第十五話 奇跡、オーディン復活
「うぐぅ……。海の聖域?」
あまりにも聞きなれない言葉に、思わずあゆは聞き返してしまう。
「そう、この世界が地上界の祐一、冥界のハーデス、天界のゼウス、海界のポセイドンによって成り立っていることは知ってるよね」
それはあゆも聞いたことがある。
「その海界を支配する海皇ポセイドン様の命により、公子さんと智代さんを迎えに来たんだよ。公子さんたちが聖闘士たちを倒していれば、わたしがわざわざ出向くまでもなかったんだけど……」
瑞佳の声には公子に対する皮肉が込められていた。反論できない悔しさに、公子は思わず歯噛みする。
「ポセイドン? まさか、公子さんにニーベルンゲンリングをはめて操ろうとしたのは……」
「現代に蘇られたポセイドン様は海の世界と共に、この地上界を支配しようとなさってるんだよ。でも、地上には相沢くんの率いる聖域がある。そこで相沢くんを倒して地上を支配する役割を、アスガルドの公子さんにお命じになったんだよ」
「……命じるとは……」
あゆの足元で智代がうめく。
「魔力で操るということか?」
「智代さん……」
「北極海を臨む海国アスガルドは、太古の昔よりポセイドン様の勢力下にあった。言うなれば、属国も同様。ならば、海皇ポセイドン様の意に従うのも当然のことなんだよ。第一アスガルドの民にとっても、この極寒の地より、日の注ぐ世界に出られる願っても無いチャンスのはず。違う?」
瑞佳の静かな声に、智代は歯噛みする。
「……ただ、わたしたちにも誤算があったよ。北斗七星を守護星とする神闘士が、まさかここまでだらしないなんて……」
「なにを……」
足元がふらつきながらも、智代は立ち上がる。
「でも、もういいよ。公子さんと一緒に、あなたもポセイドン様のお慈悲にすがればいいから。そして、この地上が粛清された後で、公子さんのところで再び忠誠をつくせばいいと思うよ」
「智代ちゃん、後は瑞佳ちゃんに任せましょう……」
公子の言葉に、智代は愕然とする。
「ここまで来て、誰にも邪魔はさせないよ」
あゆは一歩前に進み出る。
「いいよ、ペガサス。そんなに死にたいんだったら、わたしが相手してあげるよ」
そう言って瑞佳は、おもむろにフルートを奏ではじめる。
なんて美しい音色だろう……。下手をすれば薄れそうになる意識の中で、あゆはそう思った。だけどここで公子を連れ去られてしまえば、祐一を救い出すこともできなくなる。
「うぐぅ、タイヤキ流星拳」
あゆの放つたい焼きは、何人にも分身しているよう見える瑞佳の体をすり抜けていく。どうやら瑞佳はフルートの音色であゆに幻覚を見せているらしい。
「無駄だよ」
瑞佳の光速拳があゆに襲いかかり、激しく大地に叩きつける。それでも立ち上がるあゆに瑞佳が追い討ちをかけようとしたとき、智代があゆの前に立ちふさがった。
「智代ちゃん、あなたの役目は終わったんですよ!」
公子が叫ぶ。
「いいじゃないですか、彼女にも神闘士の意地があるんでしょうから」
だが、瑞佳の予想は外れていた。智代は拳を振り上げると、自らのオーディンサファイアを抉り出した。
「……これを、お前に……」
震える手で、智代はあゆにオーディンサファイアを差し出した。
「……智代さん」
「……お前の言ったことは、本当だった。私が真に拳を向ける相手はお前たちではなく、ポセイドンの方だったんだ……」
「なにを言ってるんだよ。ポセイドン様は、あなたたちを救おうとしてるんだよ?」
「救うだと?」
毅然とした態度で瑞佳を睨みつける智代。
「お前たちの目的は公子さんを利用して、この地上を支配すること。そして、アスガルドをも滅ぼすこと」
智代の声に、瑞佳は言葉を失ってしまう。
「祖国を捨ててまで、この地上を支配してなにになる? 誰よりも深く、アスガルドを愛した公子さんを邪悪に変えたポセイドン……許さないっ!」
智代は静かに乙女小宇宙を萌え上がらせる。
「私に残された時間も後僅か……。だが、その全てを、倒れていった仲間たちの怒りを、この拳に……」
「……愚かだよ……」
「セイレーンの瑞佳。残された最後の乙女小宇宙、お前に全て叩きつける!」
自分に突進してくる智代を、瑞佳は冷めた視線で見ていた。
「ポセイドン様のご好意に裏切りを持って応えるなんて……。いいよ、裏切り者にふさわしい死のメロディをあげるよ」
