第十一話 崩壊、海底神殿
「どうしたの? 立ちなさいよ、フェニックス」
そのころ、崩壊した北大西洋の柱では、いくみと香里の激闘が続いていた。
「言ったはずよ、あなたはあたしを倒す最後のチャンスを逃してしまったってね」
ポセイドンが完全に覚醒してしまった以上、この地上は完全に滅んでしまい、ポセイドンに選ばれたもの以外は死に絶えてしまうだろう。
この大地と大海を支配するという、いくみの野望ももはやこれまで。この野望をめちゃめちゃにしてくれた香里達を、いくみは絶対に許さない。
「フェニックス、せめてあなたの生命だけでももらっておくわ」
「やっぱり、強いわね……」
対等に闘えば、やはり郁未といくみは同一人物。その実力はまさに瓜二つだ。
ぎりぎりのところでの実力が違いすぎる。大地に倒れながら、香里はそう思った。
「死になさい、フェニックス」
いくみが止めを刺そうとしたとき、静かな笛の音が響き渡る。それは、セイレーンの瑞佳の奏でるものだ。
「瑞佳。あなたまさか聖闘士に手を貸して柱を壊しただけじゃ足りず、フェニックスまで助けようっていうの?」
「フェニックスを助けるつもりはないよ。でも、わたしは浩平を欺き、海闘士達や多くの罪のない人達を苦しめたあなたを許すわけにいかないよ」
浩平が望んだえいえんの世界。本当に心から清らかな世が訪れる事を信じていた、多くの同志達を欺いた罪は万死に値する。
「待って、セイレーン」
今にも力尽きそうになりながらも、なんとか香里は立ち上がる。
「まだ……あたしが聞く事があると言ったはずよ……」
息も絶え絶えという状態ながらも、香里は必死に言葉をつなぐ。
「忘れたの? ポセイドンを封じるただ一つの方法よ」
「なにを言ってるの? 今さらポセイドンを封じる方法なんて、あるはずが……」
「アテナのつぼよ」
かつていくみが解き放ってしまった、ポセイドンの魂を封じ込めていたつぼ。
「アテナのつぼは、どこに隠してあるの?」
ポセイドンを封じるには、もう一度アテナのつぼに魂を閉じ込める以外方法はない。これだけが、唯一つ地上の災厄を止める方法でもあるのだ。
「それを聞くまでは、このあたしの生命をあげるわけにいかないわ」
「う……」
「あなたには、それを話す義務があるのよ。なぜならあなたは、相沢くんに神聖なる借りがあるのだから」
「なんの話よ?」
「とぼけないで! それはあなた自身がよく知ってるでしょう。相沢くんがここにきてから感じた大いなる小宇宙。その小宇宙に覚えがないとは言わせないわよ」
「うう……」
確かにいくみをここへ飛ばし、実体化させた小宇宙。それに憶えはある。
「そんなに知りたいのなら、教えてあげるわ……」
いくみは不敵な笑みを浮かべながら、ある方角を指差した。
「この海底神殿において、もっとも強固な場所。メイン・ブレドウィナの中よ」
ポセイドンの魂を、再び封じ込める事の出来るアテナのつぼ。そんな危険な代物をそのへんに置いておく事など出来ない。メイン・ブレドウィナの中ならば、誰にも手を出す事は出来ないのだ。
それを聞いた香里は、すっと踵を返した。
「どこに行くのよ、フェニックス。逃げるつもり?」
「いくみ。あなたはもう、闘うにも値しないわ」
その後を追おうとしたいくみの前に、すっと瑞佳が立ちふさがった。
「わたしも、信じたくはなかったよ……」
どこか遠い目をしながら、瑞佳は静かに口を開いた。
「この海界にきてからの相沢くんの小宇宙。彼の持つ大いなる愛を認めてしまえば、わたし達がやろうとしていた正義の名の下の地上粛清は、すべて無意味なものになってしまうからね……」
祐一はこの地上の人達を、我が身を犠牲にしてまでも守ろうとした。その大いなる愛を認めないわけにいかない。
「地上は、すべてが汚れきってしまったわけじゃなかったんだよ……。たとえ一握りでも愛というものが残されている限りはね……」
瑞佳はすっといくみに背を向けた。
「相沢くんの小宇宙を信じないって言うなら、それもいいと思うよ。でも、フェニックスの言うとおり、あなたはもう闘う事も、ましてや殺す事さえも値しないよ」
こうして見上げると、その大きさがよくわかる。
ついにここまで辿りついたんだ。あゆ達の心に、様々な想いが去来する。
