第六話 悪夢、非情なるリュムナデス

 

 南氷洋の柱の下で、栞は高槻と対峙していた。

「いけぇっ! サンダーストール!」

「お〜っと」

 高槻は栞のストールをかわしていく。

「無駄です。私のストールから、逃げ切るなんて出来ませんよ」

 だが、栞の見ている前で、高槻は忽然(こつぜん)と姿を消す。

「消えました……」

 あたりには高槻の気配は無い。そんななか、栞のストールは、(わず)かに反応を示した。

「そこっ!」

 栞のネビュラストールは、たとえ敵が何万光年離れたところにいても、必ず見つけ出す。

「ストールキャプチュアー!」

「ぐはぁっ」

「巨大グマさえも身動きが取れなくなるストールキャプチュアーです。これでもうあなたも最後ですね」

「くくく……はーっはっはっは!」

 聞きしに勝る栞のストールの威力に、高槻の口から笑い声が飛び出す。

「無駄な事を……」

 栞のストールに捕縛されているというのに、高槻の表情はまだまだ余裕だ。

「所詮お前は、このオレ様に止めを刺すなんて事は出来ないからなぁ……」

「出来ます。あなたに対してなら」

「い〜や、お前はあの二人以上に非情になりきる事なんて出来ない性格だ……」

 高槻の姿が変わっていく。それは、栞のもっともよく知る人物だった。

「ましてや、この姉を殺せるのかしら?」

「あ……お姉ちゃん……」

 その人物は栞の姉、美坂香里だった。

「さあ、栞。早くこのストールをはずしなさい」

 あれは高槻だ。リュムナデスの高槻なんだ。絶対にお姉ちゃんなんかじゃない。

「ほら、栞。約束したじゃない、一緒に雪合戦しようって……」

 必死になって栞は幻影を振り払おうとするが、栞の決意を打ち砕こうとするかのように香里の声が響く。

「くぅ……」

「どうしたの? 栞。お姉ちゃんがわからないの?」

「なにがお姉ちゃんですかっ! 今こそあゆさんと名雪さんの無念を晴らして見せますっ!」

 香里に向かってネビュラストールを解き放つ栞。

「やめてぇっ! 栞ーっ!」

「だまってぇっ!」

 そして、栞のストールが、香里の心臓に突き刺さろうとした刹那。

「止まってっ! ストール!」

 栞の瞳から涙が溢れ出し、必死の思いでストールを止めた手から血が流れ出す。

「……出来ない……」

 栞ががっくりとひざを落とすと同時に、香里を捕縛していたストールがはらりと落ちる。

「いくら敵だとわかっていても……お姉ちゃんの姿をした人に止めを刺すなんて出来ません」

「それでいいのよ、栞……」

 ゆっくりと香里の姿をした高槻が栞に近づいた。

「お礼に、苦しまずに殺してやろう」

「えう?」

「エルポド!」

 栞の身体を、(すさ)まじい衝撃が貫いていく。だが、それは苦痛というよりも快楽。

「あ……祐一さん……」

 大地に激しく叩きつけられながらも、栞の表情は陶酔に満ちていた。

「これで三人。残るドラゴンとやらも、あの女と闘っては無傷では済むまい。これでポセイドン神殿に乗り込んできた青銅聖闘士(ブロンズセイント)は全員片付いたというわけだな」

 こんな惰弱な連中が祐一(アテナ)聖闘士(セイント)とは笑わせる。こんなやつらがポセイドン神殿を覆そうなどとは片腹痛い。所詮青銅(ブロンズ)の実力で乗り込んできたのが不運。

