第五話 再会、死を招く幻影

 

「印度洋の柱が壊されたみたいね……」

 彼方に響く破壊音を聞き、シードラゴンは自嘲気味に呟いた。

 まさか、霧島聖ほどのものがやられてしまうとは、正直計算外だ。

 北太平洋の柱に続き、これで南太平洋、印度洋と三本の柱を倒された事になる。たかが青銅聖闘士(ブロンズセイント)と侮ったのが失敗か。

「でも……」

 シードラゴンは口元に妖しい笑みを浮かべる。

「あの子達も、これまでよね。七将軍の中でもっとも恐ろしい海闘士(マリーナ)、リュムナデスがいる限り……」

 

「しっかりしてよ、舞〜っ!」

「真琴……柱は……?」

「ちゃんと壊れたわよぅ。そんな事より……」

 その証拠に、あたりに霧雨が降りはじめている。これで少しは地上の水位も減っただろう。

「……私なら、大丈夫」

「でも」

聖闘士(セイント)の使命は?」

「あう〜……」

 この地上の平和を守り、アテナである祐一を守る。それが聖闘士(セイント)の使命。おまけとはいえ、真琴にもその事はよくわかる。

 今頃は南氷洋に向かった名雪が、柱を破壊するのに苦労しているかもしれない。そして、柱を破壊するためのてんびん座の聖衣(クロス)を届けるのが、今の真琴に課せられた使命。

「……わかったわよぅ。その代わり舞も、後で必ず来るのよ」

 もはや見えなくなった目で真琴を見送った後、舞は力尽き、倒れた。

 

 そのころ名雪は、南氷洋の柱を目指して走っていた。

「おかしいなあ……。さっきから同じところを走っているような気がする……」

 先程から響いてくる破壊音を聞きながら、名雪はみんなが祐一を助けるためにがんばっているのに、まだ自分だけが柱に辿(たど)りつけていない事に不安を感じていた。

「わたしもがんばらないと……」

 ふぁいと、だよ。と小さく気合を入れて、名雪が走り続けていると、やがて一本の柱に辿(たど)りついた。

「ここが南氷洋の柱なのかな?」

 だが、あたりに人の気配は無い。そればかりか、先程から不思議な違和感が、名雪の全身を包み込んでいる。

 そんなとき、一人の少年が名雪の前に姿を現した。

「え……? 祐一……?」

 祐一は今、地上を救うためにメイン・ブレドウィナの中にいるはず。それがどうしてこんなところにいるのか。

 名雪の見ている前で、祐一はすっと(きびす)を返す。

「どこ行くの? 祐一」

「約束の場所」

「約束……?」

 そう言われても、名雪には思い当たる事が無い。

「どうしようもなく馬鹿な男が、大事な約束をすっぽかしたところ」

「え……?」

 ふと気がつくと名雪は聖衣(クロス)(まと)っておらず、普段の格好だ。そればかりか辺りの風景も名雪が生まれ育った街に変わっている。

「俺は、謝らないといけないんだ。その女の子に、心の底から……」

 それからはお互いに言葉を交わす事も無く、目的の場所に着く。そこは駅前のベンチだった。

「わたし、この場所はあまり来ないんだ……。もう来ないってわかってる人を、ずっと待ってしまいそうだから……」

 ベンチを見つめたまま、名雪はポツリと呟いた。

「わたし、馬鹿なんだよ……。昔の事、ずっと引きずって……。ほんと、馬鹿だよ……」

「ごめんな、名雪」

「ダメだよ、祐一。祐一に言いたかった言葉、もう忘れちゃったよ……」

「俺は、名雪の事が好きだけどな。仲の良いいとことしてじゃなく、一人の女の子として好きなんだと思う」

「……ひどいよ」

 祐一の告白に、名雪はポツリと呟くように答える。

「今頃そんな事言うなんて、ずるいよ」

 それは、確かな拒絶の意思。

「わたし、わからないよ……。突然そんな事言われても、わからないよっ!」

 (きびす)を返して、祐一の下から走り去る名雪。

 どれぐらい走っただろうか。ふと気がつくと名雪は、祐一の腕の中にいた。

「祐一、苦しいよ。力いれすぎだよ……」

 だが、その温もりに包まれているうちに、名雪の心は不思議な安心感で満たされていく。

「……暖かいよ、祐一……」

「名雪……」

 そして、寄り添う二人の影は、やがてゆっくりと一つになった……。

 

