第二十二話 和解の時

 

 土曜日の学校は特にこれといった出来事もなく進行し、気がつくと4時間目の授業が終了してHRがはじまっていた。教室はまだ静寂の只中にあるが、それもあと数分で放課後の喧噪に包まれる。

 担任の話を右から左へ聞きながしつつ、祐一はこの土曜日をどう過ごすかで頭がいっぱいだった。

(……やばい、どうすりゃいいんだ)

 栞はデートだと大喜びだったが、祐一は大弱りだった。なにしろ、女の子とデートをした経験など皆無に等しいからだ。

 ミッドチルダ時代は訓練に明け暮れてそういう事をしている余裕はなかったし、こっちに来てからは交友関係の狭さからそうした事態になる事もなかった。唯一、例外的なのが名雪と一緒に放課後の商店街に行ったくらいだが、それをデートにカウントするのはなんとなく負けの様な気がした。

 傍から見れば名雪のような綺麗系の少女とふたりで商店街へ行くのだから、かろうじてデートの範疇に入るのかもしれない。しかし、祐一の感覚としては兄妹が仲良く商店街を散歩しているぐらいのものなので、やはりデートと呼べないのではないかと思う。

 そんな事を考えていると、今日は特に話題もないらしく、僅か1分程度でHRは終了してしまった。

「祐一〜、放課後だよ」

「わかってるって」

 落ち着いて悩んでいる時間もない。結局、無策でデートに臨む祐一であった。

 

 教室を出るときに確認すると、時刻は午後1時の少し前。栞と約束した時間までそれほど余裕があるわけではないが、待ち合わせ場所までの距離を考えると丁度いいのかもしれない。

 いつものように直接中庭に出るわけにもいかなかったので、祐一は放課後の予定を熱心に話し合う下校途中の生徒達をかき分けながら1階へ降り、昇降口で靴を履き替えて中庭に向かう。多少遠回りになるが、校舎沿いに歩けば目的地につくはずだ。

「祐一さ〜んっ!」

 中庭にたどり着くと、祐一の姿を見つけた栞が元気良く手を振っている。

「祐一さんっ、祐一さ〜んっ!」

「そんなに呼ばなくてもいいって」

「今日は土曜日で学校も半日ですから、ちょっと嬉しいんです」

「風邪で学校休んでいるんだから、そんなの関係ないだろ?」

「そんな事無いですよ。気分の問題ですから」

 見渡す限りの白い風景の中で、嬉しそうにはしゃいでいる白い肌の少女を見ていると、本当に病気なのか疑いたくなってくる。しかし、昨夜香里から聞いた話では、栞は確かに病気のはずだ。

「それだけ元気そうなら、来週から学校に来れるんじゃないか?」

「それを決めるのは私ではないですから、なんとも言えません」

「決めるのは医者か?」

「はい、お医者さんです。明日病院に行って、診察をする予定なんです」

「日曜日に診察をしてくれるのか?」

「こう見えても私、常連さんですから」

 そういう問題でもないだろう。いくら常連でも、休みは休みのはずだ。そう祐一は思うのだが、ある意味で栞は病院と縁が深いのだろう。

「こうしていても寒いだけだから移動しよう。栞はどこへ行きたい?」

「祐一さんが連れてってくれるんですか?」

「ああ。と、言っても俺もあまり詳しくないから、知ってる所にしか連れていけないけどな」

「祐一さんの知ってる所ってどこですか?」

「先ずは商店街。次に学校。最後が居候先の自宅だな。栞はどこへ行きたい?」

「……商店街でいいです」

 ある意味では選択の余地がない。

「それでは行きましょう、祐一さん」

 祐一の手を引っ張るようにして栞は歩き出す。ふたり分の足跡を残して、誰もいない中庭を後にするのだった。

 