 だが、勝利を確信し、高笑いする高槻を、圧倒的なまでに強大な小宇宙(コスモ)が包み込んだ。

「げふう〜っ!」

 突如として巻き起こった(すさ)まじいまでの拳圧に、高槻の身体は容赦なく弾き飛ばされる。

「誰だ? 出てこいっ、卑怯者めっ!」

「人の心につけこんで、汚い勝利を収める三下ごときに卑怯者呼ばわりされるなんてね……」

 (すさ)まじく攻撃的な小宇宙(コスモ)が、徐々に人の形をとっていく。

「あなたごときに名乗るほど安っぽい名前は無いけれど、倒された相手の名前も知らないって言うのも不憫(ふびん)よね……」

「な……お前は……」

「フェニックス香里。よくもあたしの親友と妹を……」

 そこに現れたのは、フェニックスの香里であった。

「フェニックスだと? アンドロメダの姉か……」

 しかし、誰が出て来ても同じ事だ。高槻に相手の心の弱点を探るミンメスがある限り。

 ギャルゲーのヒロインである以上、主人公とのイベントは避けられないからだ。

(どぉ〜れ……)

 香里の弱点を探す高槻であるが、不思議な事にまるでミンメスに反応が無い。

(どういう事だ? これは……)

「所詮サブキャラにすぎないあたしに、相沢くんとのイベントがあるわけ無いでしょ?」

 確かに、香里がヒロインで無い以上、そうしたイベントがあるはずがない。まるで血を吐くような香里の告白に、戦慄(せんりつ)するのは高槻のほうだった。

「今度はあたしの番ね……」

 香里の拳が、高槻の眉間を貫く。

「ひゃぁっはっは〜、なんだ? その拳は。痛くも痒くもないぞ」

「そう?」

「そうさ。人を殺す拳とはこういうのを言うんだ」

 身構える高槻であるが、その目の前に立っているのは、ほかならぬ自分自身だった。

「な……オレ様だと……?」

「どうした? 早くお前の拳を見せてくれ」

「出来ねぇ……他人ならいくらでもいたぶって殺せるが、この世にたった一つしかない自分の生命を絶つなんて出来るわけねぇだろうがっ! この人でなしめ」

 ふと、気がつくと幻影は消えていた。

「い……今のは……」

「かおりん幻魔拳、ただの小手調べよ」

 軽く笑う香里の小宇宙(コスモ)が高まる。

「これからが本番よ。あたしの大事な親友や、妹達に仕掛けてくれた苦痛を、百倍にして返してあげるわ」

 香里の鉄拳が唸る。

「まずはあゆちゃんの分っ!」

「うげぇっ!」

「これは、名雪を傷つけた分っ!」

「ぶぐおっ!」

 香里の剛拳が、次々に高槻の身体に突き刺さる。

「そして、あたしの最愛の妹。栞を傷つけた罪が一番重いわ……」

「くっ、むざむざとやられるものか。お前があの世に行け。エルポド!」

 だが、その拳を香里は片手で封じ込めてしまう。

「な……なにぃ……オレ様の拳を片手で……」

「残念だったわね。聖闘士(セイント)に一度見た技は通じないのよ」

 そのとき、香里の乙女小宇宙(おとめコスモ)が最大限に高まった。

「かおりん天翔っ!」

 香里の生み出した不死鳥により、高槻は弾き飛ばされ、激しく大地に叩きつけられた。

「栞っ!」

 駆け寄り、妹の身体を助け起こす姉。

「あゆちゃんっ! 名雪っ! 大丈夫?」

 まだ生きてはいるようだが、二人は香里の呼びかけにもまるで反応が無い。

「うう……祐一さん。こんな格好、恥ずかしいです」

 最愛の妹はエルポドの影響のせいか、とても幸せな夢を見ているようだった。

「そいつらの心配より、自分の心配をしたらどうだ? フェニックス……」

 気がつくと、高槻が立ち上がっていた。

「……どうしても止めが刺されたいみたいね……」

「止めを刺されるのは、どっちだ?」

 高槻の姿が変わる。それは香里の妹、栞の姿だった。

 それにあわせるように辺りの風景も変わる。そこはクリスマスツリーが飾られた、美坂家のリビング。

「お姉ちゃん」

 気がつくと、いつの間にか香里は聖衣(クロス)(まと)っておらず、普段の格好だった。

「本当の事教えて……」

「栞……」

 真剣な様子で見上げる栞の瞳に、香里は心の奥底まで見透かされているような気がした。

