第十五話 海へ行こう♪7

 

「まいちゃんは、まいちゃんって言うんだ。よろしくね、まいちゃん」

「まいちゃん、よろしくね」

「よろしくぅ〜」

 先程からお間抜けな会話が続いているようにも思えるが、これでようやっと自己紹介も済んだな、と祐一はほっと胸をなでおろしていた。

 名雪と秋子さんは相手が誰であれ分け隔てなく公平に接するほうだし、その意味では佐祐理も同じだ。美汐は妖弧とかに詳しいし、そうした接近遭遇を過去に体験している。北川は細かい事は気にしない性格であるし、祐姫も実におおらかだ。

 お化けや幽霊を苦手にしているあゆもまいみたいなのなら大丈夫なようだし、真琴もまいが年下に見えるせいか、お姉さん的に振舞っているようだ。

 もしかしたらまいを受け入れてもらえないのではないかと危惧していた祐一ではあるが、よくよく考えてみれば妖弧とか生霊とかの超常現象に、奇跡まで体験しているメンバーがそろっているのだ。それに、一般に女性と子供は環境の変化に柔軟に対応する能力が備わっていると言う。

 その意味で言えば、祐一の心配も杞憂に過ぎないのだろう。

「まあ、それはいいんだが……」

 祐一はふと隣にいる栞に話しかけた。

「香里の様子はどうだ?」

「思いっきり寝込んでますね」

 ため息混じりに憮然とした表情で、栞は小さく口を開いた。その顔には疲労の色が濃い。

 突然のまいの出現により、現実を受け止め切れなくなった香里はもっとも手っ取り早い解決方法。平たく言うと気絶する事で現実から逃避した。

 まあ、香里の場合はあの冬の日に命の刻限が定められた妹を直視できず、妹なんていないと言う悲しい嘘をついてまで現実から目をそらし続けた実績がある。それは祐一と名雪の尽力によって解決する事になるが、ある意味香里と言う少女の弱さを周囲に知らしめる出来事でもあったのだ。

「香里の場合は無理もないと思うな、俺は」

「お姉ちゃんは、ああ見えて結構現実主義者ですからね……」

 結局、このメンバーのうち香里だけが、熱を出して寝込んでしまったのだ。

「お姉ちゃんって、どうも生理的にお化けとか幽霊とかの超常現象を受け付けないみたいなんですよ」

 栞によると、先程の怪談も精一杯の強がりだったようで、それがまいの出現でとどめを刺されてしまったらしいのだ。

「はぇ〜、まさか香里さんにこんな弱点があるなんて、思ってもみませんでした」

「本当ですね」

 まいを中心にして広がる輪を遠目で眺めつつ、佐祐理は秋子と短く言葉を交し合う。二人はいつもと変わらぬ笑顔でいるが、その表情はどこかかげりを帯びていた。

「……幽霊ですか……」

 不意に秋子は言葉を吐き出すように呟いた。

「例え幽霊でも、逢えるものならもう一度逢いたいものですね……」

「そうですね……」

 秋子の呟きに、佐祐理は同意するようにうなずくのだった。

 こうして約一名の犠牲者を出してこの騒動は終息を迎えるかに見えたが、意外な騒動が待ち受けていた。

 

「いやーっ!」

「まい、わがままはよくない」

「いやったらいやなのーっ!」

「はぇ〜、二人とも落ち着いてください〜」

 時刻は十一時を少し回ったあたり。リビングでは突然舞とまいがなにやら言い争いをはじめ、それを佐祐理がなんとか宥めようとしていた。

 この日は移動とかが重なったためかリビングにはほとんど人がおらず、風呂に行った祐一を待っている間に眠ってしまったのか、名雪はソファーに身をゆだねてこっくりこっくり舟をこいでおり、それ以外にはトランプをしているあゆと栞ぐらいのものだった。

「なんの騒ぎだ?」

 睡眠前の一時。天然温泉の湧き出る広いお風呂を堪能していた祐一が、さっぱりとした気分でリビングに戻ってくると、いきなり舞がまいと喧嘩をしている。と言っても興奮しているのはまいのほうで、舞のほうはなんとか宥めようとしているようでもある。そこで祐一は事情を聞くべく手近にいた二人、トランプで遊んでいた栞とあゆに声をかけてみた。

「さあ、私は知りませんけど」

「なんだかいきなり喧嘩をはじめちゃったんだよ……」

 今日は色々あったはずなのにまだまだ元気いっぱいの栞と、半分寝ているようなあゆが状況を説明する。これだけの騒ぎに目を覚まさないところからして、おそらく名雪も相当に疲れているのだろうと祐一は思う。なにしろ今日は率先してあゆや真琴の面倒を見ていてくれたからだ。

