第八話 非情、生と死の狭間で
「うにゅぅぅぅ……」
冷たい床の感触で、名雪は目を覚ました。
「あれ……? わたし……」
名雪はなにやらとてつもなく長い夢から解き放たれたような感じがした。ふらつく足で立ち上がると、名雪はあたりを見回してみる。
「ここは……」
ふたご座の黄金聖闘士の攻撃を受けて異次元空間をさまよった名雪は、どうやら別の宮に飛ばされてしまったようだ。
不意に名雪は背後に人の気配を感じ、ゆっくりと振り向いたその先には意外な人物がいる。
「あ……お母さん……」
そこには、みずがめ座の黄金聖衣を身につけた秋子がいた。
「そうね……。久しぶりね、名雪」
「どうしてお母さんが? それじゃあ、ここは宝瓶宮なの?」
「いいえ、名雪。宝瓶宮はずっと先よ。ここは七番目の天秤宮よ」
天秤宮は本来舞の師である佐祐理が守護する宮なのだが、佐祐理は遠い五老峰の地にいるため、ここは無人の宮となっていた。
「だったらどうしてお母さんがここにいるの?」
「あなたをここで止めるためです。名雪」
「え?」
秋子の言葉に、名雪は愕然とした。応援してくれるならともかく、止めるとは一体どういう事なのか。
「名雪、死にたくなかったら、これ以上先に進んではいけませんよ」
「それは、出来ないよ……。いくらお母さんの言葉でも……」
「……では、力で止めるしかありませんね……」
秋子の拳から放たれたジャムが、容赦なく名雪をうちすえる。
「どうしたの? 名雪。先に進むには私を倒さなくてはいけないんですよ?」
「それも……出来ないよ……」
戦意を失った名雪はがっくりとうなだれてしまう。
「お母さんに……拳を向けるなんて……」
「これを見ても、そんな事が言えますか?」
秋子の手には緑色のぬいぐるみが握られている。
「けろぴー!」
それは名雪愛用のぬいぐるみ、けろぴーだった。だが、けろぴーは秋子の手によって見るも無残な姿に変わってしまう。
「けろぴー……けろぴーが……」
粉々になったけろぴーの破片を必死で集めようとする名雪。だが、砕け散ったけろぴーは、もはや元の姿には戻らない。
「けろぴーは……ずっとわたしと一緒だったんだよ……。嬉しいときも……悲しいときも……ずっとそばにいてくれた……」
名雪の瞳から大粒の涙があふれ出す。
「いくらお母さんでも許せないっ! イチゴサンデーッ!」
名雪の気合を込めたイチゴサンデーを、秋子は片手で受け止めた。
「わたしのイチゴサンデーが……」
「甘いわね、名雪。あなたのイチゴサンデーもジャンボミックスパフェデラックスも百花屋メニュー。いわば、借り物の必殺技よ」
そう言うと、秋子の乙女小宇宙が高まっていく。
「本当の必殺技とはこうするのです……」
「ああ……お母さんの両腕の聖衣のパーツが合わさって……。あ……あの瓶は……」
秋子の背後にオレンジ色の物体がたっぷり入った瓶が現われ、やがてその口から滔々と煌きながらゆっくりとゲル状の物体が迸る。
「謎ジャムエクスキューション!」
「それだけはいやあぁぁぁぁっ!」
「これは……名雪さん?」
巨蟹宮へと急ぐ栞は、名雪の小宇宙が突然大きくはじけた後に消えるのを感じた。
「舞さんっ!」
「あゆも?」
同じころ、あゆと舞も名雪の小宇宙を感じるのと同時に、ふたご座の火も消えた。
「謎ジャムエクスキューションで息絶えましたか、名雪……」
天秤宮の床に倒れふす名雪を、秋子は冷めた目で見ていた。
「名雪がこの先に進んだとしても……他の黄金聖闘士によって死んでいたでしょう……。ならば私の手で葬る事が出来たのなら、かえって良かったのかもしれませんね……」
