第八話 夏到来

 

 春の騒動も一段落つき、季節は夏を迎えた。

 そう言うわけで夏休みに入った祐一達一同は、連日の猛暑にさらされていた。そんな中名雪は今日も元気に部活に出かけ、祐一は部屋で受験勉強。そして何故かあゆ、祐姫、真琴の三人も祐一の部屋に来ていた。

 

「うぐぅ……これ難しいよ……」

「あゆ様、落ち着いて順番どおりにすると出来ますよ」

「順番どおりに? え〜と……こうして……」

 あゆはせわしなく手を動かす。

「こうだから……。あ、出来た、出来たよ祐姫ちゃん」

 なんとも嬉しそうなあゆの声に、祐姫は目を細めた。

「あう〜、間違えた〜」

「大丈夫ですよ、真琴様。こうすればいいのです」

「本当だ、ありがとう祐姫」

「いえいえ、どういたしまして」

 真琴の嬉しそうな声にも目を細める祐姫。

「……あのさ〜」

 不意にそこに声がかかる。

「はい、なんでございますか? お兄様」

「お前たちここでなにをしているんだ?」

「ボクはね、げるぐぐっていうのを組み立ててるの」

「真琴はずごっく〜」

「わたくしはRX‐78ガンダムGP‐01Fbゼフィランサス・フルバーニアン、それもパーフェクトグレードでございますわ」

 すらすらとよどみなく答える三人に祐一は思わず頭を抱えた。

「だからなんでお前達は俺の部屋でプラモデルを作ってるんだっ!」

 祐一の怒鳴り声にあゆ達が作業をしていた手を止めると、先程までパチンパチンと部屋に響いていたニッパーの音がやむ。そんな静寂の中に、大きく肩で息をする祐一の姿がある。

「お兄様、少しよろしいですか?」

「な……なんだよ……」

 得体の知れない祐姫の迫力に、少し気おされる祐一。なんだ、このプレッシャーは、といわんばかりに額から冷たい汗が流れ落ちる。

「ご存知の通り、あゆ様は真琴様と。わたくしは名雪お姉様と相部屋でございます」

 祐姫がなにを言いたいのかがよくわからないが、とにかくすごいプレッシャーが祐一の全身を拘束していた。

「そして、このような作業を行うには、それなりの広さが必要なのです……」

「だから、なぜ……」

 俺の部屋で? と祐一は言葉を続けようとしたが、なぜか声が喉の奥に張り付いたように出てこない。

「そして、もっとも適しているのが、荷物の少ないお兄様の部屋なのでございます」

「それが本音かっ!」

 ようやっとプレッシャーから解放された祐一が大きな声を出す。あゆと真琴はしっかりと手を握り合っておびえた様子を見せるのだが、祐姫だけは涼しい風が吹いたかのようにたおやかな微笑を浮かべていた。

「それに、クーラーの効いたお部屋のほうがなにかと効率的なのですよ?」

 それは祐一もわかっている。だから祐一はこうして大学受験に向けて勉強をしているのだ。まあ、本音は少しでも名雪の成績に追いつくためでもあるが。

「だったら……」

「光熱費も莫迦になりませんし」

「ぐっ……」

 経済的な面を出されると、祐一も言葉に詰まってしまう。こうして居候も増えた現在、水瀬家の家計を支えているのは秋子一人の稼ぎに依存しているからだ。無論祐一の両親からは二人分の養育費が出ているものの、節約できる部分は節約するべきである。そのために、こうして一つの部屋にみんなが集まるというのも無駄を省くにはいい方法だ。

 また、まったくの余談だが、祐姫はあゆと百花屋でウェイトレスのアルバイトをしているし、真琴も保育所のアルバイトで自分の食い扶持を稼ぎ出している。本来なら祐一も家計に貢献するべきなのだが、受験を控えている現状を考慮した秋子の一声で禁止されている。その意味で祐一は肩身の狭い思いをしているのだ。

