第十七話 運命の邂逅
「祐一、お昼休みだよ」
「なにぃっ! そうなのかっ!」
「……どうしたの?」
「いや、いつも素で返してたから、たまには大げさに驚いてみようと思っただけだ」
「平和ね……」
祐一と名雪。このふたりのやりとりに、香里が呆れたように口をはさんでくる。そんないつもの光景。
「祐一は今日も学食?」
「いや、俺は外」
「え?」
意味がわからず、頭の上にクエスチョンマークを浮かべている名雪を置いて、祐一は足早に教室から出た。
学食や購買へ向かう生徒達に交じり、祐一は栞のいる中庭を目指して歩いていく。そして、渡り廊下にさしかかった時、祐一は不意に足を止めた。とりとめのない話に花を咲かせながら歩き去る生徒達の流れから取り残されるように足を止めたまま、祐一は職員室や談話室の並ぶ廊下へ視線を向けていた。
そこには、曇り空を窓越しに眺めつつ、昼休みの喧噪から逃れるようにひとりの少女が佇んでいる。
(……どこかで見た顔だな)
背中まで届く長い黒髪を、薄い紫色のリボンで束ねた少女。すらりとした長身の持ち主である彼女は、闇の書の関係者で舞と呼ばれた少女にそっくりだ。と、言うよりも本人そのものである。祐一は舞と直接戦闘をしたわけではなく、最初の時は無様に弾き飛ばされただけなので、じっくり見ている余裕などなかった。それ以後は遠めのサーチャー越しなので、細かい特徴など覚えているはずもない。
この場に彼女との戦闘経験の多い香里がいてくれたらなにかわかるのかもしれないが、今はないものねだりをしている場合ではない。
そこで祐一は、彼女との接触を図ってみる事にした。
「よぉ」
祐一は自然に声をかけてみたが、半分予想していた通りに返事はない。少女は一度祐一の方に目を向けるものの、すぐに興味を失ったように視線を窓の外に戻す。祐一の存在には気付いているのだが、まるで眼中にないような態度だった。
戦闘中は制服っぽいバリアジャケットだったので気がつかなかったが、今彼女はリボンの色が青い制服を着ている。名雪達2年生の制服が赤で、1年生が緑色だから、彼女は3年生だという事だ。
とはいえ、祐一の方でも彼女が闇の書の関係者であるかどうかを訊くわけにもいかない。仮に彼女が一般人だった場合、いらない誤解を招きかねないからだ。
さて、どうすればコミュニケーションが成立するのか。祐一はしばしの間思案する事となる。
「返事だけでもしてくれ。『はい』か、『いいえ』だけでもいいからさ」
少女は無言のまま祐一を見る。こうして改めて見てみると、手足が長く顔の小さいモデル体形で、敏捷そうな身体は細身であるのに、胸とか腰の部分ははっきりと女性らしいラインを描いている。やや伏し目がちの瞳はすっと切れ長で、どれをとっても綺麗という形容がしっくりくる少女だった。
「俺の事を知ってるか?」
「………………」
あまりにも質問がダイレクトすぎたのか、印象的な黒い瞳は興味を失ったように祐一から窓の方へ戻る。おまけに表情ひとつ動かさないのでは、顔色から質問の真偽を問うというわけにもいかず、祐一の予想以上にコミュニケーションは難航していた。
それ以前の問題として、コミュニケーションを成立させるための話題作りに苦労しているのであるが。
なんとかしてインパクトのある話題はないものかと、祐一が思案しはじめた時だった。
「舞、ごめーんっ!」
声をした方を見ると、青いリボンの制服を着た女生徒が慌ただしく駆け寄ってくるところだった。
「って、あれ?」
祐一の存在に気付くと、その女生徒は驚いたような表情を見せる。舞、と呼ばれた少女といい、今現れた少女といい、祐一は確かにどこかで見覚えがあった。特にこの少女は、現場付近にいた佐祐理という少女にそっくりなリボンをしている。
「えっと……。お友達ですか? 舞の」
「彼氏だ。全校公認のな」
「ふぇー……」
「こらこら、否定しないから信じてるじゃないか、この人」
「いいえ」
「いや、まんま『いいえ』じゃなくて、先輩なんだから『違う』とか『そうじゃない』とか言いようが……」
「そうじゃない」
「遅すぎるっ!」
