第十話 覚醒、海皇ポセイドン

 

「みんな、見てっ!」

 真希の声に美汐達が空を見ると、宝瓶宮から流星が飛び立っていくところだった。

 あれはみずがめ座の秋子の意志。娘の危機を救うため、一筋の光りが地中海に向けて飛んでいった。

 

「さあ、射よっ!」

 (すさ)まじいまでの威圧感を秘めた小宇宙(コスモ)が神殿内に満ちる。まさしく神そのものともいえる浩平は、まるで動じた様子もなく、弓を構えるあゆを見る。

 この矢を放てば、さっきのタイヤキ流星拳と同じ様にはねかえってくるかもしれない。そんな恐怖があゆの心をよぎる。

 でも、ここであきらめてしまえば祐一は救えない。

「よしっ! いくよ、ポセイドン」

 ここが勝負のときだ。あゆは渾身(こんしん)の力を込めて矢を放つ。

 だが、その黄金の矢は浩平に命中する寸前にはねかえされ、あゆの胸を貫いた。

「うぐぅ……」

 やはりこれが神の力。いかなる事をもってしても神には通用しないのか……。

(ここまで来て、ボクは祐一くんを救えないの……?)

 絶望に包まれたあゆはがっくりと大地に倒れた。

 もう祐一の小宇宙(コスモ)も感じない。聖闘士(セイント)達も倒れた。勝利を確信する浩平であったが、再びあゆは立ち上がった。

「そうか、その黄金聖衣(ゴールドクロス)のおかげで心臓が串刺しにならなかったのか」

(わず)か数ミリの差だったけどね……」

 実際には数センチ。

 基本的に聖衣(クロス)は装着者の体型にフィットするように作られており、ある程度は聖衣(クロス)自体の意思によって冗長性を持つものとなっているが、やはり借り物の聖衣(クロス)ではその差は大きくなってしまう。

