第八話 真相、黒幕の正体
あゆ達が海底のポセイドン神殿で海闘士達と過酷な闘いを繰り広げていたころ、地上の聖域においては黄金聖闘士達が集結していた。
「美汐、佐祐理さんは私達黄金聖闘士を聖域に集結させて、ここを動くなとはどういう事でしょうか?」
「茜さん」
白羊宮を守るおひつじ座の黄金聖闘士、天野美汐が振り向くと、そこには愛用のピンク色の傘を差した、しし座の黄金聖闘士、里村茜が降りしきる雨の中で佇んでいた。
「数時間ほど前から、祐一の小宇宙はまったく感じられなくなっています。それに、あゆ達の小宇宙もほとんどが感じられません」
あまり表情に変化は感じられないが、茜の内心の焦りを、美汐は痛いほど感じ取っていた。
「このままでは祐一もあゆ達も、みんな死んでしまいます。それでも佐祐理さんはここを動くなと言うのですか?」
「郁未さんが教皇の座を退いてしまった以上、佐祐理さんは聖闘士の最高指導者です。その命にそむくわけにはいかないでしょう」
「そんな……」
はっと息を飲む茜。
「それは、見殺しにするという事……?」
「そうかもしれません……」
美汐の頬を涙が伝う。考えてみれば、この闘いが始まったときから、あゆ達には死んでもらうつもりだったのかもしれない。
「ちょっと、それってどういう事よ」
そこへ三人の黄金聖闘士、おうし座の石橋先生とおとめ座の川名みさき。そして、さそり座の広瀬真希が現れた。
「ポセイドン神殿はこの聖域の目と鼻の先、地中海にあるって聞いたわよ。あたし達黄金聖闘士が全員とまではいかなくても、あたしと里村さんの二人だけでもなんとかなったはずよ」
一気に早口でまくし立て、真希は内心の不満を露わにする。
「そうすれば、みすみす月宮さん達を死なせずに済むって言うのに、一体倉田さんはなにを考えているのよ」
それを聞いてみさきは、なにかを思い当たる。
(まさかね……)
おそらく、これが佐祐理の真意なのだろう。だが、これはまだ言うべき時がきていないだと思うみさきであった。
「まったくもう、真琴ちゃんったら。なにを言い出すのよ……」
そのころ香里は、ポセイドン神殿を目指して走っていた。
「別にあたしは相沢くんの事なんて、なんとも思ってないんだからね。嫌いってわけでもないけど……」
口ではそういいつつも、妙に口元がにやけてしまう香里。おそらく今香里の脳内では、祐一との甘い日々が妄想されている事だろう。
その意味では香里も普通の女の子なのだ。こうなってしまうのも無理はない。
そんな時、遠くのほうでなにかが崩れる音が響いてくる。
「あれは北氷洋の方角……。やったわね、名雪」
これで残るは北と南の大西洋の柱のみ。でも、香里の狙いはあくまでもポセイドンだ。
だが、その行く手を阻むかのように、一人の海闘士が立ちはだかった。
「残念だけど、あなたをポセイドン様のところへは行かせないわ。このシードラゴンがね」
「シードラゴン? 自分の守る柱はどうしたのかしら」
「今さら北大西洋の柱を守る必要もないわ。だってこの海底神殿を無傷で動き回っているのは、もうあなた一人なんだから」
「それでわざわざ出向いてきたってわけね……」
目の前に立つシードラゴンに、香里は内心の動揺を隠せない。シードラゴンの放つ小宇宙は、かつて香里が闘った事のある女と良く似ていたからだ。
「あら、どうしたの? まるでヘビに睨まれたカエルみたいに……」
マスクの下の朱い唇を、妖しく歪めるシードラゴン。
「それなら、苦しまずに葬ってあげるわ」
高まるシードラゴンの乙女小宇宙に、香里は確かに覚えがあった。だが、その女は。
「チャブダイエクスプロージョン!」
ちゃぶ台がひっくり返る反動で、乱れ飛ぶ食材が容赦なく香里に襲いかかる。