「おかしいなあ……いつまでたっても南大西洋の柱に辿(たど)りつけないよ……」

 北太平洋の柱を倒した後真琴と別れたあゆは、南大西洋の柱を目指して走っているのだが、どこかで道を間違えてしまったのか、なかなか辿(たど)りつけなかった。

 そればかりかさっきから、同じところをぐるぐると回っているような気がする。

 やがてあゆは、一本の柱に辿(たど)りついた。

「あれ? ここは……」

 そこはあゆが目指していた南大西洋の柱ではなく、南氷洋の柱だった。

「どうして……? ボクは確かに南大西洋の柱を目指していたはずなのに……」

 それに、ここには名雪が先に向かっていたはずだ。なのに名雪の姿は無い。

「あゆ……」

 そこに一人の人物が現れた。それは、あゆのよく知る少年だった。

「え……? 祐一くん……?」

「あゆ」

 祐一は今メイン・ブレドウィナの中にいるはずだ。それなのに、どうしてここに。

「じゃあ、行こうか」

 先に立って歩き出す祐一の背中を、あゆはあわてて追いかけた。すると辺りの風景が、夕暮れにさしかかろうとする見慣れた街並みに変わる。

 気がつくとあゆは聖衣(クロス)(まと)っておらず、いつの間にか普段の格好に戻っていた。

 やがて二人は、駅前のベンチに辿(たど)りつく。そこはかつてあゆが、祐一との待ち合わせに使ったところだった。

「あゆ、俺の事が好きか?」

「え……?」

 どこか不思議な雰囲気に包まれ、すっかり夕暮れの赤に染まった駅前の風景のなかで、それに負けないくらい真っ赤な顔をした祐一が、あゆに訊いた。

「俺は、あゆの事好きだけどな」

「ボクも……祐一くんの事、ずっと好きだったよ……」

 それは、あゆの確かな気持ち。

「祐一くんがボクの事を好きでいてくれるのなら、ボクはずっと祐一くんの事を好きでいられるんだと思う」

 一気に早口でまくし立てた後、恥ずかしいのかあゆは下を向いてしまう。

「……よくわからないけど、きっとそういうものなんだとボクは思うよ」

 そして、ゆっくりと赤く染まった顔をあげた。

「えと……あはは……。なに言ってるんだろうね、ボク。似合わない事は、言うもんじゃないよね……」

「だったら、俺と一緒だな」

「え……?」

「七年、待ったんだから」

「祐一くん……」

「これから、七年分取り戻さないとな」

 不意に、あゆの大きな瞳から涙があふれ出た。祐一の顔を見つめたまま、赤く染まる頬を流れる。

「祐一くん……ボクの顔、見ないでね……。きっと……ぼろぼろ……だから……」

 あゆの声には涙が混じり、すでに言葉にならない。

「だ……から、目を閉じて……」

「わかった……」

 あゆは小さな身体を寄せて、精一杯に伸びをする。

 祐一の吐息を、すぐ近くに感じる。

 そして、寄り添った二人の影は、やがてゆっくりと一つになった……。

 

 そのころ、北大西洋の柱を目指していた栞は、妙な雰囲気を感じていた。

「なにか変です……」

 身体が不思議な違和感に包まれている。この感じはかつて双児宮で迷宮に迷い込んだときとよく似ていた。

 やがて栞は、一本の柱に辿(たど)りつく。そこは栞が目指していた北大西洋の柱ではなく、南氷洋の柱だった。

「やっぱり変です」

 先程から栞のストールは、未だに見えない敵に反応を示している。まるで何者かの魔力により、この場所に誘い込まれてしまったようだ。そんな栞の目の前に、信じられない光景が広がっていた。

「あれは、あゆさん? それに名雪さんまで……」

 二人とも一撃で倒されており、しかも無防備のまま易々と撃たれてしまったように見える。

 あゆと名雪の実力を知る栞にとっては、信じられない事だ。驚愕(きょうがく)に打ち震える栞の背後に、一人の少年が姿を現す。

「よお、栞」

「え……? 祐一さん……?」

 そこに立っていたのは祐一だった。しかし、祐一は今メイン・ブレドウィナの中にいるはず。それがどうしてこんなところにいるのか。

 ふと気がつくと先程まで敵を警戒していたストールが、まるで反応しなくなっている。するとここにいるのは、本物の祐一なのか。

「栞……」

 祐一の優しい呼びかけに気がついてみると、あたりの風景が夜の公園に変わっている。それに栞は聖衣(クロス)(まと)っておらず、いつの間にか普段の格好に戻っていた。

「ここは、夜のほうが綺麗ですよね」

 綺麗にライトアップされた噴水を見て、栞が呟くように口を開く。

「俺は寒いから、昼のほうがいいな」

「残念です」

 オレンジ色の街灯に照らされ、半球状に広がった光のなかで栞は、穏やかな表情を祐一に向けた。

「噴水、こんな時間でもちゃんと動いているんですね」

「止めたら凍るからな」

「あ……それでなんですね」

 納得したように、何度も首を縦に振る栞。

「噴水は見ていると、余計に寒くなるから嫌なんだけどな……」

 どこかに栓が無いか探す祐一を、栞は優しく止める。

「こんなに綺麗なんですから、見ていたいじゃないですか」

 出来る事ならずっと、と呟く栞を、祐一は優しく見守っていた。

 いつの間にか上空の風が穏やかなものに変わり、顔を出した月が優しく辺りを照らし出す。肌をそよぐ風が栞の短い髪を揺らしている間に、ゆっくりと水の音が小さくなっていった。

