第二十話 動きはじめた時間
「良かったね、CD見つかって」
「しかし、わかり辛すぎるぞ、この店」
商店街の片隅で入口が人目につかない場所にあるうえに、看板すらないのでは見つけようがない。
「道理で今まで散々探してみても見つからなかったわけだ」
「でも、あきらめなかったから見つかったよ」
「まぁな」
名雪という水先案内人がいたから見つける事が出来た、というのが事実である。実際、あゆと探していても見つかる気配すらなかったからだ。
あきらめなかったから見つかった、と名雪はいつものようにのほほんと笑っている。と、いう事は、あゆの探し物もあきらめさえしなければ、いずれは見つかるという事だ。
「帰ろっか、祐一」
「そうだな」
あたりはすっかり夕暮れの赤に染まり、名雪の横顔も真っ赤になっている。今日の夕飯はなんだろうかと少し心を弾ませながら家路につくと、突然名雪が小さく声を上げた。
「どうした?」
「時計、止まってる」
見ると名雪の左手首に巻かれた腕時計が止まっている。どうやら電池が切れてしまったようだ。
「どうしよう、時計が止まったままだと不便だよ」
確かに朝の残り時間がわからないというのは不便だし、どれだけ走ればいいのかの目安がわからなくなってしまうのは不安だ。
「幸いここは商店街だ。どっか時計屋に寄って、電池を換えてもらったらどうだ?」
「うん……」
名雪は腕時計と祐一を交互に見た。
「そうだね。ちょっと遅くなっちゃうけど、祐一が一緒なら安心だよね」
しばらく歩くと、目的の場所はすぐに見つかった。時計屋に入っていく名雪についていこうかと思ったが、特に用事もないので祐一はそのまま外で待っている事にした。
すると、突然その背中がぽんと叩かれた。
「名雪か?」
ついそう訊いてしまったが、たった今店に入っていったばかりの名雪が背後に回り込むなんてありえない。
「なゆき……?」
振り向くと、あゆが小首を傾げている。
「もしかして、食べ物?」
「お待たせ、祐一……?」
店から出てきた名雪が、あゆの姿を見つけて小首を傾げる。よくよく考えてみると、名雪があゆと会うのはこれがはじめてだ。
「あれが名雪だが、食べるか?」
「うぐぅ、いじわる……」
とりあえず、祐一は簡単な紹介をふたりにしておいたが、あゆは緊張した様子で名雪を見つめており、名雪は事情がわからないので小首を傾げている状態となった。
「えっと、あゆちゃんって呼んでいいのかな?」
先に話しかけたのは名雪の方だった。
「うん、あゆちゃんでいいよ」
「それじゃあ、わたしの事もなゆちゃんでいいから」
「いや、それはややこしくなるからやめてくれ」
あゆちゃんとなゆちゃんでは、呼び分けるのが面倒だ。
「そうだね。やっぱり名雪さんって呼ばせてもらうよ」
「残念」
どうやら名雪は、なゆちゃんと呼んでほしかったらしい。しかし、祐一的にそう言う呼び方は、名雪には似合わないような気がした。
「それで、祐一くん達はなにをしてるの?」
「なにって、名雪の時計の電池が切れたから、直しに来たんだ」
「時計なら直ったよ」
ほら、と見せた時計の秒針が、再び時を刻みはじめている。
「それにね、可愛い時計があったから買っちゃった」
「そんなものなんに使うんだ?」
「目覚ましだよ」
「起きないだろ、名雪は……」
ただでさえ名雪の下手には大量の目覚まし時計に混じってカートリッジチャージャーが置いてあるのだから、ややこしい事この上ない。なまじデザインが似ているせいか、ぱっと見た目では区別が出来ないのだ。
「今度のは大きいから、明日からは大丈夫だよ」
どこからそう言う自信がくるのかわからないが、名雪は大きく頷いていた。
「……祐一くんと名雪さんって、仲いいんだね」
その後も取りとめのない話に花を咲かせていると、不意にあゆがそんな事を口にした。
「そりゃ、いとこだからな」
「いとこでも、親子でも、絶対に仲がいいとは限らないよ」
あゆにしては、もっともな意見だと祐一は思った。
「祐一くんに、名雪さんに、秋子さん……。本当に、仲のいい家族だよね。ちょっと、うらやましいかな……」
そこに真琴も加わって、仲の良い家族の風景が出来上がる。そんな事をあゆは、なんとも寂しげな表情で語るのだった。
