第一話 聖戦、新たなる闘い

 

「ここは……?」

 とある一室で、祐一は目を覚ました。

 確か、小宇宙(コスモ)を萌やし尽くした後で、大波に飲まれたのだ。

「気がついたようだな」

 そこへ、ゆっくりと一人の男が入ってくる。

「お前は、浩平?」

 祐一はその男に見覚えがあった。

 折原浩平。

 かつては祐一の親友とも呼べる男であり、祐一がアテナの使命に目覚めて、あゆ達と行動を共にするようになってからは疎遠になっていたのだが、なぜ浩平がここにいるのだろうか。

「まさか……」

 祐一の声がかすれる。

「お前がポセイドンなのか? 浩平……」

「そうだ」

 あっさりと浩平は認めた。

「お前がアテナの使命に目覚めたように、おれもポセイドンの使命に目覚めたのさ」

「じゃあ、アスガルドの公子さんを操っていたのも?」

 それには答えずに、浩平はただ口の端を歪めるのみだった。

「そんな事よりも、ゆっくりとこのポセイドン神殿で休むんだな。ここなら連中の邪魔も入らないからな」

 そう言って部屋を出て行こうとする浩平を、祐一は呼び止めた。

「お前の目的が地上の支配なら、どうしてこの俺を真っ先に殺さない。なぜ無関係の人達を巻き込もうとするんだ?」

「殺す? 穏やかじゃないな……」

 浩平は余裕の笑みで祐一を見る。

「まあ、いいだろう。いかにこのおれの力を持ってしても、お前に守られた地上を支配する事は容易(たやす)い事じゃない。そこでアスガルドの闘いで、お前の小宇宙(コスモ)が衰えるのを待った」

「まさか、お前……」

「そうだ、おれの力で豪雨と大洪水を巻きこした。今、全世界は壊滅しつつある」

 衝撃の事実が祐一の耳朶(じだ)を打つ。

「そして、後三十日。この豪雨と洪水が留まる事はない」

「な……なんだって……?」

「やがて地上のすべてが水に覆われ、百五十日の間引く事はない……。地上の愚かな人間が、すべて死に絶えるまでな」

 それはまさしく旧約聖書に記されている、ノアの大洪水の再現であった。

「神話の時代より果たしえなかった、ポセイドン一族の支配する聖なる世がまもなく訪れるのさ。この折原浩平の手によってな……」

「卑劣な……」

 それを聞いた祐一は、固い決意を秘めた瞳で浩平を睨み据えた。

「地上のすべての人間が愚かだと、なぜ言い切れる。お前はただ、神の名の下に単なる殺戮(さつりく)をしようとしているだけだ」

「なに?」

「この世に邪悪がはびこるとき、必ずや現われるという希望の聖闘士(セイント)。あいつらもきっと俺のところに現れて闘ってくれるだろう。お前の野望を打ち砕くためにな」

「いいだろう」

 それを聞いても浩平は、まったく余裕の態度を崩さない。

「それじゃあお前に、一つだけチャンスをやろうじゃないか」

「チャンス?」

 ついて来い、と先を歩く浩平の後を、祐一は追いかけていく。

 

 海の聖域(サンクチュアリ)とも呼ばれるポセイドン神殿を移動する間に、祐一は天高く(そび)え立つ柱を見た。浩平によると、この柱はポセイドン神殿の天井を支える柱なのだそうだ。

 七つの海というように、古来地球の海は大きく七つに分けられていた。北太平洋、南太平洋、北大西洋、南大西洋、印度洋、北氷洋、南氷洋。この七つの海を支えているのが、この柱なのだ。

 この柱はそれぞれ七将軍と呼ばれる、黄金聖闘士(ゴールドセイント)以上の力を持った海闘士(マリーナ)が守っている。

 そして、その七本以上にこの神殿においてもっとも大切な、言うなれば大黒柱ともいうべき存在が、地中海を支えるメイン・ブレドウィナなのである。この柱こそがポセイドン神殿の生命点とも言える存在で、これが崩壊してしまえば神殿は跡形(あとかた)も無く消滅してしまうだろう。

