第一話 出会いは唐突に
それは始業式を間近に控えた、ある晴れた日の事だった。
一冬の出来事を越え、祐一は名雪の事を誰よりも大切に思えるようになり。
病弱な少女は病気を克服し、新しい門出に胸を膨らませ。
春を待ち望んだ少女は、消えたと思ったらひょっこり帰ってきて、再び水瀬家の居候となる。
魔物と戦う少女は信頼できる少女と進学し、二人で新生活を始め。
そして、七年間眠り続けていた少女は、失われた時間を取り戻すべく、新たに水瀬家の一員となる。
つまり、誰一人欠けることなく新しい季節を迎えた、そんなある日の事だった。
この日は名雪が朝から部活で出かけており、祐一は部屋で春休みの宿題をしていた。ちなみにあゆと真琴は入学に備え、部屋で仲良くお勉強中である。
「祐一さん、いいですか?」
「はい」
ノックと同時に、秋子さんが祐一の部屋を訪れる。
「なんですか? 秋子さん」
「祐一さんにお電話です。姉さんからですよ」
「お袋から?」
祐一は秋子さんから電話の子機を受け取った。
「もしもし?」
『あ、祐一? 久しぶりね』
「ああ……」
確かにこうして声を聞くのは、秋子さんの事故以来の事である。海外でどんな仕事をしているのかは知らないが、本当に久しぶりだ。
もっとも、便りがないのは良い知らせというが。
「で? なんの用だよ。わざわざ電話なんてかけてきて」
『それが久しぶりにする親子の会話かい? まあ、いいけど……』
どうも電話が遠いせいか、妙に声が聞き取りにくい。まあ、向こうは海外なのだから仕方がないな、と祐一は思った。
『実はお前に話しておきたい事があるのよ。良く聞きなさい……』
ぴんぽ〜ん♪
祐一が丁度そこまで聞いたところで、突然チャイムが鳴り響いた。
「は〜い」
祐一のすぐそばで話を聞いていた秋子さんが、パタパタとスリッパを鳴らして玄関に向かう。
『どうやら届いたみたいね』
「届いたって……何が?」
「祐一さん」
「うわっ!」
なんの前触れも無く、祐一の背後に突然秋子さんが現れた。
「な……なんですか? 秋子さん」
「祐一さんあてに手紙が届きましたよ。それも速達で」
「手紙?」
『そう、詳しい事はそこに書いてあるから。それじゃあね、祐一』
「ちょうっと待て、母さん。母さん? 母さーん!」
祐一の叫びもむなしく、受話器からは規則正しく電子音が流れ始める。
「姉さん、なんですって?」
「わかりません。詳しい事は手紙に書いてあるそうですけど……」
なにかとてつもなく嫌な予感のする祐一であったが、読まないわけにもいかないので手紙を開いた。
「え〜と、何々……。『今日そちらに向かうので、一時に駅まで迎えに来なさい。未悠』……?」
ふと祐一が時計を見ると、時刻は二時三十分をまわるところだ。
「……って、もう過ぎてるじゃないか。それじゃ秋子さん、ちょっと母さんを迎えに行ってきますんで」
「あらあら」
あわてて家を飛び出していく祐一を見送りながら、秋子さんはそのなんともいえぬ姉らしさに微笑を浮かべていた。
「遅いわね……」
「そうですね……」
ここは駅前のベンチ。冬の最中は多くの人の出会いと別れを見てきたベンチに、二人の女性が並んで腰掛けている。
どちらも少女のように見えるが、一人は祐一の母親の相沢未悠で、もう一人は背中まで届く長い黒髪に白いリボンが映える少女だ。
「あの……本当に来るんでしょうか?」
少女は自信なさげに未悠の顔を見た。
「心配要らないわ。ああ見えてあの子は約束を破るような子じゃないから」
未悠は少女に微笑みかけるが、少女は落ち着かない様子で辺りを見回す。すると遠くの方から一人の少年がすごい勢いで走ってくるのが見えた。
「遅いわよ、祐一」
「あのな……母さん……」
息が切れているせいか、祐一の言葉は切れ切れだ。
「まったく、待ち合わせの時間は何時?」
「一時」
「今は何時?」
「三時」
「二時間の遅刻じゃないの!」
「俺は今手紙を受け取ったんだよ!」
「言い訳は見苦しいわよ。あたしはあんたをそんな風に育てた覚えはないわよ」
「俺も育てられた覚えはないね」
「まったく、ああ言えばこう言う。本当に男の子は可愛げがないんだから」
