第十四話 団欒のひととき
リビングでテレビを見て部屋に戻ってくると、まず祐一は人の気配がないかを確かめる。念のために探索魔法を走らせてみたので、この部屋には祐一以外の人間がいない事が確認できた。
おそらく真琴は待ち伏せをしてまでいたずらする気はないようで、祐一が寝付くまでは行動を起こさないつもりなのだろう。
こうやってひとつひとつしらみつぶしにしていけば、いつかは真琴も悪戯をあきらめてくれるだろう。しかし、悪戯の方法なんていうものは無限大だ。下手をすれば生涯にわたって悪戯をし続けるなんていう事もあり得るのかもしれない。
常識的に考えれば、そういう事はありえない。なにより、真琴との同居生活がいつまでも続くというものではないからだ。あくまでも真琴の身元が判明するまでの短い付き合いしかないのだし、祐一がこの家のお世話になるのは闇の書事件の対策のためであるにすぎないのだから。
いずれにしても、後しばらくの辛抱だと思い、祐一がベッドに入った。
暗い天井を見上げて目を閉じ、暗闇に身を委ねて寝返りを何度かするものの、なぜか全く眠気が訪れない。そうしているうちに尿意を感じ、布団から抜け出して時間を見ると、まだ深夜の1時を回ったところだった。
一応トイレに行っておくか、と部屋を出た祐一は、暗がりに気をつけて歩いていく。足元ばかりを気にしていたせいか、不意に額をなにかにぶつけた。
「イタイ〜」
壁かと思ったが、いきなり叫び声を上げた。祐一が頭を上げてみると、そこには真琴の顔があった。
「こんな夜中に、なにやってるんだ?」
「えっと……うんと……」
「お前の向かっている先は俺の部屋しかないんだが?」
「ね……眠れなくて、暇だから遊びに行こうかなって……」
「こんな真夜中にか?」
「うん……」
「じゃあ、これはなんだ?」
真琴に手に握られていたのは、袋入りの中華そばだった。
「お腹空いたから、一緒に食べようかなって……」
実際には前のこんにゃくと同じように、寝ている祐一への悪戯に使うつもりだったのだろう。相変わらずわかりやすい嘘だ。それにしても、ついさっき秋子に食べ物を粗末にしてはいけないと怒られたのに、食べ物を使った悪戯をしようとは、ある意味において大人物といえた。
「よし、じゃあ食うか。丁度俺も腹が減ってたところだ」
「わ、本気?」
その反応はよほど予想外だったのだろう。
「そのままじゃまずいだろう。ほら、来い」
「どうするの?」
「焼きそばにする」
そう言って祐一は真琴の手を引いて階段を下り、キッチンへ向かった。
薄く引いた油の上に中華そばを入れると、ジャー、と大きな音がたつ。真夜中のそれは、ひときわ大きな音に感じられた。
麺を軽くお玉でほぐしつつ、祐一は素早く刻んだキャベツを鍋に放り込む。半分寝ぼけて包丁を使ったわりには、よく指を切らなかったものだと自分でも感心した。
焦がさないようにかきまぜつつ、空いた手で塩胡椒をパパッと振りかける。このあたりのタイミングは、かなり手慣れたものだ。
そして、水気がなくなり、全体的に焦げ目がついてきたところで、仕上げにソースをぶっかける。それをまんべんなくかき混ぜたところで、祐一はコンロの火を止めた。
「ほら、出来たぞ」
「あぅ」
並べられた2枚のお皿の上に均等に盛り付け、祐一は席に着く。目の前に置かれた山盛りの焼きそばを、真琴は涙目で見つめていた。
祐一としても別に腹が減っているというわけでもないが、真琴の悪戯に使われて無駄にしてしまうよりは、こうして食べてしまった方がいいように思えたからだ。真琴がなぜ祐一を嫌っているのか理由はわからないが、相互理解を深めるうえでもこうしたふれあいの時間を持つのはいいと思ったのだ。
「うまいか?」
「おかわりはたっぷりあるぞ」
「そんなに食べらんない」
「じゃあ、我慢できたんじゃないのか?」
「焼きそばは好きだから、ちょっとでも食べたくなるの」
