第十二話 幻影、悲しみの姉妹

 

 ヴァルハラ宮に満ちた凍気は次第にあゆたちの足を鈍らせ、ついに二人は凍れる床に倒れふし、力尽きてしまう。

 そのとき不意に、暖かくやわらかい小宇宙(コスモ)が二人を包み込んだ。

(あゆ……。名雪……)

 それは祐一の小宇宙(コスモ)だった。遠く離れたところで氷が融けるのを防いでいても、こうしてあゆたちのことは絶えず気にかけているのだ。

(香里と栞の乙女小宇宙(おとめコスモ)を感じているか? お前たちの乙女小宇宙(おとめコスモ)の炎も、まだ消えていないはずだぞ……)

「うにゅ……」

 祐一の声で名雪は目を覚ます。

「あゆちゃん!」

 自分と同じくヴァルハラ宮の凍気であゆも気絶してしまっている。思わず駆け寄ろうとした名雪だったが、今までの戦いのダメージで片膝をついてしまう。

(こうなったら……せめてあゆちゃんだけでも……)

 名雪はあゆの身体を抱きしめると、静かに自分の乙女小宇宙(おとめコスモ)を熱く萌え上がらせた。

 

 あれほどのダメージを受けながらも、なおも立ち上がってくる二人に、杏は少なからず戦慄していた。

 一体この二人のどこに、そんな力が残されているのか……。

「いいわ、あんたたちが何度でも起き上がってくるというなら、あたしも何度だってうち倒してあげるわ」

「かおりん天翔!」

「バニラストリーム!」

 香里と栞の同時攻撃が炸裂(さくれつ)する。だが、杏はこの二つの技はすでに見切っていた。

 技が発動する前に蹴り倒され、栞も香里もうち倒されてしまう。

「はっ!」

「危ない、栞ちゃん!」

 杏が栞めがけて投げつけた辞書が、命中する寸前に斉藤が栞を抱きかかえてかわす。

「悪あがきを……」

 すばやくその背後に香里が回りこむ。

「かおりん幻魔拳!」

 香里の一撃が杏の額を射抜く。

「なにが幻魔拳よ。あたしはことみのようにはいかないわよ」

「それはどうかしらね……」

 香里は不敵な微笑を浮かべる。

 

 ここはおそらく杏の精神世界。この場所で杏は妹の椋と相対していた。

「椋、あたしが真のゼータ星の神闘士(ゴッドウォーリア)としてふさわしいことを証明して見せるわ」

「いいでしょう。バイキングタイガートランプ!」

「シャドウバイキングタイガーディクショナリィ!」

 二人の拳と拳が激しく交差する。そして、この戦いを制したのは杏の拳だった。倒れふす椋の前に、オーディンサファイアが転がる。

「そのオーディンサファイアはあたしのものよ。さようなら、椋……」

「……お姉ちゃん……」

 椋にとどめを刺すべく、拳を振りかぶる杏。だが、その拳は何故か動かすことができない……。

 

「あはははははははは……」

 突然杏は笑い声を上げる。

「なかなか面白い夢だったわね。所詮今のはあんたの作り出した幻影……」

「果たして、そうかしらね?」

 香里の不敵な微笑みに、不思議と杏は言葉を失ってしまう。

「ちょっと聞きたいんだけど……。あの時、椋が栞の起死回生の一撃を受けたとき、どうしてあなたは辞書を投げたのかしら?」

 栞のバニラストームが炸裂(さくれつ)したとき、杏は栞に辞書を投げつけていた。それから栞を救ったのが斉藤だったのだ。

「椋が倒れることで、あなたがその代わりのゼータ星の神闘士(ゴッドウォーリア)になるのだとしたら、どうしてあのまま見捨てなかったの?」

「それは……椋の影の神闘士(ゴッドウォーリア)としてのあたしの役目だからよ」

「違うわ。あなたは椋を、妹を助けようとしたのよ」

「違うっ!」

 杏が叫ぶ。

「あなたが幻魔拳で見たのは、ただの幻影じゃないわ。あなたの本当の心なのよ」

「違うって言ってるでしょ。あんたに、なにがわかるって言うのよ!」

「……たしかに、あなたの境遇には同情するわ。でもね、あなたにもあったはずよ。妹と仲良く笑いあっていたころが……」

 香里の言葉に、杏は唇をかみ締める。

「それは、あなたが一番良くわかっているはずよ」

「うるさいっ! もう残っているのはあたし一人、それ以外になにがあるって言うのよ! それにいくら妹でも、敗れたものに興味は無いわっ! 問答無用よっ」

 杏の一撃で香里は倒れる。だが、前以上に萌え盛る乙女小宇宙(おとめコスモ)をまとい、再び香里は立ち上がった。

乙女小宇宙(おとめコスモ)が高まれば高まるほど、技の威力も限りなく高まっていく。相沢くんの聖闘士(セイント)が持つ究極の乙女小宇宙(おとめコスモ)、萌え要素とはそう言うものよ」