「もう一つ、殺風景なお兄様のお部屋を少しでもにぎやかにするべく、わたくし達は努力をしているのですよ?」

「……それはいいんだけどな……」

 祐一は祐姫がこの家に来て以来増え続けているプラモデル、その中でもひときわ大きな物体を見て口を開いた。

「大体だな、こいつ足が生えているんじゃないか?」

「生えていますわ」

 涼しい顔で祐姫は答える。

「お兄様、生えていないからと文句を言われるならまだしも、生えているからと文句を言われるのは極めて心外ですわ」

「いや……そのな……」

 昔は生えていなかったんじゃないか? と言いたいが、記憶もおぼろげなので祐一は強気になれない。

「こっちもこんなにゴテゴテしてたか?」

 その隣の機動戦士を見て、色は昔どおりなんだが、と祐一は小声で呟く。

「こちらは少々装甲を強化してあるのです」

 これぞまさしくパーフェクトでございますわ、という祐姫が、なんとなく遠い存在のように思える祐一。そのまま頭を抱え、肺の奥からしぼりだすような深いため息をつく。

「……おれ、受験生なんだが……」

「でしたらお兄様、夜になったら名雪お姉様と一緒にお勉強をなさればいいじゃありませんか。お邪魔はいたしませんわよ?」

「ごふっ!」

 まるで小悪魔のような祐姫のスマイルに、祐一は激しくむせ返る。

「ねえ、祐姫……」

 そのとき真琴が、祐姫の袖をクイと引っ張った。

「どうして祐一はあんなにおかしくなってるの?」

 名雪と一緒にお勉強をするだけでしょ、と実に素朴な疑問だ。

「それはですね、真琴様……」

「だ〜っ! 教えなくっていいっ!」

「うぐぅ……」

 意味のわかったあゆは、一人うつむいて顔を真っ赤にしていた。

 

「ただ〜いま〜」

「名雪さんだ」

「お帰り〜、名雪〜」

 玄関から響く名雪の声に、あゆと真琴は先を争ってお出迎えに行く。不思議な事に、いつの間にかこれがいつもの光景になっていた。

 やがてトタトタという足音が部屋に近づいてくる。

「ただいま、祐一」

「お帰り、名雪」

「お帰りなさいませ、名雪お姉様」

 椅子の上から鷹揚に片手を上げる祐一とは対照的に、祐姫はすっと両手をおへその前で組み、背筋をピシッと伸ばして腰を引き、そのまま三十度ほどの角度で頭を下げ、三秒ほど経過した後に頭を上げる。まるでお辞儀の模範を見ているような礼儀正しさだ。接客にうるさい百花屋のマスターが一発合格を出したのもうなずけるというものである。

「どうしたの? 祐姫ちゃん」

「はい、実はお兄様の事で……」

「祐一の……?」

 祐姫の真剣な様子に、名雪も真剣な様子で聞き返した。なにしろ祐一がらみの話題だ、のほほんとしていた名雪の表情が引き締まっていく。

「名雪お姉様はお兄様のお部屋を見て、どのように思われますか?」

「どうって……」

 名雪はぐるりと部屋を見渡してみるが、別段普段と変わった様子はないように見える。

「少々殺風景だとは思いませんか?」

「そういえば……」

 祐一がこの家に居候するようになって以来、祐一用にと用意した調度以外は荷物が増えていないように見える。CDの類が何枚かと、名雪と一緒に勉強するための机やクッションが増えたのがせいぜいだ。

「それでわたくし達も少しはにぎやかになるように努力したのですが……」

 そんなわけで最近増えはじめたのが祐姫の趣味の機動戦士なのだが、肝心の祐一の私物はそれほど増えていないのだ。

「まあ、俺も引越しが多かったからな」

「どういう事でございますか? お兄様……」

「どうせまたどっかに引っ越すんだから、荷物は少ないほうがいいだろ?」

 祐一にしてみればいつもの事だし、何気ない一言だったのだが、その言葉は祐一の思惑を超えた衝撃をもたらした。

「祐一っ!」

「うおっ!」

 突然の名雪の声に、祐一は心底驚いた。

「今すぐこの部屋を祐一で一杯にしてっ!」

「おいおい」

 その言葉に祐一は呆れるが、名雪の目は真剣そのものだ。名雪は手早く身支度を整えると、祐一を引きずるようにして商店街に向かうのだった。

 

「……それで? 名雪お姉様……」

「う……」

 それこそ今にも踊りだしそうな感じで意気揚々と商店街から帰ってきた名雪ではあるが、部屋に戻ったときの祐姫の呆れたような視線に気おされてしまう。

「お兄様のものを買いに出かけたというのに、どうして名雪お姉様のものが増えているのですか?」

「それは……その……」

 祐姫の詰問口調に、名雪はしどろもどろになる。いくらこの部屋が名雪の部屋でも、祐姫と相部屋である以上あまり荷物を増やすわけにはいかない。それなのに名雪は、大きな猫のぬいぐるみを抱えたまま放そうとしないのだ。

「ゆ……祐一が悪いんだよ」

 なんとか精一杯の反抗を試みる名雪。あゆや真琴が相手ならまだしも、祐姫が相手ではどうにも分が悪そうだ。

「祐一が『お前の喜ぶ顔が見たいから』なんて言うから……」

 その言葉に天にも昇るような気持ちになり、ふと気がつくとこのネコのぬいぐるみを抱きかかえていた名雪。その後は百花屋でイチゴサンデーを祐一と一緒に食べ、幸せ一杯で帰宅したところで現実に引き戻されたのだ。

