第二十三話 彼女達の見解

 

「そういえば、香里。栞ちゃんの具合はどうなの?」

「どうって聞かれてもね……」

 この日香里は名雪と一緒に商店街へ来ていた。女の子同士の話もあるし、なにより名雪には栞の事を相談できなかったので、色々と心配かけてしまった事のお詫びもかねていた。適当にウィンドゥショッピングを楽しみ、取りとめない話に花を咲かせた後は百花屋という定番のコース。そんなわけでふたりのテーブルの上には、イチゴサンデーとカフェオレの入ったカップが置かれていた。

「とにかく、原因不明なのよね。わかっている症状は、虚弱体質って言うだけ……」

「でも、命の危険があるんでしょ?」

「栞の場合だと、風邪をひいただけでも危ないわね。でも、問題はそれじゃないのよ」

「どういう事?」

「今年に入ってから栞は、激しい衰弱や意識の混濁とかの症状が出るようになったのよ。だからお医者さんも、今度の誕生日までは持たないかもしれない、って診断したのかもしれないわ……」

 そこで香里は小さく息を吐いた。医者がそう診断したからと言って、必ずその通りになるわけではない。いくら気が動転していたからとはいえ、そう信じ込んでしまったのだから恥ずかしい限りだった。

「それで、治療の見込みはあるの?」

「どうなのかしらね……」

 原因さえわかれば、少なくとも治療は出来るし、そこまでいかなくても症状の緩和は可能だ。しかし、その原因がわからないのでは治療のしようがない。その結果医者に出来る事は、症状に応じた対処療法しかないのである。

 これまでにも様々な治療が栞には施されてきたが、症状は一向に改善する気配はなく、むしろ悪化の一途をたどっていた。ここ最近は小康状態を保っているのが不思議なくらいだと、医者も首をひねっているくらいなのである。

「とりあえず、今日からしばらく病院で検査入院をするから、その結果次第ね」

「そっか……」

 イチゴサンデーを食べ終え、丁寧にごちそうさまと両手を合わせた後、名雪は銀色のスプーンをパフェグラスにカランと入れる。

「……あのさ、香里」

「名雪の気持ちはありがたいけど、それは出来ないわ」

 おずおずという感じで切り出した名雪の話を、香里は一刀両断の元に切り捨てる。

「でもさ……」

「確かに名雪の治療魔法があれば、栞の病気だって治るかもしれないわ。だけど、それをやったら名雪だってただじゃ済まないのよ?」

 香里は前に、名雪がプレシアの治療をしたときの事を思い出した。正常細胞の活性化と癌化細胞の不活性化による再生治療と文章で書けば簡単なようにも思えるが、実際にそれを行うには人並外れた集中力とケタ違いの魔力を必要とする。怪我や病気の度合いによって治療時間が異なるので、その間ずっと大魔力を制御し続けなくてはいけない。そんなわけで名雪はプレシアの治療後に3日ほど寝込み、アリシアの時は5日ほど寝込んだのであった。それを知るだけに、香里も名雪頼みにするというわけにいかないのだ。

 おまけに、身体の傷を治すのとは違い、病気の治療はその症状と原因を正しく把握しないといけない。迂闊な治療魔法はかえって病状を悪化させてしまう危険もある。そういう意味において、強すぎる治療魔法は肉体に著しい負担をかけてしまう諸刃の剣なのだ。

「あ、でも栞ちゃんのお見舞いぐらいは行ってもいいよね?」

「今から?」

 一応訊き返してはみたものの、おそらく言っても名雪は聞かないんじゃないかと香里は思った。こういうところに、伊達に長く付き合っていない部分が表れている。

「それじゃ、行こっか。香里」

「……仕方ないわね」

 苦笑しながらも、香里は先に立って会計を済ませた名雪を追って店を出る。

 突然だけど、祐一が行くよりも同性である名雪が行く方が、栞も緊張しないで済むんじゃないかと思う香里であった。

 

「美坂さんが入院だと訊いて、びっくりしましたよ?」

「天野さんは大げさすぎますよ。いつもの検査入院なんですから」

 とある病院の一室。沈みかけた日がオレンジ色に彩る室内で、ふたりの少女が言葉を交わす。ベッドに横たわったまま穏やかな笑顔を浮かべる栞と、その傍らで憮然とした表情のままこまごまとした作業をする美汐の姿は対照的であった。

 ふたりは栞が入学した時に、同じクラスになった事が縁で友達となった。しかし、その日以来栞が学校に来なくなってしまったため、美汐はずっと心配していたのである。

 お互いに知り合いもいないような教室であったが、栞の明るさならすぐに誰とでも打ち解けられるんじゃないかと美汐は思っていただけに、少なからずショックを受けていたのだった。

