第十九話 浴衣でGO! 3

 

 この街の名士ともいえる倉田家の庭先を開放しての夏祭りは、今年も大勢の参加者が集まっていつも以上の活気に満ちていた。そのせいか、通りには露店が所狭しと軒を連ね、そこを行き交う人の流れも絶える事がない。

 あちこちに飾り付けられた、色とりどりの提灯に、どこからともなく響いてくる祭囃子の笛太鼓。

 祐一にとっては極ありふれたお祭りの風景なれど、この七年間を寝たきりで過ごしていたあゆにとっては、なにもかもが新鮮に映るのであろう。先程からいいにおいのあふれるたこ焼き屋や、お祭りの定番りんご飴屋の手つきを真剣な様子で眺めている。

「おい、あゆ。あれ見てみろよ」

「うぐぅ?」

 その指の先には、たい焼き屋のとなりに店を構える鮎の塩焼き屋があった。

 無論その後で、真っ赤な顔をしたあゆにポカポカと殴られ、呆れ顔の名雪にたしなめられる祐一であったが。

 このお祭りは倉田家の現当主の、幼くして亡くなった一人息子の追悼の意味もあり、毎年お盆の時期に開催される一大イベントとなっている。特に今年は露店の数も増やしたためか、例年以上の賑わいを見せているようだ。

 先程からあゆをからかっている祐一ではあるが、こうした賑わいの中に身を置くというのもかなり久し振りなので、彼自身も少々羽目を外し気味であった。

 

「お姉ちゃん、早く早く〜」

「はいはい、ちょっとくらい待ちなさいよ」

「すごいです〜、お店がいっぱいあります」

 お祭りの雰囲気に後押しされてか、はしゃぎまわる栞の姿を眺めつつ、香里もついつい顔をほころばせてしまう。病弱で、ほとんど病院から出る事も出来なかった栞と、こうしてお祭りに来る事が出来るなんて、少し前の香里には考えられなかった事だ。

 名雪をはじめとした学校の友達と一緒に来る事はあっても、栞とおそろいの浴衣を着て歩くのは初めてであるせいか、香里自身もわくわくする気分を抑えるのに必死だった。

 たこ焼き、たい焼き、カルメ焼き。お好み焼きに焼き牛串。屋台の定番焼きそばと、色とりどりのカキ氷。とうもろこしに甘栗に。射的に輪投げになめくじに、風船つりに金魚すくい。飾る提灯鮮やかに、売り子の声も景気よく。

 不思議と前に来たときよりも活気に満ちているようだ。

「あまりはしゃぐんじゃないわよ?」

「わかってますけど……」

 口ではそうは言うものの、やはり喜びを隠し切れない栞。

「……しょうがないわね。はい」

 すっと差し出される香里の手を、栞は怪訝そうな顔で見た。

「この人ごみだもの、はぐれないようにね」

 あたりを行き交う人達は、香里達と似たような浴衣姿だ。だからはぐれないようにという香里の気持ちもわかるが、少しだけ赤く染まった顔はそれだけではないようだ。

「はい、お姉ちゃん」

 その意図を了解したのか、栞は満面に笑顔を浮かべてその手を取るのだった。

 

「ねえ、美汐〜。あれ、なぁ〜に?」

「あれは……射的ですね。あの鉄砲で弾を飛ばして、落とした景品をもらえるんですよ」

「じゃあ、じゃあ。あれは? 美汐。白くてふわふわしてて、雲みたいなの」

「綿飴ですよ。甘くて美味しいんです」

 こうした縁日ははじめてなのだろう。先程からあちこちの露店を見回しては、子供のようにはしゃぎまわる真琴の姿に、美汐は嬉しそうに目を細めていた。

「うわ〜、風船が水に浮いてる」

「それは水風船です」

「お魚さんがいっぱい、綺麗な色〜」

「金魚すくいですね」

 新たな露店を見つけては嬉しそうな顔で訊いてくる真琴に、一つ一つその内容を説明していく美汐。それを真琴はうんうんとうなずきながら聞いていた。

 手には先程の露店で買った伝説の肉まんが握られており、それをほおばりながら雑踏の中を歩いている。歩きながらなにかを食べるのはお行儀が悪いような気もする美汐ではあるが、お祭りの雰囲気がそうさせてしまうのか、真琴と一緒にほおばりながら歩いているのだった。

「じゃあ、美汐。あれは?」

「あれは……ドネルケバブですね」

 漫画に出てくるような大きな肉の塊を串に刺し、それを回転させながら焼くという料理法で、古くからトルコなどのイスラム教圏で食べられてきたものである。薄く削ぎ切りにした肉を、ピタと呼ばれる袋みたいなパンに野菜と一緒にたっぷりと詰め、ドレッシングをかけて食べるというファーストフードの元祖みたいなものだ。

 美味しくって栄養満点。しかも焼くときに余分な油が抜けてしまうので、とってもヘルシー。最近は日本でも食べる事が出来るようになったらしいのだが、東京とかの都会でなければ食べられないのものだと思っていた。

