第十五話 お昼休みの喧噪

 

「ここが学食だよ」

 見ればわかるものを、名雪はわざわざガイドのように片手を上げて紹介してくれる。その名雪の姿は可愛らしいものであったが、お昼休みでにぎわっている学食前ではただの邪魔だった。

 割と広めに作ってある学食のホールであるが、今までどこに隠れていたんだというくらいの生徒であふれている。

「この人数だと、全員でひとつの場所は無理ね」

 少し背伸びをして奥の方まで覗き込んだ香里が、呆れたように呟く。空いている席はいくつかあるものの、2つ3つの席が並んでいるところがあるだけで、7人という大人数が割り込めるようなスペースはなかった。

「スタートダッシュに遅れたのが致命的だったな」

 北川が冷静に状況判断する。しかし、敗因はそればかりではなく、転校したての祐一を案内するために、みんなで歩いていたのもそうだった。

「仕方ないわね、ここからはバラバラにしましょうか」

 クラス委員も務める香里の意見に、全員が頷く。

「名雪と相沢君は一緒に行動するとして……」

 そう断言した後、香里はにっこりと微笑む。

「あたしも名雪達と一緒でいいわ」

「だったらオレも、美坂チームでいいぞ」

 即座に北川が名乗りを上げる。結局、美坂チームの4人と残り3人のチームに分かれて座る事となった。

「あ、ここ4人分空いてるよ」

「よし、オレが場所取っておくから、オレの分も頼むな」

 名雪の見つけた席を北川が確保にまわる。この素早いコンビネーションは、一朝一夕に鍛えられるものではない。

「あとひとり残っていたほうがよさそうだから……。名雪、お願いね」

「え? わたしも取りに行くよ」

 香里に場所取りを頼まれた名雪が、きょとんした表情で言い返す。

「ダメよ。あんたは要領が悪いから、普通の人の7倍は時間がかかるんだから」

「うー……いいよ、お留守番してるから」

 突きつけられた現実に、多少膨れながらも名雪は素直に席についた。それに名雪が反論しないところからみても、事実であるようだ。

「それじゃあ、買いに行くけど。なにがいい?」

「オレ、親子丼」

「わたし、Aランチ」

「……また?」

 名雪の注文を聞いて、香里は露骨に眉をひそめた。

「あんた、学食にくるといっつもAランチね」

「うん、好きだから」

「たまには違うものを頼みなさいよ」

「学食はたまにしか来ないから大丈夫だよ」

「まあ、いいけどね……」

 経験上香里は、名雪を説得するのは無駄だと悟っているのだろう。それ以上の問答はせずに会話を打ち切った。

「それじゃ、行きましょうか相沢くん」

「ここはどういうシステムなんだ?」

「大丈夫よ。これからあたしがこの学食での闘い方を教えてあげるから」

 頼もしいを通り越して、物騒な話だった。

 やがて全員に注文したメニューがいきわたり、楽しい昼食のひとときとなる。祐一の注文したカツカレーはなかなかの味で、香里が言うにはここのカレーはかなり本格的なのだそうだ。

 そして、名雪がAランチにこだわる理由は、他のメニューにはついてこないイチゴのムースが目当てだという事がわかった。

 

「お腹いっぱいだよ〜」

 名雪は満足そうにお腹をさすり、満面の笑顔を浮かべている。

「あたし、Aランチのメニューは全部暗記している自信があるわ……」

 その隣では、多少げんなりとした様子の香里の姿がある。北川は他のクラスの知り合いと話があるらしく、祐一と名雪、それに香里は一足早く教室への帰途についていた。

「あ、ふたりとも。あたしはちょっと部室に寄ってから戻るから、先行ってていいわよ」

 言うが早いか、香里はさっと部室棟の方へ走っていく。香里と別れた後は、名雪とふたりで教室へ戻る事となった。

 それにしても、香里といい北川といい、名雪とふたりでいると妙に気を使われている様に感じるのはなぜだろうか。相変わらずぽややんとした名雪の横顔を横目で見つつ、祐一はなぜだかそんな事を考えていた。