 極端な言い方をすれば、前装着者である祐一の母親と、現装着者であるあゆとの体格の差。

 つまり、あゆと聖衣(クロス)の隙間で矢が止まったため、なんとか一命を取り留める事が出来たのだ。

「これ以上立ち上がって、なにをするつもりだ?」

 あゆは胸から矢を引き抜くと、再び弓を構える。

「同じ過ちを繰り返すとは、愚かだな……」

 今度矢をはねかえされたら、聖衣(クロス)の破れ目から確実にあゆの心臓に突き刺さるだろう。

「それはどうかな? 二度も同じ事が起きるとは限らないよ」

 今度こそは。そういう気合を込めてあゆは矢を放つ。

 だが、また矢はあゆにはねかえってくる。今度こそ確実にあゆの心臓が射抜かれる。誰もがそう思った、まさにそのとき。

「あゆちゃんっ!」

「さ……斉藤くん……」

 斉藤が身を挺して、あゆをかばった。

「か弱い女の子のあゆちゃん達ががんばってるってのに、男の俺がだらしなくはいつくばってるわけにいかないからな……」

「どうして……」

 ゲームだと顔なし設定なし、おまけに名雪との会話で出てくる程度。だけどこの話ではこうして活躍の場が与えられている。脇役冥利に尽きるというものだ。

「いいかい、あゆちゃん……。君はまだ死んじゃいけない。君は、この地上に残った最後の希望なんだから……」

 斉藤は傷口が広がるのも(いと)わずに、自分の胸に突き刺さった黄金の矢を抜いてあゆに渡す。

「この矢が戻ってきたら、俺が盾になってあゆちゃんを守ってやる。だからあゆちゃんは、何度でも矢を射るんだ」

 あのポセイドンを引かせるにはそれしかない、強い決意を秘めて斉藤はそう言った。

「斉藤くんの……言うとおりだよ……」

「名雪さん?」

 聖衣(クロス)を打ち砕かれ、もはや立つのもやっとの状態になりながらも、あゆの盾となるべく名雪は立つ。そのとなりでは舞も立ち上がっていた。

「わたし達も、あゆちゃんの盾になるよ。だから、あゆちゃんは迷わないで、何度でも矢を射って……」

「そうです、あゆさん」

 駆けつけてきた栞が、名雪達と同じようにあゆの前に立つ。

「さあ、あゆさん。もう一度」

「ためらわないで、あゆちゃん」

 静かにうなずく舞。

 今まで矢がはねかえってきたのは、ポセイドンを射抜こうという小宇宙(コスモ)がたりなかったせいだ。今度の矢にはこの場に集った全員の小宇宙(コスモ)をこめる。

「さあ、あゆちゃん」

 名雪の声に促され、あゆは不退転の決意を込めて弓を引き絞る。

 だが、もしもこの矢がはねかえってくるのであれば、この中にいる誰かが確実に死ぬ。あゆ一人ならまだしも、これ以上弱りきったみんなを傷つけるわけにはいかない。

 だからあゆは、最大限の願いを矢に込める。

「いって、黄金の矢っ! 今度こそポセイドンにっ!」

 これが最後の一矢。

 先程と同じように、矢をはねかえそうとする浩平であったが、この矢は今までの矢とは違っていた。

「これは……」

 矢を取り巻くような無数の乙女小宇宙(おとめコスモ)を感じる。たい焼き、イチゴ、牛丼、バニラアイス、少女達の熱き想いが矢を取り巻いているのだ。

「ばかなっ、矢が意のままにならんとは……」

 あゆの放った矢は、ついに浩平のマスクを弾き飛ばした。

 浩平の眉間から、一筋の血が流れる。いくらポセイドンとはいっても、その身体は普通の人間。傷を受ければ痛みもするし、血も流れるのだ。

 不思議な事に、先程まで強烈に行く手を阻んでいた浩平の小宇宙(コスモ)が感じられなくなっている。それはまるで、神が普通の人間に戻ったかのようだ。

「今のうちだよ、あゆちゃん」

 名雪の声にうなずくと、あゆ達は一斉に浩平の脇を駆け抜け、一気にメイン・ブレドウィナを目指した。

 

「ああああああっ!」

 香里の幻魔拳から解放されたいくみは、絶叫と共に大地に崩れ落ちた。

「今のは、夢……」

「これですべてがはっきりしたわね」

 いくみは神を欺き、自ら神になろうとした。だが、そんな野望がかなうはずもない。いくみは十二宮に引き続いてここでも神になりそこなったのだ。

 もっとも、これは祐一を手に入れる。ただそれだけの事だったのだが。

 まさか聖闘士(セイント)のなかでも最下級の青銅聖闘士(ブロンズセイント)が、(わず)か数人でアスガルドの神闘士(ゴッドウォーリア)を倒したばかりか、この海界にまで乗り込んできて、ここまで攻め落とすとはいくみにも誤算だった。

「でも……」

 いくみは口元に妖しい微笑を浮かべて立ち上がった。

「あなたも甘いわね、フェニックス。さっきの幻魔拳、あたしの神経を傷つけない程度に止めておいたというけれど、渾身(こんしん)の力で打ち砕いておけばよかったのに」

 いうなれば香里は、いくみを倒すチャンスを逃してしまったのだ。

「あなた達のような小娘に、あたしの野望を止められてたまるものですか。今からあたしの全力を持ってあなたを倒すわ。フェニックス」

 二人の間で、乙女小宇宙(おとめコスモ)が高まった。

 

(どこだ? ここは……)

 あゆの一撃を受けた後、浩平はしばらく放心していた。そして、思う。自分はなぜこんなところにいるのだろうか。

(そうだ……。確か……)

 悲しい事があったんだ。

 楽しい日々がずっと続くと思っていたのに。

 えいえんなんて、なかったんだ。

 

 父は死に、妹を失い、母が消えた。

 泣きながらそう訴える少年に向かい、少女は言った。

「えいえんは、あるよ……」

 少女は少年の頬を、小さなてのひらで包み込むように挟み、一瞬だけ唇を触れさせた。

 それは、えいえんの盟約。

 

(おれは誰だ?)

 盟約のためにすべては動きはじめる。

 すべてはこのときのために。

 少年はそれを知っていた。

 だが、それがどういう意味を持つのか、少年は知らなかった。

 

 少年は消えていく。

 この地上から、人々の記憶から。

 そして、マーメイドのみずかにつれられ。

 このえいえんの世界に来て、鱗衣(スケイル)を身に着けた。

 

(そうだ、おれは……)

 浩平が傍らにあった三叉の矛を手に取ると、身体の内側から(すさ)まじいまでの小宇宙(コスモ)が沸きあがってきた。

「おれは、海皇ポセイドンだ……」

 

 突如としてポセイドン神殿より立ち上ったスケールのでかい小宇宙(コスモ)に、香里といくみは闘いの手を止めてしまう。

「なに? これ……」

「ついに、やってしまったのね……」

 いくみは唇をかみ締めた。

「完全にポセイドンが目覚めてしまったわ……。これでもう完全に地上は滅びてしまうわ。もう誰も止められない……」

「それは、あなたの野望の終結を意味するのかな? シードラゴン。いえ、ふたご座のいくみさん」

 そこにセイレーンの瑞佳が真琴と一緒に姿を現した。

「すべては聞かせてもらったよ」

 瑞佳が促すと、真琴は香里にてんびん座のお皿を渡す。

「なにをするつもり? 瑞佳……」

「もちろん、あの北大西洋の柱を壊してもらうんだよ」

「なんですって? あの柱がなくなってしまえば、メイン・ブレドウィナは裸も同然なのよ? あなたは敵に手を貸して、この海底神殿を崩壊させるつもりなの?」

「これは浩平の意思じゃなくて、あなたの野望からはじめられたもの。だから、この海底神殿も、一度滅んだほうがいいんだよ」

 えいえんなんていらなかったんだよ。今、瑞佳はそれに気がついた。幼かったあのころ、泣いていた少年を慰めるための言葉が、今頃になってこういう意味を持つとは、瑞佳自身も気がつかなかった事だ。