 中央の大きな水柱が消え、まわりを取り巻く小さな噴水から新たな水の柱が、いくつもの光を(まと)って水面を揺らす。

「祐一さん」

 不意に栞は、逆光の中にいる祐一のシルエットに向かって呼びかけた。

 そこで栞は一度言葉を止め、自分の中にある葛藤(かっとう)を押し込めるように口を開こうとする。

「栞。立ち話もなんだから、そっちにいってもいいか?」

「はい」

 二人は噴水に向かって歩くと、そのまま並んで腰を下ろす。丁度そのとき、止まっていた噴水が勢いよく水を噴き上げはじめた。

「すみません、祐一さん」

 水の音が静寂を打ち破るなか、栞は意を決したように口を開く。

「私、祐一さんの事、好きです。多分、他の誰よりも祐一さんの事好きです」

 祐一の目をしっかり見たまま、栞は言葉をつむぎだしていく。

「迷惑だってわかってても、私は祐一さんの事が好きなんです」

「……栞」

「はい……?」

「ドラマだと、これはどんなシーンなんだ?」

「え……? そう……ですね……」

 栞は唇の先に人差し指を当て、う〜んと考え込む。

「ありがち……ですけど……。キスシーンです」

「お約束過ぎるな……」

「でも、私はそんなお約束が嫌いではないです。だって、お話のなかでくらい、ハッピーエンドが見たいじゃないですか」

 辛いのは、現実だけでいい。幸せな結末を夢見て、それで物語は生まれた。そう栞は思っている。

「栞」

「はい」

「俺は、ドラマはあまり見ないけど……。でも、今ここで、そんなありがちな場面を見てみたい」

「どうして……ですか……?」

「やっぱり、俺は栞の事が好きみたいだから。ずっと一緒にいたいって思ってる人だからかな」

 これから何日たっても、何ヶ月、何年たっても一緒にいたいから。栞のすぐそばに立っている人が俺でありたい。そう祐一は語った。

「ほんとに、ドラマみたいですね……」

 この人は、本当に好きだと言える人。

 栞がゆっくりと瞳を閉じたとき、噴水が止まる。あたりに静寂が満ち、街灯の灯りだけが二人を照らし出す。緩やかな水面に、ゆっくりと顔を寄せる二人の姿が浮かび上がる。

 そして、唇と唇が触れ合おうとした刹那。

 邪悪な敵意に満ちた小宇宙(コスモ)に栞のストールが反応し、その攻撃を受け止めた。

「なにするんですか? 祐一さんっ!」

 だが、祐一から発せられている小宇宙(コスモ)は邪悪そのもの。普段の祐一が見せる雄大な小宇宙(コスモ)とはまったく別物だ。

「正体を現しなさいっ! 海闘士(マリーナ)っ!」

「お〜っと」

 栞のストールをかわし、先程まで祐一の姿をしていたのが、立派な鱗衣(スケイル)(まと)った見知らぬ男の姿に変わる。

「アンドロメダのストールには鉄壁の防御本能があると聞いてはいたが、そのストールのおかげで生命拾いしたな、小娘が」

「なんですって?」

「い〜や、キグナスやペガサスのように、苦しまずに死ねたほうがよかったか? まあ、どっちにしてもこのオレ様の真の姿を見た以上、死は免れんがな」

 知的な容貌とは相反する、下品な笑い声があたりに響く。

「あなたは?」

「南氷洋の柱を守る海将軍(ジェネラル)、リュムナデスの高槻」

 リュムナデスとはギリシア神話に登場する魔物で、アリ地獄のように人を自分のテリトリーに誘い込み、その人の心の中にあるもっとも大切な人の声を真似たり、姿形まで同化して安心させ、水中に引きずり込んで殺すという水の魔物だ。

 まさか名雪やあゆも、自分が大切に思っている人間、祐一に止めを刺されるなんて、思っても見なかっただろう。

「許せません……」

 いくら闘いが非情なものであるとはいえ、リュムナデスの卑劣なやりかたは許すわけにはいかない。

「絶対に、あなたを倒して見せますっ!」

「はっ! 笑わせるな」

 栞の決意を、一蹴する高槻。

「お前もあの二人と同じ運命になるのさ。あのキグナスやペガサスと同じようにな」

 殺してしまうと後のお楽しみがなくなってしまうので、流石に生命までは奪っていないものの、もはや死んだも同然だ。

 信じられない、という顔で倒れた二人の表情は、高槻に歓喜をもたらすのに充分だった。

「だまりなさいっ!」

 栞のストールが、高槻に襲いかかる。

「私は知っています。名雪さんが、どんな想いで祐一さんを見ていたのか。あゆさんが、どれほど強い想いで祐一さんを慕っていたかを……」

 そんな彼女達の一途な想いを、高槻はその汚い爪で無残にも引き裂いた。

「私は……」

 栞の全身に、怒りの乙女小宇宙(おとめコスモ)が満ちる。

「私は絶対に、あなたを許しませんっ!」

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