第十話 新たなる同居人
昨晩は闇の書の関係者との戦闘や謎の少女の騒動があった所為か、祐一が目を覚ました時は丁度12時だった。食卓のドアを開けると、そこには緊張した様子の少女と相変わらず眠そうな感じの名雪の姿がある。
「お前な、これ食ったらちゃんと家に帰れよ」
少女はなにも答えずに、無言でご飯にかける卵をかきまぜている。
「親御さんも心配しているだろうし」
「……仕方ないから」
「仕方ない?」
ようやく口を開いてポツリと出した言葉がそれだった。実のところ、なにがどう仕方がないのか祐一にはさっぱりだ。
「あのね、祐一。この子自分の事が思い出せないらしいんだよ」
言葉の少ない少女に代わって名雪がフォローする。
「なんだそりゃ? 記憶喪失ってヤツか?」
「ちょっと格好いいでしょ?」
「あほかっ」
祐一は少女の頭を軽く小突いた。
「イターイ! どうして殴られなくちゃいけないのよぅっ!」
「そんなもの嘘だってばればれなんだよ。悲劇の少女きどりやがって、大方家出中で帰るに帰れないんだろ?」
「ほんとーだもんっ!」
少女は涙目で祐一に対抗しようとする。
「俺に因縁吹っかけて、気絶したふりしてここに連れてこられたのも、最初から筋書き通りだったってわけだ」
それは祐一が抱いていた危惧だった。目の前にいるこの少女は、体よくこの家に居着こうとしている。それは少女の言う記憶喪失という嘘か本当かもわからない発言によって、ますます現実味を帯びてきていた。
祐一としてはこの少女が家に居着こうと居着くまいと構わないのだが、現在この家は闇の書事件の対策本部として機能している。そのため、可能な限り部外者を立ち入らせないようにしなくてはいけないのだ。
「あぅーっ……」
「困ってみせたところで誰もかばわないぞ」
「祐一さん、ちょっと言い過ぎよ」
「祐一が悪い」
「秋子さんも名雪も、言ってるそばからかばわないでくれ。少しは俺の立つ瀬というものを考えてくれよ」
さすがに女性の中に男性である祐一がひとりでいると、劣勢は免れない。こういう時に居候と言うのは、立場が弱いものなのだ。
「ごちそうさま……」
祐一達が言いあいをしていると、ご飯を半分残したままで少女が席を立った。少女はそのままキッチンから出ていくと、2階に上がっていったようだった。
「あ〜あ……」
「少し言いすぎですよ」
「俺が悪いのか?」
名雪の呆れ顔に祐一は反論しようとするが、どう考えてみても祐一には勝てる様な要素がない。今の祐一は誰がどう見ても女の子をいじめているようでしかないし、なにより秋子と名雪は少女の味方だからだ。
「ちょっと待ってくださいよ、秋子さん。どう考えたってあいつは家出少女で、記憶がないとか嘘をついてこの家に居座ろうとしてるんじゃないですか。それに優しい言葉をかけたりなんかしたら、つけ上がって我が物顔でこの家にいつきかねませんよ?」
「そうだとしても、相手は年下の女の子じゃない」
「そりゃそうですけど……」
家主自身にそう説得されてしまうと、祐一の抱いている危惧も形無しだ。秋子にしてみれば、そうなっても別にかまわないと考えているのかもしれない。
「……じゃあさ、名雪」
「なに? 祐一」
「悪いけど、後で付き合ってくれ。俺ひとりだと、さっきみたいに険悪な雰囲気になるだろうからな」
「うん」
名雪が後片付けを手伝い終えるのを待ってから、祐一達は2階の少女の部屋に向かった。
部屋の中で祐一は、名雪と謎の少女の3人で輪を描くようにして腰を落ち着ける。
「まずは自己紹介だ。名雪から時計まわりで」
「わたしは水瀬名雪。名雪でいいよ」
「俺は相沢祐一。祐一でいいぞ」
名雪、祐一、と順番に自己紹介してから少女にふる。
「……記憶がないって言ってるのにぃ」
「こうしてリズムよくまわしていけば口にするかと思ったんだが……意外と慎重だな」
「そんな事しても出てこないっ! 本当に記憶がないんだからっ」
「そんな事言ってもな……」
「わたしは信じるよ。記憶喪失だって事」
どうやら名雪は、少女の言い分を信じているようだった。女の子同士でもあるし、なにより少女が年下のようであるため、名雪がかばってあげたくなるのも無理はなかった。
だとするなら、名雪のいる前で少女の言う記憶喪失の虚偽を暴きにかかるのは下策だ。下手をすれば名雪を敵に回してしまいかねない。そこで祐一は、少女を家に帰す事を最優先事項とした。
「お前、身元が分かるものをなにか持ってないのか? 財布とか」
「お財布はあるけど……」
