第十三話 終焉、戦いの果てに…
「う……ぐぅ……」
突然鳩尾に衝撃を受け、あゆは低く呻いてしまう。
「ふふふ……お馬鹿さん……」
教皇の間の床に倒れたはずのいくみが、あゆの身体に拳をめり込ませていた。
「まぐれのたい焼きを二〜三個くらった程度で、このあたしが倒せるわけないでしょ?」
そうは言うものの、五感の全てを立たれてなおも反撃するあゆに、いくみは戦慄を覚えていた。このままじわじわとなぶり殺しにするよりは、一思いに息の根を止めたほうがいい。
「死になさい! ペガサス」
「うぐぅっ!」
互いの拳が交錯し、体勢が入れ替わる。その隙にあゆはいくみの背後に回りこみ、その身体をしっかりと抱きかかえた。
「うぐぅっ! 祐一くん、ボクの乙女小宇宙よっ! ボクに……ボクにもう一度力をっ!」
あゆはいくみの体を抱いたまま、天空高く飛び上がる。
「なに? あの大木は……」
「アユアユフォーリングクラッシュ!」
夕日に染まる大木を背景に、空中で反転したあゆはいくみの体を教皇の間の床に叩きつける。
「う……ぐぅ……」
「残念だったわね……」
あゆにとってアユアユフォーリングクラッシュは捨て身の大技だ。だが、それすらもいくみには通用しなかった。
掛け値なしに強いいくみの実力に、自分の心が絶望に満たされていくのを感じるあゆ。
うお座の火時計が消えるまであとわずかというときに、香里は必死にあゆの元を目指して走り続ける。
人馬宮をすぎ、魔羯宮に差し掛かる辺りで、香里は天空から黄金聖衣が落ちてくるのを見た。
「これはやぎ座の……」
やぎ座の黄金聖衣をまとった少女は、舞を抱きかかえていた。
「そう、あたしがやぎ座の七瀬留美。舞さんの事は心配いらないわ。あたしに任せて先に進みなさい」
「わかったわ。舞さんの事はよろしくね」
「任せて、乙女の名にかけてね」
「……乙女?」
香里は妙に場違いな空気を感じる。
「あなたも乙女だわ」
「……ありがとう」
妙に釈然としないものを感じつつ、香里は次の宝瓶宮を目指した。
宝瓶宮では秋子の膝枕で名雪が眠っている。そのいつもの母娘の風景に、香里は心温まるものを感じた。
「戦いはまだ終わっていませんよ。今は一刻を争うときです」
「はい」
「名雪も目を覚ましたら、必ず後を追う事でしょう。ここは私に任せて先に進みなさい」
香里は心の中で秋子さんに礼を言うと、次の双魚宮を目指して走り出した。
双魚宮では壮絶な死闘が繰り広げられたらしく、凄まじいまでのバニラの香気と、巨大なバニラカップの下敷きになって目を回している少女がいた。
「栞っ!」
そのすさまじい惨状の中に、香里は倒れ臥す妹の姿を見つけ、あわてて駆け寄った。
「えう……わさびなんて人類の敵です……」
とりあえず大丈夫なようなので、香里は先に進むことにした。
「さらば、妹よ……」
「……そんな事言う人嫌いです……」
そのころ教皇の間では、いくみがあゆを相手に不思議な戦慄を感じていた。すでにあゆの五感はいくみによってすべて破壊されており、普通ならとっくの昔に絶命していても不思議はないからだ。
「どうやら生半可な事では死なないようね……。いい加減あなたの相手も面倒になってきたわ……」
いくみはあゆのそばに立つと、高々と手刀を構える。
「さよなら、ペガサス……」
だが、振り下ろされた手刀は、突如として飛来した物体によって阻まれた。
「……これは、フェニックスの羽。まさか……」
いくみはそこに現われた人物に愕然とした。だが、それは紛れもなく最強のあの女の姿だ。
「フェニックス香里……。馬鹿な、あなたはおとめ座のみさきと共に消滅したはず……。まさか再び生命を捨てに舞い戻ってきたとでも……?」
「あたしの生命なんていくらでもくれてあげるわ。でもね……」
香里は視界の隅にあゆの姿を見とめた。
「あゆちゃんの生命だけはわたさないわ!」
「ふふふ……」
いくみは不敵に微笑んだ。
「今更死にぞこないが一人増えたところで何も変わりはしないわ……。二人仲良くあの世に行かせてあげるわ……」
「悪いけどあの世へはあなた一人で行ってもらうわ。かおりん天翔っ!」
香里の必殺技かおりん天翔を受け、いくみの身体ははじき飛ばされる。
「あゆちゃん!」
その隙にあゆのもとに駆け寄る香里。
「大丈夫? あゆちゃん」
「無駄よ……」
ザシャァァァァッ、と言う効果音を立てて、何事もなかったかのようにいくみは立ち上がる。
「ペガサスはすでに五感を全て失っているのよ。その子はもう生きた屍と言っても過言じゃないわ……」
