魔力は本人のものが一番なのだが、単純に魔力をチャージするだけなら誰のものでも構わない。名雪は普段あまり魔力を使うタイプではなく、寝ている間にも相応の魔力を放出してしまうので、それを利用して魔力をカートリッジにチャージするシステムを秋子が作り上げたのだった。

「まさか、これだけの数がいっぱいになっちゃうなんてね……」

 もう少し数を増やさないとダメね、と呟く香里の姿を、祐一はただ呆然と見守っていた。ちなみに名雪はカートリッジに魔力をチャージする関係上、ぎりぎりの時間まで眠っていてもらう必要がある。そのため、普段寝るときには耳栓が欠かせないのだそうだ。

 それを聞いた祐一は、本末転倒とはまさにこの事と、呆れるしかなかったという。

 

 学校は、思っていたよりも大きな建物だった。

「……疲れた」

 水瀬家から学校までは普通に歩いて20分で、走ると15分という場所にある。朝食を食べ終えて家を出たのが8時15分だったので、当然の事ながら学校までの道のりは走っていく事となった。

「ここが、わたしの通う学校だよ」

 学校に背中を見せるようにして、名雪はガイドのように片手を上げて紹介した。あれだけの距離を走ったにもかかわらず、息一つ切らせていないとは流石である。このあたりは陸上部の部長さんの面目躍如と言ったところだろう。

 毎日がこの様子であるなら、少なくともフィジカル面でのトレーニングにはうってつけなのかもしれない。その証拠に一緒に走ってきた香里の方も、息を切らせた様子がなかった。

「ところで、さっきから気になってたんだけど……」

 不意に香里の視線が祐一に向く。

「どうして、相沢くんがここにいるのかしら?」

「言ってなかったか? 今日から俺もこの学校に通うんだ」

「そっか……そうなんだ……」

 納得したように、香里はうんうんとうなずいている。

「わたしと香里は同じクラスなんだよ。祐一も同じクラスになれるといいね」

「転入するクラスってまだわからないの?」

「俺は聞いてない。今日わかるんじゃないのか?」

「……一緒のクラスになれるといいね」

 名雪がもう一度同じ言葉を繰り返した。

「ああ、そうだな……」

「うんっ」

 嬉しそうにうなずく名雪。そして、同時にチャイムの音が冬の校舎に鳴り響く。

「……あ、予鈴だよ」

「走ったほうがいいわね。石橋とどっちが早いか勝負」

 担任と繰り広げる8時半の攻防戦は、どこの世界でも変わらないようだ。

「祐一はどうするの?」

「俺はとりあえず職員室に行ってみるつもりだ」

 先に走りだした香里を追いかけて、名雪も昇降口に姿を消す。祐一も急がなければいけないが、そこである事実に気がついた。

「……職員室って、どこだ?」

 すでにまわりに生徒の姿はなく、祐一はただ一人校門のところに取り残されていた。

 

 職員室にたどり着いた祐一は、恰幅のいい先生に案内されて2階の教室に連れて行かれた。

「あー、全員席につけー」

 教室の扉を開けて一声すると、生徒達がバタバタと自分の席に戻っていく。

「今日は転校生を紹介する」

 その言葉に、教室内がざわめく。

「ちなみに、男だ」

 その途端に教室内の喧噪が静まる。

「相沢祐一くんだ」

 名前を呼ばれたので、祐一は教室の中に入っていく。すると、クラス中の注目が集まっているのがわかった。転校なんてするもんじゃないな、と祐一は思う。なにしろ、まわりはみんな知らない人だらけだ。

「……祐一〜」

 と思ったら、窓際の後ろにある席に見知った顔を見つける。嬉しそうに手を振っているいとこの少女と、冗談半分で手を振っているその親友だ。

「あー、じゃあ自己紹介して」

「相沢祐一です。よろしくお願いします」

「それじゃあ、そこの空いている席に座って」

 言われた席は、窓際の後ろの方にある席だった。

「祐一、同じクラスだよ」

「びっくりね」

 その席は名雪の隣で、香里の斜め前という立地条件だった。かくして、祐一の新しい環境での学校生活がはじまりを告げた。

 

「……ここはどこだ?」

 この日は始業式で終わりなのか、HRが終わると教室は途端に喧噪に包まれた。そんな中、部活に行くという名雪と香里と別れてひとりで昇降口を目指していた祐一は、広い校舎の中で迷子になっていた。