だが、感動しているような余裕はない。先程から祐一の小宇宙を感じなくなっている。一刻も早く助け出さないと、祐一の生命が失われてしまうだろう。
「……よし」
舞はてんびん座のお皿を構え、メイン・ブレドウィナに叩きつけるが、お皿は粉々になって弾き返されてきた。
しかもメイン・ブレドウィナには、ヒビ一つ入っていない。
「今度はわたしが、このスプーンで……」
名雪はてんびん座のスプーンを叩きつけるが、またしてもメイン・ブレドウィナに弾き返されてしまう。
「それならお箸はどう?」
あゆがお箸を叩きつけても、やはりメイン・ブレドウィナはビクともしない。
「てんびん座の食器(武器)が、まるで役に立たないなんて……」
今までの柱は、これで破壊できたというのに。
「あきらめるのはまだ早いよ、あゆちゃん」
名雪の言葉に、舞もうなずく。
てんびん座の食器は全部で六種類。まだフォーク、ストロー、ナイフの三つが残っている。
「時間がないよ」
ナイフを構える名雪。
「ボク達三人の乙女小宇宙を、一つに合わせるよ」
ストローを構えるあゆ。
そして、フォークを構え、静かにうなずく舞。
「今度こそ砕けろっ! メイン・ブレドウィナ」
三人の乙女小宇宙を結集させた、渾身の一撃。
だが、それすらもメイン・ブレドウィナには通用しなかった。
後一歩というところまできておきながら、やはりあゆ達に祐一を救う事は出来ないのか。
「ボクは……あきらめないよ……」
てんびん座の食器がすべて破壊され、万策尽きたかというときでも、あゆは立ち上がった。
「祐一くんが死んじゃったら、この世に邪悪があふれて暗黒に包まれちゃうんだよ」
「あゆちゃん……」
「この地上と祐一くんを守るのが、ボク達聖闘士の使命だよ。二人とも、ボク達は生命に代えてもメイン・ブレドウィナから祐一くんを救い出すって誓ったはずだよ」
「……あゆ、まさか……」
「名雪さんの謎ジャムエクスキューション、舞さんの牛丼昇龍覇、この二つの技でボクをメイン・ブレドウィナに飛ばして」
そう言われても、即座に了承は出来ない。なにしろ星さえも砕くてんびん座の食器ですら通用しないのだ。生身でぶつかったら、生命がいくつあっても足りないだろう。
「聖闘士が究極まで高めた乙女小宇宙で、砕けないものなんてないよ」
この世にある物体は、すべて原子で出来ている。そして、破壊するという事の根本は、原子を砕くという事だ。あゆ達は聖闘士の修行中に、そう教えられている。
「今までだってボク達は、そうやって不可能を可能にしてきたんだよ」
あゆの決意は変わらない。
「二人とも力を貸して、ボクは必ずメイン・ブレドウィナの原子を砕いてみせるよ。そして、祐一くんを救いだすから」
「わかったよ、あゆちゃん」
もう時間がない。ここはあゆの強い想いにかけるしかない。そして、あゆが二人の力を借りて、今まさに飛び立とうとしたとき。
「うぐぅぅぅっ!」
再び浩平は立ち上がり、あゆ達に雷光を解き放つ。
浩平の小宇宙は、もはや誰にも手をつけられないくらいに高まっている。
「大丈夫? 二人とも……」
「……大丈夫」
「まだあゆちゃんを飛ばす力くらい、残ってるよ」
そして、再び浩平が雷光を解き放とうとしたとき。
「香里さん?」
駆けつけてきた香里が、浩平を背後から羽交い絞めにした。
「ここはあたしがおさえるわ、あゆちゃん達は早く……ああっ!」
浩平は容赦なく香里に雷光をあびせかける。
「ポセイドンを封じる事の出来るアテナのつぼは、メイン・ブレドウィナの中にあるのよっ! だから早く」
香里が作ってくれたこのチャンス、絶対に無駄にはしない。
「いくよっ! あゆちゃん。謎ジャムエクスキューション!」
「牛丼昇龍覇っ!」
みんなの想いを一つに受けて、今こそ飛び立て月宮あゆ。
「そうはさせんぞ、これ以上お前達の汚れた手でメイン・ブレドウィナにふれる事は許さんっ!」
香里を振りほどき、浩平は三叉の矛を振るうが、あゆの身体は不思議なオーラに包まれており、その威力が通じない。
流星となったあゆの身体は、まっすぐメイン・ブレドウィナに向かって突き進んでいる。
「まさか……」
たかが人間が、メイン・ブレドウィナを破壊してしまうというのか。
だが、神は人間に一つだけ恐ろしいものを与えてしまっている。
人間が、人間以上の力を発揮する事で、限りなく神に近い行いをなす事。
人、それを『奇跡』という。
