ローマは一日にして
みなさん、こんにちは。天野美汐です。
まだお昼を少しすぎたあたりですから、これでいいはずです。もっとも、業界ではいつでも『おはようございます』なのですが。
今日は私の家にあゆさんと栞さんがいらしているのですが……。
「栞ちゃんは、これについてどう思う?」
「そうですね……にわかには信じがたいですね……」
「……でも、効果はあるみたいだよ」
「試してみる価値はありそうですね……」
このようにちゃぶ台を囲み、二人で雑誌を広げて熱心に話し合っています。
それはいいのですが……。
なぜ私の家でそのような話をなさっているのでしょうか?
『第二十七回女性の容姿に関わる討論会定例会議』と言うのがこの集まりの正式名称です。もっとも、相沢さんは私達の事を『ないちち同盟』とか『貧乳連合』とか呼んでいます。
つまり、この集まりは胸を大きくする事を話し合う場なのです。
確かに、相沢さんを取り巻く方達の中で私達は小さな方です。私としてはそれほど気にする必要もないと思うのですが、どうもあゆさん達は違うようです。
あの冬の出来事を越えて、それこそ奇跡と呼べるような事を経験して、相沢さん達は三年生に、私も二年生に無事進級する事が出来ました。栞さんは病気による休学でもう一度一年生でしたが、新入生となったあゆさんや真琴と仲良くやっているようです。
この二人がなぜ入学できたのかと言いますと、相沢さん曰く『秋子さんだから』だそうです。
……考えてはいけないと言う事ですね……。
相沢さんを中心に結成された、通称『相沢チーム』は私達の学校で有名な存在です。相沢さんのハーレムとして……。
何しろ卒業生に在校生、留年生に新入生で構成され、そのメンバーがいずれも美少女ですから、目立たないわけがありません。
そして、皆さん揃ってスタイルの良い方達ばかりですから、同性の私達としては気になる事があります。体の、ほんのわずかな一部分なのですけど……。
私はこれも個性と割り切っていますけど、あゆさんは相沢さんと同じ歳であるということから、栞さんは美坂先輩が近くにいると言う事から気になるのでしょう。
そう言えば私も、サイズという点では真琴に負けていましたね……。
そういうわけで私達はこのような会合の場を設け、お互いに成果報告を行っているのですが……。なぜ私の家でするのでしょうか?
『お姉ちゃんに知られたくありませんから』
と、栞さん。
『うぐぅ……。祐一くんに知られたくないし……』
と、あゆさん。
私が聞くまでも無くこう答えるでしょう。
答えの見えた問いをする事も無く、私はため息混じりに床に置かれた雑誌に目をやりました。
この夏、彼とH体験……。
私の想像を超えた内容が目に飛び込んできました。
あわてて雑誌を確認すると、それはあゆさん達の読んでいるのと同じ女の子向けの雑誌で、コンビニや書店で普通に売られているものです。
それなのに、どうしてこんな過激な内容が……。
「あ、やっぱり天野さんもそういうのに興味があったんだ」
にこやかに栞さんが語りかけてきます。
「それはそうだよ。美汐ちゃんだって女の子なんだから」
ええ、確かに興味はありますけど……。なんだかあゆさんの言い方に失礼なものを感じます。
「私も、試してみた事があるんですけど……」
試した……?
「栞ちゃんも? それで、どうだった?」
「あまりよくありませんでしたね……。痛いだけで……」
あゆさんの問いに、栞さんは暗い表情で答えます。確かに、初めてのときは痛いと聞きますけど……。
「栞ちゃんもなんだ……。ボクも痛かったよ」
あゆさんも、と言う事は……。すでに二人とも相沢さんと、あんな事とか、こんな事とかしているわけで……。
経験していないのは私だけ……ですか?