隣の名雪を見ると、首を横に振っている。一応名雪も確認はしたらしいのだが、身分を特定できそうなものはなにもなかったようだ。
「どれ、貸してみろ」
祐一は少女の手から財布をひったくると、中身を取り出してひとつひとつ床に並べていく。こうなったら徹底的に調べてみるしかない。
出てきたのは1000円札が3枚に期限の切れたCDの割引券が4枚、コンビニのレシートが3枚にテレホンカードが1枚。後は紙くずばかりで、身元の手がかりになりそうなものはなにひとつとしてなかった。
おまけに少女の持っていた財布は女の子が持つような小奇麗なものではなく、まるで落とし物をそのまま流用しているかのようだった。唯一の手掛かりとなりそうだったのがゲームセンターに置いてあるプリント機の写真だったが、これも少女がひとりでポツンと写っているだけだった。
「……見事に手掛かりになりそうなものがないな」
「あぅーっ」
「で、どうするつもりなんだ? これから」
「……記憶が戻るまでここに居る」
「名雪、警察を呼べ」
「わぁーっ! なんでよぅっ」
「当然だろう。行く当てのない身元不明の女の子を引き取るのは、警察の仕事と相場が決まってる」
「待ってよぉ……そんなのやだよぅ……」
少女は涙目で訴えるが、そうもいかないのが世の中というものだ。親切心で保護した底抜けのお人よしが、未成年者略取の容疑をかけられて誘拐犯にもされかねない状況である。
「記憶が戻るまではそっとしておいてほしい……だって怖いんだもん」
「俺はお前の方が怖いぞ」
いきなり覚悟、とか言って襲いかかってくるような奴とは、一つ屋根の下で暮らせない。そう言う祐一の主張も無理はない。
「そうだろ、名雪」
「それじゃあ、この家の最年長者であるお母さんに訊いてみる?」
同意を求めるように祐一が話を振ると、言うが早いか名雪は部屋を飛び出していく。
「こらっ、あの人に訊いたら、了承するのが目に見えてるぞっ!」
祐一は慌ててそのあとを追うが、時すでに遅く。
「了承」
リビングでくつろいでいた秋子に名雪が事情を説明すると、僅か1秒で了承が出た。
「見ろ、1秒で了承されてしまったじゃないか」
「良かったね」
バタバタと慌ただしく部屋を出て行ったかと思ったら、僅か数秒後には部屋に舞い戻ってきている。そのめまぐるしさに、少女は目を丸くしていた。
「はぁ……後々ややこしくならなければいいけどな……」
この家にいていい事がわかったのか、それまで少し緊張した容姿だった少女の表情が少し和らいだようだ。
こうして水瀬家に新たなる同居人が加わる事となったのだが、目下最大の問題点はこの少女をどう呼んであげたらいいのかという事だった。
昼食の時間が終わると、各自が思い思いに散っていた。秋子と謎の少女は自室に引きこもり、洗い物を手伝っていた名雪はリビングで祐一から強化されたデバイスの説明を受けていた。
「本来なら扱いの難しいカートリッジシステムは、繊細なインテリジェントデバイスに搭載するような装備じゃないんだが、そいつらがどうしてもって言うもんだからな」
開発段階からカートリッジシステムを組み込む事を前提とした祐一のレイフォースと違い、後から外付けでシステムを組み込むのはデバイス全体のバランスを崩してしまう危険性もあり、損壊の危険性もある事から改造の方法としては余り推奨できないのだ。
おまけに、カートリッジシステムを駆動させるには相応の魔力を必要とし、追加したパーツの分だけデバイスの重量も増えてしまう。一見すると安易に能力強化が可能であるようだが、爆発的な出力強化に対応できるだけの能力を持ち主に求めてしまうため、単に扱いにくくなってしまうだけの場合もある。
そんな危険を冒してまでも強化を望んだブルーディスティニーに、名雪は心の底から申し訳ないと思った。
「そっか……ありがとね、ブルーディスティニー」
『気にする事はないで、名雪。ウチが好きでやった事やからな』
名雪の掌の上で、待機状態である青い宝玉のブルーディスティニーがちかちか光る。
「モードは格闘戦用のランサー、砲撃戦用のバスター、フルドライブのアヴァランチの3つがある。なるべくだがフルドライブは使うな」
「どうして?」
「一応、お前の持つ魔力の理論的限界値に基づいて基礎フレームとかの強化はしているんだけどな。お前だってまだ本調子というわけでもないだろう?」
祐一の見立てでは、名雪の魔力の回復率は現状で80%と言うところだろう。少ない魔力でも実戦で運用できる名雪の能力には驚かされるが、それだけにブルーディスティニーが名雪のフルパワーに耐えきれるかが問題なのだ。
