第十話 海へ行こう♪ 2

 

「真琴、いっちば〜ん」

 叫ぶなり真琴は海に向かって駆け出していく。

「負けませんわよ、真琴様」

 そして、その後に祐姫が続く。

 

 ピィィィィィィッ!

 

「二人ともっ! なにしてるのっ?」

「……名雪?」

「……お姉様?」

 突如として鳴り響いたホイッスルに足を止めた二人が振り向くと、そこには普段ののほほんとした様子ではない、毅然とした表情の名雪の姿があった。そう、これこそが知る人ぞ知る、名雪部活モードだ。

 ちなみにこの姿は祐一も知らなかったりする。そのせいか祐一は、普段とは様子の違う名雪に目を見張っていた。

「海に入る前には、ちゃんと準備運動をしなくちゃだめだよ」

 有無を言わせぬ名雪の声に、真琴と祐姫は呆然と顔を見合わせるばかりだった。

 

 ピッピッ♪ ピュ〜イッ♪

 ピッピッ♪ ピュ〜イッ♪

 ピュ〜イッ♪ ピュ〜イッ♪

 ピッピッ♪ ピュ〜イッ♪

 

 リズミカルなホイッスルに合わせるように、健康的な名雪の身体が元気よく躍動する。このあたりは陸上部の部長さんの面目躍如といったところだろうか。

 それはいいのだが、祐一は目の前で準備運動をする名雪の身体、特に胸とかお尻が元気よく揺れ動くのには閉口した。

 

 たゆんたゆん♪ ぽよんぽよん♪

 たゆんたゆん♪ ぽよんぽよん♪

 たゆんぽよん♪ たゆんぽよん♪

 たゆんたゆん♪ ぽよんぽよん♪

 

 ふとまわりを見回すと多少の程度の差こそあれ、誰の身体もたゆんたゆん、ぽよんぽよん、ぷるんぷるんと元気よくリズミカルに躍動している。それは実に健康的でいい眺めなのだが、祐一としては身体のある一部分に血液が集中しないようにするので精一杯だ。これは天国なのか、それとも地獄なのか……。

 少々目のやり場に困った祐一は、ふと北川と目が合う。なんとなくだが、北川も自分と同じ目をしているように感じた。

 そのときの祐一の気分は七月の皇帝ジュリアス=シーザー。ブルータス、お前もか……。

 結局のところ、海に入る前から疲れを感じてしまう祐一であった。

 

「真琴、いっちば〜ん!」

 気を取り直して、再度真琴は海に向かって駆け出していく。そして、海に飛び込んだ直後に、何故か真琴はあう〜、と顔をしかめて駆け戻って来た。

「祐一〜っ!」

「うおっ」

 ものすごい剣幕で迫ってきた真琴に、祐一は一瞬気おされてしまう。よく見るとその目は怒りに燃えているようだ。

「祐一、海に悪戯したでしょ?」

「なんの話だ?」

 そういわれても祐一には心当たりが無い。

「だって海の水がしょっぱいのよ。絶対祐一がなにかしたに決まってるわ」

 以前お風呂にお味噌を入れた前科を持つ真琴の言葉に、その場にいた一同が沈黙する。おそらく真琴はそれと同じような悪戯を祐一がしたと思っているのだろう。あたりには繰り返す潮騒だけが妙に響いていた。

「……ぷっ」

 誰かが噴き出したのを皮切りに、あたりに爆笑の渦が巻き起こる。

「なに? なに? なんなのよぉ」

 突然笑いはじめた祐一達に、真琴はわけがわからず地団太を踏んだ。

「ああ、もう……」

 祐一は真琴を抱きしめると、可愛いやつめと頭をナデナデしてやる。よくよく考えてみれば、元妖弧の真琴が海なんて知るわけが無いのだ。初めての海にびっくりするのも無理は無い。