「そうだ、あゆちゃん。これから用事ある?」
「え?」
「良かったら、これからうちに遊びに来ない?」
思わぬ誘いだったのか、あゆは鳩が豆鉄砲をくらったかのような表情で名雪を見つめた。
「お母さんも大歓迎だと思うんだけど、どうかな?」
「でも、日が暮れちゃうよ……」
「それなら、泊っていったらいいよ」
笑顔でそう言う名雪に、あゆは戸惑っているようだ。
「別に泊っていってもいいんじゃないか? それが無理なら俺が送ってやってもいいし」
名雪が乗り気なのに、理由もなく反対する気は祐一にはなかった。それに、どこか寂しげな表情をしたあゆを放っておけないという気持ちもある。
「……本当にお邪魔してもいいの?」
「うん。大歓迎だよ」
「俺もかまわないぞ」
秋子は問題なく歓迎してくれるだろう。しかし、問題は真琴の方だ。真琴は意外と人見知りをするタイプなので、あゆみたいな奴と合わせてみたらどんな反応をするか、祐一は内心楽しみしていた。
「……うん。それじゃあ、お世話になります」
名雪のラブコールに根負けしたのか、あゆはこくんと頷いた。
「決まりだね」
それを見て名雪も、嬉しそうに頷いた。
家に帰って事情を説明すると、僅か1秒で家主の了承が得られた。このあたりは、流石秋子と言うべきところだ。
祐一が私服に着替えてリビングに下りていくと、そこであゆと真琴が対峙していた。
「うぐぅ……」
「あぅー……」
一応、コミュニケーションはとれているようだ。おそらくは祐一達が帰ってきたので出迎えようとした真琴と、リビングに通されたあゆが鉢合わせになったのだろう。あたりには不思議な緊張感が漂っていた。
「お待たせ」
少し遅れて、名雪が姿を現す。その途端に、真琴の表情に安堵の色が灯った。
「あ、紹介するのが遅れたね。あの子は沢渡真琴。事情があって、ちょっと前から家にお世話になっているんだよ」
「あぅーっ……」
しかし、まだ真琴は警戒の様子を解かない。
「それでね、この子は月宮あゆちゃん。祐一のお友達で、今日はここに泊まっていくから」
「月宮あゆです」
「あ、あぅ……沢渡真琴……」
お互いに自己紹介をする事で、先程までたちこめていた緊張感が霧散していった。
「えっと……真琴ちゃんも、祐一くんのいとこ……?」
「いや、違う。違うが……」
「家族だよ」
名雪は笑顔で、そう言いきった。
その後はキッチンから姿を現した秋子と5人で、他愛のない話に花を咲かせていた。
「そろそろ晩御飯の支度をしないとね」
「あ、わたしも手伝うよ」
秋子と名雪がキッチンに姿を消す。
「ボクもお手伝いしようかな……」
「えらいな、あゆは。真琴にも見習わせたいくらいだ」
「なによぅ」
出会いたてのころはどうなるかと思ったが、秋子の話術が巧みだったおかげでふたりが打ち解けるのは早かった。お互いに祐一への不満を口にした事で、意気投合したらしい。
「でもさ、祐一くん」
「なんだ?」
「名雪さんって、綺麗な人だよね」
「そうか?」
「そうよぅ。祐一、おかしいんじゃない?」
あゆの意見に賛成なのか、真琴が唇を尖らせた。意外と真琴は祐一の知らないところで、普段から名雪のお世話になっているのかもしれない。
「そうだよ。だってボクびっくりしたもん」
すらりとした長身で、綺麗でサラサラのロングヘア。物腰は落ち着いていてスタイルもいいし、リビングから覗いてみると手際よくお料理もしている。女の子の視点からすると、名雪は理想的な存在なのかもしれなかった。
「そうなのか……」
しかし、普段の天然ぶりをよく知る祐一にとっては、名雪が綺麗とか言われてもいまいちピンとこなかった。祐一のそういう態度が、真琴には不満なのかもしれない。
「ボクも大きくなったら、名雪さんみたいになれるかな?」
「無理だな」
即答する祐一。
「あぅー、どうしてよぅ?」
「だって名雪とあゆは同い年だぞ?」
「そうなの?」
真琴はあゆの顔をまじまじと見る。どうやら真琴は、あゆを自分より年下だと思っていたらしい。
「俺とあゆは同じ年なんだから」
「そうなんだ……」
あゆは相当ショックを受けたようにうつむいた。
「そんなの気にする事無いって。あゆにはあゆのいいところがあるだろ?」
「うぐぅ、例えば?」
