第十一話 暗躍、姉対決
「なんですって? 椋ちゃんの影が……」
ドゥーベの智代は、公子からアルゴルの藤林杏のことを聞いた。
「聖闘士たちを倒してくれるなら、椋ちゃんでも杏ちゃんでも同じことです」
「これが……椋さんのオーディンサファイア」
「……栞ちゃん」
その声に振り向くと、そこにはへびつかい座の斉藤がいた。よく見るとその足元には、漢和辞典が落ちている。
「斉藤さん? どうして……」
駆け寄ろうした栞だったが、斉藤はそれを止める。
「俺にかまうな、先に行け!」
「そうはいかないわ」
闇から響く謎の声に、栞は足を止めてしまう。
「これは……一体……?」
「やはり親父の考えが正しかったか……」
椋の守護星であるゼータ星のミザルには、影のようにつき従う双子星がある。
それがアルゴル。またの名を死兆星……。
栞たちの視線の先に、一人の少女が姿を現した。腰まで届くロングヘアと、椋とは反対側の髪に結んだ白いリボンが印象的だ。
「あの人が椋さんの影……? まさか、あゆさんたちが言っていたのは……」
栞の声がかすれる。
「その人に感謝するのね。そいつが邪魔をしなければ、あんたはおうし座の黄金聖闘士同様、あたしの拳で倒されていたでしょうに……」
そう言って、その少女は長い髪をかきあげ、不敵に微笑む。
「やはり石橋先生を倒したのはお前だったのか……」
斉藤はしぼりだすように声を出した。
「あたしの存在を知っているのは公子さんただ一人。他の神闘士はもちろん、椋もあたしの存在は知らないでしょうね……」
少なくとも椋は、実の姉がこうして影の神闘士をしているとは知らないだろう。
「あんたの言うとおり、おうし座の黄金聖闘士を倒したのはあたし、アルゴルの藤林杏よ」
杏の見たところ、石橋と椋の実力は互角。それで戦えば、椋もただではすまないと思った。
「それで、石橋先生を闇討ちしたのか? アスガルドの神闘士とやらはそんな卑怯なやつらなのか?」
「卑怯? ま、どうせあたしは影の神闘士だしね」
斉藤の言葉を、杏は一笑する。
「まさか青銅聖闘士相手に、あたしの出番があるとは思わなかったけど。椋も無様なものよね……」
杏は足元に倒れふす椋を一瞥する。
「椋が倒れた以上、あたしは影ではなく真の神闘士になるの。そのオーディンサファイアはあたしの守護石になるのよ。さあアンドロメダ、そのことみと椋のオーディンサファイアを渡してもらおうかしら?」
杏の声に、栞は思わずオーディンサファイアを握り締める。
「そうはいかない、お前の相手はこの俺がしてやる」
栞の前に斉藤が躍り出た。
「くらえっ!」
だが、杏は斉藤の拳を指一本で受け止めてしまう。
「あんたみたいにキャラ設定も無ければ、台詞すら無いような雑魚に、正ヒロインのあたしがやられるわけ無いでしょ?」
容赦ない杏の言葉に、斉藤は仮面の下の唇をかみ締める。
「かなわないまでも、必ず一矢報いてみせる。この俺が雑魚かどうか思い知らせてやるぜ。くらえっ! サンザンクロウ!」
斉藤の必殺拳が杏に炸裂する。だが、杏はその拳を軽くいなした。
「雑魚の拳なんて所詮この程度よ。本当の必殺技とはこういうことを言うのよ。くらえっ! シャドウバイキングタイガーディクショナリィ!」
杏の剛拳、日本で一番厚い辞書の広辞苑がうなりを上げて斉藤に襲いかかる。その拳圧は斉藤だけでなく、後ろにいた栞をも巻き込んで炸裂した。
「とどめよ」
ヴァルハラ宮の床に倒れふす栞と斉藤にとどめを刺すべく振り上げた杏の拳に、突如として飛来した尾羽が突き刺さる。
「誰?」
「あたしは不死鳥……フェニックス香里。よくも、あたしの妹を……」
「そんな……フェニックスはことみとの戦いで息絶えたはず……」
「例え僅かでも小宇宙が残っている限り、不死鳥は再び羽ばたくのよ」