「祐一とはあたしが一緒に寝るのーっ!」

 突然のまいの発言に、祐一はその場でひっくり返る。あまりにも衝撃的な内容にあゆと栞は凍りつき、規則正しい寝息を立てていた名雪の眉がピクリと動く。

「な……え……?」

「ダメ、祐一と一緒に寝るのは、私……」

 さらに追い討ちをかけるような舞の声が響くと、先程までなごやかだったリビングの雰囲気が一転した。

「……ねえ、祐一。どういうことかな……?」

 静かに、かつ底冷えのするような声がリビングに響く。普段は祐一の耳に甘く、心地よく響く名雪の声であるのに、不思議と今はあたかも地の底から響いてくるような恐怖の代名詞であるかのように聞こえてくる。

「ボ……ボク、おやすみなさ〜い」

「あ、もうこんな時間です。それでは祐一さん、おやすみなさい」

 去り際にペコリと一礼していくところは栞の礼儀正しさが現れたところではあるが、その笑顔は恐怖にひきつっていた。パタパタと階段を駆け上がっていく二人の姿に、祐一は逃げそこなった我が身の不運を呪った。

 だが、いずれにしても祐一は名雪と同室だ。結局、これが早いか遅いかの差でしかないようにも思えてしまうところが悲しい。

「ねえ? ゆ・う・い・ち」

 一言一言かみ締めるような感じで祐一を呼ぶと、名雪はそのまま祐一の背中に抱きついた。

「うぉっ!」

 背中に当たる名雪の豊かでやわらかい感触に鼻の下を伸ばす祐一であるが、それはすぐに苦悶の表情にとって変わる。

「ね・え?」

 名雪がそのまま身体を密着させて、スリーパーホールドに移行したからだ。

「ふぐぉっ!」

 頚動脈を絞め上げられ、祐一の頭が痺れたようにかすんでいく。だが、意識が遠のく寸前で名雪は絞める力を弱め、気絶する事を許さない。その結果祐一は名雪の身体の感触と意識が遠のく感覚の間に置かれる事となり、苦痛と快楽の二重奏をその身で受ける事となった。

 密着した名雪の感触はもちろんだが、それよりも絞められる事でぼうっとなる感覚で、天にも昇る気持ちだ。そんな薄れゆく意識の中で、祐一は見た。

「いつも舞は祐一と寝てるんだから、たまにはいいじゃないのーっ!」

「いくらまいでも、これは譲れない」

 と、大きなアリクイのぬいぐるみを奪い合う、二人の姿を。

(あのぬいぐるみ、ゆういちって名前なのか……)

 その次の瞬間、祐一の意識は闇に落ちた。

「はえ〜、困りましたね〜」

 口ではそう言うが、佐祐理にはあまり困った様子がない。一つのぬいぐるみを奪い合う二人の姿を、むしろ微笑ましい光景として捉えているかのようだ。

「あの……もしかして……」

「はえ?」

 不意に背後から届いた声に振り向くと、そこには祐一を絞め落とした名雪の姿があった。

「そのぬいぐるみがゆういちって言うのかな?」

「そうですけど、なにか?」

「あは……あははは……」

 屈託のない微笑を浮かべる佐祐理とは対照的に、リビングに力なく響く名雪の笑い声は、妙にむなしい響きだった。

 

(どうしよう……)

 リビングでの騒ぎも知らず、一足先に祐姫と一緒に部屋に戻っていた北川は、ベッドに腰掛けて苦悩していた。

 北川の耳には祐姫が部屋に備え付けのシャワーを浴びている規則正しい音が響いてくる。それの意味するところは、北川でなくても想像可能であると思う。

 男女の仲が親密になれば、そうなるのも自然の流れである。しかし、結婚もしていない男女がそうなる事に、北川は抵抗があるのだ。

 こう見えて北川も結構まじめな男である。確かにそういう事をしてみたいと言う偽らざる本音もあるのだが、だからこそ余計に一時の事で祐姫を傷つけてしまいたくないと思うし、大切にしたいと言う心にも偽りはないのだ。

 とはいえ、北川もこういう経験が豊富というわけでもなく、持っている知識はエッチな本か、男子向け雑誌の体験談程度でしかない。無論、その筋の映像情報もないわけではないが、やはり見るだけのと実際に行うのでは相当な違いがある。

 そうしてるうちに、シャワーの音がやむ。その途端北川の心に、言いようのない緊張が走りぬけた。

(くそっ! こんな事ならもっと詳しく相沢に聞いとくんだった)

 おそらく祐一なら名雪とは恋人同士であるし、そうした経験もあるだろう。事前にそうした情報を入手しておかなかった自分の失態に北川は心の中で毒づくが、今となってはもう遅い。そこで北川は緊張をほぐす目的で、バーカウンターにおいてあった琥珀色の液体を一気に飲み込んだ。