 一応出口らしい場所があったので上履きのまま外に出てみると、まったく知らない銀世界が広がっていた。見上げてみると校舎の窓が見えるので、おそらくは裏庭か中庭なのだろう。今は雪に埋もれてしまっているが、あちこちに座れそうな場所がある。

 時期が時期なら多くの生徒でにぎわうのかもしれないが、今はただ足跡すら見えない雪に覆われて閑散としているばかりだった。

「相沢くん」

「振り返ると、美坂香里が立っていた」

「なに状況説明してるのよ?」

 廊下に戻ったところで、祐一は香里に声をかけられた。部活に行くので先に教室を出た香里だが、祐一が校内をうろうろしている間にはち合わせしてしまったのだろう。

「どう? そろそろ新しい学校にも慣れた?」

「初日でいきなり慣れるわけないだろ」

「あはは、それもそうね」

「転校初日でいきなり馴染んでたら、それはそれで嫌だぞ」

「でも、よかったじゃない。クラスに知ってる人がいて」

「そうだな……。その辺は名雪と香里に感謝だな」

 そのおかげでこうして初日から声をかけてもらえるんだから、ありがたい事この上ない。

「そう言えば、相沢くんに聞きたい事があったのよ」

「俺に答えられる事ならな」

 実のところ、名雪との関係を聞かれても、ただのいとこ同士以上の関係はない。たとえまわりからどう見られていようとも。

「あの時名雪に襲いかかっていた敵。あいつらは一体なんなのよ?」

 いきなり核心を突く話題に祐一は面食らったが、香里には事情を説明しておくべきだと思った。事態の解決のために協力を要請する必要もあるし、なにより彼女のデバイスは本局で修理と調整を行っているからだ。

「あれは多分、闇の書の守護騎士プログラムかその関係者だな」

「闇の書?」

「事件それ自体は8年前の海鳴市で解決はしている。今回の事件はそれと類似した事件か、あの時に消滅させそこなった闇の書の欠片の再起動によるものと推測されている」

 学校の廊下で昇降口に向かう途中で女の子とする会話ではないが、まわりには誰もいなかったので祐一はそのまま話を続けた。

「あれからまた被害があってな。内訳はここから少し遠い次元世界で魔導師が17人、大型の野生動物が4体といったところだ」

「野生動物?」

「体内にリンカーコアがあって、魔力を使えるなら人間でなくてもかまわないようだ」

「……なりふり構ってられないってわけね」

 呆れたように香里が呟いた。

「ところで、闇の書っていったいなんなの?」

「基本は魔力蓄積型のロストロギアだ。リンカーコアから魔力を蒐集すると同時に、その魔導師の持つ魔法をページに記載して増やしていく。そして、全部で666ページが埋まるとその魔力を媒介にして真の能力が起動するんだ」

 一説には、その能力は次元干渉レベルの大規模なものとなるといわれている。

「本体が破壊されるか所有者が死ぬかすると、ページは白紙に戻って別の世界で再生する。そうやってあらゆる世界を放浪し、自ら生み出した守護騎士プログラムと一緒に魔力を喰らって永遠に存在し続ける。そうして出来上がったのが、破壊する事の出来ない呪われた闇の書というわけさ」

「だとすると、あたし達に出来るのは闇の書が完成する前に捕獲する事なのかしら?」

「それをするには行動している連中を捕獲して、その後ろにいる主を引きずり出さないといけない。それはかなり面倒な事だ」

 実際に戦闘してみてわかった事は、少なくともAAAランク以上の実力者を相手にするという事だ。管理局の武装局員を返り討ちにするだけあって、一筋縄ではいかない連中である。

「だから香里、名雪にも後で言っておくが、こっちから要請するまで軽はずみな行動は慎んでくれよ。なにしろお前達のデバイスはまだ修理中なんだからな。なにか事が起きたら避難する事を心がけてくれ」

「あたし達のデバイスは、いつになったら直るのかしら?」

「早ければ2〜3日中には修理が完了するだろうな」

「そういえば、あたし達のデバイスにカートリッジシステムはつけられないのかしら?」

「それなら技術部が装着しようとしているところだ。ただ、システムの調整が面倒みたいだから、少し時間がかかるらしい」

「楽しみだわ」

 並んで歩いているうちに、香里が不敵な微笑みを浮かべる。その笑顔は頼もしくもあり、恐ろしくもあるものだった。

 

「それにしても、この事件ってどうやって解決したのかしら?」

「闇の書は元々夜天の魔導書といってな、本来は魔力を蒐集して後世に残すために開発された、記録用のストレージデバイスだったんだ。ところが、歴代の主を経るうちに破壊の力をふるう呪われた魔導書に変貌してしまったのさ」