「そう言うわけですから天野さん。その豊胸方法は痛いだけで、あまり効果はありません」
「へ?」
思わず変な声を出してしまいましたが、よく見るとその隣の記事にマッサージによる豊胸方法が書いてありました……。
紛らわしい構成をしないでください……。びっくりしたではないですか……。
「うぐぅ、何か効果的な方法はないのかな……」
「そうですね……試せるものはみんな試しましたし……」
「それでしたら……」
私は落胆する二人に提案してみました。
「実際に大きな人のところへ行って、秘訣を聞くというのはどうでしょうか?」
この提案に、二人はうなずいてくれました。
「それで、わたしのところにきたの?」
あゆさんの紹介で訪れたのは水瀬家。
「だって名雪さんスタイルいいし……」
「その秘訣を教えて欲しくて……」
あゆさんと栞さんは必死に水瀬先輩に詰め寄りますが、水瀬先輩はあいもかわらずニコニコと微笑を浮かべています。流石です。
確かに水瀬先輩は陸上部の部長も務めており、均整の取れたプロポーションは同性である私も魅了されます。
流石に相沢さんの寵愛を受けるだけのことはあります……。
「そんな事言われても……。わたし、そういうの気にした事ないから……」
なんと言う事でしょう……。その発言で水瀬先輩は世界中の女性の半数は敵に回しましたよ。
「うぐぅ……」
すでにあゆさんは涙目です。
「それでは、普段から心がけている事って、なにかありますか?」
栞さんは必死です。何しろ彼女だけ七〇台(ちょっと優越感)ですから。
「普段からしてる事? そうだね……よく食べてよく眠る事かな? 寝る子は育つっていうしね」
確かに水瀬先輩はよくイチゴサンデーを食べていますし、授業中でもよく眠っていると聞きます。
もっとも、いつもイチゴサンデーを奢らされ、朝起こす相沢さんはたまったものじゃないでしょうけど。
「うぐぅ……ボク七年間眠りっぱなしだったのに……」
「私も……病気で寝たきりでした……」
いえ、寝ていれば良いと言うわけではないでしょう。
「後は……運動する事かな? わたし、走るの好きだし」
そう言って水瀬先輩は走る事の楽しさを話し始め、それは新入生を交えた部活動紹介のようでした。
身振り手振りを交えながら、陸上競技を通じて経験した嬉しい事や楽しい事、苦しかった事や辛かった事を話す水瀬先輩はとても輝いて見えました。
なんとなく、今年の陸上部に入部を希望する者が増えたと言うのも納得できます。
とはいえ、水瀬先輩が寝坊する度に、毎朝遅刻寸前のデッドラインを経験している相沢さんがこの場にいたら、無言でちゃぶ台をひっくり返しているところでしょう。
それはともかくとして、運動をするというのは効果的な方法なのかもしれません。
陸上競技と言えば走る事。そこで下半身側に注目が集まりがちですが、実際には腕の振りによって胸筋も鍛える事がでるのです。
水瀬先輩のスタイルのよさを見れば、その事がよくわかります。
「それでね、わたしは中学のころからず〜っと続けているんだよ」
話し終えた水瀬先輩の顔はとてもきれいでした。でも、それとは反対にあゆさんと栞さんの顔は暗く沈んでいます。
「うぐぅ……それボクには無理……」
「私も……激しい運動はお医者さんに止められています……」
真琴の話によりますと、この二人は体育見学組なので、活発な真琴の事を恨めしそうに見ているそうです。
私も運動は苦手なので、この方法が向いているとは思えません。
どうやら人選を間違えたようです……。
「……それで?」
「うぐぅ……」
「えぅ〜……」
舞さんの無言の圧力……。ではなくて、その豊かな胸のふくらみに、あゆさん達は圧倒されています。
どうせ聞くのだったら一番大きな人に、と言う人選ですが、やはりこれも間違えてしまったのでしょうか?
