第二話 巨柱、聳えるマンモスピラー
あゆ達がポセイドン神殿へと辿りつき、七つの海を支える柱へと向かったとき、舞と名雪は五老峰の佐祐理の下を訪れていた。
「ごめんなさい。佐祐理にもポセイドン神殿の場所はわからないんです」
「かまわない。もしかしたら、あゆ達がもう見つけているかもしれない……。一度アスガルドに戻ってみる」
「わかりました。いいですか? 舞。祐一さんの事は頼みましたよ」
(それにしても……)
先程から名雪は大滝の前に鎮座する大きなアリクイさんのぬいぐるみに、真剣な様子で語りかける舞を優しく見守っていた。
(あのアリクイさんのぬいぐるみが、佐祐理さんなのかな?)
名雪が五老峰の佐祐理に会うのはこれが初めてなのであるが、きちんと受け答えをしているので多分そうなのだろう。ある意味異様な光景ではあるが。
とはいえ、お互いに手を握り合い、静かに見つめあう二人の姿には、たしかに友情を感じる事が出来た。
「あ〜、いたいたっ!」
するとそこへ、真琴がテレポートしてきた。
「真琴?」
「名雪、舞。ポセイドン神殿の場所がわかったのよぅ」
「本当なの? 真琴」
「うん、アスガルドにあったの」
「アスガルドに……」
灯台下暗しとはまさにこの事。真琴の細い肩を抱きながら、名雪はそんな事を考えた。
「……佐祐理」
「はい。いってらっしゃい、舞」
そして、真琴のテレポートで消える二人を、佐祐理はそのつぶらな瞳で静かに見届けた。
(ごめんなさい、舞。あなた達は、闘うための道具ではないのに……。でも、これは誰かがやらなくてはいけない事……。この世界を覆う暗雲を晴らすために)
そのとき、降りしきる雨が僅かに弱くなった。
そのころあゆは、北太平洋の柱を目指して走っていた。
「見えた、あれが北太平洋の海を支えている柱だね」
こうして間近で見上げてみると、まさしくポセイドン神殿の一部を支えているかのように、頭上の海に向かって屹立している。
もっとも、これは誰よりもコンパクトなボディを持つあゆだからこそ、そう思うのかもしれないが。
「とにかく、一刻も早く柱を倒さないと。いくよっ、タイヤキ彗星拳っ!」
あゆの放つタイヤキ彗星拳の軌跡が、柱に向かってまっすぐに伸びる。だが、その威力は炸裂する事無く、何者かの手によって止められた。
「手荒な事をしてもらっては困るな。この柱にカスリ傷一つでもつけたら、お前ごときの生命がいくつあっても足りないぞ」
「うぐぅ、ボクのタイヤキ彗星拳を片手で止めるなんて。キミは?」
「この北太平洋を支える柱を預かる七将軍の一人。シーホースの国崎往人」
「ボクはペガサスの聖闘士、月宮あゆだよ」
「ペガサス、この柱を壊したかったら……」
「キミを倒せって言うんでしょ?」
「ふっ、出来るかな? ペガサス」
クールに笑うが、目つきが悪いせいか、妙に似合わない往人。
「出来ても出来なくても、ボクにはやるしかないんだよ。地上の人々と、祐一くんのために」
二人の間で小宇宙が高まる。
「いくよっ、タイヤキ流星拳っ!」
だが、あゆのタイヤキ流星拳の威力は、往人の前で波紋のようにかき消されてしまう。
「お前の拳などオレの前では無力だ。今からその決定的な違いを見せてやる」
高まる往人の小宇宙にあゆは戦慄した。
「法術ブレス」
往人の巻き起こした法術による突風に、なす術も無く弾き飛ばされるあゆ。
「うぐぅっ!」
「どうだ、オレの法術の威力は。それにくらべたらお前の身体など紙切れも同然だ」