その名雪の姿を見つめつつ、秋子は呟いた。
「あなたをこの七年間で聖闘士に育てたのは私。キグナスの聖衣を授けたのも私。そして、あなたを死に至らしめたのもこの私……。最後にあなたの棺を作ってあげるのが、私のせめてもの慈悲……」
秋子の手にゲル状の物体が集まり、名雪の体をゆっくりと包み込んでいく。
「そのジャムの棺はいかなる事があっても、例え黄金聖闘士数人がかりでも壊れる事はありません。イチゴジャムに包まれて幸せに眠りなさい、名雪……」
そう言って秋子は、静かに天秤宮を去っていった。
そのころあゆ達は、巨蟹宮に迫っていた。
「見えたよ舞さん。あれが四番目の巨蟹宮だよ」
「あゆ、ここは私に任せて次の獅子宮に向かって……」
「え?」
「火時計がふたご座まで消えた以上、残りは九時間……。それに、名雪の事も気になる……」
確かにあゆも名雪の事は気になっている。
「この先のいずれかの宮で名雪が危機に陥った事は間違いない……。だったら一刻も早く救ってあげないと……」
「うん、わかったよ舞さん」
二人が突入した巨蟹宮は、ある種の独特な雰囲気に包まれている。
「ここは……」
「うぐぅ……何か居心地が悪いよ……」
「一体何事ですか、騒々しいですよ」
二人の行く手に、かに座の黄金聖衣をまとった男が現われた。
「うぐぅ、君は?」
「僕の名は久瀬、かに座の黄金聖闘士さ。それにしても君たちは、人の宮に来るのに礼儀もわきまえていないんですか?」
久瀬の言っている事は正論なのだが、何故かその言葉にあゆはむかついた。
「あゆ、ここは私に任せて先に行って」
「でも、舞さん……」
「早くする、まだ後八つも宮が残っているんだから」
「あ……うん。わかったよ……」
あゆは久瀬を無視し、次の宮へ向かう。
「どこへ行こうというのですか? ペガサス」
「久瀬、あなたの相手は私」
あゆの後を追おうとした久瀬の前に立ちはだかるまい。
「……いいでしょう、川澄さん。あなたとは色々因縁がありましたからね……」
そう言うと久瀬は不敵に笑い、かけていた銀縁メガネをくいと押し上げた。
「これがなんだかわかりますか?」
「それは……」
舞は久瀬が取り出した白い紙をじっと見つめる。
「今度こそあなたに引導を渡してあげます。諸くらえっ! 退学通知!」
時間が止まった……。
「なにぃっ! こんな馬鹿な……」
「別に学校は関係ないし……」
確かにその通りである。
「今度はこっちの番……」
おもむろにどんぶりを取り出す舞。
「牛丼昇龍覇!」
「甘いですね」
舞の放った牛丼昇龍覇を、片手ではじき返す久瀬。
「生憎黄金聖闘士と青銅聖闘士とでは、実力に天と地ほどの差があるんですよ。あなたが僕に勝ちたいのなら、せめて黄金聖闘士の域まで小宇宙を高める事ですね」
なんとも偉そうな久瀬の言葉に、舞は思わず唇を噛む。
「ですが、あなたにはそれも不可能です。僕にこのかに座の黄金聖衣がある限り、あなたに勝ち目はありませんから」
(久瀬さん、久瀬さん……)
「……倉田さん?」
突然脳裏に響いた声に、久瀬は唖然とする。
(はい、佐祐理です。あの……佐祐理のお願い、聞いてくれますか?)
「一応聞いておきましょう。なんですか?」
(はい、あのですね久瀬さん。何も言わずに舞を通してあげて欲しいんです)
「なにを仰るかと思えば……。そんな事が出来るはずないでしょう?」
(ふえ……佐祐理のお願い……。聞いてくれないんですか?)