「そういう事を聞かれても……。私にはどう答えていいかわからない……」
そう言って舞さんは、真剣に悩みこんでしまいました。その姿はどうにも歳相応、と言うか、私より年上であるように見えません。
考えてみると、こんな小さな問題でも真剣に考えてくれる舞さんは、本当に良い人なんだということがわかります。
実際私も校内で噂される舞さんの悪い噂を耳にする度に、勝手にそういう人なんだと思い込んでいました。
でも、相沢さんと出会って、舞さんと佐祐理さんを紹介されて、噂とは違う人柄に私は恥ずかしく思いました。
舞さんはただ不器用なだけで、自分の感情を表すのが苦手なだけなのだと言う事がわかったのです。
その事に気づかせてくれた相沢さんは、やはりすばらしい人だと思います。
「あゆ……」
「うぐぅ……?」
不意に舞さんがあゆさんに声をかけます。
「あゆのサイズはいくつ?」
「え……? ボクのサイズは……」
あゆさんが舞さんに自分のサイズを告げます。すると舞さんは静かに眼を閉じて思案しました。
「大丈夫……あゆは普通……」
「え……?」
突然の舞さんの言葉に、あゆさんの目が丸くなります。
「ボクが普通って……?」
あゆさんの疑問に舞さんが淡々とした口調で答えてくれました。
それによると、単純な数字の優劣では胸の大きさは測れないというものです。つまり、胸の大きさを決めるのは身長やBサイズ、Wサイズなどを総合的に判断する必要があると言うのです。その計算結果、あゆさんの体格ではそのサイズが妥当であり、むしろ大きいくらいなのだそうです。
「えぅ……私もですか?」
舞さんは静かにうなずきます。確かに更衣室で着替えるときに見比べてみても、私やあゆさんとも見劣りするわけではないですから栞さんも普通なのでしょう。サイズ的には私も似たようなものですから、やはり普通なのでしょうね。
「うぐぅ……でも……」
そうはわかっても、あゆさんの目は舞さんの胸に釘付けになっています。相沢さんを巡る人達はスタイルの良い人ばかりなので、どうしても比べてしまうのでしょうね……。
「そんなに、大きくなりたいの……?」
「うぐぅ、それはもちろん……」
「できる事なら……ですね……」
それを聞いた舞さんは静かに立ち上がり、押入れから木刀を取り出しました。
「素振りをやった……」
「素振り?」
あゆさんが首を傾けます。
「毎日千回……」
「せ……千回ですか……?」
栞さんの声が裏返ります。
「それを十年……」
「うぐぅ……」
「えぅ……」
そんな酷な事はないでしょう……。
「あゆ……」
すっかり落胆した私達に、舞さんが優しく声をかけてきました。
「大きくしたいと言うあゆ達の気持ちは、私にはわからない。でも、私はあゆ達がうらやましい……」
大きな人に言われるとなんとなく腹が立ちますが、舞さんにはそのような感じがしないのが不思議です。
「どう言う事ですか……?」
栞さんの言葉に、舞さんは静かに話し始めました。
舞さんは言葉を選んで慎重に話すため、かなりゆっくりとしたものですが、要約するとこんな感じです。
学校を卒業してから舞さんは佐祐理さんと共同生活を行うようになりました。当然着替えなどをするときにはお互いに下着姿になるわけですが、そのときに佐祐理さんが身に着けているようなかわいらしい下着を、舞さんは身に着ける事が出来ないのだそうです。
商店街の洋品店ではそれほど大きなサイズが売っているわけではなくて、仮にあっても飾り気のない可愛くないものばかりなので、そのため舞さんは下着や衣服などを揃える事が難しいのだそうです。
時折舞さんが私達の事を羨望のまなざしで見ていたのは、このせいだったのですね……。
やはり小さな人には小さな人なりの、大きな人には大きな人なりの悩みがあるものです。
「うぐぅ……」
「えぅ〜……」
結局大した成果も上がらずに、私達は家路につく事になりました。