「名雪……?」

 不意に名雪の姿を消えたのであたりを見回してみると、名雪は廊下で立ち止まって窓の外をじっと見つめていた。

「寝てるのか?」

「起きてるよ」

「どうしたんだ? 名雪」

「あの子、なにしてるのかなって」

 結露の浮かんだ窓の先。校舎の裏側にある、この季節はほとんど誰も足を踏み入れないような場所で、少女がぽつんと立っていた。

「誰なんだろう。寒くないのかな……」

「……多分、風邪で学校を休んでいるにもかかわらず、こっそり家を抜け出してきたこの学校の1年生だろう」

「祐一の知ってる人?」

「じゃあ、俺ちょっと行ってくるから」

「気をつけてね」

 名雪はちょっと不思議そうに首を傾げていたが、それでものんきに手を振って見送ってくれた。

 

「祐一さん、こんにちわ」

「また来たのか、栞」

「はい。また来ました」

 以前に出会った時と同じ場所で、同じストールを羽織った少女が微笑む。

「それで、病気の方はどうなんだ?」

「まだ、休んでいないとダメみたいです……」

 もうすぐ良くなりますよ、とはいうものの、栞の方でもそうは思っていないようだ。

「今日はなにしに来たんだ?」

「祐一さんに会いに来ました」

 冗談めかして、というわけではなく、穏やかな微笑みを浮かべながら、栞は祐一をまっすぐに見る。

「……ご迷惑ですか?」

 祐一の想像以上に、よくわからない女の子だ。

 明かるい表情に元気な仕草、言葉を交わせば交わすほど最初の印象が薄れていく。これが栞という少女の本当の姿なのだろうか。それなら、どうして最初に出会ったときに、栞はなにかに脅えるような表情をしていたのか。まるで雪の様に、本当に真っ白な栞の肌を眺めつつ、祐一はそんな事を考えていた。

「どうしたんですか? 複雑な顔をしてますけど?」

「いや、なんでもない」

「もしかして、風邪ですか? 今年の風邪は性質が悪いですから、気をつけてくださいね」

 栞が言うと、説得力があるのかないのか、かなり微妙なところだった。

「あの、祐一さん。雪、好きですか?」

「冷たいから嫌いだな」

 唐突な質問だったが、祐一は正直に答えておいた。

「私は好きですよ、雪。だって、綺麗じゃないですか」

 栞はその場にしゃがみ込むと、手の平で撫でるように足元の雪を集める。雪よりも白いくらいの小さな手が、まるでおむすびを握るかのように小さな雪玉を作る。サラサラとした粉雪が指の隙間からこぼれて、砂のように流れ落ちていくところは、都会では決して見られない風景だろう。

「そうだ、祐一さん。雪だるまを作りませんか?」

「今からか?」

「はい、今からです」

「このあたりに住んでるんだったら、雪だるまなんて作り飽きてるんじゃないか?」

 そういう祐一も、昔に名雪とふたりで家中を雪だるまだらけにした事があった。後で秋子にしこたま怒られたが、今となってはいい思い出だ。

「小さい雪だるまじゃありませんよ。大きい雪だるまです」

「どのくらい大きいんだ?」

「全長10メートルくらいです」

「いくらなんでもそれは無理だろう」

「材料なら沢山ありますよ」

「材料があったところで、無理なものは無理だ」

 寸法からすると、校舎に匹敵するくらいの大きさとなるだろう。熱意はともかくとしても、多少現実離れした大きさだ。

「栞の病気が治ってからなら考えない事もないが、それでも全長10メートルは保証しないぞ」

「それなら、雪合戦はどうでしょうか?」

 手にした小さな雪玉を見て、栞は表情をほころばせる。

「雪だるまの次は雪合戦か……」

 すっかりその気になって足元の雪を丸めている栞を見て、祐一は小さく呟いた。その時祐一は、もしかすると栞は思いっきり外で体を動かして遊びたいのではないかと思った。

「祐一さん、雪玉の中に石を入れてもいいですか?」

 可愛い顔で怖い事をさらりと言う。

「ダメだっ!」

「ダメですか? そのほうがちょっとエキサイティングだと思うんですけど」

 そう言いながら栞が9個目の雪玉を地面に置いた時、昼休みの終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。