瑞佳はすっとフルートを構える。
「デッドエンドシンフォニー」
美しい音色があたりに響く。それはまるで、その歌声で船人たちを誘い出して貪り食ったという、伝説のセイレーンの魔力そのものだった。
瑞佳の奏でる美しい調べに吸い寄せられるように、智代は歩いていく。
「その曲を聴いちゃだめだよ、智代さんっ!」
あゆの叫びに、智代は耳を押さえる。
「耳を塞いでも無駄だよ。この笛の魔力からは逃げられない、陶酔のうちに聴くんだね」
瑞佳のデッドエンドシンフォニーはことみのデッドエンドストリングスと同じで、耳を塞いでも直接頭脳に響き渡るのだ。
「ここまでだね……」
瑞佳の光速拳を、智代はすんでのところで身をかわす。その隙に乗じて智代は瑞佳に肉薄し、その身体をしっかり抱きしめる。
智代の身体から、凄まじいまでの乙女小宇宙が放たれた。
「なにをするつもり? 放して!」
しっかり瑞佳を抱きしめたまま、智代の身体は上昇していく。それは舞の最終奥義、牛丼亢龍覇だった。
「さようならアスガルド、祐一の聖闘士たちよ。私は友の待つ天空で、星になって見守る。公子さんのことは頼んだぞ……」
智代の身体は、自らの守護星ドゥーベに吸い込まれるように消えていく。
「……智代さん……」
遥か天空を見上げるあゆの頬に、涙が伝わった。
二筋、三筋……。
「瑞佳ちゃんも口ほどにもありませんでしたね。しかし、神闘士は全て倒されたとはいえ、その役目は充分に果たしてくれました」
「え……?」
公子の声にあゆは現実に引き戻される。
「祐一さんの生命も後僅か……。それ以上あなたになにができますか?」
「ボクは……みんなの希望なんだ……」
あゆは涙をぬぐい、公子を睨みつけた。
「絶対に公子さんと祐一くんを救ってみせる!」
乙女小宇宙を高める二人の背後では、ただ雷鳴が鳴り響いていた。
公子を支配するニーベルンゲンリングの魔力を断ち切るためには、伝説の聖剣バルムンクを持ってするより他にない。
そして、バルムンクの剣を手にするためには、七人の神闘士全てをうち倒し、神闘衣の守護石オーディンサファイアを七つ全部集め、オーディン像の北斗七星にはめ込む必要がある。
七つのオーディンサファイアは全部手に入った。後はバルムンクの剣を手にするだけ。
あと少しなんだ、とよろめきながらも、あゆはオーディン像に向かっていく。
「まもなく祐一さんも死に、このアスガルドがポセイドン様の下で地上を支配するときが来るのです。邪魔はさせません……」
公子から放たれた小宇宙があゆに襲いかかり、その行く手を阻む。オーディン像まで後少しだというのに、公子の妨害にあったあゆは一歩も先に進めない。
今まさに祐一の小宇宙は消えようとしている。もし祐一が死ぬようなことがあれば、この地上の平和はどうなってしまうのか。
「こうなったら、タイヤキ……」
公子の苛烈な攻撃に、あゆはタイヤキ流星拳の構えを取る。だが、公子を死なせてしまった場合、祐一もこの地上も救えないのだ。そのことを考えて動きの止まったあゆに、容赦ない公子の一撃が炸裂する。
「うぐぅ……」
なすすべもなくあゆは大地に倒れふし、力尽きてしまう。
西の空に輝く夕日が、まるで祐一の血を全て吸い尽くしたかのように真っ赤に輝く。その最後の輝きに、公子は自らの勝ちを確信した。
……もう、だめだよ……。祐一くん……。
(あゆ、ここまで来てあきらめるの?)
その声は……いくみさん?
(たしかにあたしは十二宮の戦いであなたに敗れたわ。でもね、技でも乙女小宇宙でもあたしがあなたに劣っていたわけではないわ。それなのに、どうしてあなたがあたしに勝てたのかわかる? それは悪の心を持ったあたしよりも、誰よりもこの地上を、祐一を、友達を愛するあなたの心の乙女小宇宙が、遥かにあたしをしのぐほどの究極の乙女小宇宙、萌え要素を目覚めさせたからよ)
……そういえばボクはあの時、一人じゃなかった。祐一くんに名雪さん、みんなの小宇宙を感じた。
(奇跡は起こるわ。あなたがあきらめない限り何度でもね。どんなことがあっても、邪悪が勝利することは無いわ。それはあなたがあたしを倒すことで証明したはずよ。祐一を救うのよ、あゆ!)
いくみさんが……ボクに祐一くんを託してくれた。
奇跡は起こるんだ。
ボクは決してあきらめないよ。絶対に祐一くんを救うんだ!