地平線の彼方では赤い夕日が朱色の絶叫を上げて最後の輝きを放ち、私達の影を長く伸ばします。青かった空はオレンジに染まり、東の空は早くも闇に染まり始め、西側の空との間で美しいグラデーションを描き出しています。
この様子だと明日も晴れですね。八〇点と言う所でしょう。
それなのにあゆさんと栞さんの表情は、暗く沈んでしまっています。
無理もありませんね、確たる成果は無かったのですから……。
「あの、二人ともいいですか?」
私が声をかけると、二人は顔を上げてくれました。
「『ローマは一日にして成らず』と言う言葉を知っていますか?」
あゆさんは栞さんと顔を見合わせますが、その様子からするとどうやらご存じないようです。
「つまりですね、これは……」
どのような物事であれ、始めてすぐに成果が現れるものではないという事。田植えをしてすぐに米が取れるわけも無く、大きく育てるための努力が必要なのだという事を、私は懇切丁寧に二人に伝えました。
「うん、そうだよね。美汐ちゃん」
あゆさんは大きくうなずいてくれます。どうやらわかっていただけたようです。
「私達は、これからですもんね」
栞さんもうなずいてくれます。二人の顔は先程までの暗い表情とは違って、輝いて見えました。
意外と簡単にわかってくれて嬉しいです。
「そうだ、ボクここから走って帰るよ。何もしないうちにあきらめたくないし」
「私も、それじゃ天野さん。また」
そこで私達は別れました。去り際の二人の顔が赤く染まっていたのは、この夕日のせいだけではなかったように思えます。
私はふと夕日に目をやりました。
すでに日は地平線に沈み、残り火のような紅を残すのみとなっていました。そんな光と闇の境界線上に、ひときわ大きく輝く星が見えます。
あれは『宵の明星』こと金星です。
金星は英語でビーナス。ローマ神話のヴェヌスに端を発し、ギリシャ神話のアフロディーテに通じる美の女神の星です。言うなれば、美しくなりたいと言う少女の思いを象徴する星なのでしょう。
考えてみると不思議なものです。
相沢さんに出会う以前の私なら、こんな事は思いもしなかったであろうことに。
あの子を失って、心を閉ざしていたころの私なら考えもしなかった事です。
その意味では、私が変わるきっかけを与えてくれた相沢さんには、いくら感謝してもしたりません。
ライバルが多いのはわかっています。でも、あきらめたくはありません。
だから私は、相沢さん好みの私になりたいと思います。
「待っててくださいね、相沢さん。いえ、祐一……さん」
言ってしまってから私は、頬が熱くなるのを感じました。
「やっぱりさ、日々の努力っていうのは重要だよね、栞ちゃん」
「そうですね、やはり体格の向上には長期的視野を持って判断するのが一番です」
あれから一週間がすぎ、私の家では『第二十八回女性の容姿に関する討論会定例会議』が行われていますが……。
なぜ……?
「ボクはやっぱり、これに関しては『医食同源』が一番だと思うんだよ」
「『医食同源』ですか?」
「うん、祐一くんが言ってたんだけど……。体の悪いところにあわせて、それに応じた部分を食べると良いらしいんだよ」
「そうなんですか?」
「うん……だからボク、毎日ミルクを飲んでるんだよ」
「それじゃあ、私も毎日アイスクリームを食べてみます」
二人とも、何か勘違いしているようです。
そもそも『医食同源』と言うのは、健康な体を維持するには、日々の食生活が重要と言う事なのです。こんな付け焼刃の事ではありません。
「美汐ちゃんはこの事をどう思う?」
「私……ですか……?」
「そうです、人生の先輩として」
先輩……。
先輩?
確かに学年では先輩ですが、栞さんは私と同じ歳で、あゆさんは私より一つ年上なはずです。
そんな……。
そんな……。
そんな酷な事はないでしょう!
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