 先生に訊いても事情がわからない。クラスの誰かに相談するわけにもいかない。そんな悶々とした日々を過ごしていた美汐に転機が訪れたのは、それからしばらくしてからの事である。

 栞の身に起きている危機を知った美汐は闇からの声に従ってデバイスを受け取り、リンカーコアから魔力を奪う闘いに身を投じる事となった。いくら栞の生命が大事だからといって、他の見知らぬ人物に危害を加える事に抵抗がなかったわけではない。実際、美汐もひとりであったなら、この闘いを躊躇してしまっただろう。だが、美汐には志を同じくする仲間がいたのである。

「あはは〜、お加減はいかがですか?」

 そこへ現れたのは、綺麗な花瓶を持った佐祐理と、両手いっぱいの花束を抱えた舞だった。ふたりも栞が入院したと聞いて、お見舞いに来てくれたのである。

 実のところ、美汐もどうして佐祐理達が協力してくれるのかは知らない。ただ、もう二度と大切な人を失いたくないという気持ちだけが、彼女達を結び付けていた。今回の栞の入院も、佐祐理が病院の関係者なので知る事が出来たのだから。

 取りあえず、現在のところは順調に魔力の蒐集が行われている。ここ最近は活動をしていないので、管理局側も彼女達を追い切れていない。なにより、栞が闇の書のマスターである事を、誰にも知られていないというのが大きなアドバンテージとなっていた。

 しかし、彼女達は知らない。闇の書の完成と、その事が持つ意味を。

「とにかく、栞さんは安心して養生してくださいね〜。快復後の復学は佐祐理に任せてください」

「なにからなにまですみません」

 朗らかな佐祐理の笑顔に、負けじと笑顔で答える栞。最近まで少し仲がぎくしゃくしていた姉とも和解できたせいか、栞は心からの笑顔を浮かべていた。

 そんなとき、病室の扉がノックされた。

「栞〜、入るわよ?」

「あ、お姉ちゃん。どうぞ〜」

 そういえば、お姉ちゃんが美汐さん達と会うのは初めてでしたね。と、栞は呑気に思っていた。ところが、病室に入ってきたふたりの姿を見て、美汐達の笑顔が凍りついた。

「こんにちわ、栞ちゃん。身体の具合はどう?」

 にこやかに挨拶をする名雪とは対照的に、香里の笑顔も凍りつく。なぜなら、そこにいたのは闇の書の守護騎士となり、リンカーコアから魔力の蒐集を行っていた3人だったからだ。

「あ、ごめんね栞ちゃん。お邪魔だったかな?」

「そんな事無いですよ。名雪さんとお姉ちゃんが来てくれて、とっても嬉しいですよ」

「あら? あたしは名雪の後なわけ?」

「そんなわけないじゃないですか」

 慌ててパタパタと手を振る栞の仕草は、妙に可愛らしいものだった。しかし、そんな和やかな言葉の応酬とは裏腹に、病室内には不思議な緊張感が立ち込めはじめていた。

 なんとか事態を把握しようと努める香里であったが、これだけ近い距離だというのに念話も通じない。一体どういう事なのかと香里が思った時、佐祐理が動いた。

「それでは、みなさんのコートをお預かりしますね〜」

 病室に備え付けられているクローゼットを開き、佐祐理は名雪と香里から受け取ったコートを手際よくハンガーにかけていく。

「……この距離で通信妨害ですか?」

「……佐祐理はバックアップの専門家ですから。このぐらいの広さなら簡単ですよ」

 正体がばれてしまった以上、出し惜しみは無しという事だ。とはいえ、ここが病室で栞に危害が加わってしまう事を考えると、下手に騒ぎを起こすわけにもいかない。その点において佐祐理達と香里達は、共通の認識をしていた。

 

「……まさか、栞が闇の書のマスターだったなんてね」

 栞のお見舞いが終わった後、香里達と佐祐理達は病院の屋上に場所を移していた。夕闇が迫る中で、口火を切ったのは香里だった。

 考えてみると、色々と思い当たる事がある。いつのころからか栞の部屋に置いてあった、妙に装丁が豪華な本。実はあれが闇の書だったとは、香里本人も気が付いていなかったのだが。