 

(今宵……)

 たっぷりの熱いお湯とちょっぴりの冷たい水で自慢の身体を丁寧に磨き上げ、祐姫は今日この夜を迎えた事に対して自分に活を入れる。

(今宵わたくしは潤様のものになるのでございますね……)

 こうした事にかけてはまだまだ初心な祐姫なれど、これからなにが起きるのかについてのある程度はもっている。だが、流石に寝屋での作法を心得ているはずもなく、その意味では言い知れない緊張がその身体を支配していた。

(どうしましょうか……)

 緊張をほぐす意味合いもあってシャワーを浴びていた祐姫ではあるが、いざこのときを迎えて少々困惑していた。

 バスルームに置かれた大きな姿見には、バスタオルを一枚身にまとっただけの自分の姿が映し出されている。誰かさんに良く似た天使が一人、と言うのは少々自意識過剰すぎる気もするが。

(やはりこのままで潤様のところに行くべきか、それともきちんと身支度を整えるべきなのでしょうか……)

 どうせ脱いでしまうのなら、いっそこのままというのが望ましいのであるとは思われるが、北川に脱がされていく間に心の準備をする必要もあるのではないかとも思う。

(ああ……こういう事になるのでしたら、名雪お姉様にもう少し詳しく聞いておくべきでした……)

 少なくとも祐一と恋人同士という関係にある名雪ならば、そういう経験もあるだろう。しかし、祐姫のほうも名雪に面とむかってそういう事を聞けるわけでもないので、結局のところ同じクラスの女子生徒が口にする又聞き程度の噂話や、少女向け雑誌の体験談程度の知識しか有していないのが実情だったりする。

 その一方で、愛する男性とはいずれこういう経験もするのだという事も理解している。乙女心というのは存外に複雑なものなのだ。

 

 あの後少々の間頭を悩ませていた祐姫ではあるが、結局バスタオル一枚という格好で北川の元に現れた。ちなみに北川は祐姫を待っている間に飲んでいたのだろう、ブランデーの角瓶を片手にベッドの上で気持ちよさそうに眠っている。

「潤様?」

 祐姫は軽く北川の身体をゆすってみるが、まったく起きる気配を見せなかった。おそらくは景気付けのために軽く一杯のつもりだったのだと思われるが、どうやらそのまま眠ってしまったようだ。

 そんな北川の様子に祐姫は少々呆れもしたが、それと同時に心の中に安堵感が広がっていくのがわかる。

(やっぱり……あせる必要はありませんものね……)

 あどけない北川の寝顔に祐姫は軽く微笑み、髪の感触を楽しむかのように優しくそっと撫でるのだった。

 

「……あれ?」

 ふと気がつくと、そこは知らない天井だった。

「え〜と、確かオレは……」

 アルコールのせいか鈍く痛む頭をさすりつつ、北川は前後の状況に思いを巡らせた。祐姫がシャワーを浴びている間に、気合を入れようとバーカウンターにあったブランデーを飲んだところまでは憶えている。ただ、あまりの口当たりのよさに、少し飲みすぎてしまったのが敗因のようだった。

「……まいったね……」

 少しだけ顔をしかめて北川は身を起こそうとするが、何故か身体が動かない。不審に思った北川が原因を探ってみると、

「ス〜……」

 北川の左腕を抱きかかえるようにして祐姫が、なんとも幸せそうに眠っていた。

 二人きりの夜。期待していなかったといえば嘘になるが、北川に身を委ねきり、完全に安心しきった祐姫の無防備な寝顔を見ていると、このままでもいいかと思う北川であった。

「ん……潤様……」

 祐姫の可愛い寝言に、思わず嬉しくなる北川。優しく頭を撫でてあげようかと、空いた右手を伸ばしたそのときだった。

「だめです……潤様……」

 タイムリーな寝言に、思わず北川は動きを止める。

「そんなとこ……あっ……!」

 ぎゅっと腕に胸を押し付けられて北川はどぎまぎするが、それ以上に祐姫の寝言にどぎまぎしてしまう。

「だめ……こんな格好……。恥ずかしい……」

「……祐姫ちゃん……」

 その幸せそうな寝顔に向かい、北川は憔悴しきったような声音でつぶやいた。

「君の夢の中で、オレは一体どんな痴態を演じているんだい……?」

 その後も祐姫のせつなげな寝言は続き、北川は眠れない夜をすごす事になるのだった。

 

 ちなみに、名雪に絞め落とされた祐一はそのまま放置され、翌朝朝食の支度をするために起きてきた秋子によってリビングで発見されるのだった。

 

 こうして、祐一達一行の海での初日は過ぎてゆく。

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