 それがこんなところで食べられるなんて、と美汐は今更ながらに倉田家の力というのを知ったような気がするのだった。

「ねえ、美汐〜」

 ふと気がつくと、真琴がおねだりをするような瞳で浴衣の袖を引っ張っている。美汐は苦笑すると、ドネルケバブの列に並んだ。

 

「はい、潤様。たこ焼きですわ」

「おお」

 祐姫に、あ〜ん、としてもらって、北川は満足そうに鼻の下を伸ばす。ほっこり熱々のたこ焼きを口いっぱいにほおばりながら、満面の笑顔を浮かべる北川。

「美味しいですか?」

「うん」

 なにしろ自分の彼女にこうしてもらえるのだ。嬉しくないわけはないし、これで美味しくないわけもない。普段の祐姫の料理が料理なだけに、いつも以上に美味しく感じる北川であった。

「では、わたくしも……」

 たこ焼きをほおばり、祐姫も満足そうに目を細める。お祭りという雰囲気がそうさせるのか、普段よりも美味しいように感じられるのだ。

「よし、今度はお好み焼きだぞ」

 お好み焼きは広島風で、二枚重ねの生地の中にたっぷりとキャベツと焼きそばが詰まっている。ソースの香りと、香ばしい青海苔がなんとも食欲を誘う。

 北川と祐姫は会場内に設けられたベンチに座り、それぞれが集めてきた戦利品に舌鼓を打っていた。北川達の周辺にいるカップルも総じて似たような状態なので、ここだけが別世界のようである。

 もっとも、お祭りという雰囲気がそうさせるのか、そこにいるカップル達はいつも以上に大胆になっているようであったが。

「それにしても、お祭りとは随分とにぎやかなのですね」

「いつもこんな感じなんだが……。もしかして祐姫ちゃん?」

「はい。実はわたくし、こういうのははじめてで……」

 そう言って祐姫は頬を朱に染める。

 祐姫は女子高育ちであり、全寮制の厳格な校風の中で過ごしたせいか、こうしたお祭りなどのイベントにはほとんど参加した事はなかった。無論学内では文化祭に体育祭といったイベントがあるのだが、基本的にそれらは自分達が学校生活で学んだ事を披露する場でもあるので、とてもじゃないがこうまで騒がしくなる事はない。

 寮の窓辺から遠く響いてくる祭囃子に耳を傾けるか、光った後に音が鳴り響く花火を見るのが精一杯だったのだ。

「よし、いくぞ祐姫ちゃん」

「潤様?」

 北川は祐姫の手を取り、立ち上がらせる。

「祭りはこれからだぜ、オレが祭りの楽しみ方を教えてやるぜ」

 二人がまず向かったのは、露店の射的だった。景品台の上にはお菓子やぬいぐるみ、奇妙な形の置物に安っぽいデザインのシルバーアクセサリー。それにコルク弾では絶対に落とせないであろうゲーム機の本体などが所狭しと並べられていた。

