第十二話 熾烈、最後の戦い

 

「あの子が……うお座の黄金聖闘士(ゴールドセイント)……?」

「そうみたいですね……」

 双魚宮を守るうお座の黄金聖闘士(ゴールドセイント)、それは上月澪だ。自分達よりもさらに小柄なこの少女にあゆたちは困惑してしまう。

『待ってたの』

 澪は手に持ったステッチブックに字を書いた。澪は言葉をしゃべれないため、このようにしてスケブを使って会話するのだ。

『来てくれないかと思ってたの』

 ここは十二宮の最後の宮、確かにあゆたちが来なければ、澪の出番もない。

『寂しかったの』

 そして、澪はじわりと涙を浮かべた。

「うぐぅ……なんだかものすごく戦いにくい相手だよ……」

「まるで私たちのほうがいじめっ子みたいです……」

 何しろ澪は、栞やあゆよりも身長が低い。当然体格も子供っぽく、その意味ではあゆや栞でも充分グラマーであると言えた。

「とにかく、ここは私に任せてあゆさんは先に進んでください」

「わかったよ、ここは通らせてもらうよっ!」

『どうぞなの』

 澪は意外と簡単にあゆを通した。

『双魚宮を抜けたからと言って、教皇の間には辿り着けないの』

「どういう意味ですか?」

『あのペガサスは途中で力尽きるの』

 そう書いて澪はにっこりと微笑んだ。

 

「うぐぅっ! これは……」

 双魚宮から教皇の間に続く道には、なぜか回転寿司がある。

「こんなもので、ボクの行く手を阻む事は出来ないよっ!」

 流れてくるお寿司に手を伸ばすあゆ。だが次の瞬間、あゆの瞳は戦慄に見開かれた。

「うぐぅっ……」

 お寿司に大量に使われていたわさびにより、一口食べたあゆの身体はしびれてしまい、やがて体中の感覚を失っていった。

 

『あなたの相手は私がなの、ホースラディッシュ!』

「きゃぁっ!」

 あゆを襲ったような凄まじいまでの粉わさびの匂いが栞に襲いかかる。辛いものが苦手な栞には致命的であるが、よく見ると澪もダメージを受けている。

 どうやらこの技は澪も辛いものが苦手らしい。だったら使うなよ……。

 ちなみにホースラディッシュと澪は言うが、実際には粉わさびである。これは一吸いしただけで五感を失っていき、苦しまずに死ぬ事が出来るのだ。

「えぅ……」

 だが、栞はしびれる身体で立ち上がる。

『ホースラディッシュなの』

 栞の意外なしぶとさに驚いた澪だったが、気を取り直して再度ホースラディッシュを繰り出す。

「守って! ストール」

 栞のストールが身体を包み込むような防御陣形を取る。それは澪のホースラディッシュをはね返し、澪自身にはじき返した。

「行って! ストール」

 栞の叫びに、ストールは稲妻状に変化して澪に突き進む。

「サンダーストール!」

 澪は栞のストールの威力に愕然とした。まさか青銅聖闘士(ブロンズセイント)である栞のストールに、ここまでの威力があるとは思っても見なかったからだ。

 そこで澪は、このストールからなんとかしようと思った。

「なにを……?」

 おもむろに澪はどんぶりを取り出し、とてとてと危なっかしい足取りで栞に向かってくる。

「あっ!」

 後もう少しというところで澪はつまずいてしまい、どんぶりの中のラーメンを栞のストールにかけてしまう。

 澪はすごい勢いで頭を下げ始めた。何度も何度も頭を下げ、小さな身体を目一杯使って謝意をあらわす。

 その姿に栞は、なんとなく澪が気の毒に思ってしまった。

「あ……その……。気にしないでいいですから……」

 栞がそう言うと澪は顔を上げ、にっこりと微笑んだ。

「え?」

 よく見ると澪は小さな手でしっかりと栞のストールを掴んでいた。

『お洗濯するの』

 栞は断ろうとしたのだが、澪の持つ大きくて丸い目のパワーには勝てず、ストールを澪に手渡してしまう。

 ストールを受け取った瞬間、澪は不敵に微笑んだ。

『ピラニアンラーメンなの。これでもう貴女はストールを使えないの』

 澪のピラニアンラーメンとは、どんぶりの中のラーメンを相手にかけることにより、汚れてしまった聖衣(クロス)をお洗濯すると言って剥ぎ取り、相手を丸裸にする必殺技だ。多少せこいようだが、澪の容貌ともあいまって、かなりの効果がある必殺技だ。

