第六話 食い逃げ少女、再び

 

「商店街か……」

 名雪と再会して、その翌日に訪れた場所だ。と、祐一はなぜか感慨深げに街並みを眺めてしまう。ミッドチルダにいたころは、訓練だ、模擬戦だ、でバトルな日々を繰り広げていたせいか、こういう平和な風景の中にいると若干の違和感がある。

 こういう雰囲気にもいい加減慣れないとな、と思ったその時。

「きゃうっ!」

 どこかで女の子の悲鳴が上がった。

 あまりにも情けない声に現実に引き戻された祐一が声のした方を見ると、見覚えのあるダッフルコートの女の子が転んでいた。

「うぐぅ、痛いよぉ……」

 どうやら思いっきり顔から転んだらしく、服についた泥をはたいて落としつつ、赤くなった鼻をさすっている。それどころか雪の積もった地面に勢いよく突っ込んだのか、少女の着ているダッフルコートはかなり悲惨な事になっていた。

 少女は持っていた紙袋の無事を確認すると、後ろを気にしながら走りだす。

「ぶつかるぞ、あゆ」

「……え?」

 当然前なんか見ているはずもなく、いきなり名前を呼ばれた少女は視線を正面方向に向ける。

「えっ? あっ! どいてっ!」

 真正面に立つ祐一の姿を見て、慌てて声を上げるあゆ。

「よし、箸を持つほうによけるんだ」

 幾分冷静だった祐一が指示を出し、右方向によける。しかし、なぜかあゆの体は真正面にあった。

「うぐぅっ!」

 なぜか再び、正面衝突してしまう祐一とあゆ。ここまでくると、なぜだか因縁めいたものまで感じてしまう。

「……なんで、右によけた俺に正面からぶつかってくる?」

「うぐぅ……左利き……」

「……それは俺のせいじゃないな」

 その時、祐一は商店街の奥から見覚えのあるおやじが走ってくるのを見た。おまけに何事かを大声で怒鳴っているようである。

「なあ、お前を追いかけてきてるやつ。見覚えがあるんだが……」

「説明は後っ! とにかく走ってっ!」

「どうして俺まで?」

 そう言いつつ、あゆと一緒に走ってやる祐一も律儀なものだ。

「もしかして、また財布を忘れたのか?」

「うぐぅ」

「今度から、買う前に財布があるかどうかくらい確認しろーっ!」

 雪に包まれた商店街を、あゆと二人で駆け抜ける。

 そして、気がつくとあたりの風景は全く見覚えのないものに変わっていた。

 

「……ところで、あゆ」

 祐一はゆっくりと速度を落としながら後ろを振り返る。先程まで一緒に走っていた少女は、なぜか祐一のはるか後方にいた。あゆは祐一が立ち止まったのを見て、ゆっくりと近づいてくる。

「はぁ……速いよ〜……」

 とたとたとおぼつかない足取りで祐一の隣までくると、あゆは大きく真っ白な息を吐いた。

「お前が遅いんだ」

「ボクは普通だよぉ……」

 たしかに、普通の女の子はそんなに体力がある方ではない。もしかすると、名雪や香里の方が特殊なのかもしれなかった。

「それにしても……」

 商店街からかなり遠くの方まで走ったらしく、あたりの雰囲気はすっかり変わっていた。街路樹の立ち並ぶ並木道が続いているが、人影は少なくさびしい限りだ。

「随分と辺鄙なところに出たな……」

 自然が色濃く残る風景は心安らぐものがあるが、こうまで人気がないと逆に不安になってくる。日没まではまだ間があるものの、それほど余裕があるわけでもない。下手をすると、街中で遭難なんて事にもなりかねなかった。

「走ったら、おなかすいたね」

 紙袋を開けると中から白い湯気が立ち上り、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。

「はい、おすそわけ」

「また、たい焼きか?」

「うん。昨日はこしあんで今日は粒あん」

 どちらも似たようなものだと思うが、おそらくはあゆなりのこだわりがるのだろう。

「これ食ったら、また謝りに行くからな」

 盗品と知りつつ食べるのは気が引けるが、こうなってしまうと1匹も2匹も大して差がないようにも思えてしまう。

「やっぱり、たい焼きは焼きたてに限るよね」

「そうだな……」

 あゆは本当に幸せそうな表情を浮かべて、たい焼きをほおばっている。その姿を見ていると、なぜかその言葉に同意してしまう祐一であった。

「早く食べて、暗くならないうちに謝りに行くぞ」

「うん、そうだね」

 たい焼き、たい焼き〜、と謎の歌を歌いながら、あゆはたい焼きを食べつつうんうんとうなずく。ちなみに、祐一の話を聞いている様子は全くない。

 結局、祐一が2匹、あゆが3匹のたい焼きを腹に収めるのだった。

 