「私……後どれぐらい生きられるんですか?」

「それは……」

 次の誕生日まで生きられるかどうか。始業式の日に栞が倒れたときに、医者はそう言った。

 香里は栞の病気が治ったんだって思っていた。だから、一緒に学校に行く事が出来たんだと思っていた。

 でも、待っていたのは辛い現実。

 高校への入学も、一緒の制服も、全部気休めに過ぎなかったという事実だけ。

「いい? 栞。よく聞くのよ……」

「はい」

「あなたが死ぬのは……」

 

「今よ」

「ば……かな……」

 香里の拳は、深々と高槻の胸を貫いていた。

「最愛の妹に止めを刺すなんて……」

生憎(あいにく)、あたしに妹なんていないわ。それに本物がそこに倒れているのに、それに化けてどうするのよ」

 たとえそうであっても、最愛の人間に躊躇(ちゅうちょ)無く手を下せるのが、高槻には信じられない。

 確かに高槻のミンメスは、相手の心の底にある人物の外見ばかりか、内面、シチュエーションまでも完璧に再現できる。

 基本的にお人よしのあゆや名雪が、あっさり引っかかってしまうのもうなずけるというものだ。

 それにそうだとわかっても、最愛の人間の前では誰でも無防備になってしまう。そこに高槻のつけこむ隙があるのだ。

 すでに力尽き、無様に大地に転がっているだけの状態で、高槻は必死に香里の弱点を探っていた。

 それは執念。

 いくら香里が最強だといっても、やはり普通の女の子。なにか一つくらい弱点があるはずだ。なんとかその弱点を探し出し、死ぬ前に一矢報いねば死んでも死に切れない。

 プライドの高い高槻が、恥も外聞もかなぐり捨てて香里の弱点を探っていると、脳裏に一人の少年の姿が浮かび上がる。

(こいつは……)

 あまりにも香里の心の奥底にしまいこまれていたために気がつかなかったが、これなら流石の香里といえどもいちころのはずだ。

 

 そこはすべてが一面の闇に包まれていた。冷たい風が吹き抜けていくだけの静寂の中で、ただ一人香里は街灯の灯りの下で(たたず)んでいた。

 ここは学校の前。昼間は多くの生徒達でにぎわうところではあるが、夜になると途端に寂しくて冷たい場所に変わる。

 揺れる木々のざわめきが、耳に遠く響く。

 やがて近づいてくる足音に、香里は視線だけ向けた。冷たい真夜中の風に揺れる髪を押さえる事もせず、無表情で祐一の顔を見据える。

「ちゃんと来てやったぞ」

「遅いわ……」

「なんの説明もなしに呼び出しておいて、いきなりそれかっ!」

 白い息を吐き出して祐一は叫ぶ。名雪の家に電話をして、祐一を呼び出したのは香里。でも、まさか本当に来てくれるとは、思っても見なかったというのが本音だ。

 香里が街灯の下に(たたず)んだまま動く気配を見せなかったので、祐一のほうから近づいていく。香里の立つ光の輪の中に、祐一も足を踏み入れた。

「丁度、二週間ね……」

「なにが?」

「あたしと相沢くんが出会ってから」

 香里がなにを言いたいのかわからないが、とりあえず祐一は黙って聞く事にした。

「あっという間だったわね……」

「そうだな……」

 香里は痛みに耐えるような表情で、微動だにせず口を開く。

「きっと一週間はもっと短いでしょうね……」

 祐一がこの街に戻ってきて、名雪と再会して、学校に通うようになって、香里とはじめて顔を合わせて、栞と出会ってから二週間。本当に色々な事があったな、と祐一は思う。

 そして、これからも色々あるであろう事も。

「それで、話ってなんだ? 栞の事か?」

「妹の事……。あたしのたった一人の妹の事よ」

 今までかたくななまでに妹の存在を拒絶し続けていた香里の口から、妹の事が語られようとしていた。

 その言葉の重さと意味に、祐一は黙って先を促す。

「あの子、生まれつき身体が弱いのよ……」

「それは知ってる。だから今まで学校に来れなかったんだろ?」

「あの子、楽しみにしてたのよ。あたしと同じ制服を着て、あたしと一緒に学校に通って、あたしと一緒にお昼ご飯を食べる……。そんな本当に些細な事を、あの子はずっと切望していたの……」