いくみはかおりん天翔の直撃を受けたにもかかわらず、いくみにはまったく通用していない。
「まさか……」
「今までの相手はどうだったかしらないけれど、あたしを相手にするには役不足ね」
「なら、もう一度。かおりん天翔っ!」
だが、かおりん天翔の威力はいくみを素通りしていく。
「そ……そんな……」
香里の目が驚愕に見開かれる。
「言ったはずよ、あなたの技なんて役不足だって……。ほら、返すわ」
いくみが無造作に突き出した片手によって、かおりん天翔の威力は香里に逆流してきた。
「そういえば、あなたは双児宮でもあたしの邪魔をしてくれたわね。だったら楽に死なせるわけにはいかないわ……」
「くっ……かおりん天翔がきかないんなら、精神を打ち砕くだけよ。このかおりん幻魔拳でね」
「精神を砕く? このあたしの?」
いくみは不敵に微笑んだ。
「それならあたしもあなたの精神を打ち砕いてあげるわ。このいくみん幻朧拳でね……」
二人はお互いの必殺拳で勝負に出た。
「かおりん幻魔拳っ!」
「いくみん幻朧拳っ!」
二人の拳が交錯した。
「うっ……」
香里がうめき声を上げた。
「かかったわね……。もはやあなたに自分の意思はないわ、全てはあたしの命ずるままに動くのよ……」
いくみはサディスティックなまでに、いやらしい笑みを浮かべていた。
「まずは……自分の腕をうちぬいてもらおうかしら……。ふふふ……」
「うう……」
いくみに命じられるまま、香里は自分の左腕をうちぬく。
「次は自分の心臓を……いや……」
いくみは床に倒れ臥しているあゆに目をやる。
「あたしの代わりにペガサスの首を落としなさい……。そしてその後に自害するのよ……」
いくみの見ている前で、なんのためらいもなくあゆの首を落とす香里。それを見たいくみは勝利を確信し、高らかな笑い声を上げた。
「……は?」
ふと、いくみは我に返る。床に倒れ伏しているあゆの首は落とされておらず、まるで狐につままれたかのようだ。
「……どうしたの? まるで悪い夢でも見ていたみたいじゃないの」
「まさか……。あたしも幻魔拳で幻を見ていただけだというの?」
「次に見るのはあなたの最後よ……。もっともこれは夢ではなくて現実だけどね」
そう言って香里は不敵に微笑んだ。
精神支配に関しては互角の勝負。そうなるとこの先技をかけあったところで、千日戦争に陥るであろう事は明白だ。そうなるとお互いにかおりん幻魔拳もいくみん幻朧拳も使えない。
こうなってしまうと、後はお互いの乙女小宇宙の優劣のみが勝敗の鍵となる。
「かおりん天翔っ!」
先に仕掛けたのは香里だ。だが、香里の最大の必殺技であるかおりん天翔は、なすすべもなくいくみにはじき返されてしまう。
「馬鹿ね……。あなたのかおりん天翔もかおりん幻魔拳も、あたしには通用しないのよ」
香里の持つ二大必殺技が封じられてしまった今、香里は両腕をもがれただるまにも等しい。
「だけどあたしは違うわ。最後にそれを見せてあげる……。全ての食材が乱れ飛ぶ、その様を!」
いくみの小宇宙が高まり、目の前にちゃぶ台が現われた。
「チャブダイエクスプロージョン!」
「こ……これは!」
チャブダイエクスプロージョンとは、往年の星一徹が得意とした秘技、ちゃぶ台返しのことだ。ちゃぶ台の上に乗せられた食材や食器が、容赦なく香里に襲いかかる。
火時計も残りわずかで消えるところであり、今度こそ勝利を確信したいくみは、高らかな笑い声を上げた。
「……なんですって?」
突如として沸き起こった小宇宙に戦慄するいくみ。
「そんな……嘘でしょ?」
いくみの目の前であゆが再び立ち上がった。もはや見る事も聞く事も、感じる事すらできないと言うのに、あゆは天使の人形目指して歩きだしたのだ。
祐一に会う。その一縷の望みをつなぐのが天使の人形。そのあゆの祐一に対する深い想いに、いくみは圧倒されつつあった。
「くっ……」
あゆに向かおうとしたいくみの前に、香里が立ちはだかる。もはや満身創痍、こうして立ち上がるのが不思議なくらいのダメージで。
「……ここはあたしが死んでもおさえるわ……。それが、かつてあゆちゃんたちに拳を向けた、あたしのせめてもの罪滅ぼし……」
「こうなった二人まとめて面倒見てあげるわ!」
いくみの小宇宙が高まっていく。
「さよならみんな……。栞……」
「チャブダイエクスプロージョン!」
天と地をつんざくような衝撃音が教皇の間に鳴り響く。全ての食材が乱れ飛ぶチャブダイエクスプロージョンの威力は、その破壊力で二人とも粉みじんに消し飛ばすはずだ。
「そんな……」