「この技は、やはり……」
あの恐るべき女の技。
「シードラゴン……あなたは一体……」
「そんなにあたしの素顔が見たい?」
マスクをはずしたシードラゴンの、素顔を見た香里の目が驚愕に見開かれる。
「そんな……あなたはふたご座の……」
そこにいたのは、ふたご座の黄金聖闘士、天沢郁未であった。だが、郁未とは雰囲気が違う。
「残念だけど、違うわ」
「え? それじゃあ……」
「郁未は愚かにも善と悪、二つの心を持っていた。そしてあたしは郁未の悪の心。いわば、十二宮で戦ったいくみのほうよ」
「なんで、あなたがポセイドンの神殿に?」
「どうしてかしらね……」
薄く嫌な笑いを浮かべて、いくみは小宇宙を高めていく。
「これ以上は問答無用よ。そろそろ止めを刺してあげるわ……」
そう言っていくみは香里に拳を向けるが、その手は途中で止まる。
「考えてみれば、あなたはフェニックス。その名の通り、死地に陥っても蘇ってくるのよね。止めを刺しても、そのたびに蘇られちゃ面倒だわ」
すっといくみは拳を構えなおす。
「それならいっその事、別の次元にいってもらいましょうか」
「まさか……」
「違うわ……。郁未と同じ技は使わないわよ」
いくみの両手が、虚空に大きく三角形を描き出す。
「ラブラブトライアングル!」
突如として大きく口をあけた異次元への入り口に、香里はなすすべも無く吸い込まれていく。
いくみの守護する北大西洋には、魔の三角地帯と呼ばれる場所がある。ここに入り込んでしまったものは、すべてこの世から消滅するのだ。
「邪魔者はこれで片付いたわね……」
虚空の彼方へ消えた香里に、いくみはいやらしい笑みを浮かべる。気性の激しい香里が下手にポセイドンを刺激してしまうと、いくみの野望が台無しになってしまうからだ。
この地上と海界を統べる覇者としていくみが君臨するためには、手段は選ばない。
それが、いくみが果たせなかった野望なのだから。
「はっ……?」
そのころ、マーメイドのみずかと死闘を繰り広げていた斉藤は、突如として香里の小宇宙が消えたのを感じた。そればかりかあゆ達全員の小宇宙もほとんどが感じられなくなっている。
「まさか、みんな……」
まだ、北と南の大西洋の柱が残っているというのに、力尽きてしまったというのだろうか。
「あなた達なんて、あたし達の敵じゃなかったって事よ。今頃は祐一もメイン・ブレドウィナの中で息絶えてるころね」
「くそっ!」
目の前のみずかを無視し、走りはじめる斉藤。
「どこに行くつもり?」
「ポセイドン神殿だ。こうなったら奴自身になんとかさせるしかないっ!」
「行かせると思ってるの?」
だが、その前にみずかが立ちはだかる。
「女に拳を向けるのは忍びないが、悪く思うなよ。サンザンクロウ!」
「あくぅっ!」
今まで斉藤が受けてきたであろう様々な苦労が、怒涛となってみずかに襲いかかってくる。顔なし設定なしの苦労が、みずかの身にしみていく。
「浩平はもう、神そのものなのに……。その神に拳を向けようだなんて……」
大地に倒れ伏しながら、みずかは走り去る斉藤の後ろ姿を見ていた。その瞳に、神を恐れぬ者の愚かさを映しながら。
あゆ達が倒れてしまった以上、まともに動けるのは斉藤ただ一人。なんとしても祐一を救わないと、この世は闇に閉ざされてしまう。
ポセイドン神殿の内部を走る斉藤であるが、雑兵はおろか人っ子一人いない事に不気味さを感じていた。
やがて、その行く手に玉座の扉が見えてくる。いくらポセイドンといっても、元はただの人間。なんの戦闘訓練も受けていないだろうと、斉藤は高をくくっていた。
しかし、いざポセイドンとなった浩平と相対してみると、その考えが間違っている事に気がついた。