再び立ち上がり、オーディン像に歩きはじめるあゆ。その姿に、公子は戦慄を覚えた。
「行かせません!」
公子の攻撃を、名雪が身を挺してかばう。
「……名雪さん」
「あゆちゃん……わたしのことはかまわないで祐一を」
舞が、栞が、そして香里までもがあゆを先に行かせるためにあゆの盾になる。
「あと少し……あと少しなんだ……」
もはや目の焦点も定まらぬまま、あゆはオーディン像の前に立つ。
「オーディン……ボクに、バルムンクの剣を……。ボクに応えて……」
オーディンサファイアを掲げあゆは叫ぶが、オーディンはなにも応えてくれない。
「……そんな、どうして……?」
「忘れたのですか?」
いつの間にか、あゆの背後には公子が立っていた。
「アスガルドは太古の昔よりポセイドン様の勢力下にあります。つまりアスガルドの神オーディンも、ポセイドン様には逆らえません」
「そんな……それじゃどうやって祐一くんを……」
「あなたに祐一さんは救えません。そしてあなたも、祐一さんと一緒に冥土に行きなさい」
ニーベルンゲンリングの魔力があゆを襲う。はじき飛ばされたあゆの身体は、奈落の底へと消えていった。
そのとき、あゆの手から離れたオーディンサファイアが輝きを放ち、まるで自ら意思を持っているかのように、オーディン像の北斗七星にはめ込まれた。
「そんな……オーディンサファイアが……」
公子の見ている前で、オーディン像はその手のバルムンクの剣を手放した。すると、奈落の底に消えたあゆが輝きに包まれて上昇してくる。
バルムンクの剣の中からは、光り輝く神闘衣をまとった一人の少年が現れ、あゆを優しく抱き上げる。
「……うぐぅ……君は……」
「俺はオーディン、岡崎朋也さ……」
あゆに微笑みかけるその横顔は、誰かに似ている。
「その剣は……」
「そう、こいつがバルムンクの剣さ」
バルムンクの剣を構え、朋也は不敵に微笑む。
突然のオーディンの復活に、公子は驚きの色を隠せない。
「まさか……オーディンが聖闘士の味方をするなんて」
だが、次の瞬間、公子は不敵に微笑む。
「この私にとって、神はもはやオーディンではなく、ポセイドン様なのです。オーディンなど、恐れるに足りません」
公子の解き放つニーベルンゲンリングの魔力を、朋也はバルムンクの剣ではじき返してしまう。
この剣によってのみ、公子にかけられた呪いを解くことができる。
「待って、朋也くん!」
剣を大きく振りかぶり、朋也が公子を切ろうとしたとき、あゆが制止の声を上げる。
たしかにそれなら魔力も切れるだろう。だが、公子ごと切ってしまっては意味が無い。
指輪の魔力に操られているだけで、公子に罪は無い。それに、公子が死んでしまっては、アスガルドを救ったことにはならないのだ。
「はっ!」
その一瞬の隙を突き、公子の魔力が朋也をはじき飛ばす。
「いいか、ペガサス……」
朋也は立ち上がりながら、かんで含めるようにあゆに説明する。
「このアスガルドは、太古の昔から多くの困難と試練を受け続けてきた。そして、今またポセイドンの野望によって、多くの血が流された。でもな、祖国を愛し、倒れていった神闘士たちの熱い想いが、俺を復活させたんだ……」
朋也は勇気を持ってバルムンクの剣を構えなおし、公子に正対する。
「いいか、俺を信じろ。ポセイドンの野望は、この俺がうち砕く!」
朋也の全身から小宇宙が放たれる。それは真の勇気と力を持つものの小宇宙だ。
祐一にも似たこの小宇宙は、あゆたちにゆるぎない信頼を与えた。
公子の放つ魔力をものともせず、朋也は一刀の元に切り捨てた。
キン!
乾いた音を立てて、ニーベルンゲンリングがうち砕かれる。静かに大地に横たわる公子。時を同じくして、祐一の小宇宙も感じられなくなった。
「……ねえ、朋也くん……。ボクの希望は消えたの? もうこの地上は救えないの……?」
それには応えずに、朋也は黙っているだけだ。
やがて、倒れふした公子の身体から、暖かく雄大な小宇宙が放たれはじめた。
目を覚ました公子はオーディン、朋也の前にゆっくりと立つ。
「オーディンよ。我に力を……」
朋也は黙って公子にバルムンクの剣を手渡す。
「私に罪を償わせ……この生命に変えても地上を、祐一さんを守らせたまえ……」
刀身を握り締めた公子の手からはおびただしく血が流れ出す。
「私の祈りが届けば、地上は救えるはずです。まだ希望はあります。さあ、一刻も早く祐一さんの下へ」
朋也が静かにうなずいたので、あゆたちは互いに支えあいながら祐一の元へ向かった。
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