往人の法術の威力に驚愕しつつも、あゆは立ち上がる。
「だけど、ボクはまだ立ち上がれるよ。もう一度、タイヤキ流星拳」
「ふっ」
だが、またしてもあゆのタイヤキ流星拳は、往人の前で波紋を残して消えてしまう。
「もう一度くらえっ! 法術ブレス」
「うぐぅっ!」
再び往人の法術ブレスで弾き飛ばされるあゆ。激しく大地に叩きつけられてしまうが、それでもあゆは立ち上がった。
「確かに往人さんの法術ブレスは凄いよ。でも、ボクに決定的なダメージを与える事は出来ないみたいだね」
「なに?」
「ボクを決定的に倒さない限り、ボクは何度でも立ち上がるよ。そして、最後にはキミを倒す」
「そうか決定的なものが望みか……」
あゆの闘志に敬意を払いつつも、往人は軽く笑う。
「ならばくれてやろう。このシーホースの往人、最大の拳を」
往人の小宇宙の高まりにより、あゆの周囲の空気が逆巻き、渦を成す。
「ライジング法術っ!」
「うぐぅーっ!」
凄まじいまでの渦があゆの身体を吹き上げ、ポセイドン神殿の天となる海を貫き、一気に海上まで突き抜けた。
強い。
掛け値なしに強い往人の実力に、流石はゲームを代表する主人公だとあゆは思う。
黄金聖闘士に勝るとも劣らない実力には、確かに驚嘆の念を禁じえない。
(でも……)
あゆの身体は、ゆっくりとポセイドン神殿へと落ちていった。
「ふふっ、死ぬ間際に海上に出られて幸福だろう。後は魚達が始末してくれる」
往人がそういった途端、強大な小宇宙が舞い降りた。それはペガサスの聖闘士、月宮あゆだった。
「ばかな、ライジング法術をくらって、なぜ……?」
「ボクは祐一くんを守る聖闘士だよ。祐一くんのためなら、地獄の果てにだって行くよ」
自身の持つ最大の拳をくらって、なおも立ち上がる目の前の少女に、往人は唖然とした。そんな往人の前で、あゆの小宇宙が更なる高まりを見せる。
「いくよっ、タイヤキ流星拳っ!」
「そんなものを何度も打ったところで、お前の拳など通用しないというのが……」
タイヤキ流星拳の威力が波紋となって消えていく中、往人は驚愕に目を見開いた。
「ばかなっ、口の中が甘い……」
それはまぎれも無く、あゆのタイヤキ流星拳が往人の防御を突破した証である。
「やっぱり、往人さんの実力は黄金聖闘士には及ばないみたいだね。今からボクがそれを証明してみせるよ」
「なにを……? 聖闘士の中でも最下級の青銅聖闘士ごときが」
口ではそう言いつつも、往人は内心の動揺を隠せない。目の前に対峙するこの少女は、一体何度自分の拳を受けたのか。しかも最大の拳であるライジング法術を受けても、傷一つ負わずに舞い戻ってきたのだ。
「もう一度っ! タイヤキ流星拳っ!」
「くっ……」
あゆの放つたい焼きは、往人の目の前で波紋となって消えていくが、その威力はさらに高まっていく。そして、ついには往人の構築した防御壁を打ち砕き、その身体を弾き飛ばした。
「ばかな……。今までかすりもしなかったペガサスの拳が、なぜ確実にヒットするようになったんだ?」
驚愕に目を見開く往人の前で、あゆの聖衣が輝きに包まれていた。その輝きは、まるで黄金聖衣のようである。
「これは、黄金聖衣? いや、青銅聖衣か。今、一瞬ペガサスの青銅聖衣が黄金聖衣のような輝きを放ったような気がしたが、オレの錯覚だったのか……?」
「ううん、錯覚じゃないよ。往人さんがこの新生聖衣に黄金の輝きを見たのも当然なんだよ。だってこれは、黄金の血によって蘇ったものなんだから」