答えてくれたのはいいのだが、どうにも会話のテンポがつかみにくい。名雪も結構マイペースなしゃべり方をするが、この少女を見ていると上には上がいる事がわかる。
「はー……。で、どういうお知り合いなんですか?」
祐一の冗談だという事がわかり、女生徒は気を取り直したように祐一へ視線を向けた。
「いや、知ってる奴に似ているような気がして、それで声をかけただけなんだが……」
「それだけですか?」
「それだけだな……」
こうして考えてみるとただのナンパで、しかも失敗している。興味をひかせるどころか、完全無視では敗北もいいところだった。
「じゃあ、一緒に御飯でも食べましょうか?」
名案、とばかりに女生徒は両手を合わせる。
「なぜ、そうなる?」
「舞とお話していたんですよね?」
当の本人とは対照的に、この女生徒は人懐っこそうな視線を祐一に向ける。
「でも、今から舞は佐祐理と一緒に御飯を食べるんですよ。だから、よろしければ一緒にどうかなと思いまして」
一人称が名前かよ、と軽いインパクトを受けつつも、祐一は佐祐理の誘いをどうするか真剣に考え込む。
舞もそうだが、この佐祐理という少女からも尋常ではないなにかを感じる。下手に誘いに乗ってしまうと、そのまままっとうな世界に帰れなくなってしまうのではないかという危機感すらある。
「……ふぇ?」
「いや、今日は友達と約束があるんで」
実際に、祐一は栞のところへ行く途中だ。
「はぇ〜……そうなんですか。残念です」
本当に残念そうな佐祐理の表情を見ていると、流石の祐一も心が痛む。
「機会はまたあるだろうしさ。今日はこの辺で」
言いながら祐一は、すでにふたりに背を向けていた。
「はい。ではまた明日ーっ」
佐祐理の明るい声が祐一の背中に届く。そんな約束はしていないし、もう会う事もないだろう。
同じ学校の生徒が闇の書に関わっているとは考えにくいが、一応念には念を入れておく必要がある。そこで祐一は、ひそかに監視をつけておく事にした。
世の中にはよく似た人物や似たような名前というのはあるものだ。そう考えながら階段にさしかかった祐一は、そこでひとりの少女とすれ違う。
「あいつは……」
襟足のところで軽くカールしたあずき色の髪と、表情に乏しいどこか影のある少女。彼女は美汐と呼ばれた少女にそっくりだ。さっそく祐一は声をかけてみようとしたが、少女は足早にお昼休みの雑踏の中に消えていった。
追いかけようかと思ったが、下手をすればいらない誤解を招きかねない状況であるのも確かだ。とりあえず、闇の書に関係する3人がこの学校の生徒であるらしい事を収穫とし、中庭に急ぐ祐一であった。
「すみません、遅れました」
「いいんですよ〜、佐祐理も今来たところですから」
祐一が立ち去ってからしばらくして、舞と佐祐理のところへ美汐が姿を現した。
「立ち話もなんですから〜」
「いつものところですね」
鷹揚に舞が頷いて、3人は移動を開始する。そこは屋上に出る一歩手前の踊り場だった。佐祐理は消火栓の裏からビニールシートを取り出すとその場に敷き、その上に重箱の様な弁当箱を並べていく。
「はい、どうぞーっ」
毎度の事ながら、これだけのお弁当を用意するのは大変なんじゃないだろうかと美汐は思う。それは、闇の書の守護騎士としての使命を与えられ、佐祐理達と行動するようになってからいつも思う事だった。当の美汐も入学当時から孤独に過ごしてきた自分が、こうして美人の先輩ふたりと一緒にお弁当を食べる事になるとは夢にも思わなかった。
佐祐理に言わせると、お弁当は机で食べるよりこうやって地べたに座って食べたほうが美味しいとの事。確かに教室でこういう食べ方をしようとすると、他の人に机や椅子を借りて動かしたりしないといけない。そうした面倒な思いをするよりは、こうして車座になって食べたほうが遠足みたいで楽しいという佐祐理の意見には、深く同意するものがある。
「それで、進捗状況はどうなのでしょうか?」
食事中にするような会話ではないが、こういう時でもないと話が出来ないという事情がある。本来なら念話でも用いれば済むような事なのであるが、今は本格的に時空管理局が出てきてしまっている以上、不用意な魔法の使用は避けなくてはいけない。