「そうだな……。電車やバスに乗る時、料金が半額でいいだろ? いつまでたっても昔の服が着られるだろ? 他には……」
「全然嬉しくないもんっ!」
祐一のフォローは逆効果だったようだ。
「それにな、どちらかというと名雪の方が変わりすぎたんだ……」
不意に祐一は、遠い眼をした。中身はそれほど変わっているようには見えないが、その容姿は明らかに祐一の思い出の中にある少女の姿とは異なっていた。他人の目から見て、綺麗と形容するのが当たり前なくらいに。
「晩御飯、出来たよ〜」
そんな事を話していると、キッチンからひょこっと名雪が顔を出す。すると、真琴が大きく両手を上げ、全身で喜びを表現してキッチンへ向かう。それを見て祐一とあゆも、なんとなく微笑ましい気持ちになってキッチンへ向かうのだった。
この日の晩御飯はあゆが泊りに来たせいか、いつになく豪華なメニューが並んでいた。
「そういえば、今日あゆはどこで寝るんだ?」
水瀬家の2階には4つの部屋があるが、いずれも埋まっている。祐一と名雪、それに真琴でそれぞれ1部屋ずつ使っている。残りの1部屋も管理局関係の機材で埋まっているので、客室としては使えないのだ。
「それなら、わたしと一緒だよ」
修学旅行みたいだよね、と言って、名雪とあゆは微笑んだ。どうやらお互いに不満はないらしい。こうして、にぎやかなうちに晩御飯の時間は終わりを告げるのだった。
この夜、祐一は夢を見た。
一面の赤。
夕焼けの赤。
赤い雲。
赤い雪。
微笑む女の子。
指切り。
最後の言葉。
そして、約束。
目を覚ますと、真っ暗な天井が見えた。耳鳴りがするくらいの静かな部屋の中で、同系色に統一された家具が冷たい空気の中で佇んでいた。枕元に置かれた時計から、秒針の音が聞こえるくらいの静寂の中で、祐一は暗闇の中で時計を手探りで手繰り寄せて時間を確認する。
「……3時か」
青く鈍く光る文字盤を確認して、祐一は小さく呟いた。何者かの襲撃があるわけでもなく、こんな夜中に目が覚めてしまうのは最近では珍しい事だ。
あゆが来ているので遠慮しているのか、この日は真琴の悪戯もない。どうしてこんな夢を見たのかと疑問に思うが、いくら考えても答えが出る事はなかった。
なにか夢を見ていたような気もする。しかし、なぜかその夢の内容はまったく思い出せなかった。
内容は全くわからないのに、祐一は夢を見ていた事がはっきりとわかる。なんとも不思議な感覚だった。
何重にも霞がかかったように、さっきまで見ていたはずの情景が思い出せない。
屋外なのか。室内だったのか。それとも、その両方なのか。出ていた人物も、祐一1人だったのか。他にも人がいたのか。それとも、祐一もいなかったのか。それすらも思い出せない。
夢の内容が思い出せないなんて事はよくあるはずなのに、どうしてこんなにも気になってしまうのか。
朝まではまだ時間がある。そう思いなおして祐一は、布団にもぐりこんで体を丸めるのだった。
この日祐一は、目覚ましよりも少しだけ早く目を覚ましたので、なにをするでもなく天井を見つめていた。結局、あの後一睡もできなかったのだ。
「……そろそろ起きるか」
鳴る事のなかった目覚まし時計をオフにして、祐一は手早く身支度を済ませると部屋から出た。
すると、時を同じくして隣の部屋の扉がカチャリと開き、中からパジャマ姿の名雪がぽーっとした表情でふらふらと姿を現した。
「起きてるか?」
歩いて扉を開けているのだから、普通であれば寝ていないはずはないのだが、良くも悪くも名雪は普通ではない。その証拠にその後ろから姿を現した香里が、まるでお手上げという感じで肩をすくめていた。
「……にんじん」
「は?」
「……わたし、にんじん食べれるよ」
普段から浮世離れしているような感じのする名雪は、朝はさらにそれが3倍くらいに跳ね上がるようだ。とはいえ、おそらく昨夜は寝る前にあゆと仲良くお喋りでもしていたのだろう。そのせいで睡眠時間が減ってしまったのだとしたら、ある意味かわいそうである。
「寝てるだろ、名雪」
「……らっきょも好きだもん」
間違いなく、名雪は寝ているようだ。そこで祐一は、非殺傷設定の拳で名雪の頭を軽く小突いた。
「うく……あれ……?」
「おはよう、名雪」
「名雪、おはよう」