必死で言い繕おうとするところは、見方を変えれば可愛いのかもしれない。
とりあえず、ふたりは黙々と目の前の焼きそばと対峙した。実のところ、フライパンの中にはまだ丸々ひとり分は残っている。実のところ中華そばの袋をいくつ開けたのかは、作った祐一にもわからなかった。
焼きそばはミッドチルダ時代に作り慣れていたせいか、かなり寝ぼけた状態でありながらも身体が条件反射的に作ってしまったのだろう。実際、味はそれほど悪くないし、自分でも上出来に部類に入るはずだ。
しかし、だからといってこれを全部ふたりで食べきるのは無理そうだった。
その時、ことりと小さな音がした。キッチンの入り口の方を見ると、名雪が顔を覗かせて眠そうに眼をこすっている。
「焼きそば……?」
「食うか?」
「うん」
まさに渡りに船だ、といわんばかりに祐一はみっつめの皿を用意して焼きそばを盛り付ける。
「お母さんも呼んでくるね」
そう言って名雪は廊下の暗闇に姿を消す。名雪の事だから、本当に秋子をこんな時間に起こして『焼きそば食べる?』と聞くのだろう。そう祐一が思っていると、名雪に連れられて秋子がキッチンに姿を現した。
「お茶淹れるわね」
この家に住む人間は、どうしてこうも呑気なのかと祐一は頭を抱えたくなる。
「夕飯だってなかなか家族がそろわないという昨今、深夜の夜食にわざわざこうやって勢揃いして一家団欒になるかね……」
「仲が良くて、いいんじゃない?」
食卓に湯飲みを並べながら、秋子がのほほんと微笑む。こんな夜中にも闇の書事件の対策のために走り回っている局員がいるというのに、この家だけはなんとも平和な光景だった。
名雪にしてもそうだが、別に焼きそばが食べたくてこの場に姿を現したというわけではない。この家の人間はこうした団欒の中に身を置くのが好きなのだ。だからこの家には人が集まってくる。それは香里もそうだし、おそらくはあゆだってそうだ。
祐一と真琴が楽しそうにしているのを見て、夜中だというのに食卓に集まってきたのだ。
結局、この家の人間が眠りについたのは、夜の3時を過ぎてからの事だった。
「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて、学校行くよ〜」
毎度おなじみ。朝から脱力するような目覚ましに起こされて、祐一はのそのそとベッドから這い出る。冷たい床をぺたぺたと歩いてカーテンを開けると、今日も外はまぶしいくらいの銀世界だった。
制服に着替えて鞄の中身を確認し、大きく伸びをする。連休明けの平日というのは、どこか気だるい感じがする。なにはともあれ、こうして一週間最初の一日がはじまりを告げた。
「おはよう、真琴」
「あうぅぅぅ……」
祐一はにこやかに挨拶をするが、なぜか真琴は異様に顔色が悪い。まあ、夕食に秋子さんの料理をしこたま食っておいて、夜中に食いものをねだるくらいだから、こうなってしまうのも当たり前なのかもしれないが。
「胸やけか?」
「……まだ、お腹に焼きそばが残ってるみたい」
「自業自得ってやつだな」
「あぅーっ……」
なんとも気分が悪そうに、真琴はその場から去る。真琴への接し方をもう少し考えた方がいいかと思いつつ、祐一は朝食の場へと向かった。
「あら、おはよう。相沢くん」
「ああ、おはよう香里」
キッチンでは今日も朝から来ていた香里が、優雅にコーヒーカップを傾けているところだった。
「早速で悪いけど、あれを説明してくれないかしら?」
「あれをって……おわっ!」
テーブルの上には、なんとも異様な物体が転がっている。それを見るだけで祐一は驚いたのだが、香里は祐一がどんな説明をしてくれるのかに瞳を輝かせ、秋子は忙しく朝食の支度をしている。
ある意味では、まったく物事の動じた様子のないふたりであった。
「……うにゅ。おはようございます……」
いきなり謎の物体がのそりと起き上がり、朝の挨拶をする。
「なんだ、名雪か」