「じゃあ、これで解散だな」

「一生懸命作ったんですけど、無理でしたね……」

 微笑む表情は、どこか寂しげだった。

「ひとりで帰れるか?」

「帰れます。子供じゃないですから」

「大きい雪だるまとか、雪合戦とか、十分子供っぽいと思うぞ」

「そんな事言う人嫌いです」

 膨れた表情で、栞は背を向けた。

「家で寝てるのが寂しい気持ちもわかるけど、ちゃんと安静にしてないと治るものも治らないぞ」

「……そうですね」

 小さく頷いて、栞はもう一度祐一に振り返った。

「約束ですよ。私の病気が治ったら、大きい雪だるまを作ってくれるって」

「ああ、約束だ」

「はいっ」

 自分の精一杯で、栞は元気良く頷いた。

「今日は楽しかったです。祐一さん」

「そうか?」

「はい、とっても楽しかったです。ありがとうございました」

 ぺこりとお辞儀をして、栞はそのまま雪の地面を歩いていく。やがて、栞の姿は雪の中に消えていった。

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 先に戻っていてもいいのに、名雪は律儀に同じ場所で祐一を待っていた。

「祐一は、あの子と知り合いなの?」

「ああ、美坂栞って言ってたな。名雪は知ってるか?」

「ううん、知らない女の子だよ。でも……」

 名雪はなにか思い当たる事があるように、人差し指を唇にあてる。

「香里なら知ってるかもしれないね。同じ名字だし」

 鈴木とか佐藤とかありふれた名字ならまだしも、美坂という名字はそうはないはずだ。

「香里の妹かなにかか? もしくは弟」

「それ、栞ちゃんが聞いたらすっごく怒ると思うよ?」

 予鈴から本鈴までは、5分といったところだろう。5時間目に遅刻するかもしれないというこの状況に置いてなお、のんびりと会話を続ける祐一と名雪であった。

 教室に戻ると、学食組は祐一達ふたりを除いて全員戻ってきていた。

「どうして先に戻ったはずのあんた達が一番遅いのよ?」

「こいつが道に迷ったんだ」

「ええっ? わたしは関係ないよ」

「やれやれ、迷惑かけた上に言い訳か?」

「悪いのは祐一だよ〜」

「大丈夫だって、名雪。みんなどっちが嘘ついてるかぐらいわかってるから」

 当然の事ながら、香里は名雪の味方だ。

「それで、本当のところはどうなの?」

「祐一が中庭で、美坂栞ちゃんって女の子と話してたの」

 栞の名前が出た途端、香里の表情が険しくなる。

「それで、栞ちゃんが香里の妹なんじゃないかって話してただけで……。どうしたの? 香里……」

「なんでもないわよ……。それで、誰? 栞って」

「お前の妹じゃないのか?」

「やだ、なに言ってるのよ。あたしはひとりっ子よ」

 香里はポーカーフェイスを貫いているようだが、表情が微妙にひきつっている。それは香里という少女をよく知るものでなければ、気がつかない程度の微細な変化だった。

「おーい、先生が入ってきたぞ」

 北川の声にその場は解散となり、それ以上の追及が出来なくなる。とりあえず、話は放課後になってからだなと、祐一は思った。

 午後の退屈な授業。しかも内容がさっぱりわからないのでは、授業に集中するほうが難しい。なにか面白い事はないかと祐一が横を見ていると、名雪は真面目に黒板の字をノートに書き写している。

