第十一話 海へ行こう♪3

 

「いきますわよ、潤様〜」

 ビーチボールを祐姫がアンダーで飛ばす。

「よしっ、真琴ちゃん」

 それを北川がヘッディング。

「名雪〜」

 真琴がレシーブ。

「香里っ!」

 名雪がトスを上げ。

「アターック!」

 見事な香里のスパイクが炸裂する。それはまさに、ビーチバレーというよりは戦隊ヒーローのノリだ。そのすぐ近くの波打ち際では舞が佐祐理と一緒に砂でウサギを作り、あゆと栞はパラソルの下で仲良く甲羅干し。誰もが思い思いに夏を満喫していた。

「へへ……萌え尽きたぜ。真っ白によ……」

 みんなの楽しそうな風景を眺めつつ、祐一はパラソルの下で自嘲を含んだ笑みを浮かべてひざを抱えていた。実は名雪に誘われていた祐一ではあるが、さるやんごとなき事情により、ここにこうしているのだ。

 そんな祐一の前に、すっとよく冷えたコーラが差し出される。ふと顔を上げると、心配そうな表情で眺めている美汐の姿があった。

「サンキュ、天野」

 祐一が軽く微笑んでコーラを受け取ると、美汐は安堵したように小さく息を吐く。普段からあまり感情をあらわにしない美汐ではあるが、今はなんとなくだが微笑んでいるようにも見える。これも夏の太陽がもたらす恩恵なのだろうか。

「なんですか? 相沢さん……」

 多少前かがみになっているせいか、今の美汐は普段よりバストが強調されているような格好だ。その祐一の視線に気がついたのか、美汐は両腕で胸を隠すようにして頬を赤らめた。

「……あまりじろじろ見ないでください」

「いや、ちょっと意外だなと思って」

 控えめなイメージのある美汐がビキニなんて大胆な格好をするとは、祐一にも予想外の事だ。夏場でも紫外線対策と称して膝下まで隠れる長めのスカートに長袖のカーディガンを装備している美汐の事だから、もう少し露出の少ないワンピースタイプだと祐一は思っていたのだ。とは言っても名雪や香里、舞や佐祐理の着ているようなボディラインを強調するようなタイプではなく、どちらかといえば実用本位のスポーツタイプなのだが。

 まあそれでも美汐にとっては、これ以上ないくらいの大冒険なのだろう。

「まさか天野がそんな大胆な水着を着るなんてな」

「これは……その……」

 美汐は顔を真っ赤にしたまま祐一の隣に腰を下ろすと、海へ行く前にみんなで水着を買いに行ったときの事を思い出した。

 

 それは、一本の電話からはじまった。

 夏休みも八月に入ったある日の事。冬の寒さが厳しいこの地方でも夏は暑い。これは周囲を山に囲まれている盆地状の地形によるもので、冬場は寒さが停滞しやすく、夏場は暑さが停滞しやすい気象条件なのだ。

 このところあまり雨も降らず、連日猛暑が続く中、美汐は自宅の部屋で夏休みの宿題を片付けていた。

 クーラーをあまり使わない主義の美汐は、暑さ対策のために部屋の窓と扉を開け、そこに扇風機を使って風の通り道を作る事で空気を循環させ、効率よく部屋の温度を下げる事にしている。元気のよいセミの大合唱が少々耳障りではあるものの、美汐としては自然の風を感じる事の出来るこの方法が夏の楽しみの一つとなっているのだ。

 窓辺につるした風鈴が、そよぐ風で軽やかな音色を立てる。そんなある日の昼下がりの事だ。

 

 ピロロロロッ♪

 

 不意に階下より電子音が鳴り響く。

 美汐は母が出るかと思ったのだが、つい先程買い物に出かけた事を思い出し、やむなく電話に出る事にした。

「はい、天野です」

『もしもし、わたくし相沢祐姫と申しますが、天野美汐様はご在宅でらっしゃいますでしょうか?』

「私です、祐姫さん」

『あ、美汐様でいらっしゃいますか。おひさしぶりです、祐姫です』

 丁寧な祐姫の事だから、おそらく電話の向こうでは律儀にお辞儀をしている事だろう。その光景を脳裏に思い描きながら、美汐は軽く息を吐いた。

 実のところ美汐はこうして電話に出る事があまり好きでなく、そればかりか自分から電話をかける事も滅多にない。あまり電話に出ない理由は、何故か母親に間違われてしまうのが原因であった。