「なんだ……? この小宇宙は……」
恐ろしく雄大なポセイドンの小宇宙は、アテナである祐一のそれと比較しても遜色ないものだ。
まさしく折原浩平は、完璧なまでに海皇ポセイドンになっているのだ。
「お前は誰だ? 答えろ」
だが、あまりにも強大すぎるプレッシャーのせいか、斉藤は口を開く事もままならない。
「祐一を救いにきた聖闘士か?」
「そうだ、ポセイドン。お前の首をもらうぞっ!」
「神に逆らうとは、愚かな……」
浩平の全身から放たれる光に貫かれ、斉藤の全身から力が抜けていく。
いや、力どころか魂すら引き抜かれていくような感覚に、斉藤はなすすべも無く倒れる。
(これが……神の力か……。あゆちゃん……)
「今、神殿で一つの小宇宙が消えた。どうやらポセイドンがねずみを始末したみたいね」
これで祐一の聖闘士は全滅、海将軍も五人倒された。今のところ、ほぼいくみの思惑通りに事が運んでいる。
妖しく口元を歪めてほくそ笑むいくみを、優しく響くフルートの旋律が包み込んだ。
それは誰あろう、セイレーンの長森瑞佳であった。
「シードラゴン。北大西洋の柱を留守にして、一体どこに行ってたんだよ」
「聖闘士がポセイドン神殿に入り込もうとしてたの。それをちょっと片付けてきただけよ」
これで海底神殿に乗り込んできた聖闘士は全部片付いた。と、語るいくみを、瑞佳は疑惑の眼差しでみる。
「……ほんとうにそうかな……」
瑞佳達海闘士はポセイドンの、つまりは浩平の大いなる意思によってここに集った。
それは、もはやどうする事も出来ないくらい、汚れきってしまった地上を跡形も無く破壊して、そこに再び心清き人だけが住むユートピア、えいえんの世界を創り上げるためだ。
そのためには地上を守る聖闘士達との闘いは、避けられない事でもある。
だが、この闘いは本当に浩平の意思によって始められたものなのだろうか。
もしも、この闘いで祐一も浩平も倒れてしまうような事があれば、それは大地と大海を我が物にしようとする者にとっては一石二鳥の事。
「あなたは一体誰なの? シードラゴン」
シードラゴンは海将軍の筆頭として、はじめから浩平の代わりに覇業の指揮を取ってきた。
瑞佳達海闘士は、すべてシードラゴンの指示通りに動いてきたのだ。
「今にして思えば、みんなあなたが関っているんだよ」
浩平がポセイドンの意思に目覚めたのも。
「いくら瑞佳でも、滅多な事を言うと生命がないわよ」
二人の間に不思議な緊張が高まる。もはや一触即発となったそのとき。
「えっ!」
「なに? この小宇宙」
北と南の大西洋の柱に、恐ろしく強い小宇宙を持った者が迫っている。聖闘士はみんな力尽きたはずなのに、一体誰が。
「話は後よ、瑞佳。自分の守護する柱に戻りなさい。大西洋の柱まで砕かれたら、この海底神殿は崩壊するわ」
「ついた、ここが南大西洋の柱」
だが、あたりに人がいる気配はない。栞が不審に思っていると、綺麗なフルートの旋律が鳴り響いた。
「この……旋律は……」
栞にはこの音色に聞き覚えがあった。しかし、この旋律を奏でる相手というのは。
「……やっぱり、セイレーンの長森瑞佳さん」
そこに現れたのは、アスガルドで会った瑞佳であった。だが、彼女はあの時ドゥーベの坂上智代と一緒に天空高く消えたはず。それがどうしてここにいるのか。
「なんだかよくわからないけど、気がついたら海底神殿にいたんだよ」
どうやらオーディンとして復活した岡崎朋也の、問答無用の奇跡の恩恵が瑞佳にもあったらしい。そう考えると、奇跡というのも考え物だ。
「それはまあ、どうでもいいとして。あなたにはもう闘う力はなさそうだね。これ以上死人にも等しいあなたと闘うつもりはないよ。見逃してあげるから、引くといいよ」
