第三話 驚異、愛でスパナを回す男
「死ねぇっ! ペガサス」
氷の大地に倒れふすあゆの頭を、祐介は一気に踏みつぶそうとする。
だが、あゆはその足をつかみ、必死に抵抗する。祐介の足元からあゆの小宇宙が立ち上っていく。
「戦いはまだはじまったばかりだよ。ボクはこんなところでやられるわけにはいかないんだ」
エレクトリックエンジニアは祐介最大の拳だ。その直撃を受けていながらも、あゆから闘志は失われていなかった。
「はあっ!」
あゆの右拳から次々にたい焼きが放たれる。だが、祐介はそれを片手で受け止めていた。
「うぐぅ……。ボクの渾身の一撃が……」
「今のが渾身の一撃だと? 渾身の一撃とはこういうことを言うのさ。エレクリックエンジニア!」
再びあゆは祐介の一撃ではじき飛ばされてしまう。
圧倒的なまでの祐介の強さに、あゆは戦慄した。
勝てない……。あゆの心にあきらめの色が宿る。
あの祐介の強大なパワーを相手に、どうやって勝てばいいのか……。
(あゆ……)
心の中で声がする。それはあゆの師匠、たいやき屋の親父の声だ。
(あゆ、お前は忘れてしまったのか? あの十二宮での戦いを……。お前は幾人もの最強の黄金聖闘士を相手に戦い、傷つき、生死の境をさまよい、五感を失いながらも究極の萌え要素に目覚めたんじゃないのか?)
あゆの脳裏に親父の声が響く。
(このままあきらめて、祐一のことを、傷つき倒れた友を見捨ててもいいのか?)
(でも、どうやって……)
(それは自分で考えろ)
意外と冷たい師の言葉。
(いつまでも甘えているんじゃない。お前にはそれが出来るはずだ、十二宮の戦いを勝ち抜いた立派な聖闘士なんだ。その誇りを忘れずに、逃げてはだめだ)
(聖闘士の誇り……)
(わしにはもう……。お前に教えることはなにも無い。わかるな、あゆ……)
あゆの心に十二宮での戦いが次々にフラッシュバックしていく。強大な黄金聖闘士との死闘。それが出来たのは、すべては祐一のため。
そして、それは今も変わらない。
だからこそ戦える。例えそれが、神闘士であろうともだ。
「さて……そろそろお前たちも楽にしてやろう」
祐介は悠然と名雪たちに歩み寄っていく。
「待って……」
気がつくと、あゆが祐介の後ろにいた。
「ペガサス……。その気力だけはほめてやる。だが、気力だけでは勝てない、最後に勝つのは力だ」
あゆは一歩も引かない。
「いいだろう、エレクトリックエンジニア!」
祐介の剛拳がうなる。
逃げちゃだめだ。たいやき屋の親父の言葉があゆの脳裏をよぎる。
「ボクならできる!」
石橋先生のブリッジスコーンを見切ったボクなら。茜さんのライトニングワッフルを見切ったボクなら。
「見えたよっ! 技の軌跡が」
あゆは祐介のエレクリックエンジニアの軌跡を見切り、技の勢いを利用して祐介を投げ飛ばした。
「なにぃっ?」
流石の祐介もこの一撃には耐え切れなかったようだ。なんとか立ち上がろうとはするものの、足元がふらついて体勢を崩してしまう。
「いまだっ! タイヤキ流星拳!」
「うおぉぉぉぉぉ……」
無数のたい焼きが祐介にヒットし、その身体を氷の下敷きにする。
「やった」
あゆが喜んだのもつかの間のこと。氷の下から祐介は無傷で姿を現した。
「この程度のことで倒したと思われるのはな……。だが、この俺を地表に叩きつけたのはお前がはじめてだ。それゆえに神闘士の名誉にかけてお前を倒す! 必ずな……」
あゆのタイヤキ流星拳の直撃を受けたにもかかわらず、祐介の神闘衣にはかすり傷一つついていない。そればかりか祐介の小宇宙は、前にも増して激しく萌えさかっている。
だが、それはまるで憎悪。
神闘士というものは一体……。
アスガルドの大地は極寒の地。それは、暖かな太陽の元で暮らしてきたものにはわからない。
この地に生まれたものは、この地に生まれたというだけですでに戦いがはじまっている。
そして、アスガルドの民は公子と共に、この過酷な宿命に耐えてきた。
だが、これからは違う。アスガルドが聖域を叩きつぶし、世界に君臨し支配する。
そのための力が神闘衣であり、神闘士なのだ。
「俺たち七人の神闘士は、公子さんの偉大な力で蘇った伝説の神闘衣をまとい、公子さんを守り戦うのだ」
「違うよ。公子さんは何者かによって、ニーベルンゲンリングをはめられて、その魔力で操られているんだ。だからボクたちは……」
「だまれっ! もはや問答無用!」
祐介から放たれる、圧倒的なまでの小宇宙にあゆは気おされてしまう。今までとは比べ物にならないくらいに激しく萌え盛る祐介の小宇宙に、あゆは戦うしかないのかと思った。
祐介の背後に巨大な蛇の姿が浮かび上がる。それは紛れもなく北欧の神話に登場する大蛇、ミズガルドであった。
「エレクトリックエンジニア!」
「うぐぅぅぅぅっ!」
さっきは見切れたと思った祐介の拳が、情け容赦なくあゆに炸裂する。
「お前たち聖闘士に、俺たち神闘士は倒せない。なぜなら俺たちは公子さんを護り、共に戦うこの日のために、神に選ばれてこの地に生を受けたのだからな」