「それにしても……あの人達はどうしてあんなに一生懸命魔力を集めているのかな」
「それに関しては、どうにも腑に落ちない事だらけだな」
「やっぱり、ジュエルシードの時みたいになにか大きな力の欲しい人がそうしているのかな?」
「その可能性はあまりないな。確かに闇の書は大きな力を持っているが、それはジュエルシードの様な冗長性のあるものではなく、基本的に大規模な破壊にしか使えないものだからな」
完成前も完成後も、闇の書の力は純粋な破壊以外には使えない。無限書庫にデータベースにある闇の書が関わった過去の事件を調べてみても、そのほとんどが大規模な破壊に用いられている。例外的なのが最後の闇の書の主となった八神はやての関わった事件で、この事によって闇の書は本来の姿である夜天の魔道書となった。
「それに気になるのは、あの守護騎士達だ。おそらくは闇の書の守護騎士プログラムを継承するものだと考えられるんだが、どうして普通の人間が守護騎士になっているのかさっぱりなんだ」
使い魔でも人造魔導師でもなく、守護騎士プログラムによる魔道生命体でもない。いうなれば彼女達は、魔法資質のある人間にデバイスを与えて魔導師にしただけの存在なのだ。当然の事ながら、彼女達が闇の書の完成を目指す必要はなく、主に忠誠を誓う必要もない。
しかし、彼女達は危険を冒してまで魔力の蒐集を行い、闇の書の完成を目指している。そこにどういった理由があるのか、皆目見当がつかなかったのである。
「きっとなにか、わたし達にはわからないような理由があるんだよ。それがわかれば、わたし達だってお手伝いする事が出来るのに……」
「それはそうなんだけどな……」
そう言うわけにもいかないのが、世の中というものだ。
「考えられるのは、闇の書の主が彼女達の知り合いで、主を死なせたくないために魔力の蒐集を行っているという事だな」
「どういう事?」
「闇の書は完成前も完成後も、主のリンカーコアから魔力を喰い続ける。完成前に魔力が尽きれば主は死に至るし、完成した後もそれは同じだ。だから主を死なせないためには、継続して魔力を蒐集する必要があるんだ」
本来なら守護騎士を維持するために魔力が必要となるが、今回はそれを考える必要はないだろうと祐一は思う。そうなると、闇の書の主となるのはどんな人物なのかに思いを巡らせる。
「そう言えば、名雪。このあたりに車椅子の少女とか、そう言うやつはいないか?」
「……? さあ、知らないけど。どうして?」
「あ、いや。別に……」
八神はやてが車椅子の少女だったから、今回も似たような事例かもしれないと祐一は思った。だが、そう都合よく条件に該当しそうな人物がいるわけがない。
闇の書と主は密接な関係があり、その強大な魔力が主に悪影響を及ぼしてしまう。そのため、主のリンカーコアが未成熟であった場合、その健全な発育に少なからず影響を与えてしまうばかりか、生命活動も阻害してしまう危険性があるのだ。
守護騎士が活動している事から考えて、現在闇の書の活動は第1段階に入ったと考えられる。蒐集完了してすべてのページが埋まる第2段階。そして、闇の書の真の主として承認される第3段階。そこに至るまでの時間は残り少なくなっているだろう。そうなると、もはや一刻の猶予もないというのが現状だ。
「ふぁ……」
祐一の説明を聞いていた名雪だが、いつにも増して眠そうな様子を見せた。
「大丈夫か……?」
「わたし……眠いよぉ……」
昨夜の出来事が原因である事は間違いないし、なにより魔力の回復には睡眠を取るのが一番なのだ。
「そんなに眠いんなら、少し横になっていろよ」
「……そうする」
そう言って名雪は、頭をふらふらと振りながらリビングを出て行った。
「祐一さん」
自分の部屋に戻ろうと階段をのぼりかけたところで、祐一は秋子に声をかけられた。
「名雪、知りませんか?」
「名雪なら部屋で寝ていると思いますよ」
「そう、困ったわね」
頬に手を当てたポーズが、なんとも秋子さんらしい。口では困ったと言いながらも、まったくそうは見えないところも。
「ちょっと、用事を頼みたかったんだけど……」
「それなら、俺が代わって用事を頼まれますよ」
祐一としては、客として扱われるよりも、気軽に用事を任される方が楽だった。そのほうが、家族として認められているような気がして嬉しいし。
「今から晩御飯の買い物に行こうと思うのだけど、祐一さんも一緒に来てもらえる?」