「さて、いい加減に帰らないと日が暮れるな」

「そうだね」

 しかし、祐一もあゆもその場から全く動こうとしない。

「……あゆが帰り道を知ってるんじゃないのか?」

「ボク? 知らないよ。こんなところ、はじめて来たもん」

 その時、2人の間を木枯らしが吹きぬけていった。

「……もしかして、祐一くんも知らないの?」

「原住民が知らないものを、おとつい引っ越してきたばかりの俺が知るわけないだろ?」

 いくらなんでも、1日やそこらで覚えられるものではない。もっとも、この場にあゆがいなければ、空を飛んで帰るというのも選択肢の1つである。

「引っ越してきたの……?」

「昔、ちょっとだけ住んでた事もあるけどな」

「7年前?」

「最後にこの街に来たのは丁度そのくらいだな」

「もしかして……祐一……くん?」

「そう言わなかったか?」

「そっか、そうなんだ……」

 先程までの元気な様子とはうって変わって、あゆはうつむいて声を落とした。心なしか、肩が小刻みに震えているようにも見える。

「本当は……昨日会ったときからそうじゃないかなって思ってたんだ。名前、一緒だし……変な男の子だし……」

「大きなお世話だ」

「ボクの知ってる頃の……ホントそのまんまだったし……。帰ってきて、くれたんだね……。ボクとの約束……守ってくれたんだね……」

 その時、ふいに祐一の脳裏にあの時の記憶がよみがえった。

「そうか……あゆ……。そうだ……」

 確かに7年前、祐一はこの街で1人の女の子と出会った。

「うんっ、久しぶりだねっ」

「ああ、本当に久しぶりだ」

 少しずつではあるが、確実に記憶がよみがえっていく。あの日確かに祐一は、あゆという女の子と遊んでいた。しかし、思いだせる事といえばそれだけで、あゆがどんな女の子だったのかも、どうして知り合ったのかも思い出せなかった。

「おかえりっ、祐一くんっ!」

 雪を蹴り、祐一に向かって両手を伸ばしながら突進してくるあゆ。

「おっと」

 それを見て、反射的に避けてしまう祐一。その背後には街路樹の木があり、身をかわされたあゆは正面からまともに木にぶつかった。

「……今のは、全面的に俺が悪かったと思わなくもないが……」

 祐一は恐る恐る声をかけてみるが、あゆは木にへばりついたまま全く動く様子がない。

「もしかして、痛くもかゆくもなかったとか……?」

「すっごく痛かったよぉっ!」

 あゆはがばっとふりかえると、えぐえぐと目じりをこすりながら、涙目で祐一に非難の視線を送る。

「……ううっ、避けたぁっ! 祐一くんが避けたぁっ!」

「悪い、つい条件反射で」

「うぐぅ……そんなに運動神経がいいのなら、商店街でもちゃんと避けてよ……」

 正論であった。

 あゆが叫んだ丁度その時、どさりどさりと大きな荷物が落ちるような音があたりに響く。

「きゃ……」

 それに紛れて、女の子の悲鳴らしき声が聞こえたような気がした。祐一はあゆの方を見るが、フルフルと首を左右に振っている。その様子から察すると、あゆにも同じ声が聞こえたようだ。