「うぐぅ?」
「いわば俺たち神闘士は、神が公子さんに与えた戦士。お前たち聖闘士とは、力も小宇宙も比べ物にならないのさ」
祐介の剛拳が再度あゆに向かって放たれる。だが、それが炸裂しようとした刹那、何者かがあゆを救った。
「あゆ、大丈夫?」
「舞さん……」
佐祐理に会うために、五老峰に行っていた舞があゆたちの元に到着した。
「舞さん……。ここはボクがくいとめるよ……。だから舞さんは名雪さんたちと一緒に、ヴァルハラ宮に向かって……」
「……それは出来ない」
舞の言葉に、あゆは耳を疑う。それは一体どういうことなのか……。
舞は佐祐理からアスガルドの神闘士について聞いた。そしてそのときに、公子がニーベルンゲンリングの魔力にとらわれていることを聞いたのだ。
もしそれが本物のニーベルンゲンリングであるなら、ただ公子の元にたどり着けばいいということではないと、佐祐理は言う。
指輪にこめられた魔力を断ち切るには、伝説の聖剣バルムンクを持ってするより他にない。そして、バルムンクを手にするためには、神闘士たちの守護石であるオーディンサファイアを七つすべて集める必要があるのだ。
「え……? それじゃあ……」
「……七人の神闘士、全員を倒す必要があるということ」
「そんなことが出来ると思っているのか?」
祐介の神闘衣の、オーディンサファイアが光る。
「舞さん、ここはボクに任せて。あの人はボクが必ず倒すから」
その声に舞は静かにうなずき、先へ進む。
祐一を救い、世界の平和を守るためには、どうしても祐介を倒すことが必要となる。あゆは決意も新たに祐介に立ち向かった。
倒されても倒されてもなおも立ち上がり、そのたびに乙女小宇宙を増大させていくあゆの姿に、祐介はすくなからず圧倒されていた。
「馬鹿な……。この小宇宙は、祐一……?」
「タイヤキ流星拳っ!」
あゆの放つ無数のたい焼きが、祐介を圧倒する。
今のあゆを包み込むような祐一の小宇宙。祐介は前にもこれと似たような小宇宙を感じたことがあった。
それはかつて、祐介が禁断とされるヴァルハラ宮の森で狩をしていたときだ。
アスガルドの地は、ただ生きるのにも厳しいところだ。そして、生きるためには、なりふりかまっていられないという現実もある。
王宮の兵たちに追われ、もはや絶体絶命というときに現れたのが、アスガルドを治める公子だった。
「あなたですね、王宮の森で狩をしているという方は」
「ふっ……。煮るなり焼くなり、好きにするがいいさ……」
「ここで狩をして、貧しい人たちに分け与えているそうですね……」
「ふっ……」
「申し訳ないと思っています。この地を治める私たちが、アスガルドの人たちに、なにもしてあげられないのですから……」
あのときの公子の小宇宙は、祐一の小宇宙と同じ暖かく気高いものだ。
だが、今の公子の小宇宙は……。
(公子さんはニーベルンゲンリングをはめられて、何者かに操られているんだよ)
突然の公子の豹変。妹である風子への仕打ち。
あゆの言葉は、そのことを裏付けるものだ。
あの気高く美しい公子は、まるで別人のように変わってしまっている。
祐介の心に迷いが生じる。だが、祐介は頭を振ってその迷いを振り払った。
(なにを迷う必要がある。今の俺はかつての俺でなく、神闘士なんだ)
余計なことを考えてはいけない。今の祐介の使命は公子のために、祐一の聖闘士を倒すことなのだ。
「くらえっ! エレクトリックエンジニア!」
「うぐぅぅぅぅぅぅぅっ!」
あゆの乙女小宇宙が萌える。それも今までに無いくらい、最大限に萌え盛っていた。
「ばかなっ! この俺の最大の拳を……」
高まるあゆの小宇宙は、いまや完全に祐介を圧倒し、その攻撃をすべて跳ね返していた。
そのとき祐介は、今のあゆから放たれている乙女小宇宙を感じた。暖かく雄大な祐一の小宇宙に包まれて戦えるあゆを、心底うらやましいと思った。
だが、今の祐介は公子に全てを捧げた神闘士。すべては公子のために。
静かに二人は小宇宙を高めていく。そして……。
「エレクリックエンジニア!」
「タイヤキ流星拳!」
二人の身体と身体、拳と拳が激しく交差する。そのとき、あゆは勝利を確信した。だが、それでもなお、祐介は立ち続けていた。
やがて、祐介の瞳から大粒の涙が溢れ出す。
「見事だ……。ペガサス……」
祐介は思う。この少女なら、きっと公子を元の優しい公子に戻してくれると……。
ゆっくりと崩れ落ちる祐介。その足元には、守護石であるオーディンサファイアが落ちていた。
「これが……オーディンサファイア……」
これを七つ集めることで、ニーベルンゲンリングの魔力を断ち切るバルムンクの剣が手に入る。
「あと……六つ」
あゆは傷ついた身体を癒す間もなく、ヴァルハラ宮に向かって歩きはじめた。
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