 その改変の結果、主と共に旅をする機能は転送魔法に、蒐集した魔力の復元機能が無限再生機能へと変化してしまった。これらの機能により、闇の書の完全破壊は不可能とされている。

 また、真の持ち主以外の干渉を受け付けないため、無理に外部から干渉しようとすると闇の書は持ち主を飲み込んで転生してしまう。その結果、プログラムを改変する事も停止させる事も出来なくなるので、完成前に封印する事も不可能となる念のいりようだ。

 そうなると、かつてグレアムが画策していたように、主となる八神はやてごと闇の書を凍結し、封印してしまうというのが最も手っ取り早い解決方法となる。倫理的な問題を度外視すれば、確実に闇の書の活動を封じ込める事が可能だ。

「闇の書は基本的にユニゾンデバイスとして機能し、主と管理人格プログラムとの融合によって蓄積された魔力の行使が可能となる。ただ、転生時に主を選ぶのは資質のあるものから無作為になるため、中には融合事故を引き起こしてしまうケースもあったようだ。それに上手く融合出来ても管理人格プログラムと防御プログラムの双方に認証を受けないと管理者権限を受けられない。闇の書は防御プログラムが破損していたために、歴代の主の中には正しい管理者認証を受けられず、その結果として暴走事故を引き起こしてしまった」

「そうなるとどうなるの?」

「闇の書に蓄積された魔力は、使用するたびにページが空白になっていく。そして、全てのページが白紙になると、闇の書は主の魔力を喰らい尽くして死に至らしめる」

「そして、闇の書は再び別の主のところに転生するというわけね……」

 まさに呪われた魔導書というわけである。

「海鳴市の事件では、このとき主となった八神はやてが管理人格プログラムに祝福の風リインフォースの名を与える事で管理者として認証され、防御プログラムと管理人格プログラムの分離に成功した。そして、無限再生を続ける防御プログラムのリンカーコアを分離し、大気圏外へ転送してアルカンシェルでとどめを刺したわけだが……」

「それがなぜだか、再び活動をはじめたのね」

「その辺の理屈がどうなっているのか、管理局でも意見が分かれているがね」

 考えるのは後方の仕事で、対応するのは現場の仕事。わかっているが、祐一にとってはため息以外に出るものがない。

「でも、蒐集する事で暴走事故を引き起こすんだったら、はじめから蒐集しなければいいんじゃないの?」

「そうなると、今度は闇の書が主のリンカーコアを喰らいつくしてしまう。そうなると、待っているのは主の死だ」

 結局、いずれにしても待っているのは主の死という事だ。

「唯一の勝機があるとすれば、闇の書の主が上手く融合してくれる事なんだが……。流石にそんなラッキーは何度も続かないからな……」

 海鳴市の事件でラッキーなのは、闇の書の主に選ばれたのが八神はやてだった事だ。彼女の持つ膨大な魔力資質は蒐集を開始する以前の闇の書に耐え抜いたばかりでなく、管理人格プログラムとの融合に成功して事件を解決に導いた事だった。もっとも、そこに至るまでに多くの魔導師や野生動物が犠牲になっている。死者こそ出なかったものの、それは決してほめられるような事ではないのだ。

 

「着いたわよ」

 しばしの雑談を交わした後、二人は昇降口にたどり着いた。

「ここが昇降口よ」

「知ってる」

「知ってる割には、思いっきり校舎裏で途方に暮れてたじゃないの」

「ぐは……見てたのか……」

「不審な行動を取っているから、てっきりどこかの秘密機関から密命を帯びて潜入したんじゃないかって思ったわよ」

「俺は普通の高校生だ。まあ、管理局の嘱託魔導師ではあるけどな」

 そう言う意味では、香里も魔導師なのでお互いに人に言えない秘密がある事は確かだ。

「あたしはこっちなんだけど、相沢くんは?」

「商店街」

 雪を乗せた校門をくぐるあたりで、香里が立ち止まって指をさす。祐一は香里がさしたほうと反対側をさした。

「じゃあ、また明日ね」

「ああ」

 元気よく香里は、自分で指さしたほうに走っていく。後ろ姿が遠ざかり、短いスカートが揺れ動くたびに祐一はふと思う。

「……香里の奴、寒くないのか?」

 考えてみると、名雪も同じ格好なのだから慣れだろうか。自分もいつかこの寒さに慣れる日が来るのかと思いつつ、祐一は商店街を目指すのだった。

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