第七話 姉妹、その絆にかけて
「聖衣を脱ぎ捨ててしまうなんて、あなたは聖闘士失格なの。それとも、死ぬつもりなの?」
最大の攻撃力を持つアンドロメダのストールをはずしてしまうなんて自殺行為だ。
「……もとより死は覚悟の上です」
元々病弱で不治の病に冒されていた栞。その言葉には妙な説得力がある。
「でもそれは、公子さんを目覚めさせ、祐一さんとこの地上を救ってからです」
「世迷言なの」
「その前にひとつだけ聞かせて欲しいことがあります」
栞は静かにことみを見た。
「あなたが私にした質問と同じことですよ。あなたはどうして戦うのですか?」
「公子さんと一緒に聖域を倒し、このアスガルドが世界に君臨するため」
「ウソですね」
その言葉を栞は即座に否定した。
「私にはあなたが、本当のことを言っているとは思えません」
ことみから感じる小宇宙は、他の神闘士たちとは違う小宇宙を感じるのだ。
もしかしたらことみも栞と同じように、心のそこから戦いを望んではいないのかもしれない。そう感じさせるような小宇宙なのだ。
「私はあなたから、深い悲しみのような小宇宙を感じるんです。それが何故かはわかりませんけど……」
「私が戦いを望んでいないかどうかはすぐにわかるの。聖衣もストールも無いあなたに、もう勝ち目は無いの」
「試してみますか?」
栞は静かに乙女小宇宙を高めていく。
「あなたとまた会えることがあるなら、そのときこそあなたの本当の気持ちを聞かせてもらいます」
「おそらく、そんな機会は無いの」
高まった栞の乙女小宇宙が、あたりにバニラの香気をあふれさせる。
「バニラストリーム!」
凄まじいバニラの香気が気流となり、ことみの身体を束縛していく。しかもその香気はとどまることを知らず、さらに威力を高めていく。
「このバニラストリームは、私の意志次第でとんでもない変化をします。そうなる前にことみちゃん、私にオーディンサファイアを渡してください」
「あなたに……私は倒せないの」
「やはり無理ですか……。バニラストーム!」
十六トンと書かれた巨大なバニラアイスのカップが現れ、ことみの身体を押しつぶしていく。
「……勝ちました……」
だが、バニラストームを放った栞は力尽き、大地に倒れてしまう。
「……どうやら全力を出し切ったみたいなの……」
バニラカップの下から、ことみが無傷で這い出してくる。バニラストームは栞の最大の必殺技だ。それすらも通用しないことみの実力に、栞は戦慄した。
「どうやら、あなたを甘く見すぎていたみたいなの。もう手加減はしないの……」
ことみはヴァイオリンをあごに当て、すっと弓を構える。
「デッドエンドストリング!」
んぎいぃいぃいぃいぃっ!
ヴァイオリンから発せられる凄まじい不協和音があたりに響く。それはまるで頭蓋骨全体に響いてくるような旋律で、栞が耳をふさいでも直接脳みそに鳴り響いてきた。
ぎごぎごぎぃっ!
ことみの奏でるヴァイオリンの旋律は音楽などという生易しいものではなく、物理的な破壊衝撃を持った怪音となって押し寄せてくるのだ。これでは栞も手も足もでない。
「うっとり……」
完全に自分の世界に入ってしまっているのか、ことみは声に出してうっとりしており、その顔は恍惚の表情を浮かべていた。
「えぅ〜……」
一方栞は演奏という名の拷問の渦中にあり、爆音の鳴り響く中で危機に陥っていた。それなのに栞のストールはなんの反応を示さない。このまま死んじゃうの、と栞が思ってもだ。
「これで終わり、なの」
ことみが最後の旋律を奏でようとしたときだった。突如として飛来した尾羽がことみの手に当たり、演奏を中断させる。
「誰なの?」
「……フェニックス香里……」
「……来てくれたんですね、お姉ちゃん……」
まるで出番を待っていたかのように高いところに立っていた香里が、傷つき、倒れる栞の元に飛び降りてくる。
「お姉ちゃん、祐一さんは今……」
姉の腕に抱きかかえられながら、栞は事情をかいつまんで説明する。
「そのためには一刻も早く神闘士たちを倒して、ヴァルハラ宮に行かないと……」
「わかっているわ、栞……」
姉妹の間に言葉をいらない。見つめあう瞳と瞳が、なによりの証。
「それは、無駄なことなの」
「いくわよ、よくもあたしの妹を……」
ことみの手から光速拳が放たれる。だが、香里は素早い動作でそれをことごとくかわしていく。
十二宮での戦いは、香里にも影響を与えていた。ふたご座の黄金聖闘士いくみの光速拳を何度も受けた香里には、このくらいのことは雑作も無い。
ことみの奏でるヴァイオリンの音色が香里を幻惑し、何人にも分身しているように見せる。
「だめですお姉ちゃん、その旋律を聞いては……」
栞の叫びも虚しく、香里はことみの拳の渦に飲み込まれてしまう。勝利を確信したことみだったが、次の瞬間大きく目を見開いていた。
「……フェニックス……。どうして……」
「あなたのヴァイオリンには幻惑の効果があるみたいだけど、生憎このあたしには通用しないわ」
