第三話 魔獣、戦慄のスキュラ
あゆが北太平洋の柱を倒したとき、栞は南太平洋の柱に辿りついていた。
「やりましたね、あゆさん」
遠く響く柱が倒壊する音に、栞はあゆの勝利を確信した。そして、今度は自分の番です、と気合を入れる。
「? ストールが……」
柱の付近には人の気配を感じないのに、栞のストールは異常なまでの緊張を見せている。これはまぎれも無く、この辺りに敵がいる証拠だ。
その栞の目の前に、人影が現れた。
「海闘士ですか?」
反射的に栞はストールで攻撃をするが、それが少女である事がわかり、あわててストールを止めた。
栞の見ている前で、少女は姿を消す。
「なんですか? 今のは……。もしかして、幻影なんでしょうか……」
しかし、ストールはまだ緊張を解いていない。
(ふっふっふ〜、どうして攻撃をやめたのかなぁ? それが君の、生命取りになるんだよぉ)
謎の少女の声があたりに響くと同時に、再び少女の幻影が現れる。
「あれは……」
少女の顔が醜く歪むと同時に、攻撃的な小宇宙が次々に襲い掛かってくる。それはまさしく野獣の牙。
「守って、ローリングストール」
栞の身体を包み込むような動きで、ストールは攻撃を弾き返した。
「今のは幻覚じゃありませんでした。ストールが守ってくれなかったら、今のでやられていたでしょう……」
「なぁるほどぉ、アンドロメダのストールには、鉄壁の防御能力があるって言うのは本当だったんだぁ」
栞の前に、立派な鱗衣を纏った一人の少女が姿を現した。
「南太平洋の柱を守る海将軍、スキュラの霧島佳乃。アンドロメダは、ここでかのりんが引導を渡してやるのだぁ」
栞は以前、ギリシア神話でスキュラについて読んだ事がある。
上半身は美しい乙女の姿をしているが、下半身は六体の獣となっている海の怪物だ。乙女の姿で船乗りを惑わせ、六体の獣が貪り食ったという伝説がある。
「そうなのだぁ、君もスキュラの餌食となるのだぁ。受けるのだ、聖獣の牙を」
「守って、ローリングストール」
栞のストールが、身体を包み込むような防御姿勢をとる。
「無駄なのだぁ。そのディフェンスは、もう一度見ているのだよぉ」
ぴこ〜、という叫び声と共に、一体の白い毛玉が栞に迫る。
「イーグルポテト!」
「えうっ!」
栞のストールの防御をかいくぐり、ポテトの攻撃がヒットする。
「そんな、私のローリングストールの防御をかいくぐってくるなんて……」
「言ったはずなのだ。同じ防御は通用しないって」
そう言って佳乃は無邪気な笑顔を見せる。
「もう一度くらうのだ。ウルフズポテト!」
「ぴこ〜」
奇怪な鳴き声と共に、再び白い毛玉が襲いかかってくる。先程の攻撃がワシの爪なら、今度はオオカミの牙だ。
あっさりと防御をかいくぐってきたポテトの攻撃が、栞の身体を傷つけていく。
「今度はハチの一刺しなのだ。ポテトスティンガー」
「ぴこ〜」
まさしくハチの一刺しのようなポテトの攻撃が栞に迫る。その攻撃に栞のストールの防御はまるで通用しない。
「サーペントポテト」
「ぴこ〜」
大蛇のように身体を伸ばしたポテトに巻きつかれて、栞の身体が見る見るうちに傷ついていく。満身創痍とは、まさにこの事だ。
「うぬぬぅ、いくら青銅とはいえ、聖闘士の聖なる血を地べたに吸わせるのはもったいないのだ。バンパイアポテト!」
「ぴこ〜」
背中の翼で、あたかもコウモリのように舞うポテトの牙が、栞の首筋に食らいつく。身体中の血を吸い尽くされてしまうかのような感覚に、栞の意識が遠くなっていく。
アンドロメダのストールは正確無比な防御を持っているというのに、それがまさに無きが如くだ。
こんなところでなにも出来ないうちにやられてしまうんでしょうか、栞の心に絶望感が押し寄せてくる。