「黄金の血だと?」
「神話の時代から受け継がれた、八十八の星座の頂点に位置する黄金聖衣。それを纏う黄金聖闘士達の黄金の血によって復活したボク達の聖衣は、いわば限りなく黄金聖衣に近い青銅聖衣になったんだよ」
あゆが小宇宙を高めると、再び聖衣が黄金の輝きに包まれた。
「その黄金聖闘士達の熱い想いに応えるためにも、ボクはこんなところで負けるわけにはいかないんだ」
「うおぉぉっ!」
あゆの放つたい焼きが、往人の身体を弾き飛ばす。
「黄金の血によって蘇った聖衣のおかげで防御力が向上したのはわかるが、あいつの拳がヒットしだしたのはなぜだ? その聖衣のおかげで攻撃力まで向上したとは思えないのだが……」
「往人さんの防御方法は、光速に近い動きで空気の防御壁を作っていると思うんだよ。ここは海底で湿っているから、それが波紋みたいに見えたんだ」
自分の防御の秘密をあっさりと見抜かれてしまい、往人は背筋に戦慄が走るのを感じた。
見た目は年端もいかない少女なれど、どうやらあゆはこれまでに幾多の闘いを乗り越えてきた聖闘士らしい。相手を相当に侮っていたらしい事に気がつき、往人は自嘲の笑みを浮かべる。
だが、往人が纏っているのは海将軍用の鱗衣。雑兵用のものとは違い、黄金聖衣にも匹敵する防御能力を持った鱗衣なのだ。あゆが多少の拳を当てたところで、往人の勝利は変わらない。
「それはどうかな?」
「なに?」
よくみると、往人の鱗衣にはべったりとあんこがこびりつき、その輝きが失われていた。
「こうなったらもう手加減はしてやらんぞ。その自慢の新生聖衣ごと打ち砕いてやる」
往人の小宇宙が高まる。
「くらえっ! 法術ブレス」
だが、あゆはその威力をまともに受けながらも持ちこたえている。
「悪いけど、聖闘士におんなじ技は何度も通じないんだよ。今まで何回受けたと思ってるの?」
「くっ、こうなったらこの国崎往人最大の拳、ライジング法術で、今度こそあの世まで飛ばしてやるっ!」
「そうはいかないよ。萌えろっ! ボクの乙女小宇宙、黄金聖闘士の位まで今こそ高まれっ!」
最大限に高まったあゆの乙女小宇宙を受け、ペガサスの聖衣が黄金の輝きに包まれた。
「タイヤキ彗星拳っ!」
あゆのタイヤキ彗星拳を受け、往人の身体が激しく大地に叩きつけられた。
「やったぁっ!」
「く……くく……喜ぶのはまだ早いぞ……」
大地に倒れ伏しながら、まるで悪人のような台詞を言う往人。
「うぐぅ、どういう事?」
「お前がいかに黄金聖闘士の位まで乙女小宇宙を高めようとも、あの北太平洋を支えている柱を壊すのは不可能だからさ」
「え……?」
「例え黄金聖闘士が全員の力を持ってしても、ヒビ一つ入れる事は出来ないだろうさ……。結局は、オレ達の勝利なのさ……」
「そんな、ボク達は大地さえ割る事の出来る聖闘士だよ。あんな柱くらい、一撃で壊して見せるよ」
あゆは乙女小宇宙を高めてタイヤキ彗星拳を放ってみるが、柱はまるで微動だにせず、そればかりかヒビ一つ入らなかった。流石は世界の海を支える柱だけの事はある。
今度はタイヤキ流星拳を放ってみるあゆであるが、またしても柱はびくともしない。
これではいくら七将軍を倒しても、肝心の柱が倒せないのでは意味が無い。祐一が閉じ込められているというメイン・ブレドウィナは、先に七本の柱を倒さなければびくともしないのだ。
このままでは地上は水で覆いつくされてしまうし、そうなってしまえば祐一も……。
(祐一くんが……死ぬ……?)