「……あのですね、名雪お姉様……」

 無論祐姫とて女の子、名雪の気持ちもわからないでもない。

「本末転倒という言葉をご存知ですか?」

「う……」

 

 その日の夕食は、明るい笑いに包まれていた。

「まったく名雪、そんな心配要らないんだぞ」

「そんな事言っても……」

 祐一がどこかに行ってしまうかもしれない、そんな不安が名雪の中をよぎったのが今回の顛末であった。荷物が増えれば引越しもしなくて済むかもしれない、そんな乙女心のなせる業だったのだ。

「約束しただろ? 俺はもうどこにも行かない、ずっとお前のそばにいてやるって」

 少々恥ずかしいが、祐一は目覚まし時計に吹き込んだ内容を一言一言かみ締めるように名雪に伝えていく。それを聞いた名雪の表情からは、見る見るうちに不安げな色が消えていった。

「それに、俺がこの家を出て行くときは名雪も一緒なんだから」

「祐一……」

 そのとき不意に、祐一の袖が引っ張られる。

「なんだよあゆ」

 今いいところなのに邪魔するな、といわんばかりに祐一は隣の席のあゆのほうを向く。

「二人の仲がいいのはわかったから、少しは場所をわきまえて欲しいんだけど……」

 あゆに言われて祐一は、自分が今なにをしていたのかに気がついた。正面の名雪は顔を真っ赤にしているし、その隣の真琴は食べる手を止めて硬直している。秋子と祐姫はいつもと変わらぬスマイルでほほえましく二人を見つめ、少し困ったようなあゆの顔がすぐ近くにある。

 その後祐一も顔を真っ赤にしたままうつむいてしまい、とても食事どころではなくなってしまった。

「若いっていいですね」

 という秋子の言葉だけがやけに祐一の耳に残る。そんな時、突然電話の電子音が水瀬家に鳴り響いた。

「あ、いいですわ。わたくしがでます」

 祐姫はいそいそと電話に向かう。

「はい、水瀬でございます」

『夜分遅くに申し訳ありません。倉田と言いますが、相沢祐一さんはご在宅でしょうか?』

「こんばんは、佐祐理お姉様。お兄様でいらっしゃいますね? 少々お待ちくださいませ」

 祐姫の声で呪縛が解き放たれたようではあるが、祐一はまだギクシャクとした様子で電話をかわる。

「あ、もしもし? 佐祐理さん?」

『はい、佐祐理です』

「どうしたんですか? こんな夜中に……」

 といってもまだ夜の七時を少し回ったあたりであるが。

 まあ、水瀬家は基本的に夜早く寝るほうなので、これでも充分遅い時間ともいえる。はじめはこの時間間隔に慣れなかった祐一ではあるが、名雪と付き合っているうちにすっかりペースに巻き込まれたようだ。

『あの、祐一さん達は来週お暇ですか?』

「来週ですか?」

 祐一はざっとみんなの予定に思いをめぐらせる。名雪は来週からしばらく部活も休みだと言っていたし、あゆ、祐姫、真琴も大丈夫だろう。残る問題は秋子だけだが、多分こちらも大丈夫。

「多分みんな大丈夫だと思うけど、どうしてですか?」

『はい、実はですね。佐祐理達海へ遊びに行こうと思っているんですよ。それでもしよろしければと思ってこうして皆さんにお電話を差し上げているんです』

 海か、と祐一が名雪の水着姿を想像しかけたそのときだった。

「了承」

 突然背後から響く声に、祐一の心臓はしっかり三十センチほど跳ね上がる。

「あっあっあっ秋子さん?」

「了承です。祐一さん」

 祐一のうろたえぶりを微塵も意に介した様子もなく、秋子はたおやかな微笑を浮かべたまま同じ言葉を繰り返す。

「今の聞こえましたか? 佐祐理さん」

『は……はい、祐一さん』

 どうやら電話の向こうでも佐祐理は動揺しているようで、わずかに声が上ずっている。

「それじゃそういう事ですんで、詳しい事は後で」

『は、はい。それでは、おやすみなさい』

「おやすみなさい」

 お互いに別れの挨拶を交わし、規則的な電子音が響くだけの受話器を元に戻す。そのとき祐一は、素敵な夏休みになりそうだと予感していた。

 

「……佐祐理、どうだった?」

「了承だって」

 それを聞いた途端、不安げにアリクイのぬいぐるみを抱いていた舞の無表情が変化する。それは喜びの色。

「楽しくなりそうだね、舞」

「はちみつくまさん」

 そして夜は更けていく。楽しい未来の絵に、心をときめかせながら。

 

 夏はまだ、これからなのだ。

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