第十三話 海へ行こう♪5

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎさっていった。

 青かった空に高く上っていた太陽も大きく西に傾き、梢でヒグラシが合唱をしはじめたそんな頃。佐祐理の別荘へと引き上げた祐一たちはそれぞれ身支度を済ませ、別荘の中央付近にあるリビングに集まっていた。

 この別荘は玄関から入ってすぐに大きめのリビングがあり、一階にキッチンとダイニング、そして天然温泉の湧き出る浴室があり、寝室が二階となっている。

「はい、いいですか? 皆さん」

 海で泳いだ後なので軽くシャワーを浴び、かなりさっぱりとした表情で佐祐理はリビングに集った一同を見渡した。

「この別荘はお部屋が六つありますので、皆さんにはお二人で相部屋ということになっていただきます」

 佐祐理の言葉に、僅かながらもざわめきが走る。部屋割りとそのメンバーはどうなっているのか、話題の中心はまさにその一点にある。

「それでですね、祐一さん」

「はい?」

「佐祐理は舞と一緒に一番手前側のお部屋にいますので、夜中になにか御用事のときは……」

「夜中になんの用事があるんですか……」

 上目遣いで少し潤んだ瞳を向ける佐祐理に祐一は内心ドキッとしたが、そのすぐ脇で少し膨れたような表情で軽く腕をつねる名雪がいるのでは、流石に鼻の下を伸ばすわけにもいかない。

「さて、困ったな……どう部屋を割り振るか」

「それでしたらお兄様。こんなこともあろうかとわたくし、くじを作ってまいりました」

 その手には丁度人数分の小さな棒が握られている。ある意味用意周到とも言える祐姫の手際のよさには祐一も絶句するしかない。

「同じ色の棒が二本ありますので、同じ色を引いた人同士が相部屋となる、ということでよろしいでしょうか?」

 特に異存も無いようなので、早速真琴からくじを引きはじめた。

「あう、美汐と一緒〜」

「よろしくお願いしますね、真琴」

 真琴、美汐組が成立し、佐祐理、舞組の正面の部屋に決まる。

「秋子さんと一緒だ」

「よろしくね、あゆちゃん」

 続いてあゆ、秋子組が真琴、美汐組の隣の部屋となり。

「お姉ちゃんと一緒ですか……」

「不満そうね、栞」

「できれば、祐一さんと一緒が……なんでもないっ! なんでもないです……」

 つい本音が出てしまう栞であったが、とりあえず佐祐理、舞組の隣の部屋となる。

「さて、残りは二部屋でございますので。ここはわたくしと潤様、お兄様と名雪お姉様で決まりですね」

「ちょぉっとまったぁっ!」

 満足そうにうなずく祐姫に待ったを出したのは、誰あろう祐一であった。

「どうかなさいましたか? お兄様」

「どうもこうもあるか、ここは俺と北川、お前と名雪なのが普通じゃないのか?」

「お兄様、ちょっと……」

 そう言って祐姫は祐一の腕を引っ張り、みんなから離れた隅のほうに移動した。

「なんだよ」

「いいですか、お兄様。今は夏、そしてここは海でございます」

 不意に祐一の顔を下から見上げるように、真剣な瞳で静かに口を開く祐姫。その声は小さくてやや聞き取りにくいが、その分まわりには聞こえていないようだ。

「ひと夏の思い出を作るには、いい機会だと思いませんか?」

「それは、まあ……」

 確かに祐一も名雪とは出来る限りいい思い出を残しておきたいと思っているし、これが絶好の機会であることは誰の目にも明らかだ。

「いや、しかしだな……」

「もっとも、お兄様が潤様とひと夏の思い出を残したいとおっしゃるのであれば、わたくしもお兄様のご意向にはできる限りそいたいと思いますが。近頃はそういったものも流行っているそうですし」

 祐姫が言いたいのは、所謂ボーイズラブというやつであろう。北川とひと夏の思い出を残すところを想像しかけて、胸の奥のほうに不快な気分がわだかまっていくのを感じる祐一。確かに男は男同士というのが一番気を遣わなくて済むのだろうが、祐一としてはどうせなら女の子と一緒のほうがいいという本音もある。

「ただし、その場合はわたくしが名雪お姉様とひと夏の思い出を作ることとなりますけれど……」

 いかがでしょうか? と小悪魔的なスマイルを浮かべる祐姫を見たとき、祐一は全身をいやな予感が駆け巡っていくのを感じた。今は北川と交際しているので目立たなくなったが、元々女子校育ちの祐姫は百合に近い性癖の持ち主なのだ。

 名雪お姉様は敏感でとてもかわいらしいんですよ、というのは祐姫の談である。ある意味において、祐姫と同室になるのは名雪の貞操の危機なのではないかと思われた。

「とにかく、こうしていても埒があきませんわ。ここは名雪お姉様にお聞きするのが一番です」

 そう言うと祐姫は、再び祐一の腕を取ってみんなのところに戻ってくる。

「名雪お姉様っ!」

「な……なに?」

 ものすごい祐姫の剣幕に、一瞬だが気おされる名雪。

「わたくしとお兄様、名雪お姉様はどちらとひと夏の思い出を作りたいですか?」

 ある意味究極ともいえる選択に、その場の一同の視線が名雪に集中する。

「……祐一、かな……?」

「決まりですね」

 短い逡巡の後に出した名雪の答えに、祐姫は満足そうに微笑んだ。

 その後当然のように部屋割りについて一悶着おきるのだが、秋子の了承と、オレンジ色の物体の前に、一同は沈黙せざるをえなかった。

 