一度はあきらめかけた香里だった。死を覚悟し、栞に祐一のことを託そうとした。だが、今の香里にとって死ぬということは、栞やあゆたちを、夢を託してくれたことみを、そして祐一を見捨てると言うことだ。そんなことが許されるはずが無い。
香里は祐一の聖闘士。心の乙女小宇宙が萌えている限り、どのような逆境からでも立ち上がることができるのだ。
「栞……一度たりとはいえ、あなたたちを見捨てようとしたあたしを許してくれる?」
「……お姉ちゃん……」
「美しい姉妹愛ね……。くだらないわ……」
杏の口から忌々しげな声がでる。
「あなたにはわからないかもしれないわね。愛する妹や友達がいるからこそ、あたしはこうして戦える。そして今もこうして蘇ることができたわ」
「あんたが蘇ったところで、僅かに命を永らえたに過ぎないわ。このあたしと戦うのならね」
杏の光速拳がうなりをあげて香里に襲いかかる。だが、香里も負けてはいない、二人の身体と身体、拳と拳が激しく交差する。
「一つ教えてあげるわ、フェニックス。所詮この世は自分ひとり、力のあるものが生き残るのよ。例え姉妹であっても、勝つものと敗れるものに分かれる場合もあるわ、情けは無用なのよ……」
そのとき、香里は足元に横たわる椋と杏の顔を見比べた。
「まさか……」
「そうよ、あたしはあんたとアンドロメダと同じ、椋とは同じ血を分けた姉妹よ」
ゼータ星の双子星のように、杏と椋は双子の姉妹なのだ。ちなみに杏が姉のほう。
「それなら、どうして椋が戦っているときに加勢しなかったの? あなたほどの腕があれば、その機会はあったはず……」
「生憎、このあたしは椋の影。あたしがアンドロメダを倒したところで、椋の手柄になるだけよ」
杏は不敵に微笑む。
「でも、椋が倒れてオーディンサファイアを手に入れることができれば、あたしがゼータ星の神闘士になれるのよ」
「まさか、そのために妹を見殺しにしたの?」
「青銅聖闘士ごときにやられるほうが悪いのよ。たとえ血を分けた妹でも、今は冷たい骸でしかないわ」
その言葉は、香里の逆鱗に触れた。それが全力を尽くして戦い、倒れたものへの言葉か。ましてや同じ血を分けた妹への言葉か。
「許せないわ……。あなたに似合いの地獄に行きなさい!」
炎をまとう香里の拳が、うなりを上げて杏に襲いかかかる。
「甘いわね、あんたの拳はことみとの戦いの時に見させてもらったわ」
「えっ?」
「今度はこっちの番よ。シャドウバイキングタイガーディクショナリィ!」
「その拳は見切ってるわ」
「椋ごときの拳と一緒にされちゃ困るわね」
椋のトランプとは桁違いの威力を持つ辞書が、唸りを上げて香里に襲いかかる。杏の一撃で香里の身体は天高く舞い上がり、激しくヴァルハラ宮の床に叩きつけられてしまう。
「なにが姉妹の絆よ、今のあんたたちにはなにもできないじゃないの。元より血のつながりなんて無意味なもの。いいえ、血がつながっている姉妹だからこそ、余計に憎しみが増すのよ」
「そんな……」
「それなら教えてあげるわ、ある双子の姉妹の宿命の物語を……」
その昔アスガルドのある場所に、仲のよい双子の姉妹がいた。ある日妹は、好きな人ができたと姉に告白する。普通の相手ならいざ知らず、その相手は姉の想い人であったのだ。
それでも姉は妹の幸せを願い、自らの気持ちを押し隠してその恋を応援した。
自分は姉なのだからと、自分に言い聞かせて。
ところが、妹はその相手との恋をすっぱりあきらめて別の人と恋仲になり、当の想い人も別の相手と恋仲となった結果、姉はこれ以上無いくらい見事に失恋してしまう。
しかも神闘士として神闘衣を授かっても、サブキャラの妹の影、正ヒロインなのに姉は影の存在でしかなかった。
恨みも深くなろうというものだ。
「無様に敗れた椋に代わり、あんたたち聖闘士を倒した優れた神闘士として、アスガルドの歴史に名を残すのよ。このアルゴルの杏がね」
「かわいそうな女……」