テーブルの上に突っ伏して寝ていたので、長い髪が四方八方に広がって異様な物体に見えていたのだ。名雪はとりあえず身を起こしたものの、まだ目が糸の様な線になっていて、眠っているようだった。
「まさか、名雪が俺より早く起きているなんてな」
「私が起きた時もここにいましたよ?」
「だから、それを説明してほしいって言ってるのよ」
どうやら昨夜のあの騒動のあと、椅子に座ったまま寝てしまったらしい。気がつくと名雪は、再びテーブルに突っ伏して安らかな寝息を立てはじめた。
「すみません、祐一さん。名雪を起こしてもらますか?」
秋子の声に祐一は香里を見るが、彼女は黙って首を横にふるばかりだ。おそらくは試してみたけどダメだったという事だろう。
「名雪っ! 起きろっ!」
頭のひとつでも叩いてやりたいところだが、秋子や香里のいる前でそういう力技はまずい。とりあえず、祐一は身体を揺すってみた。
「うー……。地震……だおー……」
「だおーってなんだ? だおーって……」
今日の名雪は一段と手ごわいらしく、何事もなかったかのように熟睡している。
「あまり寝ていないのかもしれないわね」
秋子の言葉に、祐一は気がつく。確かに昨夜は風呂が味噌汁になったり、夜中に焼きそばを食べたりとイベントが盛りだくさんだった。そんな中でいつもなら夜の8時には寝ている名雪が夜更かしをしていたのだから、こうなってしまうのも無理はないと思われた。
「……こうなったら、手段はひとつしかないわ」
「なにかいい方法があるのか? 香里」
「眠り姫は……王子様のキスで目を覚ますのよ」
「そうか、それじゃあ……」
名雪に顔を近づけたところで、祐一は気がついた。それこそみんなのいる前でする事ではない。
「……って、出来るかいっ!」
「あら、残念」
祐一は香里を睨みつけるもの、我関せずという感じでコーヒーカップを傾けている。そこでやむを得ず、祐一は最終手段に使う事にした。
おもむろに祐一は、キュポン、とイチゴジャムの入った瓶のふたを開ける。
「ほ〜ら、名雪。イチゴジャムだぞ〜」
「イチゴジャム〜……」
案の定、名雪の反応があった。匂いにつられるように、名雪の上体がむくりと起きた。
「くー……イチゴジャム美味しい……」
どうやら名雪は、夢の中でイチゴジャムをたっぷりと塗ったトーストを食べているようだ。
「……えらく都合がいい夢を見ているようだな」
その証拠に、このやりとりを見ている香里の視線はとても冷ややかなものだ。
「くー……お腹いっぱい」
「よし、腹いっぱいだったら問題はないな。学校に行くぞ」
「うん……」
こくりと頷いて、眠ったまま席を立つ名雪。どうやら睡眠不足の状態であっても、名雪のマルチタスクは順調のようだ。
「そういうわけで香里、このまま連れて行くぞ」
「いってきますー……」
かなり異様な光景なのだが、香里にとっては慣れたものなのだろう。その証拠にたいして動じた様子も見せずに、ふらふらと玄関に向かう名雪のあとをついていっている。
「よし、時間はまだあるな。行くぞ名雪」
「くー」
「って、ちょっと待ちなさいよ。名雪、まだパジャマのままじゃない」
「仕方ないな、着替えろ名雪」
「うん……」
頷いて、名雪はパジャマを脱ぎ出す。
「……って、ここで脱ぐんじゃないっ!」
「そうよ、自分の部屋に戻って着替えなさい」
「……自分の部屋」
寝ながらとたとたと器用に階段を駆け上がり、名雪は私服に着替えて戻ってきた。
「なにに着替えてきてるんだっ!」
「制服に着替えてきなさいっ!」
「……制服」
もう一度名雪は寝たまま器用に階段をかけあがり、今度はちゃんと制服を着て戻ってきた。
「よし、今度は上出来だ」
「じゃあ、行くわよ名雪」
まだ眠ったままの名雪を引っ張って、3人は外へ飛び出した。
「わっ」
ここへきてやっと目が覚めたらしく、名雪から驚きの声が上がる。
「……気がついたら、家の外……?」
名雪は不思議そうに首をひねる。
「ちゃんと制服も着てるし……」