 

「さっき言ったチャンスだが、それはお前の身を犠牲にする事なんだ」

「俺の?」

「今全世界に降り続いている雨を、お前が代わって受けるんだ。そうすれば、地上がすべて水に覆われる日も、多少は先に延ばせるかもしれないしな」

「わかった。それで地上の崩壊が少しでも先に延ばせるなら、甘んじて受けようじゃないか」

 浩平に促されるまま、祐一はメイン・ブレドウィナの中に足を踏み入れた。そこはちょっとした小部屋になっていて、四方の壁から水が注ぎ込まれている。

 祐一が中に入ったのを確認して、浩平はほくそえんだ。これでもう宇宙の終わりがこようとも、この神殿が崩壊する事は無いからだ。

 古来、砦や城塞の不朽を祈願して、生きた人間を基礎に埋め込み、人柱にしたという。この地上におけるアテナの代行者とも言える相沢祐一。人柱としては、これ以上のものは無いだろう。

 やがて、この部屋は地上に降り注ぐはずの水で満ちていく。そのときまでにあゆ達が救いに来なければ、まさしく祐一はこのポセイドン神殿の礎をなってしまうのだ。

 

 さて、一方のあゆ達は波間に消えた祐一を助けるため、アスガルドの人達の協力を得てポセイドン神殿へと至る道を探していた。

 今世界は未曾有(みぞう)の危機にさらされている。この災厄を(しず)めるには、ポセイドンの野望を打ち砕くしか方法は無い。

 今回のアスガルドでの闘いも、ポセイドンの布石の一つに過ぎなかったのだ。

「どこにいっちゃったんだよ、祐一くん……」

「ポセイドン神殿は、どこにあるんでしょうか……」

 あゆは栞と一緒にポセイドン神殿へと至る道を探しているのだが、まるで手がかりがつかめないでいた。こうしている間にも、世界中いたるところで災厄が荒れ狂い、罪無き多くの生命が失われているというのに。

「あゆさん、栞さ〜ん」

「公子さんにふぅちゃん」

 そんなとき、アスガルドの伝説を調べていてくれた公子と風子の姉妹が、あゆ達のところに駆けつけてきた。

「アスガルドの伝説を調べてみたところ、この地には禁断の地と呼ばれる場所があるのです」

 公子は静かに語りはじめた。

「厚き氷に覆われし大海原に、古より禁断の地あり。そこに渦巻く暗黒の池ありて、その渦の下より強大なる王の住む国に通じる。災いと邪悪の王国なれば、我が祖国の民、何人といえども近づく事を禁ずる」

 

「ここが暗黒の池……」

 暗黒の渦が巻き起こる様子に、思わずあゆは息を飲んだ。

「ごめんなさい。アスガルドの言い伝えを破る事になってしまいます」

 栞の言葉に、公子は黙って首を振った。

「言い伝えが残されたのは、祖先がポセイドンを恐れていたからです」

「でも、今はオーディンである岡崎さんが復活しましたし、神闘士(ゴッドウォーリア)達が私達の祖国を守ってくれます。だから、あゆさん達には、早く相沢さんを助けてあげて欲しいです」

 二人の笑顔に見送られ、あゆと栞は暗黒の池に対峙した。

「この暗黒の池の奥に、祐一くんのいるポセイドン神殿があるんだね」

「あゆさん」

 あゆの表情が笑顔に彩られる。まったくなんの手がかりも無かったのに、希望が繋がったのだから無理も無い。

 だが、その喜びもつかの間、突如として巻き起こった暗黒の波動に飲み込まれ、あゆと栞はなす術も無く渦に飲み込まれてしまうのだった。

 

