第七話 春爛漫

 

「おはようございます、美汐様」

「おはようございます、祐姫さん。本日はよいお日柄ですね」

 昇降口で出会った美汐と祐姫はお互いに挨拶をかわし、軽く頭を下げる。

「はい。日差しも温かく、小春日和と申しましょうか」

「そうですね」

 挨拶をかわすたびに頭を下げあう女子高生二人。それはある意味異様な光景であるともいえる。

「あゆ〜……」

 祐姫と一緒に登校してきた真琴はあゆの小さな背中に隠れ、制服の袖をきゅっと握り締めた。その表情にはおびえの色が見られ、心なしか微かに身体を震わせているようだ。

「大丈夫だよ、真琴ちゃん」

 真琴を安心させるように、あゆは真琴の小さな手にそっと自分の手を重ね、一歩後ずさる。なるべくなら係わり合いになりたくないというように。

 だが、先程からちらほらと遠巻きにして眺めている女子生徒の姿を見ると、やはり自分達も同列視されているのだろうとあゆは思う。ただでさえ祐一の影響で目立つというのに……。

 あゆはおびえる真琴を宥めつつ、一足先に教室に向かった。

「祐姫さん、これは?」

 美汐は祐姫の下駄箱に置かれていた白い封筒を指差した。

「もしかして恋文ですか?」

「いえ、これは違うようですね」

 祐姫は封筒を取り上げて一瞥する。どうやらこれはファンシーショップで普通に売られているもののようで、差出人の名前はないが可愛らしいシールで封がされていた。

「まず、このような封筒の場合は十中九まで女子からのものです。これが殿方ですとこのように小奇麗な封筒ではなく、無頓着に普通の封筒を使いますから」

「はあ……」

 意外と鋭い祐姫の観察眼に、美汐は思わず息を飲む。

「次に、わずかですが重量に偏りがあります。この場合考えられるのは……」

 祐姫はスカートのポケットから黒い固まりを取り出す。それをかざすと、封筒は吸い寄せられるようにくっついた。

「祐姫さん、それは?」

「磁石ですよ。これにくっついたという事は、間違いなくカミソリ入りですね……」

「……酷いですね、誰がこんな事を……」

「それはわかりませんけれど……」

 そう言って祐姫が取り出した上履きの中には、金色の画鋲が山盛りになっていた。

「……ここまでされるとかえってすがすがしいものさえ感じますわ……」

 聞けば、最近このような嫌がらせが相次いでいるとの事だ。

「祐姫さん、大丈夫なのですか?」

「心配無用ですわ、美汐様。実はわたくし、女子高時代でこのような事には慣れておりますから」

「女子高ですか?」

 それは聞くも涙、語るも涙の物語。素敵な男の子と燃えるような恋をしたい、と思ってみても、まわりにいるのは女の子ばかり。見渡す限りの女子女子女子……。

 男の子にとってそこは桃源郷なのだろうけれども、女の子にとっては不毛の荒野が広がっているようなものだ。

 それになにか問題があっても、男の子同士なら拳で語りあう事も出来るが、女の子にはそんな真似はできない。だから女の子同士では、その分このような陰にこもった嫌がらせになってしまう。そうした女子高の嫌がらせの実態を知る祐姫にとっては、この程度の事は児戯にも等しいのだ。

「それでは、参りましょうか。美汐さん」

「あ、待ってください」

 手紙の内容も確認せずにゴミ箱に投げ捨てて、教室に向かう祐姫を美汐はあわてて追いかけた。こうして見ている限りでは祐姫に変わった様子はないが、きっと心は相当傷ついているに違いない。先を歩く祐姫の背中を眺めつつ、美汐はそう思った。

 

「……と、言うわけなのです。相沢さん」

「ふぅ〜む、なるほどな……」

 美汐からの報告に、祐一はふとあごに手をやり思案顔。そんな祐一を名雪、あゆ、真琴、栞、美汐といったいつもの面々が囲んでいる。

 こうしてまじめな表情をしているときの祐一は美形といっても過言ではないのだが、素行で奇行が目立ってしまうのがマイナスポイントだ。まったくの余談ながら、祐一が美形の顔立ちなのは母方の遺伝だろう。名雪を見ればその事がよくわかる。