「わぁ……人がたくさんいますね……」

 土曜日の商店街は、放課後の時間を満喫する生徒で賑わっていた。その光景を目の当たりにした栞は驚いたような感心したような、そんな感じの複雑な表情で通りに佇んでいた。

「私、あまり人の多いところに言った事がないのでちょっと新鮮です」

「でも、商店街くらいは行った事があるだろ?」

「ありますけど、こんなに人が大勢いるときに来たのははじめてです」

 と、言う事は、今の栞は見るもの聞くものが全て新鮮と言う事だ。

 行った事がない、という栞を連れてゲームセンターに行ったときは、栞がモグラたたきで零点という見事なスコアを叩き出した。むくれる栞をなだめつつ、祐一は次の場所へ向かう。

「どこ行くんですか? 祐一さん」

「美味い喫茶店があるんだ」

 というよりも、祐一はその店しか知らない。

「今日は栞の好きなもの奢ってやるからな」

「楽しみですー」

 嬉しそうに目を細める栞と一緒に、祐一はその店に向かった。

「ここがそうだ」

 連れてきたのは百花屋。普段はここで名雪がイチゴサンデーを食べているところを、祐一は前でコーヒーを飲みながら眺めている。

「綺麗なお店ですね」

「それだけじゃないぞ。美味くて量が多くて、しかも値段はリーズナブルだ」

「至れり尽くせりですね」

 ドアベルを鳴らして店内に入ると、中は祐一達のような学生でいっぱいだった。どうやら、放課後の行き場所で考える事は同じのようだ。幸いにして4人がけのテーブルが空いていたのでそこに案内される。

 おしぼりを持って一息つき、メニューを開いていた栞が真剣な表情で祐一を見た。

「今日は、祐一さんの奢りなんですよね?」

「まぁな」

「なにを頼んでもいいんですか?」

「もちろんさ」

「わかりました……」

 にっこりと微笑んで、栞はメニューを閉じた。その笑顔に祐一はなにやら黒いものを感じはしたが、あえて追求せずに栞の言葉を待った。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 爽やかなスマイルと共に、ウェイトレスが注文を取りに来る。

「俺はコーヒー、ブレンドで」

 この店は店長のこだわりで、本格的な水出しコーヒーが楽しめる。コーヒーの抽出に水を用いる事でカフェインなどの刺激成分の含有量が少なくなり、口当たりの良さと深いコクが味わえるようになる。冷蔵庫での保存に適するのでアイスコーヒーに用いられる事も多いが、湯煎すれば普通にホットコーヒーとしても楽しめるのが特徴だ。コーヒーには少しうるさい祐一も、この店は納得の味なのだ。

「私は、このジャンボミックスパフェデラックスをお願いします」

「かしこまりました」

 栞の注文を受けたウェイトレスのスマイルがややひきつったように見えたが、それを問いただす間もなくカウンターの奥に消えていく。

「なあ、栞。今のやたら大げさな名前の食いものはなんだ……?」

「パフェです」

 祐一の脳裏で警鐘が鳴り響く。確かにパフェなのはわかるが、その名前からして普通のパフェではないように思える。

「ちょっと大きいかもしれませんけど……」

「ちょっと、か……?」

「もしかすると、すごく大きいかもしれませんけど」

 祐一の不安とどっちが大きいか、いい勝負かもしれない。

「3500円しますから」

「……なんで、パフェが3500円もするんだ……?」

「大きいからじゃないですか……?」

 栞がどれだけ食べられるのか不安だが、この小さい身体で大食という事はないだろう。そうなると、残ったパフェをふたりで食べる事にもなりかねない。

 もしもそうなったときの事を考えると、恐ろしく恥ずかしい光景しか浮かんでこない。なんとかそういう事態を回避する手段はないものかと、祐一が思案しはじめたその時だった。

 カラン、とドアベルの音を響かせて、新しい客が入ってきた。

「あたし、やっぱり帰るわ」

「わ〜っ、いきなり出ていかないでよ」

 名雪と香里だった。そういえば今日は部活だとは言っていなかったし、親友同士仲良くお茶しに来たのだろう。無論、名雪の目当てはイチゴサンデーなのであるが、名雪なりに香里を元気づけようとしているのは確かであった。