「いや、あの……。倉田さん?」
そのとき久瀬は、舞からものすごい小宇宙が発せられているのを感じた。
「許さないから……」
「へ?」
「佐祐理を悲しませたら、絶対に許さないからっ!」
舞から放たれる乙女小宇宙は、久瀬をもしのぐ勢いで大きく萌えはじめた。
「喰らえっ! 牛丼昇龍覇っ!」
だが、またしても舞の昇竜覇は久瀬に阻まれてしまう。
「言ったはずですよ、いくら貴女が黄金聖闘士の域まで乙女小宇宙を高めたとしても、この僕が黄金聖衣をまとっている限り勝ち目はないと」
そう言って久瀬が格好をつけた次の瞬間、久瀬の体から突然かに座の黄金聖衣が外れてしまう。
「かに座の黄金聖衣が僕から離脱するなんて……なぜだ……?」
「おそらくは黄金聖衣の意思」
「黄金聖衣の……?」
「黄金聖衣のもつ佐祐理への恐怖が、久瀬への忠誠よりも強かったのだと思う……」
そう言うと、舞も自らの聖衣を脱ぎ捨てた。
「これで対等の条件。後は小宇宙の力のみが勝負をわける……」
「あの……川澄さん?」
「美汐が教えてくれた……乙女小宇宙の真の意味を。究極の乙女小宇宙は萌え要素だと、だったらこの私でも黄金聖闘士の域まで乙女小宇宙を高める事が出来るはず……」
「だから、あの……」
着実に乙女小宇宙が増大していく舞と対照的に、久瀬はどんどん戦意を喪失していく。舞の背後には、立ち上る湯気が昇龍のようにうごめいていた。
「私が究極まで高めた乙女小宇宙で、喰らえっ牛丼、昇龍覇っ!」
「うわぁぁぁっ!」
舞の牛丼昇龍覇をまともに喰らい、天空高く舞い上がった久瀬は地面に叩きつけられた。
「終わった……」
(舞、ちょっと舞!)
誰かが直接舞の小宇宙に語りかけてくる。
「その声は佐祐理?」
(胸!)
「え?」
佐祐理に言われて、舞は始めて自分の格好に気がついた。どうやら聖衣を脱ぐときに、一緒に服も脱いでしまったらしい。
舞の見事な白い双丘が、白日のもとにさらけ出されていた。見る見るうちに舞の顔が真っ赤に染まってゆく。
「……見た?」
地面に倒れた久瀬は鼻血をたらしながら、なんとも幸せそうな表情で舞を見あげている。
「うぎゃぁぁぁぁっ!」
巨蟹宮に、再度久瀬の悲鳴が響き渡った。
「大丈夫ですか? 舞さん」
「ぐしゅぐしゅ、栞……」
栞が巨蟹宮に辿り着いた時に見たものは、恍惚とした表情で血の海に沈む久瀬と、ぺたんと座り込んで泣きじゃくる舞の姿だった。
「なにがあったのかは知りませんけど、先を急ぎましょう。あゆさんが心配です」
「うん……」
舞はうなずくと、栞の後に続いて走り出した。
その頃獅子宮では、あゆとしし座の黄金聖衣を身にまとった里村茜が対峙していた。
「うぐぅっ、そこをどいてよ、茜さん」
「……嫌です」
舞並みの無表情で茜はお決まりの台詞を言う。
「うぐぅ……まるで取り付く島がないってこの事だよ……」
お互いにヒロインの決め台詞の応酬が続いており、その戦いは千日戦争の様相を呈していた。
「こうなったら力ずくで……」
茜を突破しようとしたあゆだったが、茜の右拳から放たれる閃光に行く手を阻まれてしまう。
「うぐぅ……なに? 今の……。茜さんの右手が一瞬光っただけのような……」
「言ったはずです、この宮を通りたければ私を倒してからにしなさい……」
「だったら全力で倒すだけだよっ!」
再び茜に立ち向かうあゆだったが、またしても右拳の閃光に阻まれてしまった。
「うぐぅ……」
