第十八話 浴衣でGO! 2

 

「ここですか……」

 どこまでも続くように思われる白い壁を辿り、やっとたどり着いた巨大な門扉を前に栞はかすれたような声を出す。それでなくても立派なつくりの扉に、圧倒されそうだ。あるところにはあるもんですね〜、という栞の感想は、彼女だけでなくみんなの気持ちを代弁するものだった。

「ここが入り口で、後は歩いて小一時間、ってところか……」

 以前佐祐理の誕生会に招かれたときに、祐一は本宅につくまで結構苦労したの思い出した。

「そんなにあるくのぉ?」

 途端に真琴が不平の声を出す。流石に元妖弧だけあって、二本の足で歩き続けるのは辛いらしい。しかも今は浴衣に草履という、かなり歩きにくい格好をしているからだ。

「しかたないだろ、なにしろ佐祐理さん家はあそこの山から……」

 すっと遠くの山を指差す祐一。

「……向こうの山までがそうらしい」

 ぐるっと反対側の山まで指差す祐一に、一同の目が点となる。

「一体どれぐらい広いんでしょうか?」

 美汐の問いかけに、祐一は頭をひねる。

「俺にも良くわからんが、佐祐理さんが言うにはアメリカ海軍のフォレスタル級原子力空母『インディペンデンス』の飛行甲板と同じくらいの敷地面積があるらしい」

「なんだかよくわかりませんが、とにかく広いということですね」

 一体東京ドーム何個分の、と考えてしまう美汐であったが、とりあえずそれで納得しておくことにした。

『みなさん、おそろいですね〜』

 突然響いた能天気な声にあたりを見渡してみると、立派な門の隣にすえられた通用門から響いてくる。そこにはカメラがあり、その下のスピーカーから声が聞こえてくるようだ。

『そこの通用門は開いていますので、どうぞみなさん中にお進みください』

 一同が中に入ると、バスガイドのように歓迎の旗を振る佐祐理が、いつもの笑顔でマイクロバスの前に立っていた。

「みなさんようこそいらっしゃいました。ここからは佐祐理が御案内しますね〜」

「真琴、いっちば〜ん」

 ドアが開くなり、一番に飛び込んでいく真琴。その姿に苦笑しつつも美汐があとに続き、全員が乗り込んだのを確認して佐祐理が運転席に着いた。

「あれ? 佐祐理さんが運転するんですか?」

「はい、そうですよ祐一さん」

「いつの間に免許を取ったんですか?」

「はえ? 佐祐理、免許は持ってませんよ?」

 不気味な沈黙が二人の間に立ち込めた。

「……佐祐理さん……?」

「それにここは私有地ですから、免許は必要ないんですよ〜」

 道路交通法の定めるところでは、自動車運転免許証は一般公道を自動車などで走行する際に携帯が義務付けられているものである。したがって、私有地や空き地、駐車場やサーキット、河川敷などの公道外では持っている必要はないのだ。

「大丈夫です。こう見えても佐祐理、運転は上手ですから」

 そう豪語する佐祐理の姿は頼もしくすらある。

 だが、次の瞬間シートに猛烈な加速Gで身体を押し付けられたとき、祐一はその考えが甘かったことを悟った。

「いきますよ〜」

 目の前に迫るコーナーにものすごい勢いで突っ込んでいく佐祐理、すばやくサイドを引いてステアリングを切る。

 

ゴヒャァァァァァァァァァァァァァァッ!

 

 一気にマイクロバスは横を向き、豪快にコーナーを抜けていく。

「あはは〜、パワードリフトですよ〜」

 佐祐理は楽しそうだが、乗っている祐一たちはそれどころではない。カニ走りするマイクロバスの猛烈な横Gで、身体を支えるのが精一杯だ。

「倉田さん」

 早く佐祐理を止めなくては犠牲者が、と誰もが思ったとき、冷静に秋子が声をかけた。

「車を止めなさい」

「は……はえ?」

「早く、車を止めなさい」

 得体の知れない秋子の迫力に気おされ、佐祐理はマイクロバスを路肩に停めた。

「いいですか、倉田さん」

 運転が佐祐理から秋子に代わったので、これで一安心だな、と思った祐一の期待は、再び猛烈な加速Gでシートに押し付けられたときもろくも打ち砕かれた。

 目の前に迫るコーナーに、敢然と突っ込む秋子。華麗なヒール・アンド・トゥでエンジンの回転数を落とさぬまま減速し、ブレーキングによる荷重移動とステア操作で一気にマイクロバスを横滑りさせる。

 

ドギャァァァァァァァァァァァァァァッ!

 

 くんくん、くいっ、という表現がしっくりくるくらいの見事なステア操作に、思わず佐祐理の目が見開かれる。

「倉田さんが先程やったサイドを引く方法は、正確にはパワースライドといってドリフトではありません。タイヤをロックしてしまう分、スピードを殺してしまう走り方です」

 そういいながらも秋子は盛大にスキール音を響かせてコーナーを駆け抜けていく。

「ドリフト走行とは、コーナーを早く曲がる技術ではありません。要は車の持つ直進性を殺さずに車の向きそのものを変え、コーナー出口での立ち上がり加速を重視した走り方なのですよ」

「は……はい」

 目の前で繰り広げられる秋子のドライビングテクニックに、佐祐理の目は釘付けだ。

「そして、これが必殺『溝走り』」

 

ゴアギャァァァァァァァァァァァァァッ!