「人間であるペガサスが奇跡を起こすというのか? 神であるこのポセイドンの前で……」
そして、光の矢はメイン・ブレドウィナに吸い込まれるように消える。
「消えた……ペガサスの身体がメイン・ブレドウィナの中に……」
その部分を中心にして放射状にヒビが入っていき、やがてそれが柱全体を包み込んだ後、ゆっくりとメイン・ブレドウィナは崩壊していく。
そして、それはこの海底神殿の崩壊滅亡を意味する事であった。
倒壊したメイン・ブレドウィナから、あゆをお姫様抱っこした祐一が現れる。
「ありがとう、あゆ。お前達のおかげで助かったよ」
「それは、ボク達も一緒だよ……」
あゆはにっこりと微笑んだ。
「ボク達だって祐一くんの小宇宙に助けられたんだから、そのおかげでボク達は何度でも立ち上がる事が出来たんだよ」
祐一はゆっくりとあゆをおろすと、浩平に向き直った。
「お前の負けだ、浩平。いやポセイドン、おとなしくもといたところに戻るんだな」
「戻れだと? いまさらどこに……」
浩平の言葉は、祐一が持っているものによってさえぎられてしまう。
「それはアテナのつぼ……。一体どこに……」
「メイン・ブレドウィナの中さ、まさか俺と一緒に入ってるなんてな」
ポセイドンを封じ込めるアテナのつぼが祐一の手にある以上、それは浩平の決定的な敗北を意味するのだ。
「そうまでしてお前が愚かな人間どもを守ろうというなら、おれもお前を放っておくわけにいかない。この三叉の矛で死んでもらうぞ」
「神の勝手な解釈で地上に手を出すな。人間はそこまで愚かじゃない、いつかは過ちにも気づいて、それを正していく事だって出来るはずだ」
「もはや問答無用。死ねっ! 祐一ーっ!」
その二人の間に、いて座の弓を構えたあゆが立ちふさがる。
「その矛が祐一くんに届く前に、この矢がキミを射抜くよ。今度こそ、このボクの生命に代えてもね」
「ダメだ、あゆ。浩平の肉体を傷つけるな」
言うなればポセイドンは浩平の肉体を借りているだけで、浩平自身に罪はない。
「いいだろう。二人仲良く串刺しになるがいいっ!」
浩平の投げた三叉の矛が、二人に刺さるその寸前。
「くぅ……」
「いくみさん……?」
身体を張って守ったのは、なんといくみだった。
「どうして、いくみさんが……」
「この三叉の矛は……あたしが引き抜いてしまったもの……。神への冒涜をしでかした、あたしが受けるのにふさわしいわ……」
こうして実体化させてくれた、祐一の小宇宙に対する、これがせめてもの罪滅ぼし。
「いい加減敗北を認めろ、ポセイドン。人間であるあゆ達が、神であるお前に対しここまで闘ったんだぞ」
祐一の大いなる小宇宙が満ちていく。
「お前も神なら認めるんだ。自らの敗北をな……」
「や……やめろ……」
「この時代に目覚めたのは、お前の本意ではないはずだ。もう一度眠りにつけ、ポセイドン」
アテナのつぼに光が満ちる。
「やめろ、祐一ーっ! 愚かなる人間に加担した事を、いずれ後悔する事になるぞっ!」
浩平の身体から、光り輝く意志のようなものが抜けていく。
「そしていずれは、お前自身がオリンポスの神々に罰せられるときが来るぞ。よく憶えておけよっ!」
ポセイドンのオーラが、アテナのつぼに封じ込められる。すべては終わったのだ。
「人間に味方した事が神々の怒りを買うというのなら、俺はすべての神を相手にしても闘ってやるさ……」
それが、祐一に宿るアテナの使命なのだから。
凄まじいまでの轟音と共に、怒涛となった水が押し寄せてくる。もはや海底神殿もこれまでだ。
「祐一くん、早く逃げないと」
「浩平を助けるんだ、あゆ」
もう闘いは終わった。海底神殿が崩壊する前に、助けられるだけ海闘士達を助けなければ。
「もう無理だよ。このままだとボク達まで海の底に飲み込まれちゃうよ」
「でもな……」
祐一にとって浩平は親友なのだ。
「安心して……」
浩平の身体を抱きかかえたのは、セイレーンの長森瑞佳だった。
「浩平は、わたしが地上につれて帰るよ」
元々これは浩平のために瑞佳が望んだ事。だからこれは瑞佳の罪滅ぼしなのだ。
「さあ……帰ろう、浩平……」
瑞佳はいとおしげに浩平の身体を抱きしめた。
光り輝く世界へ……。
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