「う…うん……」

「うぐぅ……」

 逆巻く渦に飲み込まれ、ふと気がつくとそこは知らない場所だった。

「どこなんでしょうか、ここは……」

「もしかして、海の底なのかな? それなら水は一体どこにいったんだろう……」

「あれを見てください、あゆさん」

 あゆは栞が指を差したほうを見あげる。

「水が上にあります。まるで空みたいですね」

「それじゃ、ここは本当に海の底なんだ。地上とあんまり変わってないみたいだけど」

「言い伝えって本当だったんですね……。ここがポセイドンの支配する国なんでしょう」

 二人がのんきに話をしていると、不意に歌声を耳にした。その歌声に導かれるように歩いていくと、行く手に一体の人魚が現れた。

「これは、あなた達聖闘士(セイント)聖衣(クロス)に相当する、あたし達海闘士(マリーナ)鱗衣(スケイル)よ」

「誰?」

 あゆの問いかけに応じるように、一人の少女が姿を現した。

「ポセイドン様にお仕えする海闘士(マリーナ)の一人、マーメイドのみずか」

海闘士(マリーナ)?」

 栞の声がかすれる。

「そう。あなた達聖闘士(セイント)祐一(アテナ)を守るように、あたし達海闘士(マリーナ)は、海皇ポセイドン様を守る海の闘士なのよ」

「それなら都合がいいね。早速ポセイドンのところに連れて行ってもらおうよ」

 そうすれば祐一に会える。あゆはそう考えていた。

「いいわ。あなた達の水先案内をしてあげる」

 そう言ってみずかは鼻先で軽く笑う。

「ただ、あたしが案内してあげられるのは、えいえんの世界だけどね」

 みずかの小宇宙(コスモ)が高まる。

「デストラップエターナル!」

 

 えいえんはあるよ……。

 ここにあるよ……。

 