だが、あゆは無事だ。香里が自分の身体を盾にして、チャブダイエクスプロージョンの破壊力からあゆを守ったのだ。
「香里さんが……ボクをチャブダイエクスプロージョンから助けてくれた……」
それは香里だけではない。あゆをここまで辿り着かせるために、舞、名雪、栞が犠牲になっていっただ。
今ここであゆがあきらめてしまえば、その思い全てが無駄になってしまう。
「運がいいわね……。フェニックスのおかげでかすり傷程度で済むなんてね」
いくみはゆっくりとあゆに向かって歩を進める。
「だけどもう、そんな奇跡は起きないわ……」
「……もう一度。ボクの乙女小宇宙よ、奇跡を起こして……」
(あゆ……。私の乙女小宇宙を使って……)
遠い魔羯宮から舞が語りかけてくる。
(あゆちゃん、わたしの乙女小宇宙も……)
(あゆさん……)
宝瓶宮、双魚宮からも名雪と栞が語りかけてくる。祐一に思いを寄せる少女たちにとって、今はあゆだけが最後の希望なのだ。
「ペガサスが……また、立ち上がった……。それに……あの小宇宙は……」
あゆの後ろにたい焼きをはじめとして、牛丼やイチゴサンデーなど無数の小宇宙が浮かび上がる。それは熱き乙女達の心の小宇宙であった。
「……確かに、今のボクは五感の全てが絶たれたよ……。だけど見たり聞いたりする以上に、はっきりと全てを感じる事が出来る……」
「まさか……。あなたは自分の萌え要素に目覚めたと言うの……?」
「心の乙女小宇宙よ、ボクの萌え要素よ、今こそ究極まで萌え上がれっ!」
「今更いくら乙女小宇宙を萌え上がらせても、あなたの技はあたしに通用しないわ。こんどこそくらえっ! チャブダイエクスプロージョン!」
「タイヤキ彗星拳っ!」
「なんですって? 流星が彗星に……?」
分散してうっていた流星拳を、一点に集中してうつ彗星拳。その破壊力は、単純計算で通常の流星拳の百倍以上になる。
流石のいくみもこれには対抗し得なかった。ついにあゆは、教皇にしてふたご座の黄金聖闘士、いくみに勝利したのだ。
「……勝った……」
あゆはがっくりと膝をつく。
「まだ……まだだよ……」
あゆは天使の人形をめざし、ふらつく足取りで歩きはじめた。
「はっ?」
あゆのタイヤキ彗星拳に飛ばされたいくみは、あゆが天使の人形の間に向かってからすぐに目を覚す。
「そうはさせるもんですか、天使の人形を渡すわけにはいかないわ」
天使の人形の間へ向かう回廊に向かったいくみは、そこに現われた人物を見て愕然とした。
「……郁未……」
「そう、私は郁未。あなたはどなた?」
「私はあなた……」
「あなたは私……」
「あなたは……」
「私は……」
「ううっ……」
幻影から逃れるべくいくみは回廊を突き進む。そして、そこを抜けたときには、あゆが天使の人形を手に取ろうとする寸前だった。
「天使の人形は、渡さないわっ!」
あゆは天使の人形をしっかり抱きしめた。
「天使の人形よっ! ボクに奇跡をっ!」
それは双魚宮の火が消える、まさに寸前の出来事だ。
天使の人形からあふれ出るまばゆい光がいくみを直撃し、聖域全体を明るく照らし出した。
それはまさに光の速さをも越えた一瞬の出来事だった。光に包まれた聖域のあちこちでは、さまざまな奇跡が起こっていた。
「う……うぁぁ……」
天使の人形の光を浴びたいくみの身体から、不気味なオーラが抜け出ていく。それに合わせていくみの表情は穏やかになり、元の優しい郁未に戻った。
「よかった……本当に……」
そして、あゆもついに力尽きた。
「どうやら郁未さんは、二重人格だったみたいですね……」
「二重人格?」
美汐の言葉にみさきが首を傾ける。
「人は誰でも善と悪の二面を持っていると言います。でも、郁未さんの場合はそれが強すぎたのでしょう。だから、善人の郁未さんと悪人のいくみさんに別れてしまったのでしょうね……」
そこで美汐はため息をつく。
「もしかすると……この戦いで一番苦しい思いをしたのは、郁未さんだったのかもしれませんね……」
「……そうだね。でも……」
みさきにはもう一つの懸念がある。
「あの子達が命がけで会いに来た相沢くんは、今どこにいるのかな……」
「わかりません……」
美汐はため息混じりに呟く。
「いずれにしても、あゆさん達の戦いはまだまだ続くようです……」
聖域にも祐一の姿はなかった。あゆ達の戦いはまだ終わらない。
だが、今はしばしの休息を取り、疲れた身体を癒すのだった……
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