祐一と香里が前と後ろから朝の挨拶をするが、名雪は状況が全く飲み込めないらしく、きょろきょろとあたりを見回している。
「今日もさわやかな朝だな」
「なんだか頭が痛いよ……」
そう言って名雪は頭をさするが、どこかにぶつけた様子もなくコブも出来ていなかった。
「それはきっと、二日酔いだな」
なんの前触れもなく、突然そんな事を言い出す祐一に香里は突っ込んでしまいそうになるが、すんでのところで必死にこらえた。
「わたし、お酒なんて飲まないよ?」
「なに言ってるんだ。昨夜、夜中にキッチンで一升瓶ごとがぶがぶやっていただろう」
「えっ?」
「俺がせっかくコップを出してやったのに、こんなもんでちびちび飲んでられるかって言って」
「ええっ? 嘘だよ」
「しかも、酔った勢いで裸踊りまで披露してたな」
「わっ、そんな事してないよっ」
「いやあ、俺も驚いたよ」
「そんなもっともらしく冷静に言わないでよ〜」
「じゃあな、名雪。俺は先に下りてるから」
「何事もなかったかのように歩いていかないでよ〜」
「本当に仲がいいわね、あなた達って」
そんなふたりのやりとりを、香里は苦笑しながら見守っていた。
「おはよう、祐一くん」
「ああ、おはようあゆ」
キッチンでは、すでに起きていたあゆが朝食を食べていた。よく見ると、その隣では真琴が小さく縮こまって、もそもそとご飯をかきこんでいる。
「秋子さん、ご飯お代わり」
「はいはい」
昨日まではトーストにジャムという洋風の朝食だったのに、今日は一転して和風の朝食となっていた。祐一の両親が共稼ぎであるせいか、こうして朝食に作りたてのものが出てくるのは珍しいし、なによりメニューが変わるなんて事は到底考えられない事だった。
「秋子さん、卵お代わり」
「はいはい」
朝も早いというのにあゆの健啖ぶりは凄かった。あの小さな体のどこに入るのか、元気よくもりもりと食べている。
「秋子さん、お醤油もらっていいかな」
「はいはい」
「秋子さん、このお漬物すっごく美味しいよ」
「……よく食べるな、あゆ」
「育ち盛りだもん」
ダイエットと称して朝食を食べない女の子が増えていく中で、あゆの言葉は実に健康的だった。
「祐一くん、秋子さんって料理ならなんでも得意なんだね。昨夜の御飯もすっごく美味しかったもん」
「お前も少しは遠慮しろよ……」
「だって、お腹空いているんだもん」
にっこりと微笑んで、あゆはお代わりしたご飯にしば漬けを乗っけている。
「このしば漬け、秋子さんが自分で漬けたんだって」
確かに秋子なら、それぐらいはすると思われた。そもそもこの家に、インスタント食品の類があるかどうかも定かではないのだから。
「お料理の上手な人って、羨ましいよね」
「確かにな」
祐一の出来る料理と言えば、焼きそばがせいぜいだ。なにしろ祐一は、インスタントの焼きそばのお湯を捨てずにソースを入れた実績の持ち主だ。その事を名雪に話したら、お皿を並べる係に任命された事もある。
「そう言えば、名雪も料理は得意のようだ」
「そうなの?」
「昨夜のメニューは見たろ? あれは名雪が手伝っているんだ」
その意味では、名雪は秋子と遜色ない料理が作れるという事だ。同世代の女の子と比較しても、その腕前はトップクラスだろう。
「ねえ、祐一。さっきの話、嘘だよね」
そんな事を話していると、キッチンに名雪が姿を現した。その後ろから香里も姿を現し、食卓についているあゆの姿を見て怪訝そうな顔をするものの、特に追及する事無く席につく。後で香里から聞いた話によると、秋子はにぎやかなのが好きであるらしく、朝食の場に道端であった知り合いを招待する事もあるのだそうだ。だから、そんな事でいちいち驚いていられないとの事。
「おはよう、名雪。二日酔いはもう大丈夫なのか?」
「うぐぅ、二日酔い?」
「わっ、なんでもないよあゆちゃん」
怪訝そうな表情で聞き返すあゆに、名雪はわたわたと手を振った。
「祐一、もう変な事言わないでね」
「俺はいつだって真面目だ」
「うん、祐一はいつも真面目に変な事を言うから」
どうやら名雪は、祐一の冗談もすっかりお見通しのようだ。
こうして、あゆを交えた朝食の時間は静かに過ぎ去っていくのであった。
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