 今は昼休み。誰もが昼食に舌鼓を打つころだ。今回祐一は教室を離れ、とある場所でお弁当を食べていた。祐姫と北川を二人きりにさせたかったというのもあるが、あの二人について今後の対策会議を開くのが目的だ。

「家で変わった様子はないんだろ? 名雪」

「うん、祐姫ちゃんはいつもどおりだよ」

 明るい笑顔で名雪が答える。家でも部屋が同じである事からも、祐姫の日常に一番詳しいのは名雪だ。

 といっても、それは名雪が起きている間の話ではあるが……。

「他になにか気になった事はないか?」

「特にはないよね、真琴ちゃん」

「うん、祐姫はいつもとおんなじ」

 あゆと真琴がそろって口を開く。この二人は普段祐姫と一緒に歩いて登校しているので、その分祐一たちより接している時間は長い。ちなみに祐一たちはというと、まず名雪を起こしてからになるので毎朝走って登校している。その意味では祐一が名雪と二人きりになるというのも大変なものなのだ。

「でも、祐姫さんは大丈夫なんでしょうか……」

 栞が心配そうに口を開く。

「そこんとこどうなんだ? 久瀬」

「……どうでもいいですけどね、君達……」

 久瀬は苦虫を二〜三十匹まとめて噛み潰したかのような表情で、銀縁のメガネを指先でクイと押し上げる。

「ここがどこだかわかっているんですか?」

「生徒会室だろ?」

 臆面もなく祐一は答える。

「テーブルも広いし……」

「椅子もふかふか〜♪」

 あゆと真琴は実に楽しそうだ。

「祐姫ちゃんの事は久瀬さんも関係あるって祐一が言うから……」

 すまなそうに名雪が口を開く。

「この件に関する生徒会側の見解を伺ういい機会ですし」

「そうです。それが気になって、夜も眠れません」

 ここぞとばかりに美汐と栞がたたみかける。特に栞は香里にも関係する話なので、どうしてもはっきりとさせておきたいのだ。

「どうするもなにも……。今のところ生徒会側としてはなにもできませんね」

「どういう事ですかっ!」

「栞さん、少しお静かに」

 激昂した栞を美汐がたしなめる。その迫力に多少気おされもしたが、気を取り直して久瀬は言葉をつなぐ。

「祐姫さん本人からの被害報告がないんですよ。現在までに生徒会側に入ってくる情報は状況報告だけですからね、それだけだと我々も行動に移れないんですよ」

 生徒会は学内の治安維持も活動内容に含まれているが、行き過ぎるとそれも暴政となる。結局のところこうした嫌がらせも本人からの親告がない限り、生徒会も対応しきれないのだ。

「こうした問題に関して我々生徒会は、基本的に中立という立場をとらないといけませんから」

「そのわりには舞の事をあっさり退学にしたじゃないか」

「無論、現行犯なら話は別ですよ?」

 メガネの奥の、久瀬の瞳がきらりと光る。実際舞が不良として疑われていたガラス事件そのものはこれといった証拠もなく、ただ舞が現場にいたという事から生徒会が事情を聞こうとしたのを、周囲が勝手に犯人扱いしていただけだったのだ。

 結局のところ祐一が半ば強引に誘った舞踏会での一件が直接の退学理由だったりする。

 まあ、その後で色々と紆余曲折があって舞は復学を果たすのだが、これに関しても祐一は特になにか活躍したというわけではなかった。

「いずれにしても、生徒会としてなんらかの行動に移るためには、まずなによりも祐姫さんからの被害報告が必要となりますね」

 多少冷たいようだが、久瀬の言い分には一理ある。それだけに祐一としても強気に出られないのだ。

「祐姫のやつ、なに考えてるんだろうな……」

 ついこの間なったばかりとはいえ、祐一にとって祐姫は妹だ。兄として妹を助けてやりたいという気持ちがある。しかし、この一件を見る限りでは祐姫は兄の助けを必要としてはいないようだ。