「なんだか大変なことになっちゃったな……」

「……そうだね」

 祐一、名雪組と北川、祐姫組の部屋は一番奥にあり、他の部屋と同様にバス、トイレをはじめとした一通りの調度がそろったスイートルームで、あえて言うなら小さめのコンドミニアムというような感じだ。各部屋には小さめの冷蔵庫とキッチンも設けられているので、簡単な料理くらいならここでも出来るようになっている。部屋の隅にはバーカウンターも用意されているが、未成年である祐一たちには関係のないものだ。

 そのような部屋の中でひときわ異彩を放っているのが、部屋の中央付近に置かれた大きな丸いベッドであろう。そこに並んで腰掛けたまま、祐一は名雪と二言三言言葉を交わすものの、何故かそれ以上の会話は続かなかった。この部屋の持つ独特の雰囲気がそうさせるのか二人とも妙に緊張してしまい、動きも少々ぎこちない。

「の……喉が渇いたね、なにか飲もうか」

 そう言って名雪は部屋に備え付けられているの冷蔵庫に向かったが、その中を見た途端に表情が凍りつく。

「祐一……」

「どうした? 名雪」

 なにやら途方にくれたような名雪の姿を見たとき、祐一は不思議といやな予感が背筋を走り抜けていくのを感じた。

「冷蔵庫の中、マムシドリンクとスッポンエキスって言うのしか入ってないよ……」

 全身にいやな汗をかきつつも祐一が手元にあった枕を見ると、表側にイエス、裏側にノーと書いてある。

 それの意味するところは、祐一の知る限りでは一つしかない。

「祐一ぃ……」

 なにかにすがるような名雪の瞳と、喉からかすれるように出るか細い声に、祐一はただ乾いた笑いを浮かべるのみだった。

(了承ですか? 秋子さん……)

 そのまま二人は瞳にお互いの姿を映したまま、石像のように身動き一つ取れなくなってしまう。

 

 ちなみに、夕食ができた事をあゆが伝えに来るまで、二人はこのまま固まっていた。

 

 さて、一方の北川、祐姫組は。

「素敵なお部屋ですわね。潤様」

「ああ……そうだね……」

 一通りの調度がそろった内装はかなり豪華な感じで、高級ホテルのスイートルームはこういう感じなのではないかと北川は思った。しかし、部屋の中央に置かれた大きめの丸いベッドは、どう見てもいかがわしい感じのするものだ。

 先程から祐姫はクッションの具合を確かめるように、ベッドに腰掛けたまま上下に跳ねている。そのたびに揺れ動く祐姫の長い黒髪もさることながら、硬すぎもせず、かといって柔らかすぎもしないベッドの弾力は、さぞかし寝心地はよいことだろう。

(なに考えてんだ、オレは……)

 一瞬淫らな妄想が頭をよぎり、北川は自分で自分を嫌悪する。こう見えて北川はまじめな性格の持ち主なのだ。

 結婚もしていない男女が一つの部屋にというのは、北川にも想定外のことだ。だが、親友である祐一と、その恋人である名雪のたっての希望とあっては、北川としても承服せざるを得なかったのだろう。

 それに、祐姫と今以上に仲良くなるにはいい機会だという思いもある。

 しかし、このようないかにもな部屋だと、どうにもそう言う気分になりきれないというのがある。

「潤様〜」

 そんな事を考えていると、不意に北川は祐姫に呼ばれる。見ると祐姫はバルコニーで、吹きぬける風に髪を踊らせていた。

「風が心地よいですわ、潤様」

「ああ、そうだな……」

 祐姫に導かれるままにバルコニーに出た北川は、吹きぬけていく風の心地よさに心が洗われるような思いだった。

 茜色に染まる太陽が、遠く彼方の水平線にその身を沈めていく。丁度今の時間は山から下りてきた風と、海を渡ってきた風が混じりあい、軽やかなハーモニーを奏でているようだ。

 もう少し時間が経てば、二つの風が完全に混じって凪となるだろう。

「あ、見てください潤様。一番星ですわ」

 光と闇が織りなすグラデーション。茜色から橙色、その狭間にある僅かな紫と青、そして闇色へといたる丁度真ん中あたりにある、ひときわ大きく輝く星を指差して微笑む祐姫。

「綺麗ですわね」

「ああ……」

 少し気の抜けた返事をしてしまったのは、北川の視線は祐姫に注がれていたからだ。その視線に気づき、祐姫も北川を見る。

 やがて祐姫はすっと瞳を閉じると、軽く上を向いた。そのときの祐姫の頬が紅く染まっていたのは、夕日の照り返しだけではなかっただろう。

 そのまま二人の身体は磁石が自然に触れ合うように距離が縮まり、長く伸びた影が一つに合わさった。

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