 二人の脳裏に甘美なる声が響く。あゆと栞のまわりに、熱さも寒さも時の流れすらも感じられない世界が広がっていく。

「そこはえいえんの世界。そこであなた達はえいえんに生きるのよ」

「冗談じゃないよ。ボクにはまだやらなくちゃいけない事があるんだっ! こんな幻影に惑わされるボクじゃないっ!」

 あゆの小宇宙(コスモ)が激しく萌えあがった。

「タイヤキ流星拳っ!」

 あゆの放つたい焼きが、みずかの生み出した幻影をことごとく打ち砕いていく。

「そんな、あたしのえいえんが……」

「大丈夫? 栞ちゃん」

「はい、なんとか」

 唖然(あぜん)とするみずかの前で、二人はゆっくりと立ち上がる。

「さあ、今度こそ祐一くんのところに案内してもらうよ」

 そのとき、静かな笑い声が場に満ちた。

「みずかちゃん、祐一(アテナ)聖闘士(セイント)を甘く見ちゃダメだよ。逆に痛い目を見る事になるからね」

「シードラゴン様」

 そこに立派な鱗衣(スケイル)(まと)った少女が姿を現した。

祐一(アテナ)聖闘士(セイント)よ、よく見ておておきなさい」

 シードラゴン、と呼ばれた少女の小宇宙(コスモ)が高まる。

海闘士(マリーナ)の中でも最強を誇る、海将軍(ジェネラル)の実力をね」

 シードラゴンの放つ圧倒的なまでの小宇宙(コスモ)の前に、あゆと栞はなす術も無く打ち倒されてしまう。

「シードラゴンとか言ったね……」

 勝利を確信したかのような二人の前で、あゆと栞はゆっくりと立ち上がった。

「ボク達が来たからには、もう勝手な真似はさせないよ。地上の平和と祐一くんを、ボク達に返してもらうよ」

聖闘士(セイント)の中でも、最下級の青銅聖闘士(ブロンズセイント)であるあなた達では話にならないわ……」

 シードラゴンは鼻先で軽く笑い飛ばした。

祐一(アテナ)の生命を救いたいのなら、黄金聖闘士(ゴールドセイント)を連れてくるのね」

 ふと気がつくと、あゆ達はまわりを海闘士(マリーナ)に囲まれていた。

「あなた達、ここをどこだと思っているのかしら?」

「海の聖域(サンクチュアリ)、ポセイドン神殿なのですよ」

「あなた達のような、下賎な方達が来るところじゃありませんわ」

 まわりを取り囲んだ海闘士(マリーナ)の少女達が口々に叫ぶ。

「丁度いいわ。この子達の相手はあなた達に任せるわ」

 そう言ってシードラゴンは(きびす)を返す。

「ちょっと待ってよ、シードラゴン。もしかして、ボク達から逃げるの?」

「あなた達の相手はその人達で十分という意味よ」

 シードラゴンが振り向きもせずあゆの声に答えるのと同時に、海闘士(マリーナ)達が一斉に襲い掛かってくる。

「みんな、この人達を神殿から追い出すのよ」

「おーっ!」

 途端にはじまる大乱戦。だが、海闘士(マリーナ)の悲鳴ばかりが聞こえてくるだけだ。

「残念だけど、雑兵同然の海闘士(マリーナ)達じゃボク達の相手にはならないよ」

 突然に収まった闘いに振り向いたシードラゴンの前で、あゆは見得を切る。

「そっちこそ、海将軍(ジェネラル)を連れてくるんだね。それが嫌なら祐一くんのところに案内してもらうよ」

「いきがるんじゃないわよ。その程度の腕で……」

 そう言いながらもシードラゴンは、底知れないあゆ達の実力に奥歯をかみ締めるのだった。

 

「まあ、いいわ……。みずかちゃん、この子達に教えてあげなさい。地上と祐一(アテナ)を救う方法をね」

「シードラゴン様?」

「あたしは自分の柱でその子達が来るの待つわ。もっとも、あたしの柱までその子達がこれたらの話だけど」

 今度こそシードラゴンは(きびす)を返した。

「待ってよ、シードラゴン。祐一くんを救う方法ってなんなんだよ。柱って言うのはなに?」

「逃げるんですか? シードラゴン」

 その後を追おうとしたあゆを、みずかが制する。

「あたしが教えてあげるわ。祐一(アテナ)がいるのはメイン・ブレドウィナ。その中の小部屋が水で満たされたときに祐一(アテナ)は死ぬ」

 衝撃の事実にあゆと栞は息を飲む。

「あなた達はそれまでにメイン・ブレドウィナを破壊し、その中から祐一(アテナ)を救い出さなくてはいけないの」

 そこでみずかは軽く笑う。

「だけど、あなた達に祐一(アテナ)を救い出す事なんて出来ないわ」

「どうしてだよ」

「メイン・ブレドウィナを破壊する事なんて、天地が逆さまになっても不可能だからよ」

「不可能って……」

 栞の声がかすれる。

「なぜなら、ポセイドン神殿を中心にして世界の七つの大海を支える七本の柱があるわ。その柱を全て破壊しない限り、このポセイドン神殿の生命点とでも言うべき、メイン・ブレドウィナにはヒビ一つはいらないの」

 みずかは軽く笑い、言葉を続ける。

「だってその柱には海闘士(マリーナ)最強の七将軍が待っているんだもの。彼女達を倒さない限り、柱を破壊する事は出来ないわ。これでわかったでしょ? メイン・ブレドウィナを破壊するのは、えいえんに不可能だって事が」

 それを聞いてあゆは唇をかみ締めた。

「それならボク達は、柱を倒して祐一くんを救うまでだよ」

 あたりを見回すと、高く(そび)える巨大な柱が目に入る。

「そうですね、あゆさん。少しでも早く柱を倒して、メイン・ブレドウィナでまた会いましょう」

「七将軍を倒してね」

 あゆと栞は顔を見合わせ、軽く笑う。

「それじゃあね、栞ちゃん」

「私はこっちへ行きます」

 

「莫迦よね、七将軍の恐ろしさ、その身で知るといいわ」

 柱に向かうあゆ達の後ろ姿を眺めつつ、みずかは酷薄な笑みを浮かべるのだった。

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