 美汐としてはあまり声が似ているようには感じないのだが、妙に落ち着いた感じがする事から相手にはそう聞こえるらしい。

 そのたびに美汐は以前祐一に『おばさんくさい』と言われた事を思い出してしまい、なんとなく電話に出る事が億劫になりがちになってしまうのだ。

『美汐様の明日のご予定はどのようになっておいでですか?』

「明日ですか?」

 つい思索にふけってしまったせいか、返事もどもりがちになってしまう。

「……予定はありませんが……」

 とは言うが、そもそもこうしてお誘いがかかる事も珍しい。今は祐姫をはじめとして多くの友達に囲まれているが、それ以前の美汐はかなり寂しい状況に置かれていた。もっとも、それは自分から望んでそう言う状況に身を置いていたのだが。

『そうですか。実はですね、わたくし明日名雪お姉様やあゆ様、真琴様達と一緒に新しい水着を買いに行きましょうという事になりまして、それでもしよろしければと美汐様をお誘い申し上げたのですが……』

「私は別にかまいませんけれど」

『そうですか? それでは……』

 嬉々とした様子で話を進める祐姫の声に適当に相槌をうちつつ、当日の予定を決めていく。やがて電話を切ったときの美汐は、少しだけ明るい表情で微笑んでいた。

 

 待ち合わせの場所は駅前のベンチ、時計塔のすぐそばで午後一時の約束。

 しかし、待てど暮らせど誰も来ない。しかも約束の時間はすでに一時間ほど過ぎている。

(遅いですね……)

 そう小さく呟いて、美汐は時計塔を見上げる。もしかして待ち合わせ場所や時間を間違えてしまっているのかと思ったが、あのときの電話の内容は一応メモに残してあるので間違いはないはず。

 時間には割とうるさい祐姫の事だから、遅刻するというのはあまり考えられない。だとするなら事故にでも遭っているのかもしれないと考えてしまう。

 こういうときに携帯電話でもあれば便利なのではとも思う。なにしろこうして待っているだけでは、どうしても暗い想像ばかりが脳裏に浮かんできてしまうからだ。待ち合わせの相手と連絡を取る手段がないというのも存外に不便なものだという事を、このとき美汐は痛烈に実感していた。

 そうした思惑はともかくとして、先程から美汐はちらちらと視線を感じていた。どうやら道行く人が所在無げに佇んでいる美汐に興味を引かれているようなのだ。

 そんなに変な格好ではないはず、と美汐は改めて自分の服装を見直してみる。

 愛用の裾が大きく広がった丈の長いスカートに、飾り気のないブラウス。その上に薄手のカーディガンを羽織ったいつもの夏仕様だ。普段から『おばさんくさい』と呼ばれる彼女にしては少女趣味的であるが、全体として見ればお嬢様然とした雰囲気をかもし出しているのが特徴だ。

 実のところこうした美汐の格好は、母の影響によるところが大きい。母親としては、もう少し女の子らしい格好をして欲しいと願って色々洋服を買い込んでくるのだが、どうにもそれは美汐のイメージにそぐわない少女趣味のものになってしまいがちなのだ。

 美汐としてはもう少し目立たない感じの服が好みなのだが、母を悲しませる事もないだろうと考え、こうした格好をしているのだ。とはいえ、それでも上手に着こなしてしまうところが不思議なところである。

「お待たせしました、美汐様」

 そう言って祐姫が現れたのは、美汐が周囲から注がれる好奇の視線に耐えかねた、丁度そのときだった。

 

「本当に遅くなりまして、申し訳ありません。美汐様」

「いえ、私も今来たところですから」

 本当はそうではないのだが、小さな頭を何度もペコリペコリと下げるたびに揺れ動く、トレードマークとなったチョウチョのように広がる祐姫の白いリボンを見ていると、不思議と美汐も気の毒になってしまう。祐姫は夏仕様の裾がふわりと広がった淡いグリーンのサマードレスにフリルのついたブラウスという格好で、その姿は高原の避暑地にやって来たどこかのお嬢様のようだった。