幸いにして、この場は佐祐理の持つデバイス『まじかるすてっき』の効果によって、魔力を遮断する空間が形成されている。直接話さなくてはいけないという煩わしさもあるが、ここで話される内容はこの場にいる3人以外には伝わらないし、人払いの効果もあるので誰も近づかない。なにより、魔力等を用いて外部から感知する事も不可能だ。
「とりあえず、残り60ページというところでしょうか。ただ、今は管理局の人達がいますから、あまり派手な行動は出来ないんですよね〜」
あはは〜、といつもの様に笑いながら、佐祐理は美汐に紅茶の入ったカップと割りばしを差し出す。ちなみに舞はすでにどっかりと腰を落ち着け、ひとり黙々と弁当箱をつつきはじめている。相変わらず、マイペースというかなんというか。
「それで、あのシュヴァルツという人物なのですが……」
「はぇ〜、一体誰なんでしょうね〜」
一応、ここにいる3人は、みんななんらかの形でシュヴァルツに関わっている。いずれも危ないところを助けてもらったり、魔力の蒐集の手助けをしてもらったりしている。ところが、このシュヴァルツという人物の事を、誰も知らないのだ。
どこの誰であるかも、なんの目的があるのかも。
「完成した闇の書を、利用しようとしているのかもしれませんね」
「そんな事がありえるのですか?」
なんとも呑気な佐祐理の言葉に美汐は反応するが、実を言うとその答えは誰も知らなかった。なにしろ美汐達は、どこの誰ともわからない相手からデバイスを与えられ、ある種の使命感から実行役となっているにすぎないからだ。
「どうにも腑に落ちないところがありますね……。もしかしたら、闇の書には私達の知らない秘密がまだあるのかもしれません……」
デバイスを与えられ、高い力を持つ魔導師となった事で、美汐はどうにも慎重にならざるを得ない。あの時の自分に今の様な力があれば、と思ったのは1度や2度の事ではないからだ。
「とりあえず、現在までは順調ですね?」
「闇の書のページも増えていますし、順調だといえます。しばらくはおとなしくしていないといけませんけど、そのおかげで管理局の方も佐祐理達を追い切れていないようですから」
名雪と香里の持つ膨大な魔力を蒐集できたのは、ある意味においては僥倖であった。そのおかげであまり派手な蒐集活動をする事無く、あと一息のところまで持ち込めたのだから。
「ところで、美汐さん。主の方はどうですか?」
「相変わらずの様です。最近は調子がいいのか、中庭の方に来ているようですが……」
なにをしに来ているのかはわからないが、ここのところはほぼ毎日来ているようだ。美汐は上級生の誰かと会っているという噂話を耳にしているが、肝心の相手が誰なのかまでは把握していなかった。こういうところで、自分の交友関係の狭さが悔やまれるところだ。
「とにかく、近いうちに主の様子を見に行って見ましょうか」
「そうですね……」
そして、美汐と佐祐理もお弁当をつつきはじめる。ちなみに、ふたりが話している間中、舞は黙々と食べているだけだった。
この時期の中庭は、当然のように学内の喧噪から隔離された場所だった。暖かくなれば格好の休憩場所になりそうな所だが、今はすっかり雪に覆われてしまっている。
「よぉ」
「こんにちは」
セリフだけ聞いているとなんでもないやりとりだが、場所が場所だけになんとも不思議な光景となっている。
「寒くないか?」
「もちろん、寒いですよ」
ストールを羽織っているので暖かそうであるが、短いスカートが寒そうだ。オーバーニーソックスの絶対領域を楽しむにも、季節感というものが必要だろう。
「そう言えば栞は、どうしてここに来るんだ? なぜ、いつもここにいる?」
ふと思った疑問を祐一は口にする。最初は誰かに会いに来たと栞は言った。次は祐一と話すために来たと栞は言う。それなら別にこんな寒いところじゃなくてもよさそうなものだ。
「私がここにいる理由ですか? 実は、私にもよくわからないです」
そう言って栞は、可愛らしく小首を傾げた。