香里もまた、幻魔拳という幻惑技を持つ。そんな香里に幻惑など笑止だ。
不意に香里は、ことみの瞳の奥に、不思議な小宇宙を感じた。香里にはわかるなにかが……。
「フェニックス、やはりあなたも友のため、この地上を守る祐一さんを守るために戦っているの?」
「その通りよ」
「……くだらないの……」
「本当、言葉どおりだわ……」
半ば自嘲気味に微笑みながら香里は口を開く。
「所詮サブキャラに過ぎないあたしは、相沢くんに振り向いてもらえないのに。あたしにはシナリオが無いものね……」
そのことを憎み、かつてはあゆたちと敵対していた香里だ。まるで血を吐くような告白である。
「……でもね、こんなあたしでもあゆちゃんたちは受け入れてくれた。相沢くんは涙を受け止めてくれた。だからあたしは、未来に希望を託すことが出来るのよ」
いつの日か、香里シナリオが現れることを信じて。
「そのために戦うのよ……」
「どうせ、裏切られるだけなの」
ことみの光速拳が、容赦なく香里をうち倒す。それは先ほどまでとは違う、桁外れの威力を持つものだった。
「どうあがこうとも、あなたに私は倒せないの」
「たしかに……あなたは強いわ。でも、何故かあなたの乙女小宇宙からは殺気を感じない……」
栞と同じことを香里からも指摘され、表情に乏しいことみの顔に変化が現れた。
「それなら教えてあげるの……。私は自分のわがままで、両親を殺してしまったの……」
ことみの両親はアスガルドでも名高い学者だ。その愛情を一身に受け、ことみは育った。
だが、研究成果を発表するときにことみはただ一人家に残され、寂しい思いをしていた。
あるときことみは両親に願った。一人にしないで欲しいと。でも、両親は出かけていき、そして帰ってこなかった。そのわがままが、ことみから両親を失わせることになったのだ。
愛するから失われる。その日以来ことみは一人ぼっちで生きてきたのだ。
「やっぱり、あなたもそうだったのね……」
香里は足元がふらつきながらも、なんとか立ち上がる。
「あたしもそうだった……。あたしも自分のわがままで、栞のことをいないって思い込もうとしていたから」
あたしに妹なんていない。そう思い込もうとして、香里は心を閉ざしていたことがある。なんとなく香里は、今のことみはそのときの自分と良く似ているように思えた。
だが、香里には祐一がいた。親友の名雪がいた。自分を支えてくれる人たちのおかげで、香里は栞を受け入れることが出来たのだ。
「あなたにもそれをわからせてあげるわ。かおりん幻魔拳!」
香里の拳がことみの額をうち抜く。幻魔拳の威力はことみが封じ込めていた、記憶の扉を開くのだった。
ことみの脳裏に記憶がフラッシュバックする。それは両親と過ごした楽しい日々の記憶。神闘士となり、仲間となったメラクの渚とミザルの椋のことを……。
「これは……幻覚なの……」
ことみは自分がヴァイオリンを用いて行う幻惑と同じものだと思った。だが、それは香里によって否定されてしまう。
「違うわ、それは幻覚じゃなくて、あなたの心の底に眠る記憶よ」
「嫌……」
アスガルドの地は厳しい自然条件の地だ。ここで生きるものは、それこそ死と隣り合わせになっているといっても過言ではないだろう。だからこそことみは余計にそう思い込もうとした。自分が両親を死なせてしまったのだと。
「あなたはそう信じようとしているだけなのよ。自分にウソをつくことは出来ないわ」
「嫌なのっ!」
そのとき、ことみの身体から爆発的な乙女小宇宙が放たれはじめる。その乙女小宇宙に栞のストールは、敏感に反応していた。
本当はことみも思っていた。一人ぼっちになりたくないと、お友達がほしいと。
「……やっと、殺気を感じるようになったわ。そんなにこのあたしが憎い?」
ウェーブのかかった髪をかきあげるようにして、香里はことみに話しかける。
「でも、このあたしを倒したところで、その憎しみは消えないわ。あなたが本当に憎んでいるのは、心を閉ざしていた自分自身なんだから」
「違うの……」
「神闘士の務めは、アスガルドの地を守ること……。それなら公子さんの邪悪な野望から、世界を救うために戦うべきなんじゃないの?」
「違うの〜っ!」
ことみの光速拳が香里に放たれる。だが、香里はそれをよけなかったため、大地に倒れてしまう。
「お姉ちゃん!」
栞の悲痛な叫びが響く。その声に応えるようにして、再び香里は立ち上がった。
「なぜなの……?」
「どんなに殺気に満ちていても、それで乙女小宇宙が高まるわけではないわ。それに自分の心を偽るような人の拳で、このあたしは倒せないわ」
「そんなことは、やってみなければわからないの」
二人は同時に拳を繰り出す。その拳圧はまさに互角。香里とて伊達にことみの拳を受けていたわけではないのだ。
反対にことみはあれだけの拳を受けて、なおも萌え盛る香里の乙女小宇宙に戦慄すら憶えていた。
「勝負はこれからよ」
「その通りなの。デッドエンドストリング」
んぎいぃいぃいぃいぃっ!