「……って、そんなのじゃごまかされないんだからね」

 頭を撫でられて、一瞬ほわぁ、としかけた真琴だったが、祐一の手を振り解くようにして再度大声を上げた。

「あのね、真琴。海の水はしょっぱいんだよ」

 見かねた名雪がフォローを入れる。

「え……? そうなの?」

 名雪は静かにうなずいた。

「じゃあ、祐一が海にお塩を入れたんじゃないんだ」

 もし仮にそんな事をやるとすれば、一体どれだけの塩が必要なのだろうか。

「じゃあさ、名雪。なんで海の水はしょっぱいの?」

「それは……」

 実に真琴らしい素直な質問に、名雪は言葉に詰まってしまう。海の水がしょっぱいのは知っているが、なんでそうなのかまでは考えた事も無かったからだ。

「塩化ナトリウムが溶けているからよ」

 そこに香里が適切なフォローをいれる。

「ちょっとこれを見てくれるかしら?」

 そう言って香里がクーラーボックスから取り出したのは、ナチュラルミネラルウォーターのペットボトルだ。香里は真琴にその成分表示を指し示す。

「見ての通り、普通のお水にもほんの僅かだけどお塩とかの色々な成分が含まれているのよ。そして、それらは全部海に集まるの。それでお日様の熱で水分が蒸発するとお塩とかの成分がお水の中に残って、それでしょっぱくなるのよ」

 ちなみに、これらの事は海に限らず、陸封された内陸の湖でも見られる現象だ。真琴は香里の説明に真剣に耳を傾けている。

「まあ、難しい話はともかく、海の水はしょっぱいんだって憶えておけ」

「うん」

 そう微笑んで真琴は再び海に向かって駆けていく。そんな真琴の後姿を、祐一は元気だな〜、とのんびり眺めていた。

 

「あの……潤様。ちょっとよろしいですか?」

「なんだい? 祐姫ちゃん」

 おずおずとした様子で北川に話しかける祐姫。上目遣いで北川を見上げるその顔は、頬をほんのり朱に染めている。

「……わたくしに、オイルを塗っていただけないでしょうか?」

「オイル……!」

 その途端北川の両目から、怒涛のごとく滂沱の涙があふれ出た。

「……苦節十八年。忍び難きを忍び、耐え難きを耐え続けてきたこのオレに、ついにこのときが……」

「泣くなよ、北川」

 くっと拳で涙をぬぐう北川の肩に、祐一はそっと手を置いた。

「夢じゃないだろうか」

「そんなはずないだろ?」

 北川がそう思うのも無理もないが、これは現実だ。

「だってな……」

「きゃっ!」

 おもむろに北川は香里の胸を触る。見た目以上にたゆんぽよんとしたふくらみが、北川の手の動きにあわせて柔軟に形を変える。

「どこ触ってんのよっ!」

 その途端に殴られ、北川は数メートルほど飛ばされた。

「ああっ! 潤様」

 あわてて駆け寄り、北川を介抱する祐姫。

「大丈夫ですか? 潤様」

「……痛くない……。やっぱりこれは夢なんだ……」

 そうとわかれば、もはや北川に怖いものはない。

 北川は大胆になった。

 北川は不敵になった。

 とにかくこの夢を堪能しない事には、後で絶対に後悔するであろう事は明白だ。

「……? あの……潤様?」

「さあ、祐姫ちゃん。オイルでもなんでも塗ってやろうじゃないかっ!」

 

「……まあ、あいつ等の事は放っておこう……」

 祐一達から少し離れた場所で、目が血走ったまま祐姫にオイルを塗っている北川の姿に、祐一はため息交じりに呟くとビーチパラソルの下にどっかりと腰を下ろした。ちなみにそのときにしっかり名雪の隣をキープする事を忘れない。

「あ……あのね、祐一……」

「なんだ? 名雪」

 先程の祐姫ではないが、名雪も顔を赤らめてなにやら言いにくそうにもじもじしている。

(まさか……オイルを塗ってくれとか言うんじゃないだろうな……)

(う〜……祐一にオイル塗ってなんて、恥ずかしくて言えないよ〜……)