「最後の仕上げはこれなのだ。グリズリーポテト!」
「ぴこ〜」
まさしく巨大グマのようなポテトの攻撃に、栞はなす術も無く弾き飛ばされた。
「ふっふっふ〜、アンドロメダはどの聖獣が一番お気に召したかなぁ? 君のためにどの聖獣も致命傷にならないように手を抜いてあげたんだよぉ」
その言葉に栞は戦慄した。どの技も一歩間違えば死に至るのは容易いだろうからだ。
「かのりんは優しいから、君の望む聖獣で止めを刺してあげるのだよ。さあ、選ぶのだ。どの聖獣に止めを刺して欲しいのか」
「あれで全部手加減していたんですか……」
まさしく六体の聖獣をその身に宿すかのような佳乃の実力に、栞は気おされつつも立ち上がった。
「でも……」
「さあ、どうしたのだぁ? もはや考える気力も無いのかなぁ?」
立ち上がるのもやっとな栞の姿に、佳乃は勝利を確信したような笑みを浮かべる。
「それならかのりんが決めてやるのだぁ。ハチの一刺しであの世に行くのだ。ポテトスティンガー!」
「ぴこ〜」
栞めがけて襲いかかったポテトではあるが、突如として変化した栞のストールに絡め取られ、攻撃を封じられてしまう。
「なんなのだ? これは……」
「スパイダーストール」
まさしくクモの巣のような栞のストールに捕まってしまい、ポテトがもがいている。
「一度見たものは二度と通じない。あなたはそう言いましたね……」
驚愕に目を見開く佳乃のまえで、栞は静かに口を開いた。
「私のネビュラストールは、ローリングストールだけが最大の防御方法というわけではないんですよ。敵の攻撃によって、様々に変化するんです」
あなたの技はすべて見せていただきました。そう静かに語る栞に戦慄を覚えるのは、今度は佳乃の方だった。
「ハチの針は折らせてもらいますっ!」
「ぴこ〜っ!」
栞の攻撃で、ポテトの右手につけられたハチの針が破壊される。
「ぴこっぴこっ」
「うぬぬぅ、ポテトの右の拳が砕かれるなんて」
「右の拳だけじゃありませんよ。まだ、これ以上抵抗するつもりなら、他の聖獣もすべて破壊します」
「やれるものならやってみるのだ。いけぇっ! イーグルポテト!」
「ぴこ〜」
「無駄ですよ。キャスティングストール」
今度はかすみ網の様に変化するストール。いかに天空を翔るオオワシといえども、この網に捕らえられてしまうと飛び立つ事が出来なくなってしまう。
「はっ!」
ポテトの両肘につけられたワシの爪が打ち砕かれる。
「それならこれはどうなのだ? サーペントポテト!」
「ぴこ〜」
身体を大蛇の様に伸ばすポテトにあわせるように、栞のストールが螺旋を描く。
「スパイラルストール」
栞のストールは大蛇を飲み込む筒のように変化し、ポテトの動きを封じ込める。
そして、ポテトの左腕のヘビが打ち砕かれた。
「どうです? これ以上の闘いが無意味だとわかっていただけましたか?」
「うぬぅ、まだなのだ。まだ聖獣は三体残っているのだ。バンパイアポテト!」
「くっ」
「残念だけどコウモリは、他の獣達と違って特殊なレーダーを持っているのだ。今までのバリエーションでその動きを捉えるのは不可能なのだよ」
そのとき、栞のストールは楕円の軌跡を描く。
「ブーメランストール」
まるでブーメランのような軌道を描く栞のストールが、ポテトの背中にあるコウモリの翼を打ち砕く。
「確かに、コウモリには直線的な攻撃は効きません。ですから、楕円を描くブーメランの動きが最適なんですよ」
瞬く間に四体の聖獣を破壊されてしまうが、まだまだ佳乃の闘志は消えない。栞にしてみれば南太平洋の柱さえ壊せればいいのだが、どうやら相手にもそうはいかない事情があるらしい。