 おそらくは兄としての信頼度の低さなのだろう。そう思うと祐一は少々情けない気持ちになる。

「もしかして、祐姫ちゃん……」

 ポツリと名雪が口を開く。

「自分ひとりで解決するつもりなのかな……」

 その言葉に一同は軽く押し黙ってしまう。これも余計な人達を巻き込みたくないという、祐姫の優しさなのかもしれないと思う。でも、やはり友達なのだから困ったときには相談して欲しいとも思う。でも、だからといって祐姫にそう強制することもできない。

 なかなかに難しい問題といえる。

「ところで、相沢くん。祐姫さんは今日どうしていますか?」

「祐姫ならたぶん北川と一緒だろう。二人の仲がいいところを見せ付けてやれば、余計なやっかみも減るかと思ってな」

「そうですか、なるほど……」

 再びメガネの奥で、久瀬の目がきらりと光る。

「……つまり、そのために君達は生徒会室でお弁当を食べている。そう言うわけですね?」

「いやあ、他に適当な場所がなくてな」

 普段祐一達がお弁当を食べているのは、教室、学食、階段の踊り場といった場所であるが、祐姫と北川を二人きりにしつつ、なおかつ内緒の会議のできる場所といえば、自然と選択肢も限られてしまうのだ。

「ここならあの二人に見つかる心配はないし、それに……」

「それに、なんですか?」

「こんなところで久瀬が一人で弁当食ってるなんて、思ってもみなかったからな」

「僕は生徒会長ですよ? なんら問題はありません」

「一人で食う飯は不味いんじゃないかと思ってな」

「余計なお世話ですよ。まったく……君達は礼儀というものをわきまえていないんですか?」

 実のところ祐一は、久瀬が悪い人物ではない事を知っている。舞の一件のときは頭に血が上っていた事もあり、久瀬を毛嫌いしていたのだが、冷静になって考えてみると、なんだかんだ言いながらも舞を復学させてくれたし、本当はいいやつなのではないかと思うようになったのだ。

 実際ガラス事件だって、久瀬的には学校の秩序を守ろうとした結果なのだ。その方向性はともかくとして、生徒会長としてはうってつけの人物なのだろう。

 ただ、人付き合いの悪さから誤解を生みやすいのだ。

「まあ、怒るなよ。みんなで食う飯は美味いぜ?」

「なにを言い出すかと思えば……。いいかね君達、食事なんていうものは過不足なく必要な栄養素が摂取できればそれでいいんだ。それを美味いの不味いのといい加減にしたまえ。身体が健康で、おなかが空いていればなんだって美味しいんだ」

 そう言う久瀬が食べているのは普通にコンビニで売っているような弁当で、一方祐一達が食べているのは名雪が作ったお弁当だ。

「まあ、そういわずに。これ食ってみろよ」

 久瀬は祐一が差し出したたこさんウインナーを口に運ぶ。

「これは美味い!」

 突然大声で叫ぶ久瀬の姿に、祐一はにやりと微笑む。その隣では名雪が安心したように胸をなでおろしていた。

「おや? 久瀬。お前流に言えば、なに食べても美味いんじゃなかったのか?」

「……それはそうだが……。大体僕のはコンビニで買ってきた弁当だ。水瀬さんの作ったお弁当にかなうわけがないじゃないか」

 確かにこのお弁当は名雪の本気だ。それに勝てるとしたら、秋子か佐祐理の手によるものぐらいだろう。

 結局のところ、なし崩し的に生徒会室の使用を許可してしまう久瀬だった。

 

「祐一〜、放課後だよ〜」

「おお……」

 いつもの名雪の声で祐一は身を起こす。受験生がこれでは、先が思いやられるというものだ。ふと後ろの席を見ると、おそらく祐姫のお弁当を食べたのだろう。北川が真っ青な顔で机に突っ伏しており、その隣の席では香里が暗い表情のままで座っていた。