「よくも……」

 突如として湧き上がった栞の小宇宙(コスモ)に戦慄する澪。

「汚してくれましたね……。お姉ちゃんからもらった大事なストールを、そんな理由で……」

 澪の策略によって栞はストールを失い、攻撃の手段が残されているようには見えない。だが、いまや栞の乙女小宇宙(おとめコスモ)は澪を圧倒する勢いで萌えあがりはじめていた。

「見せてあげます。美坂栞の、真の力を」

 バニラの香気が渦を巻き、澪に襲いかかる。

「バニラストリーム!」

 栞の細腕で仕掛けた技など、黄金聖闘士(ゴールドセイント)である澪に通用するはずがない。そう思っていたのだが、バニラの香気は気流となって渦を巻き、澪の身体をがんじがらめにして体の自由を奪っていた。

「残念ですがあなたの自由は、私のバニラストリームによって完全に奪われてしまっています。今あなたの生命は私の動き一つに握られてしまっているんですよ……」

 しかし、澪はこの状況下でもそれほど身体の自由を失ってはいるようではなく、そればかりかおもむろにお寿司を取り出していた。

「えぅ? あのお寿司は……」

 澪の技は遅効性のホースラディッシュに、速効性のピラニアンラーメンである。この二つの技をかけられても栞が悪あがきを続けるため、もはや澪は奥の手を出す以外になかった。

 このお寿司はブラッディスシと言い、澪の手から離れた瞬間に相手の口の中に放りこまれるのだ。

 そして、澪がこの技を使うのは初めての事である。栞の繰り出した技は、そこまで澪を追いつめていたのだ。

「なんて事……このストリームの中で、あそこまで動けるなんて……」

 澪の動きを封じるために栞は、ストリームの気流を早くして対抗する。だが、それでも澪は抵抗を続けていた。

「や……やめてください。このストリームは私の意志でとてつもない変化をするんです」

『やってみるがいいの』

 この状況下で澪はスケブにペンを走らせていた。

『その前にこのブラッディスシがあなたを倒すの』

 澪は栞のストリームを破り、攻撃に出る。

『ブラッディスシなの!』

 澪のブラッディスシは吸い込まれるように栞の口に飛び込む。その次の瞬間、栞のストリームが変化した。そう、ストリームからストームへ。

「バニラストーム!」

 突如として澪の頭上から一六トンと書かれた巨大なバニラカップが落下し、澪の身体を押しつぶす。

『見事なの』

 最後に澪は、バニラカップの下でそう書き残した。

「えう……わさびなんて人類の敵です……」

 ブラッディスシとは、実は固めたわさびをスシに見せかけて口の中に押し込む技なのだ。

 辛いものが苦手な栞はわさびのあまりの辛さに意識を失い、双魚宮の床に倒れ付した。

 

 そのころあゆは、教皇の間へと続く道で力尽きている。流石にわさびの直撃は目と鼻を麻痺させてしまう。

「うぐぅ……」

 大地に倒れるあゆの前に、一人の人物が現われた。

「やれやれ、しょうがないなあゆは……」

 そこに現われた人物は、あゆの師匠であるたい焼き屋の親父だ。親父はあゆを背負うと、教皇の間に向けて歩き出す。

「お父さん……」

「あゆ……」

 親父の背に揺られながら、あゆは夢を見ていた。

 それは遠い過去の記憶。あゆですら顔も覚えていないような父親との触れ合いの記憶だ。

 不意に、懐かしい匂いがあゆの鼻腔をくすぐる。

 

「これは……たい焼きの匂いだ!」

 ふと気がつくとあゆは、教皇の間の前にいた。

 あゆの足元にはたい焼きの入った袋が置かれており、そこにはメッセージカードが入っている。

『がんばれよ』

 短いが不思議と力があふれてくるメッセージだ。

「ありがとう、親父さん……」

 あゆはたい焼きを平らげると、教皇のいる場所を目指した。

 