 香里の背後に燃え上がる、雄々しき不死鳥に杏は戦慄した。

「そんな……あれほど傷ついていたフェニックスから、前以上の小宇宙(コスモ)を感じる……。それならあたしも、全乙女小宇宙(おとめコスモ)を萌やした拳を放つのみよ」

 二人の小宇宙(コスモ)の高まりに、倒れふしていたはずの椋が反応を示した。

「シャドウバイキングタイガーディクショナリィ!」

「かおりん天翔!」

 二人の身体と身体、拳と拳が激しく交差する。かたや猛る炎をまとう不死鳥。かたや氷雪まとう白銀の剣歯虎。互いの爪と牙が激しくぶつかり合う。

「きゃぁぁぁぁっ!」

 この戦いを制したのは香里だった。香里の炎の拳は杏をとらえ、その身体を激しくうち倒した。

「信じられない……。これほどの乙女小宇宙(おとめコスモ)があるなんて……。これが聖闘士(セイント)の萌え要素……」

 あたしの負けね、と杏は自嘲気味に呟いた。

「……お姉ちゃん、早く……」

 杏が振り向くとそこには、ふらふらになりながらも香里を羽交い絞めにする妹、椋の姿があった。

「はやく……フェニックスをうって……」

「椋、あんた……」

「はやく……」

「でも、それじゃ……」

「かまいません……。私はもう死んだも同然ですから。ゼータ星の神闘士(ゴッドウォーリア)は、お姉ちゃんなんです……」

 今まさに力尽きようとしているというのに、椋は必死に香里の身体を押さえつけていた。

「椋。もしかしたら、あなたは杏のことに気がついていたんじゃないの? ずっと昔から、影ながら支えていてくれた姉のことを」

「……子供のころから、ずっと私はお姉ちゃんに迷惑をかけ続けてきました。お姉ちゃんなら絶対に断れないと思って、依存し続けてきました……。今、その罪滅ぼしをするときです。さあ、お姉ちゃん。私にかまわずフェニックスを……」

「杏、その拳がうてるものならうってみなさい。あたしは逃げも隠れもしないわ」

 香里の静かな声が響く。杏は拳を振りかぶるものの、その身体は硬直したように動かない。

「お姉……ちゃん……」

 やがて杏はゆっくりと拳を下ろしてしまう。そして、今度こそ椋は力尽き、倒れた……。

 

「どうして? あれほど椋を憎んでいたのに……。姉妹だから? 血の繋がりがそうさせたの? 教えてよ、フェニックス……」

 慟哭(どうこく)にも似た杏の声が響く。

「この世には殺しあったり、憎みあったりすることがあるわ……。親子でも、姉妹でもね。でも、まだ汚れを知らないころ、子は親を慕い、姉妹たちは互いに信じあっているわ。だけどいつしか運命の悪戯で殺しあうようになったとき、かつては愛しあい、信じあっていたことを忘れてしまうのよ……。今もそうありたいと願っているはずよ、この世に二人きりの姉妹なのだから……」

 香里の言葉に、杏はその瞳から大粒の涙をあふれさせた。

「フェニックス……。あんたは不幸な宿命の下に生まれた姉妹でも、幸せに暮らせる世の中が来ると信じて戦うと言っていたわね……。その言葉、あたしも信じてみたくなったわ……」

 杏は椋の身体を抱きしめる。つまらない嫉妬の炎に身を焦がし、妹を不幸な目にあわせてしまった。

 もしも、許してもらえるのなら、また姉妹として暮らしたい。戦いの無い世界で幸せに暮らしたい。

(椋……。今までのあたしを、許してちょうだいね)

 凄まじいまでの後悔の渦の中で、杏はただ涙するしかできなかった。

 

「……うん?」

 暖かく優しい小宇宙(コスモ)に包まれて、あゆは目を覚ました。どうやらヴァルハラ宮を満たす凍気の中で、気を失ってしまったらしい。

「……気がついた? あゆちゃん……」

「名雪さん!」

 どういうわけか名雪の身体は抜け殻のように衰えている。凍気にやられたあゆを助けるために、名雪は自分の小宇宙(コスモ)を萌やし続けていたのだ。

「あゆちゃん、わたしにかまわず行って……もう時間は無いよ……」

 すでに日は西の空に大きく傾いている。いかに祐一の小宇宙(コスモ)が雄大であっても、もはや時間の問題だ。

「でも……」

「こんなことぐらいで、参るわたしじゃないよ。祐一を救わなくちゃいけないんだよ。だからね、あゆちゃん、ふぁいと♪ だよ……」

 名雪はあゆを心配させまいと、必死に笑顔を作る。

「わかったよ名雪さん。必ず後で会おうね」

 残る神闘士(ゴッドウォーリア)はあと一人、オーディンサファイアも後一つ。あゆは名雪の想いに応えるためにも、断腸の思いで走り出した。

 

「名雪さん!」

 あゆが走り去った後、香里と栞が駆けつけてきた。

「大丈夫? 名雪!」

「わたしなら大丈夫だよ……。後から舞さんと必ず行くから……。だから、香里たちはあゆちゃんの後を追って……」

「ここまで来てなに言ってるのよ! 公子さんはもう目と鼻の先なのよ。さあ、名雪!」

 香里は名雪に手を差し伸べる。

「さあ、立って。あたしたちと一緒に行きましょう」

 その手を握り、名雪は再び立ち上がる。二人の厚き友情の小宇宙(コスモ)に、栞は感動すら覚えた。

 香里と栞の二人に支えられながらも、名雪は自分の足で、一歩づつ確実に公子の元に向かうのだった。

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