「あと、もう少しで佐祐理達の悲願は達成できるんです。邪魔をしないでくれませんか?」

「そんな事が出来るとでも?」

 一応、香里は管理局に協力をしている立場である。それを差し引いても、香里にとって栞は大事な妹だ。その妹の危機に、指をくわえて見ているなんて事は出来しない。

「……あなたにそれが言えるんですか? 栞さんを見捨てたあなたに」

「それは……」

 まるで能面のような、底冷えのする佐祐理の笑顔を見た時、香里はそれ以上の言葉が出てこなくなってしまった。それは確かに佐祐理の言うとおりであるし、最初から栞なんて子はいなかったんだと思いこもうとして、ずっと寂しい思いをさせ続けてきたのは他ならぬ香里だからだ。

「佐祐理達の邪魔をするなら、例え栞さんのお姉さんでも容赦はしませんよ?」

「……あの、ちょっといいかな?」

 香里と佐祐理、両者の間に緊張が走り、今まさにぶつかり合おうとしたその時、名雪がおずおずという感じで小さく手を上げた。

「さっきから話がよくわからないんだけど、倉田先輩達が闇の書の関係者なんですか?」

「はえ?」

 どうにも緊張感のない間延びした名雪の声に、佐祐理の目が点となった。

「名雪……。あんた、まさか気づいていなかったとか……?」

「似たような感じの人だなって思ったけど、きちんと名前を聞いたわけでもないし……」

 言われてみると、確かにお互い自己紹介も満足にしていない。また、名雪は祐一の提示した映像資料を見ているうちに眠ってしまい、相手の顔をはっきりと覚えていたわけじゃなかったのだ。何度か闘った美汐の事はなんとなく覚えていたものの、それだけで人を疑うわけにもいかないと、名雪は思っていたのだった。

「……もしかして、佐祐理は墓穴を掘ってしまったのでしょうか」

 佐祐理は文字通りorzという形で、屋上に両手をついてしまう。このまま知らぬ存ぜぬを貫き、人違いですと言っておけば、ごまかせたのかもしれなかったからだ。

「なんだかよくわからないけど、ふぁいと、だよ」

 名雪は小さくガッツポーズをして、妙に気の抜ける応援をした後で話を続けた。

「倉田先輩達が闇の書の関係者なら話が早いよ。今すぐに魔力の蒐集をやめてほしいんだ。祐一が言っていたんだけど、あれはね……」

 その言葉を言い終える前に、名雪は遥か天空の彼方より飛来した美汐の一撃を受け、フェンス際まで弾き飛ばされてしまう。

「名雪?」

 咄嗟に防御用のシールドを展開したのでダメージは少ないが、皆無というわけでもない。その隙に舞がバルムンクを抜刀して斬りかかってくるが、寸前のところで香里は大きく飛びのいて避ける。

「栞さんの事を管理局に知られてしまうわけにもいきません……。申し訳ありませんが、あなた達を佐祐理の通信妨害の範囲から出すわけにはいきません」

 それは、冷たく固い決意だった。栞の身を案ずる気持は同じはずなのに、どうして彼女達はこうまですれ違ってしまうのだろうか。

「……邪魔をしないでください」

 名雪の目の前で、美汐は静かにバリアジャケットを装着し、戦闘態勢を整える。

「あともう少し……もう少しで、美坂さんを助けられるんですから……」

 玄翁和尚を握る美汐の手に力がこもる。

「必死に頑張ってきたんですから……。もうすぐ、美坂さんが元気で学校に通える日がやってくるんです。だから……」

 静かに振り上げた玄翁和尚にカートリッジがロードされる。

「邪魔をしないでくださいっ!」

 そして、玄翁和尚が勢いよく振り下ろされると同時に、あたりをすさまじい爆煙が覆い尽くした。たちまちのうちに炎に飲み込まれる名雪。ところが、次の瞬間に勢いよく燃え盛る炎は青白く凍てつき、ガラス細工のように砕け散ってしまった。

 その中心には、なによりも悲しい瞳をした名雪が立っていた。バリアジャケットを装着し、戦闘態勢を整えた姿で。

「……悪魔ですか?」

「悪魔はひどいな。でも、今のわたしは死神だから、似たようなものだね……」

 名雪の右手に握られたブルーディスティニーに、カートリッジがロードされる。

『バスターモード、ドライヴイグニッションや』

「だから、死神らしい方法で話を聞かせてもらう事になると思うけど、覚悟はいいかな?」

 これが後に、名雪が管理局の蒼い死神と呼ばれるようになった所以であった。そして、美汐は知る事となる。いかなる勇者も決して抗う事が出来ない、運命という名の恐怖の意味を。

 