 栞は、なんとも複雑な表情で新しく入ってきたふたりの客を見つめている。

「……お姉ちゃん」

 栞がポツリと言葉を漏らす。昨夜姉妹の事情に関して香里から話を聞く事は出来たが、肝心の栞との関係に進展はないようだった。だとするなら、これはいい機会なのかもしれない。

「おーいっ、名雪」

 そう思った祐一は、名雪と香里を自分達のテーブルに呼び寄せるのだった。

 

 4人でひとつのテーブルを囲んで座る。事前に相談したわけでもないのに、祐一は栞を、名雪は香里を連れて同じ店に来るとは、偶然では片づけられないような気がした。祐一は楽しそうにメニューを見ている名雪を横目で眺めつつ、まるでツーカーの仲だな、と思うのだった。

「えっと、はじめまして」

「いやぁ、こちらこそ」

「……祐一にじゃないよ」

 まるで見合いみたいだと思った祐一の軽口を、名雪は小声で制した。相変わらず、祐一のボケを突っ込む事無くスルーする技術が流石の名雪であった。

「……はじめまして」

 場が温まったのか冷めてしまったのかは定かではないが、栞が遠慮がちにお辞儀をする。

「とりあえず、紹介するね。わたしは水瀬名雪、こっちが親友の美坂香里」

 香里と栞の関係を知らないはずはないのに、名雪はそんな事はおくびにも出さず香里も一緒に紹介する。

「私は……栞です」

「栞ちゃん。そう呼んでいいよね?」

「……はい」

 名雪の醸し出す雰囲気がそうさせるのか、最初は緊張気味だった栞もいつの間にか馴染んでいた。そのおかげかどうかは知らないが、祐一も先ほどよりも自然な感じで栞と話ができている。ただ、気になるのはまだこの場に馴染みきっていない香里の事だけだった。

 やがて注文した品々がテーブルの上に置かれる。祐一のコーヒー、香里のオレンジジュース、名雪のイチゴサンデーがトントンと並べられていき、最後にドスンと音を立てて巨大なガラスの器が置かれた。

「大きいですね……」

 自分で注文しておきながら、栞はひきつった笑顔でそれを見ている。バケツほどはあろうかというガラスの器にこれでもかと言わんばかりにアイスクリームや生クリームが盛られ、さらにその上には色とりどりのフルーツがトッピングされている。

 確かにこのボリュームであれば3500円ぐらいはするかもしれないし、考えようによってはリーズナブルな値段なのかもしれなかった。

「みなさんで食べませんか?」

「うん」

「ひとりで食えるような量じゃないだろ……?」

 4人がかりでも無理だろうとは思うが、食べないわけにもいかない。

「香里もどうだ?」

 一応、祐一は香里に声をかけ見るが、予想通りに返事もない。確かに昨日の今日では、まだ心の準備ができていないのだろう。おそらくは事態が唐突過ぎて、まだ考えがまとまっていないのかもしれない。

 それでも祐一は香里が答えを出す事を信じ、今はとりあえず目先のパフェを攻略するほうに取りかかるのだった。

「全然、無くならないね……」

「私、もう無理です……」

 栞は元々小食であるし、名雪も自分のイチゴサンデーと交互にではよく食べた方だろう。祐一もコーヒーで舌を温めていたとはいえ、途中からは完全に味覚がマヒしてしまっていた。

 結局、せっかくのパフェを半分以上残したまま、祐一達は店を出る事になった。

 