「ところで、なにかあったのですか?」

「はい、実は名雪お姉様が……」

「寝坊でもしたのですか?」

 彼女の噂は美汐も聞いている。かなり朝が弱いという事も。

 だとしても、昼過ぎのこの時間では少々遅すぎるような気がする。

「いえ、名雪お姉様の寝坊ではなく、お兄様の昼食の支度をしていて遅くなってしまったのです」

 今日は女の子だけで水着を買いに行く事になっており、そこで名雪は家で一人になる祐一のためにお昼ご飯を準備していて、それで遅くなってしまったのだ。

 お昼のメニューは五目焼きそば。焼きそばは祐一の好物だし、さっぱりしたものがいいだろうという名雪の提案だ。

「流石のわたくしも、まさか名雪お姉様が粉から麺を打つとは思いもよりませんでしたわ……」

「………………………………」

 聞けば水瀬家にはインスタント食品や保存食、冷凍食品の類がいっさいなく、食事は全て秋子の手作りによるものなのだ。当然幼児期からそう言う状況におかれていた名雪にインスタントと言う発想はなく、一からの手作りとなる。

 祐姫達は早起きしている名雪にも驚いたが、祐一のお昼ごはんを手作りしている名雪の姿にさらに驚いたものだ。面白そう、といって手伝いはじめた真琴を皮切りにあゆ、祐姫も加わってみんなでにぎやかに準備し、出来立ての五目焼きそばに舌鼓を打って気がついたときには約束の時間を大幅に過ぎてしまっていたのだそうだ。

 このとき美汐は、以前名雪がお弁当のときは遅刻していたという話を聞いたときの事を思い返し、強く納得するものを感じていた。

 

「遅いっ!」

 皆の待ち合わせ場所となっている、この街で一番大きな駅前のデパートの前では、先に来ていたノースリーブのタンクトップに短めのスカートを穿き、均整の取れたボディラインを誇らしげに披露する香里と、同じ格好ながらも服に着られている印象の強い栞が今頃になって現れた名雪に向かって早速文句をぶつけていた。

「うう……ごめんね、香里……」

 見るからに申し訳なさそうな名雪の姿を見ていると、香里もそれ以上なにも言えなくなってしまう。まあ、これがいつもの名雪よね、と香里は妙な安心感を得るのだった。

「さあ、急ぎましょ。早くしないと日が暮れちゃうわ」

 目的の場所は五階にある婦人服売り場、夏物衣料半額セールを行っている一角だ。そこには色とりどりの綺麗な水着が並び、ワンピースからビキニまで豊富にそろっていた。

「うぐぅ……」

 先程からの栞の視線に耐えかねたのか、あゆは小さく声を漏らす。

「なに? 栞ちゃん」

「いえ、なんでもありませんよ。あゆさん」

 そう栞はにこやかに微笑むものの、その視線からは僅かながら嫉妬の色が感じて取れた。

 今のあゆの格好。名雪のお下がりとなるノースリーブの白いサマードレスは、小柄ながらも出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるあゆのボディラインを明瞭にあらわしていた。

 サイズの上ではあゆと似たようなものだと思っていた栞は、今のあゆには少しだけ裏切られたような気分だ。なにしろあゆは今までオーバーオールやキュロットなどのどちらかといえば男の子っぽい格好をしていたため、今のあゆの姿に違和感を覚えるのと同時にちょっとした嫉妬心すら感じてしまうのだ。

 ふとまわりを見回してみると、栞は劣等感に苛まれてしまう。淡い水色のノースリーブタイプのタンクトップに、短めのチェック柄のスカートで均整の取れた脚線美を披露する名雪に、グリーンとホワイトのストライプのはいった胸に巻きつけるような感じのタンクトップにショートパンツで活動的なイメージの真琴。見るからにお嬢様然とした風貌の祐姫と美汐は言うに及ばず、この中にいると栞は自分だけ浮いているようにも感じてしまう。

 出がけに、お姉ちゃんとお揃いです、と浮かれていたのも、今は遠い昔の出来事であるかのようにも思えてくるのだ。

 後で栞が聞いた話では、今回みんなで水着を買いに行く事にしたのは、あゆに原因があるという。

 ここで話は少し前にさかのぼる。

 

 この日水瀬家の名雪の部屋では、女性陣が集って海へ行く準備をしていた。

 なにしろあゆと真琴ははじめての海。実はなかなかの衣装持ちである名雪に、水着を借りる手はずとなっていたのだ。

「本当にそれ着るの? 祐姫ちゃん……」

「はい、これで潤様を悩殺するのです」

 そう誇らしげに胸をはる祐姫が着ているのは、胸に大きく水瀬のエムブレムの付いたスクール水着。これは名雪が中学のころに着ていたものだが、スレンダーな祐姫にはぴったりのサイズだった。