 深い悲しみをたたえた表情で、香里は呟くように言う。

「あと一週間……。次の誕生日まで生きられないだろうといわれた、あの子の誕生日」

 感情の起伏を抑えるように、香里は淡々と言葉をつむぐ。

「どういう事だ?」

「言葉どおりよ」

 祐一の言葉を待っていたかのように、香里は呟く。

「あの子は医者に、次の誕生日までは生きられないだろう、って言われてるのよ」

「…………………………」

「でも、最近は体調も少しだけ持ち直していた。だから、次の誕生日は越えられるかもしれない……」

 (わず)かな沈黙の後、香里は言葉を続ける。

「でも、それだけ。なにも変わらないのよ、あの子が消えてなくなるという事実は」

「……それを栞は知ってるのか?」

「知ってるわ」

「いつから」

「もう、ずっと前……。去年のクリスマスの日にあたしが教えたのよ」

 それは祐一が栞に出会ったころよりずっと前。栞はそれを知りつつ、祐一に笑顔を向けていたのだ。

「どうして教えたんだ?」

「あの子が聞いてきたから」

 街灯の青白い光が、香里の姿を闇に浮かび上がらせている。

「どうして栞を拒絶したんだ?」

「あたし……」

 いつも気丈に振舞(ふるま)っていた香里の姿は、そこには無かった。あるのは、今にも崩れてしまいそうなか弱い女の子の姿だった。

 不意に感情が溢れ出してきたのか、その瞳に大粒の涙を湛えて香里は祐一の胸にすがりついた。

「あたし、あの子の事見ないようにしてた……。日に日に弱っていくあの子の姿を、これ以上見ていたくなかった。いなくなるって……あたしの前からいなくなるって、わかっているから……」

 祐一の服を(つか)んだ香里の両手が震えている。

「普通に接する事なんて出来なかった……。だから、あの子の事避けて……。妹なんか、最初からいなかったらって……。こんなに辛いのなら、最初から……最初からいなかったら、こんな辛い思いをする事も無かったのに……」

 香里の嗚咽(おえつ)が、夜の校舎に響いていた。流れる涙をぬぐおうともせず、ただじっと泣き崩れる。

 妹の前では、決して見せなかったであろう姉の涙。

「相沢くん……」

 涙に濡れた瞳で、香里がじっと祐一を見上げる。

「あの子、なんのために生まれてきたの……?」

 その質問に、祐一は答える事が出来ない。夜風にさらされながら、香里の身体を優しく抱きしめてあげる事しか出来なかった。

 

「くそぅ……」

 大地に倒れ伏したまま、高槻は(うめ)く。もう少し早くこのイベントに気がついていれば、間違いなく香里を倒せたというのに。

 力尽きた高槻を一瞥(いちべつ)しつつ、香里は内心ではこの男の恐ろしさを認めていた。後一歩遅ければ、高槻の想像通りに香里は倒されていただろうからだ。

(でも……)

 ふと、香里は思う。

(もしも、あそこで選択肢が出たなら、今頃は……)

「香里〜」

 そこへ、てんびん座の聖衣(クロス)を持った真琴が駆けつけてきた。

「香里も来てくれたんだ」

「時間がないわ、真琴ちゃん。あたしにてんびん座の食器を……」

 香里の手に、てんびん座のフォークが渡される。

「ありがたく使わせていただきます、佐祐理さん」

 フォークを一閃すると、南氷洋の柱が粉々に砕け散る。これで四本目の柱も撃破となった。

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