 夕暮れの商店街を、4人でのんびりと歩く。栞は終始にこやかに名雪と話をしているが、いまだに香里との会話はない。

「皆さんと一緒に食事ができて、本当に嬉しかったです」

「そうだ、今度は一緒にお昼を食べようよ」

「私でもいいんですか?」

「もちろんだよ。だって栞ちゃんも、祐一の大切な人だもんね」

「……え?」

 名雪の思わぬ発言に、栞が恥ずかしそうに俯く。

「なんだ? その大切な人って言うのは……」

 こういうときの名雪の発言はどこか足りないところがあるので、祐一はどうしても訊き返さないといけない。

「違うの?」

「いや、違わなくはないが……」

 大切な人、という範疇には、家族や友達、恋人といった関係も入るだろう。祐一は名雪がそのうちのどれを指してそういっているのか、いまいちピンとこなかった。しかし、こうまではっきり言われてしまうと、祐一としてもどう答えたらいいのか、まるで言葉が出てこない。

「栞ちゃん、可愛いもんね」

「ほっとけ」

「……ほんと、見る目がないんだから」

 それまで一言も喋らなかった香里が、不機嫌そうな表情で口を開く。

「余計な御世話だ」

 これまでただの1度も栞と目を合わせようとしなかった香里が、今は真剣に妹の顔を見ている。

「余計な御世話じゃないわよ……。だって、栞は……あたしの妹なんだから……」

「……え?」

 その時の香里の顔が真っ赤に染まっていたのは、赤い夕日に照らされていたばかりではないだろう。今まで頑ななまでに妹の存在を否定し続けてきた香里の口から出たのは、そんな小さな一言だった。

 その時の香里の表情は、どこかさっぱりとしたような笑顔だった。

「それじゃ、行くわよ名雪」

「え?」

「ちょっと寄りたい店があるのよ。喫茶店に付き合ったんだから、今度はあたしの買い物に付き合ってもらうわよ」

「うん」

 戸惑う名雪を促して、香里は商店街の奥へ向かう。

「それじゃあね、相沢くん。栞は頼んだわよ」

「あ、ああ」

 栞は香里の後ろ姿を、1度も目を離す事無くじっと見送っている。

 そして、祐一と栞はここで別れ、それぞれの家路につくのだった。

 

 栞と別れた後、祐一はひとりで商店街を歩いていた。眩しいくらいにオレンジ色の光に包まれた街並みが続く中で、どこかもの悲しい雰囲気がにぎやかなはずの商店街を包んでいた。

 見上げた空の彼方には、赤い空と赤い雲に彩られた赤い世界が広がっている。

「……祐一くん」

 そんなとき祐一は、背後から遠慮がちに声をかけられた。

「なんだ、あゆか」

 赤く染まった世界で、赤く染まった少女が祐一の名を呼んでいた。トレードマークのリュックにつけられた白い羽がオレンジ色に染まり、心なしか力なく揺れているようだった。

「どうしたんだ?」

「あのね、祐一くん。探しもの、見つかったんだよ……」

 ずっと探していたというものが見つかったというのに、あゆの口調はどこか寂しげなものだった。

「良かったじゃないか。大切なものだったんだろ?」

「うん。大切な……本当に大切なもの……」

 暗く沈んだ寂しげな笑顔を浮かべたまま、あゆは言葉を続ける。

「探していたものが見つかったから……ボク、もうこのあたりには来ないと思うんだ……。だから、祐一くんともあんまり会えなくなっちゃうね」

「そう、なのか……?」

「ボクは、この街にいる理由がなくなっちゃったから……」

「だったら、今度は俺の方からあゆの街に遊びに行ってやる。あゆの足で来れるんだったら、そんなに遠くないだろ?」

 転移魔法を使うというわけでもないし、基本徒歩で行ける所なら問題はない。

「そうすれば、また嫌って言うくらい会えるさ」

「……そう……だね」

 あゆの小さな体が、赤く染まる。

「ボク、そろそろ行くね……。バイバイ、祐一くん」

 夕焼けを背景に、あゆが別れを告げる。

(今生の別れじゃあるまいし……)

 そうは思うものの、小さなあゆの背中が見えなくなるまで、祐一はその場を動く事が出来なかった。

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