 これならノートは後で名雪に借りればオーケーだ。これで一安心、と思うと同時に、祐一の意識は闇に引き込まれていった。

 6時間目の授業が石橋の担当だったので、授業が終わると同時にHRとなる。それもすぐに終わったので、祐一は席に座ったまま大きく伸びをした。

「名雪、今日も部活か?」

「うん。一応その予定だけど」

 詳しい事は顧問の先生に聞かないとわからないらしい。冬場の部活は体育館の争奪戦となるので、特に普段グラウンドを使っている運動系の部活は休みになる事もあるそうだ。

「そうか……」

「どうかしたの?」

「探してるCDがあってな。帰りに商店街で買っていこうかと思って、案内してもらいたかったんだが、部活じゃしょうがないな」

「うん。CDだったら商店街にお店があるけど……ちょっと説明しづらい場所にあるんだよ……」

 名雪はちょっと申し訳なさそうに声を落とした。

「地図、書こうか?」

 流石にそこまでしてもらうのは悪い気がしたので、祐一は一足先に教室を出た。

 

「しまった、店の名前ぐらいは聞いておくべきだったかもしれない……」

 商店街について早々に、祐一は途方に暮れていた。ちなみに、商店街で祐一が知っている店は、名雪と行った喫茶店と秋子と行ったお米屋くらいのものだ。おまけに、栞の事を香里に聞きそびれてしまうし、今日はなんとなく散々だ。

(昔は、もっといろいろな店を知ってたんだろうけどな……)

 思い出そうとすると、霞みがかったようにおぼろげな感じしかしない。それでも思い出せるのは、断片の様な些細な出来事くらいだった。

「……まったく思い出せないか」

 CD屋を探している今こそ、子供のころの記憶が戻ってほしいと願った事はない。

「祐一くんっ!」

 そんな事を考えていると、元気な声と同時に背中になにか重いものが飛びついていきた。

「やっぱり祐一くんだぁ!」

 首だけ振り返ってみると、あゆが嬉しそうな笑顔でしがみついている。

「え〜い、離れろっ!」

 祐一は勢いよく振り返り、遠心力であゆを無理やり引き剥がした。

「うぐぅ……祐一くんが捨てたぁ」

 雪の上にじかに座りながら、あゆは涙目で人聞きの悪い事を言う。それにしても、商店街であゆとはよく会うな、と祐一は思った。

 その後他愛のない会話に花を咲かせながらも、探し物があると言うあゆにつき合って祐一も商店街を散策する事となる。

 あゆはなにを落としたのか、なにをなくしてしまったのか、本当に不安そうだった。言っている内容はめちゃくちゃであったが、真剣な表情からその事がわかる。

 それは祐一もそうだ。祐一はこの街で過ごした出来事がほとんど思い出せなかったが、名雪はいつものように微笑んですぐに思い出せると言った。

 そして、祐一は実際に思い出した事もいくつかある。しかし、7年前に出来事が、最後の冬の日の出来事だけはどうしても思い出せない。

 本当に見つかるのかどうか。不安げな表情のあゆを連れて、祐一は商店街を歩いていく。その道中、祐一はあゆが食いもの関係のお店ばかりをまわっている事に気がついた。

 陽が落ちる寸前まで数件のお店をまわったが収穫はゼロで、ついでにCD屋も見つからなかった。いつものよう無意味に元気よく笑って商店街の奥へ消えていくあゆを見送って、祐一も家路についた。

 

「ただいま〜」

「おかえり、祐一。遅かったね」

 リビングでは、先に帰ってきていた名雪がくつろいでいた。

「探してるCD、見つかった?」

「CDどころか、店が見つからなかった」

「今度の木曜日だったら部活がお休みだから、一緒に行く?」

「そうしてくれると助かる」

「お安い御用だよ」

 そういって名雪は夕食の支度を手伝うため、キッチンに姿を消す。

 今度の木曜は名雪と商店街か、と思いつつ、部屋に戻って鞄を置いたところで祐一は気がついた。もしかしてこれは、放課後デートというやつではないだろうか、と。

 祐一の中では、即座にマルチタスクを駆使した脳内会議が開催された。

 相手はいとこなのだからノーカンだ。

 いとこでも女の子なのだから有効だ。

 マルチタスクを駆使した会議は、このふたつにまで結論を絞り込んだ。

「キシャァァァァ〜ッ!」

 結局、夕食の時間になるまで答えが出る事はなく、会議はドローのまま幕引きとなった。

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