「うぬぅっ! それならウルブスポテト!」
すると、今度は栞のストールが仕掛け罠のように変化した。
「ストールトラップ!」
そして、栞のストールはポテトの額のオオカミの牙を打ち砕く。
「うぬぬぬぬぅ、ここまで見事に聖獣が破られてしまうなんて……」
「わかりましたか? もうあなたの技は私には通用しません。わかったのならそこをどいてください。私は一刻も早くその柱を倒さないといけないんです」
「そう考えるのはまだ早いのだっ! くらえっ、巨大グマの一撃。グリズリーポテト!」
「やはり全部破壊しないとわかってもらえませんか」
栞のストールが佳乃とポテトの身体に絡みつき、激しく締め上げた。
「ストールキャプチュアー!」
佳乃の鱗衣が砕け散り、全ての聖獣が破壊される。
「うぬぅ、鱗衣が……。まさかこのまま締めつけて……」
「ぴ……ぴこ……」
「生命までは取りませんから、安心してください。私の目的はあなたではなく、あの柱なのですから」
栞は静かに乙女小宇宙を高めた。
「砕けよっ! 南太平洋の柱。ネビュラストール!」
栞の渾身の力を込めた一撃であるというのに、柱には傷一つついておらず、微動だにしない。
「そんな……。こんな事が……」
「残念だけど、その柱は神話の時代からずっと地球の海を支えてきたのだ。いかなる事があっても砕くなんて出来ないのだ」
衝撃の事実が栞を打ちのめす。佳乃の言う事が正しいとするのなら、いくら海将軍を倒しても意味が無い。
「それに、この程度ではかのりんの動きを封じる事なんて出来ないのだ……」
佳乃の乙女小宇宙が高まりを見せる。
「どすこ〜いっ!」
「私のストールを引きちぎるなんて……。しかも巨大グマさえも身動きできなくなるストールキャプチュアーを……」
栞のストールを引きちぎり、佳乃は不敵に笑う。
「たとえ聖獣がすべて封じられても、かのりんにはまだ生身の拳があるのだぁ。見せてあげるのだ、かのりんのジツリキを」
乙女小宇宙を最大限に高めた佳乃の背後に、竹で出来た巨大な滑り台が姿を現した。
「くらえっ! バンブースライダー!」
「これは……竹のといから流れてきた素麺が身体に絡みついて……。えう〜っ!」
凄まじいまでのバンブースライダーの威力に、栞は激しく大地に叩きつけられた。
「甘い、甘すぎるのだぁ。六体の聖獣をすべて破っておいて、かのりんに致命傷を与えないなんて」
敵に止めをさせない甘さが死を招く。そう思う佳乃であったが、やがてゆっくりと立ち上がる栞の姿に目を見開いた。
「そんな、バンブースライダーを受けて……。どうしてなのだ?」
息も絶え絶えという状態ながらも栞は立ち上がり、目の前にいる佳乃を無視して柱に攻撃する。
「無駄な事はやめるのだ。バンブースライダー!」
二撃目をくらい、大地に叩きつけられる栞。だが、再び立ち上がると柱に攻撃をする。もはや栞の意識は佳乃を倒す事よりも、柱を砕く事に向いているようだ。
「言ったはずです……。私の目的はあなたではなく、あの柱を砕いて祐一さんと地上の人達を救う事です」
「まだ、そんな甘い事を。ここで死んでしまえば、そんな事など出来ないのだぁ。かのりんがそれを教えてあげるのだ」
佳乃の乙女小宇宙が最大限に高まる。
「これが最後のバンブースライダーなのだぁっ!」
「ここで負けるわけにはいきません。祐一さん、そして黄金聖闘士のみなさん。私に力を……」
栞の乙女小宇宙が最大限に高まる。
「萌えあがれ、乙女小宇宙。私の生命がある限りっ!」
「な……」
佳乃は驚愕にその目を見開いた。
「バンブースライダーの素麺が、アンドロメダのまわりをすり抜けていく?」
その一瞬の隙をつき、栞のストールが再び佳乃を捕縛する。