 そこで祐一は声のした方向を探してまわりに視線を送る。すると、白い衣を湛えた木々の中で、小柄な少女が座り込んでいた。

 なにが起こったのかわからない。という感じで少女は、頭に乗った雪を払う事無く目をしぱたかせている。

「大丈夫か?」

「え……? あ……」

 スナック菓子やその他いろいろな荷物が雪の上に散乱している中で、微動だにしなかった少女は祐一の姿と散らばった荷物を交互に眺めていた。

「どうしたの?」

 その時、あゆが祐一の背後から顔をのぞかせた。鼻を押さえているせいで、かなり変な声だ。

「どうやらさっきの衝撃で雪の塊が降ってきたみたいだ。この子の上だけ綺麗に雪が崩れてる」

「……まるでボクが悪いみたいな言い方だね」

「事実じゃないか。いきなり襲いかかってきて」

「襲いかかったんじゃないよっ! 感動の再会シーンだよっ!」

 あゆはこうして大騒ぎをするくらい元気そうなので、祐一も一安心だ。

「7年ぶりの感動の再会シーンで木にぶつかったのなんて、たぶんボクくらいだよ……」

「やったな、世界初だ」

「ぜんっぜんっ、嬉しくないよぉっ!」

「まあ、それはいいとして……」

「よくないよぉっ!」

 まだなにやら騒いでいるあゆを無視して、祐一は少女に向き直る。先程から少女は雪の上に座り込んだまま、祐一とあゆのやりとりをぽかんとしたように見つめていた。

「ところで……」

 少女は肩からずり落ちたストールを羽織りなおす事もなく、雪上に散乱した荷物を拾う事もなく、ただ祐一とあゆを交互に見つめていた。

 雪の上でもなお映える白い肌が印象的な小柄な少女で、栗色のショートヘアがよく似合っていて祐一よりも年下であるように見える。

「大丈夫か?」

 とりあえず声をかけてはみるものの、少女からの反応はない。脅えているというよりは、どのように反応していいかわからないといった感じだった。

「え……? あ……はい……」

 不意に我に返ったように、少女はゆっくりと頷く。しかし、それでも少女に立ち上がる気配はない。

「こいつはどうだか知らないが、少なくとも俺は怪しいものじゃない」

 やはり警戒されているのかと思い、祐一は優しく呼びかけてみた。これがミッドチルダや管理世界であれば、時空管理局AAAランク嘱託魔導師のライセンスカードを提示して相手を安心させる事も出来るのだが、こんなところでそんな事をしたら間違いなく怪しい人物になってしまう。

「うぐぅ、ひどいよ祐一くん。ボクだって善良な一般市民だよ」

「善良な一般市民が食い逃げなんかするか?」

「あれは……たまたまだよっ!」

「2日連続だっただろ?」

「ほら、2度ある事は3度あるっていうし」

「そりゃ、墓穴掘ってるだけだ……」

 少女は、とても複雑な表情で2人のやりとりを見上げているばかりだった。

「えっと……拾うの手伝うね」

 あゆが少女のそばにしゃがみ込み、買い物袋に手を伸ばす。

「あっ……!」

 短い少女の叫び声に、あゆの手がピタリと止まる。

「ど……どうしたの?」

「え……いえ、なんでもないです。自分で、拾いますから……」

 少女は今思い出したかのように自分の頭や体についた雪を払い落すと、雪の上に散らばった自分の荷物を拾い集めていく。

「ちょっと、寒いですね」

 まわりに拾い残しがないか確認して、少女が立ち上がる。あれだけの間雪の上に座り込んでいたのだから、体が冷えて当然であった。

「ずいぶん沢山の買い物だね」

「私、あまり外に出ないので、時々まとめ買いをするんです」

「金払ってるんだから、全然問題ないな」

 あゆと少女が話しているところに祐一が口を出す。

「なんだかボクが悪いみたいな言い方だね」

「事実だろう」

 理由はどうあれ、食い逃げは許される行為ではない。図らずもその共犯になってしまった祐一ではあるが。

 その一方で、ストールを羽織って大量の荷物を抱えた少女は、祐一とあゆのやりとりにどう反応していいかわからない様子だった。

「……とりあえず、気にしないでくれ」

「えっと……よくわからないですけど、わかりました」

「運命だよね」

「うんめい、ですか……」

「少なくとも、ボクはそう思ってるよ」

 乏しい表情で、少女は口の中で小さく運命と呟いていた。

「……もうすぐ、日が暮れますね」

 ストールの少女の声に顔を上げると、随分と日が傾いていた。この分だと日没までそう遠くないものと思われた。

 そこで祐一達は、ストールの少女と簡単に言葉を交わして別れを告げる。少女に手を振って歩きだしたところで、祐一は1つ大変な問題を思い出した。

「は?」

 ストールの少女目が点になる。それはなぜそんな事を聞かれるのかわからない、という表情だった。

「商店街って、どっちの方角だ?」

 突然の出来事に面食らいながらも、ストールの少女は親切に商店街までの道のりを教えてくれる。

「……じゃあ、本当に帰るから」

「さようなら」

「ばいばい〜」

 手を振りながら元気よく別れを告げるあゆとは対照的に、少女の別れの言葉はやけに重く感じられた。その事を疑問に感じながらも祐一は少女に教えられた通りに道を歩き、やがて見慣れた光景にたどり着いた。