 この二人の様子はいつもどおりである。また前みたいに些細な事で笑い合えるような関係に戻れるのか、祐一には不安だった。

「今日も部活か? 名雪」

 ため息を一つついて、祐一はいつものように話しかけた。

「あ……うん……」

 名雪も力なくうなずく。二人を心配しているのは、名雪も同じなのだ。

「潤様〜、お兄様〜、放課後ですわ〜」

「祐一く〜ん、放課後だよ〜」

「あう〜、祐一〜」

「祐一さ〜ん、放課後ですよ〜」

 そうこうしているうちににぎやかな集団が現れる。これで佐祐理と舞がそろえば完璧な布陣となり、いつもの風景となるだろう。

「潤様、どうなさいました?」

 祐姫があわてて北川に駆け寄り、心配そうに声をかける。

「顔色が悪いですよ? なにか悪いものでも食べたのですか?」

 何事もなかったかのようにそう聞くところが祐姫の怖いところだ。これでは流石の祐一も、お前の弁当のせいだとはいえない。

「……いや、なんでもないよ。祐姫ちゃんが心配するような事じゃないさ」

 そう言って苦しげではあるが軽く微笑む北川に、祐一は真の漢の姿を見たような気がした。

「ねえ、みんな。ちょっといいかしら……?」

 そのとき不意に香里が口を開いた。

「なんだかみんなには色々気をつかわせちゃったみたいで、ごめんなさいね。謝ってすむような事じゃないと思うけど……」

 そう前置いてから香里は言葉を続けた。

「まず北川くん、あれからずっと考えていたけど……。ごめんなさい、やっぱり答えは変わらなかったわ」

「……他に好きなやつがいるのか?」

 北川の問いに、香里は軽くうなずく。

「初めて会ったときから、ずっと好きだったわ」

 不意に香里は祐一を見る。その隣では名雪が、心配そうに香里を見つめていた。

「その気持ちは自分でも気がつかないうちにどんどん大きくなっていった。でも、あたしには勇気がなかったのね、それを口に出す事は出来なかったわ……」

 香里は再び北川に視線を戻す。

「北川くんに告白されたとき、あたしはっきりわかったの。その人の事が一番好きなんだって……」

 そうして香里は軽く目を閉じ、僅かにうつむいた。

「だから、はっきり自分の気持ちを伝えるわ」

 不意に訪れる静寂のとき。香里は意を決したように、まっすぐ祐一のいるほうを見た。

「あなたが好きよ。名雪……」

 

「「「「「「「「はい?」」」」」」」」

 

 みんなの声がなぜか合わさるなか、名雪はただ一人眼を点にしていた。

「わたし、女の子……」

「わかってるわよ、そんな事」

 半ばヤケ気味の香里の声が響く。

「本当はおかしいって事ぐらいわかってるわよ。自分がとんでもない変態なんじゃないかって思った事もあるわ。でも……でも、どんなに考えても答えは同じなのよ……」

「そんなおかしい事はございませんわ、香里お姉様」

「祐姫ちゃん……」

「人間にとって、一番大切なのは愛する事です。それがあるから、全てが生まれるのです」

 祐姫は香里の手をきゅっと握り締め、真剣な表情で香里の瞳を見つめると、静かに語りかけるように言葉を続けた。

「その大いなる愛の前に、男女の区別など無意味ですわ……」

 愛とは心を受け入れる事。そう力説する祐姫には妙な迫力がある。

「名雪お姉様はどうなのですか? 香里お姉様の事はどうお思いなのですか?」

「どうって……。わたし、香里の事は好きだよ」

「では、名雪お姉様と香里お姉様は両思いなのでございますね?」

「そう言う事になるわね……」

 不意に香里は、静かに名雪と見つめあった。見つめあう互いの瞳と瞳の奥には、確かに燃え上がる愛の炎が感じられた。やがて二人はお互いの腰に手を回すと、限りなく熱い抱擁をかわすのだった。

「名雪っ!」

「香里っ!」

 その光景に祐姫は感動ですわ、と感涙にむせび泣くのだが、その場に集った一同は言葉を失ったまま、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。

「……春だな」

 静寂に包まれる春の教室の中で、祐一の呟きだけがただむなしく響いていた。

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