「こんなものはかのりんに通用しないのだ。もう一度引きちぎってやるのだ。どすこ〜いっ!」
佳乃は渾身の力を込めるが、今度はびくともしない。
ふと気がつくと、栞のストールが黄金の輝きを放っている。そして、それはストールだけでなく、聖衣そのものも黄金聖衣のように光り輝いていた。
「アンドロメダの聖衣が、まるで黄金聖衣のような強度と美しさを秘めて輝いているのだ……」
「それは私達の聖衣が黄金聖闘士の血によって蘇ったからです。言わば私達の聖衣は青銅聖衣でありながら、限りなく黄金聖衣に近い聖衣となって生まれ変わったんです」
死んでしまった聖衣を復活させるには、大量の血液を必要とする。十二宮の闘いで瀕死になった栞達に代わり、黄金聖闘士達が黄金の血を分けてくれたのだ。
「なるほどぉ、だからバンブースライダーも効かなかったのかぁ……」
納得したように佳乃は首を振るが、その目は決して敗北者のそれではなかった。むしろ勝利を確信している者の目だ。
「だけど、それ以上君にはどうする事も出来ないのだ」
「え?」
「いくら君が黄金聖闘士の位まで乙女小宇宙を高めたとしても、あの柱を砕くなんて不可能なのだ。なぜなら、黄金聖闘士が全員で攻撃しても、あの柱には傷一つつかないのだ」
「それでも、私はあの柱を壊さなくてはいけないんです」
佳乃の口からそれを聞いても、栞の決意は変わる事は無かった。悲しい色を湛えた瞳で、栞は静かに口を開く。
「それが、私の生命を引き換えにしたものだとしても」
そこまでしても、柱を完全に破壊するのは不可能かもしれない。だけど、亀裂一つでも入れる事が出来るのであれば、後はあゆ達がなんとかしてくれる。
栞はそう確信していた。
地上では多くの人達が苦しんでいる。それを少しでもくいとめようと、祐一は今メイン・ブレドウィナの中にいる。
「地上の平和を守る祐一さんを守るのが、私達聖闘士の務め。萌えろ、高まれ。私の乙女小宇宙よ、生命の極限まで! たとえこの身が滅びようとも、あの柱に一矢を!」
「まさか……自分の生命を最高点以上に高めて爆発させ、自分の身体ごと柱を……?」
そんな事をしても無駄なのだ。そう佳乃が思ったときである。
「栞〜よかった、間に合った〜」
てんびん座の聖衣を背負った真琴が飛び込んできた。
「あの柱は、これじゃないと壊せないのよぅ」
「そうか、それなら……。ありがとうございます、真琴さん」
栞の手にてんびん座の食器が飛び出してくる。それはお箸。
「はあっ!」
「凄い……栞がお箸を振るうたびに星が煌めく……」
その神々しい姿は、佳乃の目も釘付けにした。
「ありがたく使わせていただきます、佐祐理さん」
「やめるのだあぁっ!」
栞がお箸を振るった次の瞬間。
「ぴこ〜っ!」
ポテトがその身を犠牲にして立ちふさがった。
だが、てんびん座のお箸の威力は留まる事は無く、柱に突き刺さる。
「ポテト〜っ!」
柱が崩壊し、霧雨が降り注ぐ。
やがて崩れ落ちた瓦礫の下から、佳乃はポテトを救いだした。
「ぴ……ぴこ……」
満身創痍ながらも、佳乃にむかって必死に無事をアピールするポテト。
「……気にする事は無いのだ……」
佳乃はゆっくりと口を開いた。
「君が生命がけで地上の平和を守ろうとしたように、かのりん達も生命がけでこの柱を守っていたのだ……」
佳乃はポテトをいとおしげに抱きかかえると、ゆっくりと立ち上がった。
「だけど、これだけは憶えておくのだ。敵に止めをさせない甘さがある限り、いつかは君も……」
霧雨が降りしきるなか、佳乃は栞達を振り返る事無く、いずこかへと姿を消した。
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