黄金聖闘士はすべて光速の動きを持っていると言う事から、茜の放つ光速拳の動きを見極められない限りあゆに勝ち目はない。そして、それが出来ない限り、あゆに待っているの死あるのみだ。
「止めです……」
「うぐぅっ! 萌えろっ! ボクの乙女小宇宙っ! 究極まで高まれっ! 奇跡を起こしてっ!」
あゆは大きく目を見開いた。
「見えたぁっ! 茜さんの放つ光速拳の、光の軌跡がっ!」
あゆの目には無数の光の軌跡が映っている。これが全て茜の放つ光速拳の描き出したものなのだ。
「よし、かわせたよ……」
「えっ?」
一気に内懐まで飛び込んで来るあゆの姿に、茜は感情の起伏に乏しい瞳を見開く。このようにして懐にまで飛び込んでしまえば、いくら茜でも光速拳はうてないとあゆは思ったからだ。
「そうすればボクでも、万に一つでも茜さんに勝てるっ!」
だが、あゆの拳は茜の鋭い眼光に阻まれてしまう。
「迷惑です」
獅子宮へと急ぐ舞達は、凄まじい衝撃音を耳にした。
「今の衝撃音は……」
「あゆさんの身に何か……。急ぎましょう、舞さん」
「うぐぅ……光速拳を見切る事が出来たと思ったのに……」
「あなたが見たのはこれです……」
茜の拳が光の軌跡を描く。それは先程あゆが見切ったと思った光の軌跡だ。
「これはあなたにも見えるように、わざと速度を落としたのです。あなたの流星拳は一秒間に百個前後のたい焼きを放つのがせいぜいですが、私は一秒間に一億個ものワッフルを放つ事が出来るのです。これが音速拳と光速拳の決定的な違いであり、この射程距離に入ったものが逃げ延びる事は不可能なのです」
「う……うぐ?」
「その証拠に見えますか? 私が全乙女小宇宙を集中させて放つ、このワッフルプラズマがっ!」
「うぐぅっ!」
茜の放つ大量のワッフル、それも蜂蜜と練乳をたっぷりとかけた究極のワッフルが、容赦なくあゆを襲う。
「あなたの言う万に一つの奇跡なんて起きはしません。実力の違いもわきまえないで黄金聖闘士に挑んだ愚かさを知るときです」
「やっぱり……だめなのかな? ボクじゃ茜さんに勝てないのかな?」
「これが最後です。ワッフルプラズマ!」
「うぐぅっ! 祐一くんボクに奇跡をっ! この一瞬だけでいい、ボクの乙女小宇宙よっ! 茜さんの位まで高まってっ! もう一度ボクに、光をみせてっ!」
茜の放つ光速のワッフルが描き出す光の軌跡を、今度こそあゆはかわしきった。
「えっ?」
「タイヤキ流星拳っ!」
「きゃあぁぁっ!」
あゆの放つたい焼きが、まともに茜をとらえる。
「どう? 茜さん」
不思議な事に、先程まで無表情だった茜がわずかに微笑んでいた。
「たい焼き、美味しいです」
「あゆっ!」
「あゆさん、大丈夫ですか?」
するとそこへ、舞と栞が駆けつけてきた。
「舞さん、栞ちゃん。時間がないよ、早く次の処女宮に行こう!」
「待ってください」
処女宮へ向かおうとするあゆたちを呼び止める茜。
「あなたたちは乙女小宇宙の真髄が萌え要素にあると、美汐から聞いてきましたね」
「そうだけど……」
あゆが答えた。
「道理で乙女小宇宙の萌え方が違うわけです。あなたたちは真の聖闘士なのですね……」
「茜さん……」
「でも、忘れてはいけません、黄金聖闘士とあなた達と力の差は歴然です。特に次の処女宮を守護している聖闘士は……」
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