 そのまま二人の間には妙な気まずい空間が形成された。お互いになにかを言おうとしているのだが、上手く口に出せない。そんな微妙な空間だ。

「祐一さ〜ん」

「祐一く〜ん」

 そんな時祐一のところに、栞とあゆがおずおずと近づいてきた。

「どうした? 二人とも」

「祐一さん、私にオイルを塗ってください」

「祐一くん、ボクにもお願い」

 瞳をキラキラとさせた二人のお願いに、祐一は対抗する術を持たなかった。だが、名雪の手前、鼻の下を伸ばすわけにもいかない。

「あ……いいよ、祐一」

「いや、でもな……」

「せっかくの海だよ。あゆちゃん達の思い出作りのためにも、ね?」

 口ではそう言って名雪はにこやかに微笑んではいるものの、その胸中は複雑だ。

 今は夏。そして、ここは海。祐一との思い出を作るには絶好の機会である。しかし、祐一との思い出作りをしたいのは、名雪一人ではない。

 それがわかってしまうのが名雪の辛いところであり、自分の事よりも他人の事を優先してしまう要領の悪さが如実に現れてしまったところだ。

 祐一も名雪のそうした優しさはよくわかるし、たまには自分の事でわがままになって欲しいとも思う。でも、それが出来ないのが、名雪のいいところなのだろう。そんな名雪だからこそ、祐一は好きになったといえるのだ。

「それじゃ、祐一さん。お願いしますね」

「祐一くん、お願いね」

 そう言って二人は祐一の前で腹ばいに寝そべる。長い入院生活のために強い日差しを浴びる事が出来ず、パラソルの下で仲良く並んだ二人の背中に祐一はからかい口調で声をかけた。

「ちゃんと背中なんだろうな……」

「ひどいです、祐一さん。そんな事いう人嫌いです」

「ひどいよ、祐一くん……」

 いつもの冗談口なのだが、祐一の台詞に二人はぷぅ、と頬を膨らませるが、その姿は怖いというよりもほほえましいくらいにかわいらしいものだ。もっとも、あゆも栞もこれがいつもの祐一だという事は百も承知なので、それ以上はなにも言わずにオイルを塗ってもらった。

 二人にオイルを塗りつつ、祐一は妙な幸せに浸っていた。なにしろ栞は幼いころからの病気で入院生活が長く、あゆもまた七年前の事故以来ずっと寝たきりだったために、一時期の二人の身体はひどいものだった。

 栞はそれこそ骨と皮だけといわんばかりにやせ細っており、あゆも寝たきりだったためにひどい床ずれの痕があったのだ。それが今ではすっかり回復し、こうして海を満喫するに至っている。その姿に祐一は、感動すら覚えるのだった。

 また、祐一自身は二人をまだまだ子供だと思っていた。確かに名雪や香里とは比べようがないが、二人の水着姿を見ていると、祐一もいつものようにはからかえない。特にあゆは小振りとはいえきちんと自己主張した胸のふくらみ、ウソみたいに細くくびれた腰まわり、そしてやや小さめだが形のよいお尻、という具合に、強く女性を意識させるものとなっているのだ。

 あゆが普段オーバーオールとかの男の子っぽい格好をしているために気がつかなかったが、こうしてみると意外なまでのスタイルのよさには驚きだ。まったくの余談だが、みんなで水着を買いに行ったときにこの事実を知った栞は、あゆさんの裏切り者、と悔し涙を流したそうな……。

 

「祐一さん」

 どうにか二人にオイルを塗り終えた祐一は、背後からかかる朗らかな声に振り向いた。するとそこには佐祐理と舞がなにかを期待するようにはにかんでいた。しかも二人は両腕で両胸を挟み込むようにして前かがみになり、ただでさえ豊かなバストをさらに強調しているポーズだ。

「二人が終わったら、佐祐理にもオイルを塗ってくださいね」

「……祐一、私にもお願い」

「くっ……」

 上目遣いで下から見上げるような二人のお願いに、祐一は感涙にむせび泣いた。この二人のナイスなバディに触れる事が出来るなんて……。

 ビバ! 夏の太陽。

 ビバ! 夏の海。

 一応名雪の許可はもらっているし、もはや祐一には怖いものはなにもなかった。

「おなかのほうにもお願いしますね、祐一さん」

 という佐祐理のウインクには、流石の祐一も固まってしまったが……。

「よしっ! こうなったらまとめて面倒見てやるぞっ!」

 祐一は半ばヤケ気味に叫ぶと、気合を入れてオイル塗りにいそしむのだった。

 