「なに寝ぼけてるのよ、名雪。急がないと遅刻よ?」
「でも、お腹もすいてるし……」
「なにいってるんだ。ちゃんと食べてたじゃないか」
夢の中でだけどな、と祐一は小さく口の中でつけたした。そう言われると確かに食べたような気もするが、どうにも釈然としない様子で、名雪の表情には終始『?』が浮かんでいた。
そして、いつもの様に通学路を走り抜け、一気に学校までの距離を稼ぐ。体力的に少々きついが、フィジカル面のトレーニングと思えば多少は気が楽だった。
「わたし、髪の毛ぼさぼさ〜」
「学校についたらいくらでも梳かしてあげるわよ。とにかく今は急ぎなさいっ!」
悲しそうな表情をした名雪を引き連れて、とにかく学校へひたすら急ぐ3人であった。
「おはようっ」
どやどやと2日ぶりの教室に飛び込み、手近なクラスメイトと挨拶を交わしていると、にこやかに北川が話しかけてきた。
「おはよう、北川。今日も相変わらず同じ服だな」
「お前だってそうだろう」
学校の制服なのだから、当たり前の話である。下手に違う服を着ていたら、それはそれで校則違反だ。
「残念だったな、北川。俺のは一見同じに見えるが、実は毎日違う制服に着替えてるんだ」
バリアジャケットの構成術を応用すれば、そのくらいの芸当は容易い。
「なにを、相沢。実はオレだってそうさ」
「嘘つけ。どこからどう見ても寸分違わぬ同じものじゃないか」
「そう見えるだろ? 実は裏側が毎日違うのさ」
「俺なんか、着けてるボタンがなだな……」
「……くだらない事で張り合ってるんじゃないわよ。ほら、石橋が来たわよ」
香里の突っ込みと担任教師の登場で、男の意地の張り合いは終わりを告げた。
「勝負はお預けだな、北川」
「望むところだ、相沢」
「仲いいね、ふたりとも」
そんなふたりのやりとりを眺めつつ、名雪はなんとも嬉しそうにのほほんとした感想を漏らすのだった。
チャイムが鳴り、2時間目の授業が終了した。
「今日の国語、宿題多かったわね」
「うん……どうしよう……」
休み時間になると、クラスの中にいくつかのグループが出来る。名雪の机を中心としたグループもそのひとつで、香里と名雪が前の授業の内容に関する他愛のない話題に花をさかせていた。
「そうか、今日の宿題が多い方で良かった」
「なにが良かったのよ?」
祐一の呟きに、香里が不思議そうに訊き返してくる。
「あの先生がいつもこれくらいの宿題を出すんだったら、いきなり国語が嫌いになるところだ」
「あ〜……確かにそうね」
そんな他愛のない会話に興じているうちに休み時間は終わり、気がつくと午前中最後の授業になっていた。
「えー、この部分はテストに出るので覚えておくように」
似たような事をのたまう先生はどこにでもいるものだ、と思っているうちにチャイムが鳴り、昼休みの到来を告げる。
「祐一っ」
その途端に隣の席の名雪が、祐一の席の前に姿を現す。
「祐一は、お昼ごはんどうするの?」
「……そうか、今日は午後も授業があるんだったな」
転校初日が土曜日で半日。日曜日と月曜日が連休だったので、すっかり忘れていた。ミッドチルダ時代はこうして学校に行く事もなかったため、感覚的に不慣れだった。そのあたりを考えると、少しだけ憂鬱になってくる祐一。
「名雪はいつもどうしてるんだ?」
「わたしはお弁当を持ってきて済ませる事もあれば、学食で済ませる時もあるよ」
「ちなみに今日は?」
「学食でランチセットだよ」
「だったら俺も学食だな」
これから先も学食のお世話になる事もあるだろうし、祐一は今のうちに場所を知っておきたかった。
「うん、案内するよ」
「学食なら、あたしもつきあうわよ」
「じゃ、オレも学食でいいや」
香里、北川に続いて学食組が名乗りを上げ、気がつくと総勢7名という大人数で学食へ向かうのだった。
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