 そのころにはすでに日は暮れかけており、あたりはすっかり夕方の赤色に染まっていた。

 なんだかすっかり大冒険をしたような気がした祐一は、あゆに別れを告げて家路につくのだった。

 

 家に帰ると、家族そろっての夕飯がはじまる。この日のメニューはクリームシチュー。実のところ祐一は、あゆにもらったたい焼きがまだおなかに残っていたのでさほどお腹はすいていなかったのだが、せっかく秋子が作ってくれたのだから残すわけにいかないと、多少無理して食べていた。

「く……苦しい」

 夕食を食べ終わると、祐一は部屋に戻って早くも横になる。食べてすぐに横になるのは身体に悪いとわかっているのだが、他にする事がないというのも事実だった。

「……今日も進展なしか」

 管理局とのホットラインを開き、進捗状況を把握する。一応今回の事件は闇の書事件と同一のものである可能性が高く、その対策もすでにマニュアル化されていた。

 リンカーコアの魔力を蒐集している実行部隊は推定でAAAランクの実力の持ち主であるため、一般的な武装局員では束になっても太刀打ちできない。そこでこの事件の対応として派遣された武装局員1個中隊には、偵察を主任務として出来る限り交戦しないよう命令が下されている。

 祐一は管理局の嘱託魔導師であるので彼らの指揮権は有していないが、現場で事件の対応を任されているので逐一情報が寄せられてくる。今のところは水瀬家を現地の駐屯所として器材の運び込みは終了しているので、後は周辺探査のネットワークを完璧なものに整備していくだけだ。

 このあたりは秋子が昔のコネを利用して整えてくれたので、祐一としてはいくら感謝してもし足りないくらいだ。とはいえ、現時点で敵の正体もわからなければ、主がどこにいるのかもわからない。そう言う意味においては、捜査が進展しているとは言い難かった。

 本格的に動けるようになるのは名雪達のデバイスが返ってきてからだな、と祐一が思った時だった。

「わたしだよ〜」

 控えめな様子で扉がノックされ、名雪が顔を出す。

「どうした?」

「お風呂開いたよ」

「おお、サンキュ」

 湯上りでさっぱりしたのか、少し濡れた髪の名雪が笑顔でそう告げた。

「そうだ名雪。ちょっといいか?」

「いいけど、なに?」

「名雪は、あの連中についてどう思う?」

「あの連中って……闇の書の人達?」

 名雪はなにか考えながら祐一の部屋に足を踏み入れると、祐一が座っているベッドに腰かけた。

 いつものピンクのパジャマに愛用のねこ模様の半纏。今朝と同じ格好なのだが、なぜだか祐一は自分の胸が高鳴るのを感じる。そのあまりにも無防備な名雪の姿に、くらくらしてしまいそうだ。

「う〜ん……いきなり襲いかかられてすぐに倒されちゃったから、わたしはよくわからなかったけど……祐一はどうだった?」

「まあ、闘ってみた感触では、少なくとも悪意の様なものは感じられなかったな……」

「闇の書の事を色々話してくれたら嬉しいんだけど、それは難しいかな……」

 少なくとも、話し合いで解決できるような感じではない。それは祐一と名雪に共通する見解だった。

 強い意思で自らの心を頑なに閉ざしてしまえば、まわりの言葉が入ってこなくなる。しかし、だからといって、対話の道を閉ざしてしまうわけにはいかない。どんなときだって話し合いで解決できる方法を、わかりあう可能性を否定してはいけないのだ。

「言葉を伝えるためには、闘う事が必要になるかもしれないぞ」

「それなら、わたしは迷わないよ。それなら、迷わずに闘える気がするから」

 強い決意だった。このとき祐一は、名雪が陸上部の部長である事を信じる気になった。普段はポケポケのほほんとしている少女の、強さを垣間見たような気がしたからだ。

 想いを貫く強さ。その強さが、今の名雪にはある。

「それじゃあ、わたしはそろそろ寝るね」

「ああ、おやすみ」

「うん、おやすみなさい」

 自分の部屋に戻る名雪の後ろ姿を見送った後、祐一はふと名雪から借りた時計を見る。

 時刻は8時を少し回ったところ。今から名雪が寝るのだとしたら、流石にそれは規則正しすぎるんじゃないかと思う祐一であった。

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