「やらせてもらうぜ、親父!」

「ほいよ」

 北川の出した千円札に、今時珍しくねじり鉢巻をした親父は大量にコルク弾を渡す。

「……こんなに……?」

「ああ」

 普通は500円でコルク弾5〜6発がいいところだ。ところが北川に渡されたコルク弾はどう見ても100発以上ある。

「実は、ここだけの話なんだがな……」

 親父はニヤニヤと笑いながら北川に耳打ちした。

「倉田の旦那からは結構な金をもらってるからな、今夜は無礼講なんだよ。それに……」

 そこで親父は興味津々という様子の祐姫を見る。

「彼女の前なんだろ? 少しは格好いいところ見せてやりなよ」

 そういわれた北川ではあるが、妙に緊張してしまったせいか銃を構える手が震える。そのたびにコルク弾は明後日のほうに飛んでいってしまい、まったく当たらなくなっている。

 ポン、ポン、ポン、とリズミカルに発射音が響くが、肝心の弾は景品のわきをかすめるだけだ。

「あ……あれ? おかしいな……」

 祐姫の前で格好悪いところは見せられないと張り切る北川であるが、ここまでスカスカ外れると返って小気味良いものすら感じてくる。

「潤様、がんばってください」

「おお」

 だが、北川の思いとは裏腹に、弾はまったく当たる気配がない。

「変だな、これで当たらねえはずはねえんだがな……」

 実は、普通の縁日のときはわざと銃身を狂わせて当たりにくくしていた親父。しかし、今日だけはしっかりとサイトの調整を行い、当たりやすくしていたのだ。

「あの、潤様? わたくしにやらせていただけませんか?」

「あ? ああ……」

 残弾数が十発ぐらいになったあたりで、祐姫と交代した北川。

「使い方はわかるかい? お譲ちゃん」

「あ、はい。ボルトアクションのライフルでしたら」

 祐姫は慣れた手つきでレバーを引き、銃口にコルクを詰める。その無駄のない洗練された動きには、北川のみならず射的屋の親父すら驚いていた。

「はっ!」

 まったく上体を揺らさない見事な構えで、気合と共に発射されたコルク弾は、シルバーのアクセサリーが入った箱をことりと落とす。

「お見事っ!」

 拍手喝采をして喜ぶ親父。それはともかくとして北川は、屋台主としてそれでいいのかと疑問に思ってしまう。

「凄いな、祐姫ちゃん……」

「あ……はい」

 呆然としたよう表情で呟く北川に、祐姫は頬を朱に染める。

「じつはわたくし、射撃は得意なんです」

 にっこりと微笑んで、祐姫は北川に銃を渡す。

「潤様の場合、上体が不安定に揺れているんですよ」

 銃を構える北川を、すっと支えるように祐姫は腰に手を回す。すぐそばに祐姫の温もりを感じるせいか、北川の背はすっと伸び、程よく緊張する事によって上体が固定された。

 そして、発射された弾はまっすぐに飛び、シルバーのリングが入った箱をことりと落とす。

「やりましたね、潤様」

「ああ、見事だったぜ」

 ほいほいと景品を手渡す親父。祐姫にはシルバーの首飾りが、北川にはシルバーのリング。どちらもそこらの露店で300円ぐらいの代物なのだが、とるのに苦労したせいか不思議な価値観がある。

「それでは、これは潤様に……」

 そう言って祐姫は北川に体を寄せると、少しだけ伸びをして首飾りをつける。

「やっぱり、よく似合いますね……」

「あ……じゃあ、こいつは祐姫ちゃんに」

 手渡されたリングを祐姫は、迷う事無く左手の薬指にはめた。

「どうですか? 潤様」

 その行動に特に深い意味はないんだろうな、と思いつつ、北川は首を縦に振る。

 そのあまりにも初々しい様子を、射的屋の親父は微笑ましく見守っていた。

 

 さて、そのころ祐一達も屋台めぐりを楽しんでいた。

 ダーツに輪投げにお面屋さん。食いつきの悪いザリガニ釣りに、店主お手製の奇妙なぬいぐるみがずらりと並んだ的当て屋。お祭りなだけあって、微妙にコメントに困るような露店を回る。

 取った水風船を両手に構えて早打ちを披露する祐一に、至近距離で見せられておびえるあゆと、それをたしなめる名雪。

 そんな三人は、今度は食べ物屋めぐりへと移行する。イカ焼き、焼きそば、とうもろこし、たい焼き、綿飴、べっこう飴。二人が旺盛な食欲を満たすたびに、祐一の財布が少しずつ軽くなっていく。

 もっとも、名雪もあゆも遠慮はしているのだが、やはりこういうときには男が出すのが当然だろうと祐一は考えていた。

 ちなみに今は、流石にそれじゃ悪いからと、名雪は二人のためにカキ氷を買いに行っている。そんなわけで祐一はあゆと手をつなぎ、雑踏の中で名雪が帰ってくるのを待っていた。

「いいか、あゆ。俺は昔、金魚すくい荒らしの祐一と呼ばれていたんだぞ」

「祐一くんはそういうけど、一匹も取れなかったよね」

「……ここは俺にとってアウェーだからな、俺の地元じゃそう呼ばれてたんだよ」

 しかし、実際はこの街が祐一の出身地だ。

「それにしても、名雪さん遅いね」

「ああ」

 不安そうな瞳で見上げてくるあゆに、祐一は短く答える。きっと生来の不器用さを遺憾なく発揮して、時間がかかっているんだろう。香里が言うには、名雪は普通の人の七倍は時間がかかるそうだから。

 まあ、名雪は責任感が強いから、時間はかかるけど約束は守るはずだ。流石に付き合いが長いだけあって、そのあたりの事情は祐一にもよくわかる。

 とはいえ、待つのにも飽きてきたそんな時。

「あれ?」

「どうした? あゆ」

「秋子さんだ」

 言うが早いかあゆは祐一の手を離し、一目散に駆けていく。

「おい、あゆ」

 あわててその後を追いかけようとした祐一ではあるが、不意に激しくなった人通りに阻まれて先に進めないまま、あゆを見失ってしまう。

「お待たせ〜」

 そんなところに帰ってくる名雪。手にはそれぞれイチゴ、メロン、小豆のかかったカキ氷のカップを持っている。

「祐一はメロン、あゆちゃんは小豆でいいよね」

「それどころじゃないぞ、名雪」

「うにゅ?」

 祐一の緊迫した様子とは対照的に、名雪はのほほんとした様子で聞き返す。

「あゆとはぐれた……」

「……ええっ?」

 あまりの驚きのためか、名雪の手からカキ氷のカップがするりと落ちる。先ほどまで色鮮やかだったカキ氷が、大地に触れた途端にくすんだ茶色に早変わりした。

「ど……どうしよう、祐一……」

「とにかく、手分けして探すんだ」

「あ、うん。そうだね」

 あゆの姿を求めて、二人は走り出す。

 

 だが、このときの二人はまだ気がついてはいなかった。

 これが、夏の夜に体験する怪異譚の、ほんの始まりでしかなかった事に。

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