 それはあたかも鼻で歩くという伝説の鼻行類の様に鼻の下を伸ばした祐一が、栞、あゆ、佐祐理、舞の順番でオイルを塗っていく姿を、名雪はため息をつきつつ静かに眺めていた。

「な〜ゆき」

 名雪に声をかけると同時に、香里はその背中に柔らかな胸を押しつけるようにして抱きついた。そのときに軽く名雪の胸を揉むというスキンシップを忘れない香里。だがしかし、女の子が女の子の胸を触っても、あまり楽しくも嬉しくもない。

 はたから見ている分にはなかなかに見ものではあるのだが……。

「なにため息ついてんのよ……」

「う〜……」

「……あたしにやきもちやいてもしょうがないでしょうが……」

 どことなく恨みがましいような名雪の視線を、香里は軽く受け流すようにして宥めた。

「でもまあ、これで相沢くんが『オイル塗ります』って看板出したら、商売になるんじゃない?」

「う〜っ!」

「だからあたしにやきもちやくんじゃないわよ」

 香里は軽く微笑んで、再度名雪を宥めた。

 こんな風に名雪が怒るのは、実のところかなり珍しい事なので、少し不謹慎なようだが香里はその姿を楽しんでいた。なにしろ名雪が怒っても、それは怖いというよりは可愛らしいものであったし。

「それじゃ、名雪。あたしがいい方法を教えてあげるわ……」

「へ? 香里……」

 

「ふい〜……」

 まるで一仕事を終えたかのように、祐一は拳で額の汗をぬぐう。

 オードブルは終わりだ。祐一は輝く太陽を見上げ、そう呟いた。

 あゆ達にオイルを塗る事で女体に関する抵抗感も薄れ、手が滑ったふりをして胸を触る練習も積んだ。後はメインディッシュでそれを実践するだけだった。

「……祐一……」

 背後からかかる名雪の声に、祐一は心の中で快哉をあげる。今こそ練習の成果を試すときだ。

「祐一は、まだオイル塗ってないよね?」

「へ?」

 後ろからかかる甘くとろけたような声と、背中に感じる名雪の柔らかな感触に、祐一は思わず変な声を上げる。

「だからわたしが、祐一にオイル塗ってあげるよ……」

「ちょっ……名雪」

 背中にぐいと名雪の胸が押し付けられる。そのまま名雪は祐一の背中に密着したまま身体全体をつかって祐一にオイルを塗りはじめた。

「遠慮しなくていいんだよ、祐一……」

「ぬああああああああああああっ!」

 名雪が身体を動かすたびに、柔軟に形を変える見た目以上のボリュームがある胸の感触に、祐一は腹の底から搾り出すようなうめき声を上げた。それは快楽と羞恥が渾然一体となったもので、このまま快楽に身をゆだねてしまいたい衝動と衆人環視の中ではそんな真似が出来ないという相反する要素の中で祐一はもだえ苦しんだ。

「祐一の背中広いね、それにあったかいよ……」

 そんな祐一の心情も知らず、名雪は一心不乱にオイルを塗り続ける。細くしなやかな名雪の指先が祐一の身体を丁寧に這い回るたびに、更なる快楽が祐一に襲いかかってくる。その上オイルで身体の滑りが良くなった事と、密着した名雪の身体のむっちりもっちりとした感覚に、祐一はくじけそうになる寸前まで追い込まれた。

 

 後に祐一はこのときの事をこう語る。

「……太陽が黄色かった……」

 

「若いって、いいですね……」

「そうですね」

 そんな二人の姿を、秋子と美汐はパラソルの下で微笑ましく見守っていた。

 

 夏。それは男女の仲を大胆にさせる魔性の季節。

 この後祐一は名雪に泳ごうと誘われたのだが、とある事情のためにそれどころの騒ぎではなくなってしまっていた……。

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