そんな親子のやり取りを、少女は未悠のとなりで微笑ましく見ていた。
「ところで母さん。さっきから気になっていたんだけど、この子は……?」
祐一はふと母親のとなりにいた少女を見る。少女は背中まで届く長い黒髪に白いリボンが良く映え、若草色のワンピースと同色のケープを着た、お嬢様風の女の子だった。少女の胸元には明るい赤のリボンがアクセントを添え、足元には大き目のボストンバッグが置いてある。
「ああ、この子の事で話があるのよ。詳しい事は秋子のところに行ってからね」
未悠は少女の荷物を祐一に持たせると、秋子の家に向かった。
「祐一〜、お帰り〜」
部活を終えて帰ってきていた名雪が、祐一を出迎えると同時に抱きつき、キスをねだるように甘えてくる。
「ただいま、名雪。出迎えてくれるのは嬉しいけど、今はちょっと離れてくれないか……」
「あらあら、おあついわね」
「え?」
やっと名雪も周囲の状況に気がついた。祐一のとなりには自分の母親そっくりの女性が微笑んでおり、その背中に隠れるようにしていた小柄な少女が頬を赤く染めていた。
「あ、えと……祐一、お客様?」
「名雪も昔会った事あるだろ? 俺の母さんだよ」
「久しぶりね、名雪ちゃん。随分きれいになったじゃない」
「そんな……」
きれいと言われて名雪は、顔を赤くしてうつむいた。
「祐一のおかげかしら?」
「母さんっ!」
祐一の叫びに、名雪はますます顔を赤くした。
「それより祐一、そっちの子は?」
それまで三人のやり取りを微笑ましく見つめていた少女は、名雪と目が合うと軽く会釈をし、それにつられて名雪も会釈を返す。
「ああ、その事で話があるらしいんだ。みんなは揃ってるか?」
リビングにいるという名雪の言葉を聞いて、祐一はリビングに向かった。
「あ、祐一くん。お帰りなさい」
「祐一〜、お帰り〜」
「ただいま、あゆ、真琴」
リビングでおやつを食べていた二人が祐一を出迎えてくれる。この二人はあの冬をすごした後、揃って水瀬家の養女に迎えられた。部屋数が少ないのでこの二人は相部屋となってしまっているが、結構仲良くやっているようである。真琴が散らかした部屋をあゆが片付けるのだから丁度いい、とは祐一の談であるが。
それはともかくとして、頬におやつのケーキのクリームをつけたまま微笑んでいる姿を見ていると、祐一はどうもこの二人が自分と同年代であるという風には見えなかった。どちらかというと子供っぽい印象が強く、祐一的には純真無垢な天使のあゆと、小悪魔的な真琴というイメージが強い。
祐一からすれば二人とも愛する存在なのであるが、どちらかというと恋人同士のそれとは違い、保護者的なスタンスで接しているのが実情である。
「あら姉さん、いらっしゃい」
「久しぶりね、秋子」
「うぐぅ?」
「あう〜?」
リビングに姿を見せた秋子と未悠の姿を見て、あゆと真琴は困惑するように二人を交互に見た。
「誰その人、秋子さんにそっくり……」
「あうあう〜」
「そういえば二人は会うのが初めてだったな。俺のお袋だよ」
「祐一くんのお母さん?」
「秋子さんより若く見える……」
真琴の言葉に、未悠は満足そうに微笑んだ。
実際には未悠のほうが秋子より三つ年上なのだが、未悠の外見上はかなり若く見える。二人を見分けるコツは、秋子が髪を三つ編みにしているのに対し、未悠がストレートにしているところで、極端な言い方をすれば未悠は名雪の容姿に香里の性格を持っているのだ。
「あなたたちが秋子の言っていたあゆちゃんと真琴ちゃんなのね。どっちがどっちなのかしら?」
「ボクが月宮あゆ」
と、あゆは春先に切ったばかりの短い髪を気にしてかぶっている帽子を軽く下げて挨拶し。
「あう〜、沢渡真琴」
初めて見る未悠に緊張しているのか、真琴は小柄なあゆの背中に隠れての対面だった。
「あたしは相沢未悠。もう知ってると思うけど、祐一の母よ。それでこっちの子が……」
「皆様はじめまして、相沢祐姫(ゆうき)と申します。相沢祐一はわたくしの兄に当たります」
「妹?」
突然そんな事を言われて祐一は混乱した。なにしろ自分に妹がいるなんて聞いた事も無かったからだ。
「嫌ですわ、お兄様ったら。もうお忘れになりましたの?」