「……悪いけど、佐祐理には指一本触れさせない」

 舞と香里と対峙する後方で、佐祐理は通信妨害に専念していた。舞と佐祐理はバリアジャケットに身を包み、静かに戦闘態勢を整える。

「栞を助けたいっていう気持ちは、痛いほどよくわかるわ。だけどね、安易な奇跡や魔法の力に頼ればいいってものじゃないのよ」

 かつて香里も栞の病気を治すために、ジュエルシードによる願いの力を使おうとしていた。しかし、強すぎる力の弊害は、いずれ自分の身の破滅をも招いてしまいかねない。それを知るだけに、香里はなんとかして舞達を止めようと必死になっていた。

「それに、闇の書は歴代の主を経るうちに、悪意ある改変を受けているって聞いてるわ。そんな状態で闇の書を完成させたら、栞がどうなるか……」

「……だとしても、止まれない」

 悲しい決意を秘めた瞳だった。それを見た時香里は、軽く息を吐いて赤い宝玉を取り出した。

「シュトゥルムテュラン。マグネッサーモード、ドライヴイグニッション」

『御意』

 眩い光に包まれ、香里の身体にバリアジャケットが装着されていく。それは普段の制服をモチーフとしたものと違い、体操着とブルマーという形状をしていた。

「……その格好」

「舞さんのパワーに対抗するには、スピードで圧倒するしかないものね」

「……恥ずかしくない?」

 言われてみると、確かにこの格好はかなり恥ずかしい。舞に対抗するためとはいえ、防御用のリソースを削ってスピードにつぎ込んだバリアジャケットはかなり思い切ったきわどいデザインである。そのせいか、この場に祐一がいない事を心底安心する香里であった。

「勝つためになら、なりふり構っていられないのよっ!」

「……いい覚悟」

 半ばやけ気味に叫ぶ香里とは対照的に、どこまでも舞は冷静だった。

「今ならまだ間に合うはずだよ。止まれないっていうなら、無理やりにでも止める事になるけど」

『ハイドラドラグーンや』

 その上空では名雪と美汐が対峙している。名雪の周囲に飛び交う9体のハイドラを見て、美汐は思わず唇をかんだ。ある意味で美汐は誰よりも名雪のハイドラの持つ恐ろしさを熟知していた。術者による終末誘導を必要としない、自律行動型の誘導弾。攻撃を受ければその数を増していき、ひとたび発動すれば防御も回避も困難となる魔法だ。

「え……」

 だが、次の瞬間。名雪の身体が突如として現れたバインドの光に拘束される。いくら名雪のハイドラが脅威であっても発動しなければ単なる隙にすぎない。おまけにハイドラが自分で動けると言っても、術者が正しく操作しなければどう動いていいかわからないからだ。ゴーレムを倒すには、先ず術者を倒すのが常識である。そのセオリーに忠実な、見事な攻撃であった。

「……この攻撃、また?」

 以前美汐に長距離砲撃を行った際、何者かが遠距離からバインド攻撃を仕掛けてきた事があった。あのときは発動前の僅かな隙をついて脱出できたが、今度は発動が早かったせいか、かわす暇もなく身体が拘束されてしまっていた。

「名雪?」

 それを見た香里は、一旦舞から離れて大きく距離をとり、意識を集中して周囲の気配を探る。

「そこっ!」

 香里の放ったフォトンアローが、なにもない空間で炸裂して歪みが生じた。

「剛腕粉砕! インパルスマグナム!」

 その歪みに向かい、大きく飛びあがった香里の剛拳が炸裂する。インパルスマグナムは拳状の魔力を放出する砲撃魔法であるが、マグネッサーモードでは拳に集中した魔力を直接相手に叩き込む打撃技へと変化する。直撃を受けた空間の揺らぎは徐々に人の形をとり、そこにはシュヴァルツ・ブリューダーが姿を現した。

「悪いけど、この間の様にはいかないわ」

 香里は即座にシュヴァルツを攻撃しようとするが、その寸前にもうひとりのシュヴァルツの攻撃を受けてしまう。それはなんの変哲もないただの飛び蹴りではあるが、極限まで防御を削り込んでいる今の香里には十分な効果のある一撃となる。そして、香里は病院の屋上に激突する寸前にバインドの輪に拘束されてしまった。

「シュヴァルツさんがふたり……?」

 名雪が驚く目の前で、シュヴァルツは舞、佐祐理、美汐をバインドの輪にとらえる。名雪と香里はともかくとしても、舞達3人はシュヴァルツが味方だと思っていたせいか、完全に虚を突かれた形となっていた。