「よく言ったわ、セイレーン」

 香里がお皿を投げると、大音響と共に柱が崩れ落ちる。

「真琴ちゃん、早くてんびん座の聖衣(クロス)をあゆちゃん達に届けてあげて」

「うん、わかった」

「あたしはまだいくみに聞く事があるわ。ポセイドンを封じる、ただ一つの方法をね」

 

 そのとき、メイン・ブレドウィナを目指して走るあゆ達は、北大西洋の方角から響く地鳴りを感じていた。

 どうやら香里がやってくれたらしい。

「もうすぐ、もうすぐだよ。祐一くん」

 あゆの顔が歓喜に彩られた、まさにそのときであった。

 背後にすべてを覆いつくすような、巨大な小宇宙(コスモ)を感じた次の瞬間。

「うぐぅぅっ!」

 あゆ達は突然の稲妻に身体を貫かれた。

「ポセイドン?」

 先程までとはまるで別人。何百倍にも(ふく)れ上がったかのようなポセイドンの小宇宙(コスモ)に、あゆは戦慄(せんりつ)した。

黄金聖衣(ゴールドクロス)のおかげで、ボクだけは大丈夫みたい……」

 かなり消耗していたであろう、栞と斉藤は昏倒してしまっている。

「こんなところで、くじけてなんていられないよ……」

 あゆは両足に力を込め、必死に立ち上がると、メイン・ブレドウィナを目指す。

 浩平は三叉の矛を構えると、容赦なく雷光を解き放つ。それがあゆに命中する寸前。

「くぅっ!」

「名雪さんっ!」

 名雪がその身体を盾として、あゆを守る。

「言ったはずだよ、あゆちゃん。わたし達は、あゆちゃんの盾になってあげるって。あゆちゃんはわたし達にかまわないで、祐一を助けて……」

「名雪さん……」

 再び、浩平の攻撃があゆ達を襲う。

「祐一の事はお願いね、あゆちゃん」

 だが、それは突如として飛来した、みずがめ座の黄金聖衣(ゴールドクロス)によって阻まれた。

「お母さん……」

 みずがめ座の黄金聖衣(ゴールドクロス)が、名雪の身体に装着されていく。

「名雪さん」

「あゆちゃん、どうやらお母さんも加勢にきてくれたみたいだよ」

 そのとき、名雪の小宇宙(コスモ)が高まった。

「ここはわたしが防ぐよ。だからあゆちゃんは、早くメイン・ブレドウィナに」

 だが、いくら黄金聖衣(ゴールドクロス)を装着しているとはいえ、名雪自身の消耗はかなり激しいものだ。

「お母さん。それに、みずがめ座の黄金聖衣(ゴールドクロス)。わたしに力を……」

 大きなジャムの瓶を右肩の上に担ぎ、髪を三つ編みにした美女の姿が、名雪の背後に浮かび上がる。

「謎ジャムエクスキューション!」

 浩平の三叉の矛の威力と、名雪の放つジャムの威力が空中で激しくぶつかりあって拮抗する。

「くぅぅ……」

 だが、三叉の矛の威力はとどまらず、徐々にだが名雪のジャムを押し戻している。このままでは三叉の矛の威力をまともに受けてしまう。

 その威力が名雪達に迫ろうとした、まさにそのとき。

「舞さん……?」

 舞がてんびん座のお皿で、その威力を受け止めていた。

 てんびん座の黄金聖衣(ゴールドクロス)が分解し、舞の身体に装着されていく。

「よかった……間に合って……。真琴ね、必死にテレポートしたの……」

 荒く息を吐きながら、それでも真琴は満足そうな笑顔を浮かべている。

「これで……全部運び終えたよ。おまけの真琴でも、役に立ったみたいね……」

 静かに真琴は、崩れ落ちるように倒れた。

「よくやった、真琴……」

 舞はその頭を、いとおしげに撫でてあげた。

「佐祐理、この聖衣(クロス)使わせてもらう……」

 

「名雪さんに舞さん。ポセイドン相手だと一人じゃ無理だよ」

「ここは三人の力をあわせる必要があるね」

「……一本の矢なら折れるけど、三本の矢なら折れない」

 あゆ、名雪、舞、ヒロイン三人分の力をあわせれば、ポセイドンを倒せないまでも、たじろがせる事は出来るかもしれない。

 残る乙女小宇宙(おとめコスモ)を結集し、すべてを叩きつける。これが、祐一を助ける最後のチャンスなのだ。

「いくよっ! みんな。タイヤキ彗星拳っ!」

「牛丼昇龍覇っ!」

「謎ジャムエクスキューション!」

 三人の乙女小宇宙(おとめコスモ)を結集させたたい焼きが、牛丼が、そしてオレンジ色のゲルがポセイドンめがけて突き進む。

「愚かだな……」

 浩平は三叉の矛を構えて雷光を解き放つが、あゆ、名雪、舞、三人の熱く萌える乙女小宇宙(おとめコスモ)は止まらない。

「なにぃっ?」

 その威力はポセイドンを弾き飛ばし、激しく大地に叩きつけた。

「やったぁっ!」

「ポセイドンが倒れたよ」

 今がチャンスだ。

 祐一を救うべく、あゆ達三人はついにメイン・ブレドウィナの前に立った。

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