「えっ?」
確かに祐一は七年前の記憶が曖昧になっていたが、それはこの街で出会った大切な人達との触れ合いの中で少しづつ思い出していった。
だが、どうやら祐一にはまだ思い出さなくてはいけない事があったようだ。よりにもよって妹の事を忘れてしまうなんて。
「わたくしはおととい認知された、あなたの妹ですわ」
それを聞いて、名雪をはじめとした水瀬家三姉妹はいっせいにテーブルに頭をぶつけた。
「それは覚えてないって言うより……」
「はじめから知らないんじゃあ……」
「あう〜……」
なんとか名雪、あゆ、真琴の三人は立ち直った。
「すまん、俺にはどうしても君の事が思い出せないんだ……」
祐一は突然の事態にパニックを起こしているらしく、必死に憶えているはずもない妹の事を思い出そうとしていた。
「かまいませんわ……」
祐姫はそんな祐一の手を優しく包み込むように握り締め、すっと視線を合わせた。
「例えお兄様がわたくしの事を思い出せなくても、お兄様がわたくしのお兄様である事に変わりはありませんわ」
「祐姫……」
「お兄様……」
そして、二人は静かに見つめあった。
「なんか感動的なシーンのような気がするけど……」
「うぐぅ、なにか違うような……」
「あう〜……」
その光景を眺めつつ、この二人が兄妹だという事に納得する三人であった。
「それで姉さん。本当のところはどうなんですか?」
秋子は冷静に未悠から事情を聞いた。
それに対して未悠は、深くため息をついた。
「……まさか家の人に、隠し子がいたなんてね……」
「まあ……」
秋子はいつもどおりを装っていたが、その微笑みは若干引きつったようなものに変わっていた。
「……治らなかったんですね、義兄さんのあのクセ……」
「あれはもう、一生治らないだろうね……」
そう言うと未悠は、再び大きなため息をつくのだった。
相沢祐一の父相沢大祐は仕事においては有能な人物であったが、本人にもどうする事のできない致命的な欠点があった。それは『浮気』である。
本人が言うには『博愛主義』なのだが、妻の未悠からしてみれば浮気、立派な『裏切り行為』なのである。祐一が幼児期からこのクセは治る事が無く、大祐の浮気が発覚するたびに、未悠は祐一を秋子に預けていたのだった。
「ここ最近はまじめにやっていたようだったから治ったのかと思いきや、隠し子がいる始末よ」
「あらあら」
「もっとも、あの子の母親が死んで、それでわかったんだけどね……」
「そうなんですか」
「聞けば他に身寄りも無いようだし、あたしも娘が欲しかったから丁度良いと言っちゃ丁度良かったんだけど……」
未悠は一気に核心に入る。
『流石にあたしたちのいる海外につれてくるわけにもいかないし……。それでね、秋子……」
「了承」
「いいのかい?」
「姉さんの娘さんですもの、了承です。それにもう打ち解けているみたいですし……」
そう言って秋子は子供たちのほうを見た。
「わたしは名雪だよ、水瀬名雪。名雪でいいよ、祐一とは同い年なんだよ」
「それではわたくしが一つ年下ですから、名雪お姉様でございますね。そしてそちらがあゆ様に真琴様」
「うぐぅ……ボクも祐一くんや名雪さんと同い年……」
「それは失礼いたしました。それではあゆお姉様でよろしいですね?」
「あゆ……お姉様?」
それを聞いた真琴が破顔し、細かく肩を振るわせる。
「どういう意味だよ、真琴ちゃん!」
「だ……だってあゆがお姉様だなんて……。くっくっく……」
「うぐぅ……」
お腹を抱えて笑い出した真琴をあゆは睨みつけたが、その姿は怖いというよりも可愛らしいものだ。このあたりがあゆを年相応に見せない所以であり、あゆのあゆたるところである。
「……あの、やはりあゆ様とお呼びしたほうがよろしかったでしょうか?」
「うん……そうして……」
あゆはがっくりと肩を落とし、力なく呟いた。その視線の先では、真琴がまだ笑い転げている。
ちなみに祐一は、その間中突然の出来事に真っ白に燃え尽きていた。
こうして水瀬家に新たに住人が加わる事になった。
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