あゆの心に、絶望という名の黒い雲が垂れ込めてきた。
さて、一方黒い渦を抜けてポセイドン神殿に到達した舞達は、高まったあゆの乙女小宇宙を目指して走っていた。
「ペガサスのところに行こうとしても無駄よ」
その行く手にたちはだかるのは、マーメイドのみずか。
「……お前は?」
「マーメイドのみずか。ペガサス達は、我が海界が誇る海闘士七将軍によって、すでにあの世に旅立っているはずよ」
「あゆちゃん達が……?」
舞と名雪が息を飲む中、真琴がみずかの前に立ちふさがった。
「ここは真琴に任せて。名雪と舞は、あゆ達のところへ行って」
「むざむざ行かせるとでも?」
真琴のまわりに無数の肉まんが浮かび上がり、それがみずかめがけて一斉に襲いかかった。
「くっ……」
みずかがひるんだ隙に、名雪と舞はその脇を駆け抜けていく。
「聖闘士にはなりそこなっているけど、こう見えても真琴はおひつじ座の黄金聖闘士、天野美汐の一番弟子なのよぅ。アッペンデックスの真琴、よぉく憶えておくのね」
真琴のまわりに浮かぶ肉まんに、少なからず戦慄するみずか。
それにしてもこの真琴という少女、みれば見るほど自分にそっくりだ。似たような背格好。似たような髪形。違うのはサイドで髪を留めているリボンの色くらいだ。しかも声まで一緒となると、不思議な因縁すら感じてしまう。
「でも……」
みずかが不敵な笑みを浮かべる。それを見た真琴は、一斉に肉まんを襲いかからせるが、みずかはそのすべてをかいくぐって真琴に迫る。
「アッペンデックスとはよく言ったものね。所詮あなたはおまけに過ぎないのよ」
聖闘士のなりそこないの真琴と海闘士のみずかとでは、やはり実力にかなりの開きがあるものだ。
「さあ、このままえいえんの世界に連れて行ってあげるわ」
「ちょっと待ちな。お前の相手は俺がしてやるぜ」
「なに? お前は……」
「へびつかい座の白銀聖闘士、斉藤さ」
「斉藤っ!」
それを見た真琴が、笑顔で斉藤の足にすがりつく。
「来てくれたんだ、斉藤」
「俺が来たからにはもう安心さ。真琴ちゃんは早く、これをあゆちゃん達のところに届けてやるんだ」
斉藤は背負っていた聖衣を下ろす。
「これ、てんびん座の黄金聖衣」
「佐祐理さんから預かってきたんだ」
そのころあゆは、追いついてきた名雪と舞に事の次第を伝えていた。二人がそれぞれに別の柱に向かったのを見送った後、あゆは何度も柱に攻撃をするのだが、まったく効果が無かった。
こうしている間にも時間は過ぎていき、祐一の生命も風前の灯火となっていく。
「こうなったらボク自身を拳に変えて、あの柱に突っ込むしかないのかな……」
あゆが静かに小宇宙を高めはじめた、丁度そのとき。
「待ってよ、あゆ。斉藤がこれを」
真琴がてんびん座の黄金聖衣を持ってきた。
「その聖衣をどうするの? もしかして、あゆが着るの?」
「違うよ、真琴ちゃん。てんびん座の聖衣は分解すると十二個の食器になるんだよ」
十二の星座の中でも要に位置するてんびん座の食器は武器にもなる。それは武器を嫌うアテナが許し、てんびん座の聖闘士が正しい事に使うと認めたとき、はじめて使えるのだ。
あゆの手にずっしりと重いお皿が飛び出してくる。
「これを使えって言うんだね。ありがたく使わせてもらうよ、佐祐理さん。真琴ちゃんは危ないから下がっててね」
お皿を構えて、あゆは北太平洋の柱に対峙する。
「てんびん座のお皿よ、ボクに北太平洋の柱を砕く力を与えてっ!」
裂帛の気合を込めて、あゆはお皿を柱に叩きつけた。そして、戻ってきたお皿の重量感に、あゆはこれなら星すらも砕けるのではないかと思った。
「見て、あゆ。柱が……」
二人が見守るなか柱に亀裂が走り、やがて粉々に砕け散っていった。
だが、その後に重く響く鳴動音に、真琴はおびえた様子を見せる。
「あゆ、この音……」
「見て、真琴ちゃん。少しだけど頭上の海が下がってきてるよ」
言われてみると、霧雨のようなものが降ってきている。これで少しは地上の水位も下がると思い、真琴はほっと胸をなでおろした。
「時間が無いよ、真琴ちゃん。ボクは次の柱を目指すから、真琴ちゃんはてんびん座の聖衣を他のみんなに届けてあげて」
「うん、わかった」
残る柱は後六本。
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