「真琴はこれがいい」

 真琴が着ているのは、若草色と黄色のストライプのはいったスポーツタイプのビキニで、これは名雪が中学のころに香里とプールに行ったときのものだ。

「うぐぅ……」

 そんな中で、ただ一人あゆだけが浮かない様子だった。

「あゆ様、どうかなさいましたか?」

 あゆが着ているのは名雪が中学のころ、冬場に香里と温水プールへ行ったときのワンピース。デザインとしてはシンプルだが、胸元のリボンがアクセントとなったかわいらしいものだ。

「……ちょっと胸が苦しくて」

 それをきいた名雪の背後に、ガ〜ン、と文字が現れた。

「ウェストはどうですか? あゆ様」

「ちょっと緩い……」

 再び名雪の背後に、ガガ〜ン、という文字が現れる。

「どうかなさいましたか、名雪お姉様?」

「な……なんでもないよ、祐姫ちゃん。それじゃあゆちゃん、今度はこれを着てみてくれる?」

 名雪は次々に水着を用意するが、結局手持ちの水着の中にはあゆの寸法に合うものはなかった。そこで今回の買い物となったのである。

 

「あゆちゃん、これなんかどうかな?」

「あら、あゆちゃんにはこっちのほうがいいと思うわよ?」

「う……うぐぅ……」

 名雪と香里が次々にあゆに似合いそうな水着を用意し、すっかり着せ替え人形のように一人でファッションショーをはじめたあゆを、真琴と祐姫が楽しそうに眺めている。そんな光景を見ながら栞はなんとなく取り残されたような気分を味わっていた。

 せっかくお姉ちゃんに水着を見立ててもらおうと思っていたのに、とか、どうして祐一さんが来ないんですか、とか、色々思うところはあるのだが、楽しそうな場の雰囲気を壊すわけにもいかず、ただ一人頬を膨らませてう〜う〜うなっている栞であった。

 そんなときに栞は、やはり同じように場の雰囲気の溶け込めないでいる美汐にすっと近づいていく。

「これは由々しき事態です。美汐さん」

「栞さん?」

 突然小声で話しかけられ、美汐は背筋をびくっとふるわせた。なにしろ今の栞の声には妙な迫力がある、驚くなというほうが無理だ。

 実のところ栞は、あゆと美汐の三人で同盟を結んでいる。それは女性のある一部分の体格向上を目指す同盟だ。サイズの上では似たような感じのこの三人ではあるが、その内訳はあゆ>美汐>栞の順番となっている。

 なにしろあゆは名雪と身長が10センチ違うのに、バストサイズは3センチしか違わない。単純な割合で換算すると、あゆのほうがスタイルがよかったりするのだ。

 身体の寸法は小さくとも、流石にあゆもメインヒロインだけの事はある。その事実を知った栞の心には、とにかくあゆへの対抗心が燃え上がっていた。

「こうなったら、私達もやるしかありませんよ。美汐さん」

「は……はぁ……」

 得体の知れない栞の迫力に、美汐は圧倒されつつあった。

「この夏の、イメージチェンジです」

 

 というわけで、栞とおそろいになるのがこの水着である。美汐としてはもう少し無難な感じでおとなしいデザインの水着にしようとしていたのだが、あゆへの対抗意識に燃える栞に気おされ、気がついたときにはこの水着を購入していたのだ。

 もっともこのあたりには、一人で恥をかきたくありません、という栞の思惑もあるのだが。

「似合ってるぞ、その水着」

「ど……どうも……」

 それでも祐一には好評だったようで、嬉しいやら恥ずかしいやらの感情が入り混じってしまった美汐は、そのまま顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。そんな美汐の姿は、祐一が不覚にも可愛いと思ってしまうくらいだ。

 二人の間に不思議な良いムードが漂いはじめた、丁度そのときだった。

「祐一〜っ!」

 真琴の声が響くと同時に、二人の間に棒が振り下ろされた。

「なんだよ、真琴」

「あのね、これからみんなでスイカ割りをするんだって。だから祐一も美汐も行こうよ」

 そう言ってぐいぐいと手を引っ張る真琴に苦笑しつつ、祐一は重い腰を上げる。それに続いて美汐もにこやかに微笑んで腰を上げた。

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