「それは構わないですけど、買い物なら俺ひとりでも行ってきますよ」
「ひとりは大変ですよ。買うのはお米ですから」
まだあると思っていたが、今見たらもう全部なくなっていたらしい、そこで今のうちにまとめて買っておこうというのだ。
「あ、でも。あの女の子をひとりで家に残すのは危険じゃないですか?」
「大丈夫よ」
相変わらず、根拠のないセリフだった。
「家には名雪がいますから」
「あいつは、家が火事なっても寝ていると思いますよ」
「それもそうね」
頬に手を当てて、困ったわね、と言う割には、まったく困っているように見えないところは、流石に名雪の母親であった。
「……わかりました、行きましょうか」
家主である秋子がそう言うのだから、根拠はなくても大丈夫と思うしかない。
(名雪、俺達の留守はお前に任せたぞ……)
わずかな希望にすがるように、祐一は2階の部屋を見上げた。
「行きましょうか」
買い物袋を持った秋子と共に、祐一は多大な不安を残しながら商店街へ向かうのだった。
この日の天気は良かったが、時折吹きつける冷たい風に祐一は身を震わせた。これで曇天だったらと思うと、それだけで気が滅入ってくる。
「ごめんなさいね、折角のお休みなのに」
「いいですよ、俺は」
申し訳なさそうに秋子が頭を下げる。とはいえ、これだけの寒さの中に身をおいているというのに、落ち着いているというかマイペースというか、顔色ひとつ変えない秋子は流石であった。
まだお昼をちょっと回ったばかりの時間ではあったが、日曜日だけあって商店街はそこそこのにぎわいを見せていた。
「本当、祐一さんがいて助かるわ」
秋子は3袋のお米を買い、そのうち2袋が祐一の両手にぶら下がっている。
「あ、祐一くんっ! やっぱり会えたねっ」
商店街の雑踏の中を歩いていると、見知った顔と出会った。もはや腐れ縁となった食い逃げ少女が、パタパタと羽を揺らしながら駆け寄り、無邪気な笑顔をのぞかせたまま、なにもない地面で見事にすっ転んでいた。
「うぐぅ……またぶつけたぁ……」
「今度こそ俺は悪くないな」
「祐一さんのお友達ですか?」
「全然知らない女の子です」
「うぐぅ……ひどいよっ!」
初対面の印象が悪い人物には、赤の他人を装うのが一番だ。
「悪い悪い、冗談だ」
「……もしかして、祐一くんボクの事嫌い?」
「全然そんな事はないぞ」
からかうと面白いという事は伏せておく。
「元気な女の子ですね」
祐一達のやりとりを聞いていた秋子が、のんびりと感想を言う。
「……えっと?」
「この人は、水瀬秋子さん。俺が居候させてもらっている家の家主さんだ」
「はじめまして、私は水瀬秋子。祐一さんを居候させている、家主さんなんですよ」
「やぬしって、なに?」
真顔で問い返すあゆ。
「……家の中で一番偉い人の事だ」
「あ、そうなんだ。少し勉強になったよ」
どうやら、本当にわからなかったらしい。
「それから、こいつが月宮あゆです」
「よろしくお願いしますっ!」
「月宮あゆちゃん……?」
元気よく頭を下げるあゆを見ながら、秋子は半ば呆然としたような感じで口を開く。それは普通の人なら僅かばかりの変化だが、秋子の場合だとかなり劇的な変化といえた。
「月宮……あゆちゃん?」
「……はい?」
なおもあゆの顔をまじまじと見ていた秋子が、真剣な表情で名前を呼ぶ。
「ごめんなさい、やっぱり私の気のせいみたいですね」
意味深な秋子の発言にあゆは首を傾げるが、それは祐一も同じ気分だった。
「そんなはずないですものね……」
どうやら秋子は、ひとりで納得したようだ。
「祐一くん、今日はこれからどうするの?」
「見ての通り、帰るところだ」
まさか、米袋かついでゲームセンターに行くわけにもいかない。それに、いつ出動がかかるかもわからないのだ。
「そっか、残念だね……」
あゆは本当に残念そうに肩を落とした。それは見るほうが気の毒に思うくらい、がっかりとしたものだった。
「それなら、あゆちゃん。私達は帰ったらおやつにするんだけど、よかったら一緒にどう?」
「えっ! いいの?」
「美味しいコーヒーとカステラを用意するわね」
まるで子供をあやすような秋子の口調と、子供そのものという感じのあゆ。なんとも対象的な二人の様子に、なぜか祐一は心が和んでしまう。
なにもしないのは悪いからと、あゆは秋子から小さめの買い物袋を受け取って、仲良く家路につく3人であった。
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