 

 その後もコーナーを抜けるたび、マイクロバスは盛大にカニ走りで駆け抜けていく。運転している秋子とそれを見つめる佐祐理はかなり楽しそうであったが、そのたびに大きく横に振られる車内では大変な騒ぎとなっていた。

「秋子さん! 車っ! 横っ! 横っ!」

「くー」

「わー、早い早い」

「すごい、また横向いて走ってるよ」

「………………………………」

「素敵ですわ。ねえ、潤様」

「ああ、そうだね……」

「お姉ちゃん……。私、もうゴールしていいですか?」

「いやぁっ! 栞っ! 栞ーっ!」

 叫ぶ祐一、寝る名雪、はしゃぐ真琴、楽しそうなあゆ、放心する美汐、うっとりする祐姫、それどころではない北川、顔面蒼白の栞、絶叫する香里。

 阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。

 

 一方そのころ。佐祐理の本宅前の玄関では、浴衣姿の舞とまいが仲良く手をつないでみんなの到着を待ちわびていた。

「そろそろみんな来るころだね」

 遠くから響いてくるエクゾーストノートにまいはウサギ耳のカチューシャをピコピコ揺らして瞳を輝かせるのだが、舞の表情は暗い。無表情というのはいつものことだが、その顔には明らかに恐怖の色がにじみでていた。

「舞は一緒に行かなくてよかったの?」

 まいの無邪気な声に、舞は激しく首を振ってこたえた。

「そうだよね……」

 今度は同意するようにこくこくと首を振る。

「……流石にあれに乗りたくないよね……」

 実のところ、佐祐理の最初の犠牲者となったのが舞とまいの二人であったからだ。

 今頃祐一たちが味わっているであろう華麗なる佐祐理のドライビングテクニックに、舞は心の底からみんなの無事を祈った。

 

 やがて盛大に爆音を響かせながらものすごい勢いで舞たちの目の前を通過したマイクロバスが、派手にスピンターンを決めて縦列駐車をしたとき、やっぱり乗らなくてよかったと胸をなでおろしていた。

「はい、みなさん。到着ですよ〜」

 と、佐祐理の明るい声が車内に響くが、すでに誰も聞いていなかった。

 

「祐一〜、大丈夫?」

「潤様、お加減はいかがですか?」

 ドアが開くなり転がるようにして外に出た祐一と北川は、その途端にへたり込んで息を荒くした。

「……なんでお前はあの状況で寝てられるんだ……」

「うにゅ?」

 息も絶え絶えな祐一の声に、かわいらしく小首を傾ける名雪。

「よく平気だね、祐姫ちゃんは……」

「わたくし、こう見えても乗り物には強いんです」

 あれが乗り物なんてかわいらしい代物かよ、と北川は思うが、祐姫が心配そうな顔をしているので言うのをやめた。

「すごかったよねー」

「うんうん、車がこうキューンって横になって」

「あらあら」

 あゆと真琴は楽しげに秋子と話し。

「二人とも、生きてる?」

「……死んでます」

「私は生きてます……なんとか……」

 臨死体験真っ最中の栞と、かろうじて復活した美汐。それを香里がやつれた様子で介抱していた。

 

 結局、全員が回復したのは、到着からおよそ三十分してからであった。

 

「うわぁっ! すごいすご〜い」

 倉田邸の中庭を開放して行われる夏祭りは今年も盛況のようだ。所狭しと色々な夜店が立ち並び、きらびやかな照明と立ち込める熱気はいやでも興奮を掻き立てるものがある。

「なあ、名雪。いつもこんな感じなのか?」

「そうだけど……。祐一も昔ここにきたことあるよ?」

「そうなのか?」

 名雪によると十年くらい前だというが、祐一はどうにもそのころに記憶が曖昧であった。

「ゆういち〜」

 不意に祐一の足元から能天気な声が響く。

「どうしたの〜? 暗いよ〜?」

「まいか」

 視線を下げると、足元のほうでまいが祐一を見上げていた。その頭でピコピコとゆれるカチューシャを見たとき、祐一の頭の奥でなにかが閃く。

「ああっ! あのときの縁日の……」

「やっと思い出してくれた」

 はにかんだように、まいは微笑んだ。

「あたし、嬉しかったんだよ。だってあたしウサギさん大好きだもん」

 祐一の脳裏にあの日の光景が思い描かれる。あの日の、金色の麦畑の風景が。

 確かに舞はあそこで笑顔を見せていたのだ。

「そのときから舞はね、祐一の事が……もがもが」

「余計な事は言わない」

 うっすらと頬を赤く染めた舞が、背後から両手でしっかりとまいの口を押さえていた。そのせいかまいはもがもがとしか言えず、恨めしそうな視線で舞を睨みつける。

「……先行ってるから」

 まだなにか言いたげなまいをひきずり、舞は夏祭りの雑踏の中に姿を消した。

「潤様、わたくしたちも」

「ああ、そうするか」

 祐姫と北川は寄り添って歩き出し。

「早くいこっ! 美汐」

「はいはい」

 真琴は強引に美汐の手を引っ張り。

「お姉ちゃん、早く早く〜」

「もう、はしゃがないの」

 元気な栞に香里は目を細め。みんなそれぞれに夏祭りの雑踏へと姿を消した。

「佐祐理さんは行かないんですか?」

「はえ〜、行きたいのは山々なんですけど……」

 なんでも招待客の接待とかをしなくてはいけないらしい。倉田家の息女としての責務を果たす必要があるのだそうだ。

「うぐぅ、秋子さんは?」

「私はちょっと疲れたので、少し休もうかと」

 それでは、と軽く一礼して佐祐理は去り、秋子もその後に続いた。

「それじゃあ、あゆちゃんはわたしたちと一緒に行こうね」

 言うが早いか名雪はあゆの手を引っ張って歩き出す。

「おおい、待ってくれ〜」

 そして祐一は、あわててその後を追うのだった。

 

 夏の宴が、今始まる。

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