「わからない答えを探すために来ている、という答えはどうですか?」
微かに垣間見せた、今までとは明らかに違う栞の表情。祐一はこれが彼女の本質なのではないかと思った。
「今のセリフ、ちょっと格好いいと思いませんか? 祐一さん」
「いや、まったく」
「うわっ、ひどいですよ。これでも一生懸命考えたんですから」
いつの間にか、栞はいつもの明るい笑顔をのぞかせた。
「そんなの考えている暇があったら、風邪を治す事を考えろ」
「こう見えても暇なんですよ」
「それはわかるけどな……」
「明日は別の理由を考えておきます」
「考えなくていいから、家でおとなしくしてろっ!」
「……残念です」
先程見せたような悲しげな表情は微塵もなく、祐一がよく知る栞の姿に戻っていた。
「それで、いつになったら風が治るんだ? 医者はなんだって?」
「医者の言う事を聞かない、困った患者だって言ってます」
「いや、そうじゃなくて……」
「冗談です」
にこっと微笑んだ時に、栞のお腹が小さく鳴った。
「お腹すきましたね……」
「俺もなにも食ってないからな」
ここへ来る前になにか買ってこようとは思っていたが、予期せぬ出会いのせいですっかり忘れていた。
「それじゃあ、俺がなにか買ってきてやるよ。栞はなにがいい?」
学食の購買に行けば、なにか食えるものが売っているだろう。サンドイッチでもカレーパンでも、よりどりみどりだ。
「アイスクリームがいいです」
「アイスって……あの冷たいアイスクリームか?」
「暖かいアイスクリームって、あるんですか?」
アイスをてんぷらにする、というのは聞いた事があるが、ダイレクトに暖かいアイスというのはあるのかどうか。なんでこんな寒い時期にアイスなのかと祐一は思うが、栞に大好物なんですと微笑まれてしまっては断りようがない。
「わかった、買ってきてやる」
「あ、祐一さん。バニラをお願いしますね」
ここまでくると、苦笑するしかない祐一であった。
「……美味しいです」
「それは良かったな」
売っていない事を期待していた祐一であったが、このくそ寒い時期だというのに購買の冷凍庫にはアイスが置いてあった。
木べらをくわえて目を細める栞を横目で眺めつつ、祐一は冬にアイスを販売している非常識な校風にため息をつきながら買ってきたツナサンドをくわえる。
「祐一さんは、アイスクリームを食べないんですか?」
「俺は医者に止められているんだ」
それ以前の問題として、こんな寒い中でアイスなんて食ったら確実に腹を壊してしまう。
「栞こそ大丈夫なのか?」
「私は医者に止められていませんから」
そう言う問題じゃないような気もするが、普通はそんな常識的な事を医者が言ったりはしない。
まわりの雪と比較して、白いというよりもクリーム色のアイスをカップからすくい取り、小さな口へ運ぶ栞。祐一にしてみれば、見ているだけで寒くなる光景だ。真冬の中庭で、風がひゅうひゅうと音を立てて通り抜ける中、ふたりきりで雪に囲まれてアイスクリームとツナサンドを食べる。
特に会話を交わす事もなく、黙々と食事を続けているうちに、昼休み終了のチャイムが鳴る。結局、昼休みの時間全てを使って昼食をとった事となった。
「この季節は、ゆっくり食べてもアイスクリームが溶けないからいいですよね」
なんとも呑気な栞のセリフに、祐一はこの日何度目になるかわからない苦笑を洩らした。
「また、来てもいいですか?」
アイスを食べ終え、スカートにうっすらと積もった雪を払いながら栞が立ち上がる。
「昼休みの時間だけならな。まあ、本当は風邪を治したほうがいいと思うけどな」
「あはは……そうですね。それでは、今日はこれで帰ります」
栞は丁寧にお辞儀をして、ゆっくりと校門に向かって歩いていく。
「あ、祐一さん……」
その途中でくるりと振り返り、栞は祐一に微笑む。
「また、明日です」
「ああ、また明日な」
それからは振り返る事無く歩いていく。いつの日か栞が制服姿で現れる事を願いながら、祐一も校舎へ戻るのだった。
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