 豪華な重い扉を開けると、その奥にある豪華な椅子に一人の人物が座っている。

「よくここまで辿り着けましたね、ペガサス……」

「あなたが教皇?」

 その人物は静かにうなずくと、教皇の証であるマスクを取る。その下から現われたのは、名雪のような長い黒髪を持つ女性、天沢郁未だった。

「祐一くんはどこにいるの?」

「残念だけど、その人ならここにはいないわ……」

「え……?」

 突然の言葉にあゆは目の前が真っ暗になる。それでは何のためにここまで来たのかわからないからだ。何のためにみんなが傷ついたのか、それは祐一に会うためだからだ。

「そんな……それじゃ、ボクたちなんのために戦ったの……? なんのためにここまで来たの……?」

「彼がどこへ行ったのか私にもわからないわ。でもね、ペガサス。彼に会う方法もあるのよ」

「本当に? 教皇さん」

 あゆの言葉に、郁未はにっこりと微笑んだ。それは慈愛に満ちた聖母のような微笑だった。

「この教皇の間を抜けた先に天使の人形がおいてあるのよ。それは不思議な人形でね、心のそこからたった一つだけの願い事をすれば、なんでもかなえてくれる人形なのよ」

「うぐぅ?」

 あゆが首を傾けた。

「だから、その人形に願い事をすれば……」

「そうか、祐一くんに会えるって言うわけだね」

 郁未は静かに首を縦に振る。だが、何故かその表情は苦しそうだ。

「どうしたの? 教皇さん……」

「……なんでもないわ……。早く行きなさい……時計の火が消えてしまったら、願い事も出来なくなるのよ」

「う……うん……」

 あゆが天使の人形の間へ行こうとしたそのときだった。

「……待て……」

 背後から不気味な声が響く。

「……誰が行かせるものですか……」

 すさまじい小宇宙(コスモ)があゆを弾き飛ばした。

「うぐぅ……」

「おばかさんね、そう簡単に行かせるとでもおもったの……?」

 先程までの聖母のような雰囲気が一転して、邪悪の化身のようになってしまった郁美の姿に、あゆは困惑した。

「うぐぅっ! なんだかよくわからないけど、タイヤキ流星拳!」

 あゆの流星拳が郁未に命中する。だが、それはいくみの着ていた教皇の法衣を切り裂いていくだけでダメージにはならなかった。

「悪いけどそんなものあたしには通用しないわ。せっかくだから見せてあげる、あたしの聖衣(クロス)を……」

 郁未の背後にふたご座の黄金聖衣(ゴールドクロス)が現われ、その身体に装着されていく。

「そんな……。教皇の正体がふたご座の黄金聖闘士(ゴールドセイント)?」

「ふふっ、異次元の彼方に飛んでいきなさい、アナザーストマック!」

「うぐぅっ!」

 突如として口をあけた異次元の入り口に、あゆは吸い込まれそうになる。

 だが、次の瞬間に次元への入り口は閉じ、あゆは教皇の間の床に落ちた。そのときあゆが見たのは苦しんでいるいくみの姿だった。

「うぐぅ……また苦しんでる。一体教皇さんになにが起きているんだろう?」

「何で邪魔するのよ……あなたは……」

(やめなさい……これ以上人の恋路を邪魔するのは……)

「うるさいっ! あなたさえいなければ、彼はあたしのものだったのよ。それなのに、いつも肝心なときに邪魔をして……」

 突然いくみは激昂したかと思うと、不意に低い声で笑い始めた。

「……いいわ、ペガサスは殺さないであげる。そのかわり五感のことごとくを絶って廃人同様にしてあげるわ……」

 高まるいくみの小宇宙(コスモ)に、あゆは戦慄を覚えた。

「まずは味覚!」

「うぐぅっ!」

「そして触覚、聴覚、嗅覚、視覚!」

 いくみによって五感の全てを絶たれたあゆは、教皇の間の床に倒れ伏した。もはやあゆは心臓だけが動いているだけと言う、生ける屍といっても過言ではないほどの状態になっていた。

 そして、時計の火もまもなく消えようとしている。

 

(美汐ちゃん、聞こえる?)