文字通り精神を破壊するヴァイオリンの音色が、物理的な破壊衝撃となって香里に襲いかかってくる。香里は頭も割れんばかりにぎゅうぎゅうと耳を押さえつけるが、その旋律は頭蓋骨を突きぬけ、直接脳みそにダメージを与える不協和音となっていた。
んぎぃいぃ〜、ぐぎょいぃいぃ〜、ぎょいぃ〜ぃいん〜。
音楽と呼ぶにはあまりにも破壊的、芸術と呼ぶにはあまりにも退廃的。少なくともことみの奏でるヴァイオリンの音色は、香里が知っている音色とはあまりにもかけ離れた存在だ。
「これで終わりなの……」
ことみが最後の旋律を奏でようとしたときだった。
「お姉ちゃん!」
栞のストールがことみの手を止める。
「手を出さないで、栞」
強い意志を秘めた香里の瞳に気おされ、栞はストールを引いてしまう。
十二宮の戦いで、香里はその身体を持って知った。逆境にあればあるほど乙女小宇宙は高まるということを。祐一も戦っている、もちろんあゆたちもだ。
こんなところであきらめるわけにはいかないのだ。
「萌えろっ! あたしの乙女小宇宙っ。今こそ究極まで萌えあがれっ!」
香里の身体から爆発的な乙女小宇宙が放たれ、自らの聖衣を打ち砕くと同時にことみのデッドエンドストリングをうち破る。
「いまこそくらえっ! フェニックス香里最大の拳。かおりん天翔っ!」
香里の拳から放たれる巨大な火の鳥がことみをはじき飛ばす。その衝撃でことみの手からヴァイオリンが離れ、地面に落ちた衝撃で破壊された。
「……どうして……なの?」
「単純な乙女小宇宙の勝負なら、あなたのほうが上だったかもしれないわ。でもね、未来に希望を持って戦ったあたしのほうが、僅かに勝ったのかもしれないわ」
「未来……希望……?」
「たしかにこの世には邪悪がはびこり、苦しみや悲しみが絶えないわ。だけどあたしは、かけがえの無い仲間たちと生まれ、同じ時代をわかちあうことの出来る、この世界を愛するあたしたちが力をあわせれば、どんな夢でもかなうと信じてるわ……」
そこで香里は首を振った。
「……違うわね。あゆちゃんたちのおかげで、そう信じることができるのよ。それだけはわかって……」
かつては憎悪の炎に身を焦がし、あゆたちにまで拳を向けた香里だ。その香里が仲間を愛し、信じることができるようになったのは、紛れも無くあゆたちのおかげなのだ。
「確かめてみるの……」
そう言うとことみは神闘衣を脱ぎ捨て、、おもむろに拳を構える。
「……その言葉が、本当かどうか……」
希望を持って戦えば、どんな夢でもかなう。それなら、この自分も倒せるはず。これが最後の勝負だ。
すでにことみの身体から殺気が消えていた。
憎悪も失せており、そのかわりにことみの身体からは凄まじい気迫に満ちた乙女小宇宙が放たれはじめた。
「えぇぇぇぇぇぇぇぃっ!」
「やぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
二人の身体と身体、拳と拳が激しく交差する。
「見事です……フェニックス。あなたたちなら、出来るかもしれないの……夢をかなえること……」
「……ことみちゃん」
栞の声が響く。
「今度出会うときは、こんな戦いじゃなくて……平和なときに出会いたいの……。もしまた、出会うことがあるなら……そのときは……」
ことみの身体が、ゆっくりと大地に崩れ落ちる。
(お友達になって欲しいの……)
神闘士としてことみは失格であったかもしれない。
しかし、ことみは自分に代わり、香里や栞がアスガルドの地を守り、地上の平和を守ってくれると信じていた。
ことみの手には、オーディンサファイアが握られている。その想いはたしかに、栞が受け取った。
「……栞……」
香里の声が響く。
「あゆちゃんたちも戦っているわ、早く行きなさい……」
「でも……」
「時間が無いのよ、早くしなさい……」
姉の言葉に栞はうなずき、ヴァルハラ宮への道を急いだ。
(戦いの無い平和な時代にって、言っていたわね、ことみ……)
力尽きたことみの姿に、香里は自嘲気味の笑みを浮かべる。
(意外と……すぐに会えるかもしれないわ。あの世で……ね……)
栞がいなくなった後、香里はことみと共にその場に崩れ落ちた。
(今……お姉ちゃんの小宇宙が消えました……)
でも、今は一刻を争うとき。後ろ髪が引かれながらも、断腸の思いで栞は坂道を上りはじめた。
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