「この人数だとバインドも通信妨害も長く持たない……」

「手早く済ませる……」

 バインドで名雪達5人を拘束しているシュヴァルツとは別のシュヴァルツの手に、闇の書が現れる。

「いつの間に……?」

 佐祐理が驚いた声を上げるが、すぐにそれは悲鳴へと変わる。なぜなら、佐祐理、舞、美汐の3人の胸からリンカーコアが取り出されていたからだ。

「最後のページは、不要となった守護騎士のリンカーコアから取る。これまでもそうだったはずだ」

 闇の書の守護騎士は、ある意味ではその一部ともいえるプログラム体なので、かつてはこうした事例もあった。しかし、佐祐理達3人は単にデバイスを与えられて守護騎士となっているだけで、別に彼女達が闇の書の一部と言うわけではない。これまでに多くのリンカーコアから魔力を奪ってきた彼女達が、今度は奪われる側になるとは想像もしていなかっただろう。

『蒐集』

 たちまちのうち魔力が蒐集され、佐祐理達が断末魔の悲鳴を上げる。闇からの声に唆され、騙された少女達の哀れな末路であった。

 

「あのふたり、名雪と香里は大丈夫か?」

「4重のバインドを仕掛け、クリスタルケージに閉じ込めておいた。いくら彼女達でも、抜け出すには数分かかる」

「時間がないな……闇の書の主の目覚めを急ごう……」

 シュヴァルツのひとりが名雪そっくりの姿に変わる。

「夢が終わるとき……」

 そして、もうひとりのシュヴァルツは香里そっくりに姿を変えた。

 病院の屋上に魔法陣が描かれ、その中心に栞の姿が現れる。空中に浮かぶ名雪と香里の間には、十字架に磔にされたかのような格好で意識を失っている美汐の姿がある。そのそばでは、意識を失って倒れ伏している舞と佐祐理の姿もある。そのあまりにも異様な光景に、栞は思わず息をのんだ。

「名雪さん……? それに、お姉ちゃん……? どうしたんですか? 一体……」

「栞ちゃんは病気なんだよ。闇の書の呪いって言う病気……」

「もう治らないんだって……」

「え? どういう事なんですか、お姉ちゃん」

「なにを言っているの? あたしに妹なんていないわ……」

 この間仲直りしたばかりの姉から告げられた言葉に、栞は眼を見開いた。

「闇の書が完成しても、栞ちゃんの病気は治らない」

「もうなにをしても、栞が救われる事はないのよ」

「わ……私はそれでもいいです。ですから、美汐さんを放してあげてください」

「どうしようかな……」

「止めたければ、力づくでどうぞ……」

 普段のふたりからは想像もできないほど妖しい笑顔を浮かべ、名雪と香里の手が美汐へ伸びる。

「なんでですか? どうしてお姉ちゃん達がこんなひどい事をするんですか?」

「あのね、栞ちゃん。運命って残酷なものなんだよ……」

「あゆさん……どうして……?」

 いつの間にか栞の背後には、あゆが姿を現していた。いつものはつらつとした笑顔ではなく、暗く沈んだうつろな瞳で、手には大事そうに人形が抱えられている。その人形は天使のぬいぐるみで、かなり薄汚れている上に、頭の上の輪っかと片方の翼が取れたかなり悲惨な姿となっていた。

「さあ、目覚めの時だよ」

『おはよう、主』

 あゆの前に闇の書が現れ、栞の足元に正三角形の頂点に円の描かれたベルカ式の魔法陣が描かれた。

「いやぁぁぁぁっ!」

 栞の絶叫が響く中、病院の屋上から光の柱が立ち上る。栞がその光の中に包まれたのを見届けた名雪と香里は、元のシュヴァルツの姿に戻ってその場から去った。

「栞っ!」

「栞ちゃんっ!」

 そして、バインドとクリスタルケージから脱出した名雪と香里が見たものは、光の柱の中で栞とあゆの姿がひとつに合わさっていくところだった。

「私は闇の書の主……。この手に力を……」

 その左手に闇の書が握られた瞬間、さらに眩しい光がその体を包み込む。

「封印解除」

『解放』

 そして、光の中で栞とあゆの融合体は片方の翼のとれた天使の様に姿を変えていく。その姿はまるで、先程まであゆが手にしていた天使の人形のようだった。

「ようやくこれで終わりにする事が出来るよ。こんなはずじゃなかった世界をねっ!」

 まるで血の色の様な深紅の瞳を大きく見開き、栞とあゆの身体をベースに顕現した闇の書の本体が高らかに宣言した。

「この力の全ては、ひとしく破壊のためにっ!」

『デアボリック・エミッション』

 高々と掲げられた右手の上に、巨大な魔力の塊が現れる。

 残酷な運命によって導かれた、夜天の闇よりもなお暗い闇との闘いがはじまろうとしていた。

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