倒れふす香里から、凄まじい小宇宙が放たれる。
「血を分け、この世でたった一人の妹を憎み、それに代わって歴史に名を残したとしても、それで一体なにが得られるというの?」
「フェニックス……」
足元がふらつきながらも立ち上がる香里の姿に、杏は少なからず動揺した。
「あたしたちだって幸せな星の元に生まれたわけじゃないわ。一度は妹なんていないって思い込もうとしていたし、敵と味方に別れて戦ったことだってあったわ。でもね、今はこうして相沢くんの下で素晴らしい友達と、一つの目標に向かって戦うことができるの。あたしたちのような不幸の星の元に生まれた姉妹が、いつか平和に暮らせる世界が来ると信じて。そのために、あたしたちは力をあわせて戦うのよ。この世でたった一人の妹をねたみ、憎み、それで得られた勝利になんの意味があるの?」
「そんな……あれだけの拳をあびて起き上がってくるなんて……」
「言ったはずよ。あたしの乙女小宇宙が萌えている限り、何度でも立ち上がる。ましてやあたしはフェニックス、地獄の炎からでも蘇るわ」
前にもまして激しく萌え盛る香里の乙女小宇宙に、杏は気おされつつあった。だが、所詮は悪あがき、死にぞこないの最後の輝きに過ぎない。
「少し見くびりすぎていたようね、フェニックス。流石はことみを倒しただけのことはあるわ。いいわ、このあたしも全乙女小宇宙を萌やして不死鳥の翼を引きちぎってあげるわ」
二人の間に、今までに無いくらいの凄まじい乙女小宇宙が集中する。
「いくわよ、フェニックス香里最大の拳、かおりん天翔」
「シャドウバイキングタイガーディクショナリィ!」
炎と凍気が巻き起こり、二人の身体と身体、拳と拳が激しく交差する。
「なにがかおりん天翔よ。あんたの拳はすでに見切っているわ」
次の瞬間、勝負を制したのは杏だった。
傷つき、倒れふす香里。杏にとっては、香里の最大の拳ですら涼風にすぎないのだ。
「……お姉ちゃん……」
なんとか栞が立ち上がり、杏に立ち向かう。
「さあ、アンドロメダ。椋のオーディンサファイアを渡してもらいましょうか……」
「あなたは公子さんに利用されているだけです。憎しみをあおり、より強力な戦いの道具とするための……」
「うるさい!」
杏の拳が、容赦なく栞をうち倒す。その反動で栞の持つオーディンサファイアが床に転がっていく。
「ことみの分も貰っておくわね」
「それは……お姉ちゃんが命がけで手に入れた……」
「そんなに死にたいのなら、このあたしが冥土に送ってあげるわ」
「……好きにすればいいわ」
意外な香里の言葉に杏は驚いたが、すぐにそれは不敵な微笑みに変わる。それは妹を先にとどめを刺させれば、それだけ自分が生き延びることができるということだからだ。
「やっと本音が出たわね、フェニックス。それでいいのよ、姉妹だのなんだの言っても、人はみんな自分が一番可愛いんだから」
そのとき杏は、不意に足元の椋に視線を向ける。
「違います!」
栞は足元をふらつかせながらも、毅然と立ち上がった。
「お姉ちゃんは、私を信じてくれているんです。私を一人前の聖闘士と認めてくれているんです」
「なんですって?」
「お姉ちゃんが言ったはずです。例え僅かでも小宇宙の炎が萌えている限り、どんな逆境からでも立ち上がれる。それが祐一さんの聖闘士なんです。私は何度でも、お姉ちゃんと一緒に立ち上がって見せます!」
栞の身体から乙女小宇宙が立ちのぼる。それは今まで以上に熱く萌えあがるものだ。
「アンドロメダ……」
「その通りよ、栞……」
杏が振り向くと、そこでも香里が立ち上がろうとしているところだった。
「この人に、あたしたちの小宇宙の炎を消すことなんてできないわ」
「フェニックス、あなたまで……」
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