「冗談じゃありません。闘いはまだ終わっていませんよ。私達の誰かが一人でも生きている限り、息の続く限り、祐一さんと地上を救うために、この闘いをやめるわけにはいかないんです」
栞の全身に決意がみなぎる。
「いきますよ、ネビュラストール!」
栞のストールが、唸りを上げて瑞佳に突き進む。だが、瑞佳がフルートを一旋しただけで、ストールは弾き返されてしまう。
「もう一度言うよ。あなたにはもう闘う力は無い。死にたくなかったら、ここから去るんだよ」
「言ったはずです。私の生命がある限り、引く事は出来ません」
「それほど死を望むなら、仕方ないね……」
静かに瑞佳はフルートを奏ではじめた。
「エターナルシンフォニー!」
これを聞いてはいけない、栞は耳を塞いで音色を聞かないようにするが、なおも旋律は鳴り響いてくる。
「無駄だよ。これはあなたの脳に直接響く。そして、最後にはあなたを殺す」
「う……えう〜っ!」
そして、栞の生命の灯火が消えようとしたそのとき、歌声が鳴り響いた。
「これは……」
メイン・ブレドウィナの方角から。不思議な歌声が聞こえてくる。
「……相沢くんの歌声……?」
あまりにひどい歌声に、思わず瑞佳は耳を塞ぐ。だが、その歌声は直接脳に鳴り響いてくるのだ。
あたかも酔っ払ったオヤジが風呂で熱唱しているかのようなひどい音程は、地上にいたころは真面目に音楽をしていた瑞佳にとって、冒涜にも等しい行為だ。
しかし、一切の格好をつけない自然な歌声は、ある意味音楽のあるべき姿の一つなのかもしれない。
だけど……。
「み……耳が腐る……」
まさしく死体すら蘇りかねない歌声には、瑞佳も栞も耳を押さえてうずくまり、ただ魔の旋律がおさまるのを耐えるしかなかった。
このとき瑞佳は、祐一の持つ大いなる小宇宙に恐怖のようなものを感じていた。
そのころ攻撃的な小宇宙を感じ、北大西洋の柱に戻ってきたいくみは、ポセイドン神殿に誰かが入り込んだのを感じた。
「聖闘士もしつこいわね……」
そうは思うのだが、いくみもここを動く事は出来ない。姿は見えないが、確かに小宇宙を感じるのだ。
「うぐぅ、キミがポセイドン?」
神殿に足を踏み入れたあゆは、玉座に座る少年を見て、呻くような声を出す。
「あっ、斉藤くん?」
そのときあゆは、足元に横たわる斉藤の姿を見つけた。あゆは斉藤に呼ばれたような小宇宙を感じてきたのだが、どうやらその不安は的中してしまったようだ。
そのとき、深く響く振動音と共に、玉座の後ろの壁が上がっていく。その向こうに見えるのは、白亜に輝く巨大な柱だった。
「あれは……」
「そうだ、あのメイン・ブレドウィナの中に祐一はいる」
圧倒的なまでの威圧感を放ちつつ、浩平はゆっくりと口を開く。
「どうやら遅かったようだな。さっきまではあそこから歌声が聞こえていたんだがな」
「冗談じゃないよ。こんなところで祐一くんが死ぬはずが無いよ、絶対にボク達が救い出してみせる」
あゆの小宇宙が高まる。
「やめろ、おれは神なんだぞ」
「なにが神様だよ。くらえっ! タイヤキ流星拳!」
あゆの放ったたい焼きは浩平の一睨みで全て弾き返され、容赦なくあゆに襲いかかる。
「うぐぅぅっ〜!」
「言ったはずだぞ。おれは神だと」
天に唾すれば自分自身にはねかえってくるように、神に拳を向ければことごとく自分にかえってくるのだ。
「もう終わったんだ、あきらめろ。そうすれば、お前達もこのえいえんの世界で生き延びさせてやってもいいんだぞ」
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