 白羊宮で美汐は、何者かが自分の小宇宙(コスモ)に直接語りかけてくるのを感じた。

「私の小宇宙(コスモ)に直接語りかけてくるのは……みさきさんですね?」

(そうだよ。ちょっと美汐ちゃんにお願いがあるんだよ。実は時空の捻じ曲がった変なところに落ちちゃってね……)

「なにを言いますか、みさきさんの力でしたらどんな時空からでも戻ってこれるはずですよ」

(そうもいかないんだよ。私一人ならいいけど、どうしてももう一人助けてあげたい人がいるんだよ)

「わかりました、処女宮でいいのですね」

 美汐の念動が高まり、空間の歪みが矯正される。すると処女宮に二人の人物が現われた。

「え〜と、喝!」

「……う」

 みさきの喝を受け、香里が目を覚ました。

「……ここは、処女宮……?」

「今は事情を説明してる場合じゃないよ、早く教皇の間に向かって」

「教皇の……間……?」

「うん、今そこでペガサスが一人で苦戦しているの」

「あゆちゃんが……一人で?」

「フェニックスの聖衣(クロス)には、黄金聖衣(ゴールドクロス)にもない自己修復能力があるからね……」

 みさきは聖衣(クロス)の灰を香里にふりかけた。

「一握りの灰さえあれば、フェニックスはまた羽ばたくんだよ」

 香里の身体に再びフェニックスの聖衣(クロス)が装着されていく。しかも以前より輝きを増した新生聖衣(ニュークロス)となって蘇ったのだ。

「……でも、そうすると焼き鳥にするたびに蘇っちゃうから食べられないよね」

 そう言ってみさきは微笑んだ。

「とにかく時間がないから急いでね、香里さん」

「わかったわ。でも、どうしてあたしを助けてくれたの?」

「そんな事はいいから、急いで」

 後ろ髪ひかれる思いだったが、香里はあゆのいる教皇の間を目指して走り出した。

「流石に言えないよね……」

 その後姿を追いながらみさきは呟いた。

「声が雪ちゃんにそっくりだったからなんて……」

 

 そのころ教皇の間では、あゆといくみの死闘が続いていた。

「なんですって?」

 五感をすべて失ったはずのあゆの身体から、すさまじいまでの乙女小宇宙(おとめコスモ)が放たれたのだ。

「五感すべてが失われても、萌えろっボクの乙女小宇宙(おとめコスモ)っ! タイヤキ流星拳!」

「残念ね、あなたの流星拳なんて、黄金聖闘士(ゴールドセイント)には通用しないわ」

 郁未はあゆのタイヤキ流星拳を片手でかわしていく。

「いくらあなたが乙女小宇宙(おとめコスモ)を萌やしても、黄金聖闘士(ゴールドセイント)の域まで高める事は出来ないわ。それに光速の動きを持つ黄金聖闘士(ゴールドセイント)に、たかが音速拳が通じるわけないじゃない」

「うぐぅぅぅぅぅぅっ!」

「無駄だと言っているのに……。所詮は馬鹿の一つ覚えね……」

 だが、いくみはあゆの流星拳に違和感を覚えた。なんとなくだが、あゆの放つタイヤキの数が増えていくように感じられたのだ。

「うぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」

「百、二百、三百、六百、千、千二百、千五百、二千、三千……。間違いないわ、どんどん数が増えていく……。だけど、このまま際限なく増え続けていったとしたら……」

 ついにあゆのタイヤキ流星拳は光の軌跡を描きはじめる。

「たい焼きが光に……? これは光速拳……」

 流石のいくみもこれはかわしきれず、無数のたい焼きの直撃を受け、教皇の間の床に倒れた。

「……勝った……」

 しかし、五感のすべてが絶たれたあゆは、どこへ向かえばいいのかわからない。もうすぐ火が消えるというのに、天使の人形の位置がつかめないのだ。

「あっ……」

 そのときあゆの目の前に、天使の人形の姿が浮かび上がる。

「……そこに向かえばいいんだね……」

 もはや両足の感覚すらないあゆだったが、ゆっくりと天使の人形に向かって歩きはじめた。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送